では5月19日(日)『アステールプラザ神楽鑑賞会』の報告の後半です!
中川戸神楽団「茨木」。渡辺綱に左の腕を切り取られた茨木童子が腕を取り返しにきます。
さて、『茨木童子』、酒呑童子のもっとも重要な家来でありまして、大変ファンの多い鬼であります。そんなファンの皆さん、
中川戸神楽団さんのこの演目で見逃してはいけないのはやはり「一番最後」です!茨木童子が虚空飛天の妖術をもって大江山へと「飛び去り」ます!本当に飛び去ってしまいます!まさかここで浮かぶとは!と初めてご覧になった方はびっくりしますよね。
このような場面を目にしますと、神楽の〝舞台芸術化″、保存的伝承ではなく、創造的伝承もあるのだ、ということが実感されます。
最後は琴庄神楽団で「大江山」。
歴史ある大江山。
大江山の酒呑童子は都の人々、仏教・陰陽道を信仰する人々にとって「敵」でありますが彼らからしてみれば住む土地を奪ったあげく仲間だと言ってだまし毒酒を飲ませ、刀を抜いた頼光たちのほうが悪であり、都人こそが鬼であったはずです。
琴庄神楽団さんの「大江山」は、前半の鬼たちと頼光たちの宴が大変愉快にコミカルに描かれていることもあり非常に鬼たちへの同情の念がわいてきます。
「鬼に横道なきものを」という酒呑童子の最期に言ったとされる言葉には征服されていくことに対する悲痛な思いを感じることが出来ます。大江山には古代の鉄づくり、タタラの跡や銅の鉱脈があり、今から40年前に閉山された銀山もありました。
征服されるものとは土着の人々、あるいは山の神、はたまた自然そのもののことであったかもしれません。
こうやって鬼退治の物語を小難しく考えてみると時の権力者のあらゆる思惑や意図、のちの世の人々の苦し紛れの願望などが見え隠れして大変興味深いですね。
お知らせ
7月14日(日)に千代田開発センターで『月一の舞 神楽―台本作家―石丸賢太郎の世界』があります。沢山のご来場お待ちしております!
中川戸神楽団「茨木」。渡辺綱に左の腕を切り取られた茨木童子が腕を取り返しにきます。
さて、『茨木童子』、酒呑童子のもっとも重要な家来でありまして、大変ファンの多い鬼であります。そんなファンの皆さん、
中川戸神楽団さんのこの演目で見逃してはいけないのはやはり「一番最後」です!茨木童子が虚空飛天の妖術をもって大江山へと「飛び去り」ます!本当に飛び去ってしまいます!まさかここで浮かぶとは!と初めてご覧になった方はびっくりしますよね。
このような場面を目にしますと、神楽の〝舞台芸術化″、保存的伝承ではなく、創造的伝承もあるのだ、ということが実感されます。
最後は琴庄神楽団で「大江山」。
歴史ある大江山。
大江山の酒呑童子は都の人々、仏教・陰陽道を信仰する人々にとって「敵」でありますが彼らからしてみれば住む土地を奪ったあげく仲間だと言ってだまし毒酒を飲ませ、刀を抜いた頼光たちのほうが悪であり、都人こそが鬼であったはずです。
琴庄神楽団さんの「大江山」は、前半の鬼たちと頼光たちの宴が大変愉快にコミカルに描かれていることもあり非常に鬼たちへの同情の念がわいてきます。
「鬼に横道なきものを」という酒呑童子の最期に言ったとされる言葉には征服されていくことに対する悲痛な思いを感じることが出来ます。大江山には古代の鉄づくり、タタラの跡や銅の鉱脈があり、今から40年前に閉山された銀山もありました。
征服されるものとは土着の人々、あるいは山の神、はたまた自然そのもののことであったかもしれません。
こうやって鬼退治の物語を小難しく考えてみると時の権力者のあらゆる思惑や意図、のちの世の人々の苦し紛れの願望などが見え隠れして大変興味深いですね。
お知らせ
7月14日(日)に千代田開発センターで『月一の舞 神楽―台本作家―石丸賢太郎の世界』があります。沢山のご来場お待ちしております!
2013,06,30 Sun 22:37
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皆さんこんにちは!梅雨に突入いたしました。いかがお過ごしでしょうか?
さて、5月19日(日)に広島市中区のアステールプラザ中ホールで『アステールプラザ神楽鑑賞会』がありました。この日は一日天気が悪かったのですが中ホールの前には午後の開場前からかぐらー(?)の皆さんの大行列ができていました。
今回はそんな雨にも負けない熱気溢れる鑑賞会を二度に分けて報告していきたいと思います。
ところで皆さん、広島の神楽にとって「鬼」というのは切っても切り離せない存在ですよね?(上手く言ったつもりじゃないですよ?) 子供の頃は怖いと思っていた人も、いつの間にか空想上の存在であるのだと理解していく、けれどテレビなんかで「これが鬼のミイラだ!」なんてことをやっているのを観たら「やっぱりどこかにいた(いる)のかも・・」なんてロマンを懐いたりして。
しかし、今回は学問的に〈鬼〉=「時の権力者が時代に服従わぬもの(朝廷から隠れて鉱山で働く者、鉄作りをして武器や農具を蓄える地方の豪族等)をそう呼ぶことによって彼らの虐殺と略奪を正当化した」という見解をベースに神楽を観ていくことにします。
まず、はじめは宮乃木神楽団で新作「大和葛城」。この演目は「土蜘蛛」「葛城山」の演目として広く受け継がれてきたものを宮乃木神楽団さんが独自の視点と解釈から演目の再構成をしたものです。
暗い舞台から一際威光を放つ威厳たっぷりの頼光の登場から始まります。
話は中盤、
「汝知らずや我昔大和朝廷に服従わざる者ならば綱に絡められ滅び死ぬ者なり、いかに頼光、我等あじわいたる、地を這い土を喰う苦しさを、思い知れ」
迫力ある、心にグサッとくるこの口上、これこそが今回の鬼の叫び、土蜘蛛の叫びです。土蜘蛛とは、元は葛城氏などの有力な豪族が朝廷との戦いに敗れ葛城山へと逃げ隠れ住むようになり、そのような歴史の表舞台から消されながらも生き延びて天下を脅かす者たちを大和国家側が異族視して呼んだものです。
今回の宮乃木神楽団さんによる新作大和葛城、ご覧になった皆さんにはそんな蔑まれた彼らの憎しみと怒りの叫びがきっと聞こえたことでしょう。
続いて、琴庄神楽団「山姥 (やまうば、やまんば)」。この演目は金太郎、そう、坂田金時誕生の物語です。坂田金時といえばあの源頼光の四天王の一人です。金太郎出生には諸説ありますが、母親が山姥であるという伝説があります。
また、金時は、腹かけ姿(金太郎を想像してください)は鍛冶を象徴し、王の文字はマサカリの象形文字であること、伝承の地には鉄づくり・タタラ跡や銅山の跡が残されていることからいち早く鉄文化を手に入れた豪族であるとも考えられます。さてそんな金時がどのような経緯で頼光に見いだされるのでしょうか。
琴庄神楽団の山姥は、信州の明山で山賊となった血の気多い金時=怪童丸の物語から始まります。
この演目で注目は金時=怪童丸と母の別れの場面です。たびたび神楽では別れの場面が描かれますが、今回もとても素敵な別れの場面を見せて頂きました。
怪童丸=金時の舞は、これから立派に仕えていくであろうことが想像できる力強い舞でしたね。
後半に続く・・・・
さて、5月19日(日)に広島市中区のアステールプラザ中ホールで『アステールプラザ神楽鑑賞会』がありました。この日は一日天気が悪かったのですが中ホールの前には午後の開場前からかぐらー(?)の皆さんの大行列ができていました。
今回はそんな雨にも負けない熱気溢れる鑑賞会を二度に分けて報告していきたいと思います。
ところで皆さん、広島の神楽にとって「鬼」というのは切っても切り離せない存在ですよね?(上手く言ったつもりじゃないですよ?) 子供の頃は怖いと思っていた人も、いつの間にか空想上の存在であるのだと理解していく、けれどテレビなんかで「これが鬼のミイラだ!」なんてことをやっているのを観たら「やっぱりどこかにいた(いる)のかも・・」なんてロマンを懐いたりして。
しかし、今回は学問的に〈鬼〉=「時の権力者が時代に服従わぬもの(朝廷から隠れて鉱山で働く者、鉄作りをして武器や農具を蓄える地方の豪族等)をそう呼ぶことによって彼らの虐殺と略奪を正当化した」という見解をベースに神楽を観ていくことにします。
まず、はじめは宮乃木神楽団で新作「大和葛城」。この演目は「土蜘蛛」「葛城山」の演目として広く受け継がれてきたものを宮乃木神楽団さんが独自の視点と解釈から演目の再構成をしたものです。
暗い舞台から一際威光を放つ威厳たっぷりの頼光の登場から始まります。
話は中盤、
「汝知らずや我昔大和朝廷に服従わざる者ならば綱に絡められ滅び死ぬ者なり、いかに頼光、我等あじわいたる、地を這い土を喰う苦しさを、思い知れ」
迫力ある、心にグサッとくるこの口上、これこそが今回の鬼の叫び、土蜘蛛の叫びです。土蜘蛛とは、元は葛城氏などの有力な豪族が朝廷との戦いに敗れ葛城山へと逃げ隠れ住むようになり、そのような歴史の表舞台から消されながらも生き延びて天下を脅かす者たちを大和国家側が異族視して呼んだものです。
今回の宮乃木神楽団さんによる新作大和葛城、ご覧になった皆さんにはそんな蔑まれた彼らの憎しみと怒りの叫びがきっと聞こえたことでしょう。
続いて、琴庄神楽団「山姥 (やまうば、やまんば)」。この演目は金太郎、そう、坂田金時誕生の物語です。坂田金時といえばあの源頼光の四天王の一人です。金太郎出生には諸説ありますが、母親が山姥であるという伝説があります。
また、金時は、腹かけ姿(金太郎を想像してください)は鍛冶を象徴し、王の文字はマサカリの象形文字であること、伝承の地には鉄づくり・タタラ跡や銅山の跡が残されていることからいち早く鉄文化を手に入れた豪族であるとも考えられます。さてそんな金時がどのような経緯で頼光に見いだされるのでしょうか。
琴庄神楽団の山姥は、信州の明山で山賊となった血の気多い金時=怪童丸の物語から始まります。
この演目で注目は金時=怪童丸と母の別れの場面です。たびたび神楽では別れの場面が描かれますが、今回もとても素敵な別れの場面を見せて頂きました。
怪童丸=金時の舞は、これから立派に仕えていくであろうことが想像できる力強い舞でしたね。
後半に続く・・・・
2013,06,30 Sun 21:47
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