今回の特派員報告は、今年1年を振り返る特別版として書いてみます。去年も同じようなことをやったので、できれば続けて、いつもと違う内容でみなさんに神楽について考えていただければと思います。
「神楽とは何か」。
特派員になって1年と7ヶ月。ことあるたびにこの言葉が頭に浮かぶ日々です。しかし、いまだに明確な答えが出せないままです。それほど神楽は奥が深いものだということでしょう。まだまだ勉強不足のわりに、こんなことを書くのは矛盾しているような気もしますが、みなさんからいろいろなご意見をいただければ幸いに思います。
ということで今年のテーマは「面白ければ何をしてもいいのか」。ちょっと穏やかでない文章に見えるかもしれません。それほど衝撃を受けた出来事があったので、ここで紹介したいと思います。
今年見てきた神楽の中で、「鬼が御幣をつかんで下に叩きつけ、さらにそれを折る」という場面がありました。正直、目の前で起こったことが信じられないほどのショックを受けたのです。
なぜか。まず御幣(ごへい)について説明が必要ですね。まず自分の御幣に対するイメージは「神様の象徴」。ズバリ神様そのもの、という考えでもよいと思います。みなさんが普段見慣れている神楽の中にも、それがハッキリと表れています。例えば「塵倫」で、幕から鬼が出てくる場面。鬼はいったんは出ようとしますが、神が持っている幣によって追い払われるように再び幕の内へと消えていきます。新舞でもそれは同じです。「滝夜叉姫」の妖術を御幣の御神徳によって打ち払ったり、「紅葉狩」で窮地に陥った平維茂を救う者は、必ず御幣を持っています。言ってみれば、神が持つことの出来る最強の武器であり、これがないと鬼には勝てないのです。勧善懲悪の神楽において、もっとも重要な採物(とりもの)が御幣と言っても過言ではありません。
それは神楽の中だけでなく、現実においても同じことが言えます。それに、あるベテラン団員さんから聞いた話ですが、「昔は練習の合間だろうが、幣を下に置いただけで叱られよった」というエピソードもあるほどです。というように、御幣がいかに大切なものかを示す例はいくらでもあります。これでショックを受けた理由がお分かりいただけたでしょうか。まず鬼が幣をつかむこと自体、普通はあり得ないことと思いますが、さらにそれを折ってしまったわけですから、事の重大さは明らかでしょう。神様の象徴である御幣を、悪の象徴である鬼が折ってしまった。これがどういうことか。ぜひ考えていただきたいのです。
この地域の神楽の元になった石見神楽が、石見の方の自由な発想によって発展したものである事は知られています。それが広島に入って各地で根付き、さらなる発展を遂げました。そしていつの時代も、神楽は人を楽しませるために変化してきました。「見る人に感動を与えたい」「応援してくれる方の声に応えたい」という舞手側の気持ちがあるのは当然です。そこで今回の件ですが、実際、幣を折る前には客席から「折れ~!」という大声がたくさん飛んでいました。そして折った後は歓声(悲鳴ではなく)と拍手が起こったのです。ファンの皆さんの期待に、神楽団が応えた。こうして見れば、自分だけがショックを受けたようですし、自分が思うほど信じられないことではないかもしれません。今や、広島の神楽はファンなくしてはあり得ません。多くの神楽ファンに支えられて、現在の神楽ブームが成り立っているのです。昔のやり方、考え方にこだわり過ぎるのも、広島の神楽とは言えないのかもしれません。
ただ、それでも自分には「面白ければ何をしてもいいのか」という思いを消すことはできません。他の地域で神楽をされてる方に、「広島では鬼が幣を折ってもいいんだ」と思われるのも心外です。しかし神楽は時代と共に変化するものであり、言わば「活きている伝統芸能」といったところで、自分の思いが必ずしも正しいとは限りません。あくまで一ファンの立場としての発言ですから、仮に神楽団から「間違った事を書いてる」と言われれば、今回の記事を削除する場合もあるでしょう。それも覚悟の上で、これを読まれたみなさんに「神楽とは何か」を考えていただければ、少しでもこの地域の神楽のためになると思い、厳しい事を書かせていただきました。できれば今後も、この地域の神楽に関わる一人として、活動を続けていきたいと思います。
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「神楽とは何か」。
特派員になって1年と7ヶ月。ことあるたびにこの言葉が頭に浮かぶ日々です。しかし、いまだに明確な答えが出せないままです。それほど神楽は奥が深いものだということでしょう。まだまだ勉強不足のわりに、こんなことを書くのは矛盾しているような気もしますが、みなさんからいろいろなご意見をいただければ幸いに思います。
ということで今年のテーマは「面白ければ何をしてもいいのか」。ちょっと穏やかでない文章に見えるかもしれません。それほど衝撃を受けた出来事があったので、ここで紹介したいと思います。
今年見てきた神楽の中で、「鬼が御幣をつかんで下に叩きつけ、さらにそれを折る」という場面がありました。正直、目の前で起こったことが信じられないほどのショックを受けたのです。
なぜか。まず御幣(ごへい)について説明が必要ですね。まず自分の御幣に対するイメージは「神様の象徴」。ズバリ神様そのもの、という考えでもよいと思います。みなさんが普段見慣れている神楽の中にも、それがハッキリと表れています。例えば「塵倫」で、幕から鬼が出てくる場面。鬼はいったんは出ようとしますが、神が持っている幣によって追い払われるように再び幕の内へと消えていきます。新舞でもそれは同じです。「滝夜叉姫」の妖術を御幣の御神徳によって打ち払ったり、「紅葉狩」で窮地に陥った平維茂を救う者は、必ず御幣を持っています。言ってみれば、神が持つことの出来る最強の武器であり、これがないと鬼には勝てないのです。勧善懲悪の神楽において、もっとも重要な採物(とりもの)が御幣と言っても過言ではありません。
それは神楽の中だけでなく、現実においても同じことが言えます。それに、あるベテラン団員さんから聞いた話ですが、「昔は練習の合間だろうが、幣を下に置いただけで叱られよった」というエピソードもあるほどです。というように、御幣がいかに大切なものかを示す例はいくらでもあります。これでショックを受けた理由がお分かりいただけたでしょうか。まず鬼が幣をつかむこと自体、普通はあり得ないことと思いますが、さらにそれを折ってしまったわけですから、事の重大さは明らかでしょう。神様の象徴である御幣を、悪の象徴である鬼が折ってしまった。これがどういうことか。ぜひ考えていただきたいのです。
この地域の神楽の元になった石見神楽が、石見の方の自由な発想によって発展したものである事は知られています。それが広島に入って各地で根付き、さらなる発展を遂げました。そしていつの時代も、神楽は人を楽しませるために変化してきました。「見る人に感動を与えたい」「応援してくれる方の声に応えたい」という舞手側の気持ちがあるのは当然です。そこで今回の件ですが、実際、幣を折る前には客席から「折れ~!」という大声がたくさん飛んでいました。そして折った後は歓声(悲鳴ではなく)と拍手が起こったのです。ファンの皆さんの期待に、神楽団が応えた。こうして見れば、自分だけがショックを受けたようですし、自分が思うほど信じられないことではないかもしれません。今や、広島の神楽はファンなくしてはあり得ません。多くの神楽ファンに支えられて、現在の神楽ブームが成り立っているのです。昔のやり方、考え方にこだわり過ぎるのも、広島の神楽とは言えないのかもしれません。
ただ、それでも自分には「面白ければ何をしてもいいのか」という思いを消すことはできません。他の地域で神楽をされてる方に、「広島では鬼が幣を折ってもいいんだ」と思われるのも心外です。しかし神楽は時代と共に変化するものであり、言わば「活きている伝統芸能」といったところで、自分の思いが必ずしも正しいとは限りません。あくまで一ファンの立場としての発言ですから、仮に神楽団から「間違った事を書いてる」と言われれば、今回の記事を削除する場合もあるでしょう。それも覚悟の上で、これを読まれたみなさんに「神楽とは何か」を考えていただければ、少しでもこの地域の神楽のためになると思い、厳しい事を書かせていただきました。できれば今後も、この地域の神楽に関わる一人として、活動を続けていきたいと思います。
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2007,12,27 Thu 22:36
新着コメント
紅葉姫さん、コメントありがとうございます。
すごいエピソードですね!
御神徳を感じずにはいられません。
上演中に団員さんがケガをするのはまれにあるようですが、みなさんこうされているんでしょうかね。
それにしても驚きました。
とにかく御幣のおかげでケガが最小限で済んだのは間違いないでしょうね。
貴重なコメントありがとうございました。
サッチモさん、コメントありがとうございます。
確かに、単なるショーとなってしまうのも、そう見られるのもあまりいい気はしませんね。
神楽があるべき姿で残されるように、これからも頑張りたいと思います。
またコメントお願いします。
すごいエピソードですね!
御神徳を感じずにはいられません。
上演中に団員さんがケガをするのはまれにあるようですが、みなさんこうされているんでしょうかね。
それにしても驚きました。
とにかく御幣のおかげでケガが最小限で済んだのは間違いないでしょうね。
貴重なコメントありがとうございました。
サッチモさん、コメントありがとうございます。
確かに、単なるショーとなってしまうのも、そう見られるのもあまりいい気はしませんね。
神楽があるべき姿で残されるように、これからも頑張りたいと思います。
またコメントお願いします。
| 特派員 | EMAIL | URL | 08/01/05 19:24 | BFfnvy1Y |
私は御幣を鬼がつかんだり折ったりしてしまうような演出の神楽はまだ観たことがないのですが、記事を読ませていただいて、いろいろ考えさせられました。
ここでは深く立ち入りしませんが、やはり越えてはいけない一線というのはあると思うんです。
神楽は単なるショーとしてではなく、やはり何か神聖なモノを感じさせるからこそ「神楽」であり・・・
やはり「神聖」な部分は大切にしてほしいですね。
それが無くなると演劇と言われかねませんからね。
ここでは深く立ち入りしませんが、やはり越えてはいけない一線というのはあると思うんです。
神楽は単なるショーとしてではなく、やはり何か神聖なモノを感じさせるからこそ「神楽」であり・・・
やはり「神聖」な部分は大切にしてほしいですね。
それが無くなると演劇と言われかねませんからね。
| サッチモ | EMAIL | URL | 08/01/05 01:24 | GYOAzqmg |
今年も宜しくお願いします。年越してから記事に気づきました。\"f(^-^;)
舞子としての体験談ですが、たぶん他の舞子さんも経験や言い伝えで知られている話をひとつ。
別の意味での「御幣」のご神徳談を。
神武という舞で、火花の散り飛ぶ刀がありますが、あの刃は舞い込むにつれてノコギリ状になり、かなり危険な道具になります。北海道で奉納していた時、先輩がその神武の最中に眷属との合戦で右の手に当たり、小指の辺りを切られました。手っ甲は真っ赤に染まり、喜びの舞も終えて舞台裏に帰ったときも、流血は止まりませんでした。
そこで団長は、「おいっ、御幣を持ってこい!」と言われ、手渡すと御幣の和紙を破り、怪我をした箇所に当てられました。ものの1分もしないうちに流血は止まり、北海道の公演は約1週間ありましたが、広島に帰る頃には傷跡を探すくらいにまで治癒しておりました。
和紙自体にも多少の止血作用があるのかもとは思いましたが、二枚刃のノコギリ状の刃で切った傷が、あんなに早く治るものとはと、他の団員とも話した記憶があります。
話の視点がそれてしまったかも知れませんが、団でも舞の最中は「自分のヘソより下にさげるな」と厳しく伝えられている御幣の、その存在感を舞以外で実感したエピソードでした。
舞子としての体験談ですが、たぶん他の舞子さんも経験や言い伝えで知られている話をひとつ。
別の意味での「御幣」のご神徳談を。
神武という舞で、火花の散り飛ぶ刀がありますが、あの刃は舞い込むにつれてノコギリ状になり、かなり危険な道具になります。北海道で奉納していた時、先輩がその神武の最中に眷属との合戦で右の手に当たり、小指の辺りを切られました。手っ甲は真っ赤に染まり、喜びの舞も終えて舞台裏に帰ったときも、流血は止まりませんでした。
そこで団長は、「おいっ、御幣を持ってこい!」と言われ、手渡すと御幣の和紙を破り、怪我をした箇所に当てられました。ものの1分もしないうちに流血は止まり、北海道の公演は約1週間ありましたが、広島に帰る頃には傷跡を探すくらいにまで治癒しておりました。
和紙自体にも多少の止血作用があるのかもとは思いましたが、二枚刃のノコギリ状の刃で切った傷が、あんなに早く治るものとはと、他の団員とも話した記憶があります。
話の視点がそれてしまったかも知れませんが、団でも舞の最中は「自分のヘソより下にさげるな」と厳しく伝えられている御幣の、その存在感を舞以外で実感したエピソードでした。
| 紅葉姫 | EMAIL | URL | 08/01/05 00:03 | LJJaUCQI |
かなでさん、コメントありがとうございます。
とても勉強になるお言葉をいただき、嬉しいです。
神を感じて舞を舞う、神楽が大好きな自分としては、一度でいいのでその境地に到達してみたいですね!
やはり神楽という以上は、決まりごとは決まりごととして守るべきでしょうか。
みなさんにいろいろ考えていただければ幸いです。
またコメントお願いします。
とても勉強になるお言葉をいただき、嬉しいです。
神を感じて舞を舞う、神楽が大好きな自分としては、一度でいいのでその境地に到達してみたいですね!
やはり神楽という以上は、決まりごとは決まりごととして守るべきでしょうか。
みなさんにいろいろ考えていただければ幸いです。
またコメントお願いします。
| 特派員 | EMAIL | URL | 07/12/31 11:09 | BFfnvy1Y |
みなさんの色々なコメントを見させていただいて、いろんな考えがあるんだなぁと考えさせられました。
また、特派員さんの話題提起は嬉しかったです。
幣を折るなどというのは神楽にあるまじき極端な例で、ふさわしくない場面はたくさんあります。それは、見る側の個々意見は違うと思いますが。
神楽をいち郷土芸能ととらえるにせよ、見る側の喝采が得られれば何をやってもいいということにはならないと思います。謡曲や歌舞伎でも神道的考えから発展した厳しい決まりごとがあるように、神楽でもそれがないといけないのではないのでしょうか。特に神楽ですから、そう呼ばれるに値する歴史をふまえ、神楽団体個々が誇示する何かを持っていなければならないと思います。
これは、伝統を堅持することのみ奨励するものではなく、時代の流れに沿いその土地土地で発展してきた神楽です。この流れをまた止めてはならないと思いますが、各々が熟考し邁進すべきと思います。
とにかく舞手は神を感じて舞いを舞う。そうすれば自ずと答えに導かれることでしょう。
神楽は舞ですから、踊らないようにしたいものです。
また、特派員さんの話題提起は嬉しかったです。
幣を折るなどというのは神楽にあるまじき極端な例で、ふさわしくない場面はたくさんあります。それは、見る側の個々意見は違うと思いますが。
神楽をいち郷土芸能ととらえるにせよ、見る側の喝采が得られれば何をやってもいいということにはならないと思います。謡曲や歌舞伎でも神道的考えから発展した厳しい決まりごとがあるように、神楽でもそれがないといけないのではないのでしょうか。特に神楽ですから、そう呼ばれるに値する歴史をふまえ、神楽団体個々が誇示する何かを持っていなければならないと思います。
これは、伝統を堅持することのみ奨励するものではなく、時代の流れに沿いその土地土地で発展してきた神楽です。この流れをまた止めてはならないと思いますが、各々が熟考し邁進すべきと思います。
とにかく舞手は神を感じて舞いを舞う。そうすれば自ずと答えに導かれることでしょう。
神楽は舞ですから、踊らないようにしたいものです。
| かなで | EMAIL | URL | 07/12/31 08:20 | LEQ4bAmU |