芸北神楽の登場人物の中で、もっとも英雄的なキャラクター、源頼光。大江山三段返しをはじめ、葛城山(土蜘蛛)、山姥、鬼同丸退治などその活躍ぶりは他に類を見ない。しかし、神楽や伝説の中でこれほど活躍しているにもかかわらず、歴史の授業などで彼の名を耳にした記憶はない。いや、別に授業をサボったり、居眠りをしていたわけではない。
とにかく、伝説上の英雄である源頼光、その実像に迫ってみることにする。
源頼光は、清和天皇のひ孫にあたる源満仲の長男として、940~950年あたりに生まれた。頼光の実像は、当時のことがいろいろ記された日記で知ることができる。と言っても、頼光自身が書いた日記は残っておらず、参考になるのは藤原道長が書いた「御堂関白記」、藤原実資の日記「小右記」などである。藤原道長と言えば、「この世をば 我が世とぞ思う望月の 欠けたる事も無しと思えば」の歌で有名なあの道長である。東山神楽団「天神記」に登場する藤原時平が、この歌をなぞったセリフを言う場面があるが、すぐにピンとくる神楽ファンの方もおられるだろう。頼光はこの藤原道長に仕えていた人物の一人だった。正確には、一方的に品物を贈りつけて気に入られようとしていたようだが。
そのあたり、これらの日記を読むと、頼光が道長にたびたび貢物をしていたことが記されている。ちなみに、この日記には、「○○年○月に頼光が大江山へ登った」とか、「土蜘蛛を退治した」などのことは一切記されていない。念のため。
また、道長の家が火事で焼けた時には、いち早く物資、家具一式などを贈り、大変喜ばれたそうだ。その後、新しくなった道長の家にも、さらに頼光から続々と贈り物が届いていたようで、その品物を見ようと見物人が集まるほどだったらしい。
このことから察するに、頼光は相当なお金持ちだったようだ。確かに神楽に登場する頼光さんは、とても豪華絢爛な衣装を着ているし!ってそれは関係ありませんね。
記録上、頼光は様々な要職についていた。朝廷から任命され、それぞれの国を治める国司(今で言えば県知事か?)や、重要人物の警護など、かなりエリート組の仕事ばかりである。特に国司にいたっては、備前(岡山)から始まり、伊豆、信濃、美濃、尾張、但馬、讃岐、丹波、河内、伊予、紀伊、摂津(大阪府)などなど、16~17を数える。中でも有名なのはセリフでおなじみの「摂津守」だろう。しかし実は、摂津守に任命されてから一年とたたず、頼光は亡くなっている。1021年のことだ。
こういった仕事をしっかりとこなし、着実に財産を蓄え、その財力を持って当時の最高権力者に貢いでいた。こうしてみるとかなり出世上手な人物だったことがわかる。さらに当時の出世術の最たるものは、自分の娘を天皇の嫁にすることだった。道長もそうやって摂政となり、栄華を築いていった。頼光はこの道長の兄である道綱を娘婿に迎えている。よって摂関家の道綱は頼光の家に住むことになり、それによって頼光は自分の地位を高めようとしたようだ。
以上が記録からわかる頼光の実像である。ちなみに「鬼同丸退治」などに登場する、弟の頼信は、実際には頼光とは腹違いの弟になり、頼信も藤原氏一族の実資に仕えていた。そしてなんと、頼信の子孫からは、「1192つくろう鎌倉幕府」の源頼朝が出ている。頼光の子孫からは頼朝のような大物は出ていないが、後世まで「頼光」の名を残すことができたのはやはり、当時の最高権力者だった藤原道長に気に入られていたからだろう。しいて言えば、「源頼政ぬえ退治」などの頼政が、頼光の子孫での大物と言えるか。
このように、神楽の物語からはとても想像できない、鬼退治とはまったく無縁の平和な毎日を過ごしていた平安の貴族というのが、源頼光の実像である。と、ここまで書くと当然、ではなぜ鬼退治などの伝説の英雄に仕立て上げられたのか、という疑問がわく。それはこのシリーズのラストにおいてまとめたいと思う。
というようなわけで、ついに始まった神楽研究コラム、シリーズ「源頼光」。神楽だけでは知ることのできない様々な物語などを、神楽ファンの方にわかりやすく伝えていこうと思うなり。「え~、そんなこともあったん?」とか「実はこうだったんかぁ!」など、トリ○ア的に言えば90へぇ以上間違いなしのネタを、どんどん掲載していく予定。「へぇ~」と思った方はボタンを押す代わりに、広島ブログのマークをクリック!どうぞよろしく!
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とにかく、伝説上の英雄である源頼光、その実像に迫ってみることにする。
源頼光は、清和天皇のひ孫にあたる源満仲の長男として、940~950年あたりに生まれた。頼光の実像は、当時のことがいろいろ記された日記で知ることができる。と言っても、頼光自身が書いた日記は残っておらず、参考になるのは藤原道長が書いた「御堂関白記」、藤原実資の日記「小右記」などである。藤原道長と言えば、「この世をば 我が世とぞ思う望月の 欠けたる事も無しと思えば」の歌で有名なあの道長である。東山神楽団「天神記」に登場する藤原時平が、この歌をなぞったセリフを言う場面があるが、すぐにピンとくる神楽ファンの方もおられるだろう。頼光はこの藤原道長に仕えていた人物の一人だった。正確には、一方的に品物を贈りつけて気に入られようとしていたようだが。
そのあたり、これらの日記を読むと、頼光が道長にたびたび貢物をしていたことが記されている。ちなみに、この日記には、「○○年○月に頼光が大江山へ登った」とか、「土蜘蛛を退治した」などのことは一切記されていない。念のため。
また、道長の家が火事で焼けた時には、いち早く物資、家具一式などを贈り、大変喜ばれたそうだ。その後、新しくなった道長の家にも、さらに頼光から続々と贈り物が届いていたようで、その品物を見ようと見物人が集まるほどだったらしい。
このことから察するに、頼光は相当なお金持ちだったようだ。確かに神楽に登場する頼光さんは、とても豪華絢爛な衣装を着ているし!ってそれは関係ありませんね。
記録上、頼光は様々な要職についていた。朝廷から任命され、それぞれの国を治める国司(今で言えば県知事か?)や、重要人物の警護など、かなりエリート組の仕事ばかりである。特に国司にいたっては、備前(岡山)から始まり、伊豆、信濃、美濃、尾張、但馬、讃岐、丹波、河内、伊予、紀伊、摂津(大阪府)などなど、16~17を数える。中でも有名なのはセリフでおなじみの「摂津守」だろう。しかし実は、摂津守に任命されてから一年とたたず、頼光は亡くなっている。1021年のことだ。
こういった仕事をしっかりとこなし、着実に財産を蓄え、その財力を持って当時の最高権力者に貢いでいた。こうしてみるとかなり出世上手な人物だったことがわかる。さらに当時の出世術の最たるものは、自分の娘を天皇の嫁にすることだった。道長もそうやって摂政となり、栄華を築いていった。頼光はこの道長の兄である道綱を娘婿に迎えている。よって摂関家の道綱は頼光の家に住むことになり、それによって頼光は自分の地位を高めようとしたようだ。
以上が記録からわかる頼光の実像である。ちなみに「鬼同丸退治」などに登場する、弟の頼信は、実際には頼光とは腹違いの弟になり、頼信も藤原氏一族の実資に仕えていた。そしてなんと、頼信の子孫からは、「1192つくろう鎌倉幕府」の源頼朝が出ている。頼光の子孫からは頼朝のような大物は出ていないが、後世まで「頼光」の名を残すことができたのはやはり、当時の最高権力者だった藤原道長に気に入られていたからだろう。しいて言えば、「源頼政ぬえ退治」などの頼政が、頼光の子孫での大物と言えるか。
このように、神楽の物語からはとても想像できない、鬼退治とはまったく無縁の平和な毎日を過ごしていた平安の貴族というのが、源頼光の実像である。と、ここまで書くと当然、ではなぜ鬼退治などの伝説の英雄に仕立て上げられたのか、という疑問がわく。それはこのシリーズのラストにおいてまとめたいと思う。
というようなわけで、ついに始まった神楽研究コラム、シリーズ「源頼光」。神楽だけでは知ることのできない様々な物語などを、神楽ファンの方にわかりやすく伝えていこうと思うなり。「え~、そんなこともあったん?」とか「実はこうだったんかぁ!」など、トリ○ア的に言えば90へぇ以上間違いなしのネタを、どんどん掲載していく予定。「へぇ~」と思った方はボタンを押す代わりに、広島ブログのマークをクリック!どうぞよろしく!
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2006,07,31 Mon 00:00
新着コメント
てんてるさん、コメントありがとうございます☆
やっぱり神楽だけの頼光さんだと、こんなイメージわかないですよね~。
自分も調べながら「へぇ~!」の連続でしたから(笑)
今後の展開としては、頼光自身が変わっていくというよりも、頼光の登場する演目を詳しく調べ、その時代背景などを掘り下げながら、英雄化した頼光の謎に迫るといった感じかと思います。
“脱線”も多いようですが…。
これからもよろしくお願いします♪
やっぱり神楽だけの頼光さんだと、こんなイメージわかないですよね~。
自分も調べながら「へぇ~!」の連続でしたから(笑)
今後の展開としては、頼光自身が変わっていくというよりも、頼光の登場する演目を詳しく調べ、その時代背景などを掘り下げながら、英雄化した頼光の謎に迫るといった感じかと思います。
“脱線”も多いようですが…。
これからもよろしくお願いします♪
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/03 01:41 | BFfnvy1Y |
こんばんは!
神楽を見て楽しむだけでなく、登場人物に的をあて説明する点はおもしろいですね。他にあまり無いと思うのですが・・・。
ところで、頼光って第一章までを見ると、イメージが違っていますねぇ。。色んな神楽団で頼光役の方を思い出しては「違うな・・・」なんて・・・。
鬼退治に縁が無さそうな第一章の頼光が今後どのように変わっていくのか・・。明日更新日ですかね? 楽しみにしてま~す♪
広島ブログのマーク、クリック済み!
神楽を見て楽しむだけでなく、登場人物に的をあて説明する点はおもしろいですね。他にあまり無いと思うのですが・・・。
ところで、頼光って第一章までを見ると、イメージが違っていますねぇ。。色んな神楽団で頼光役の方を思い出しては「違うな・・・」なんて・・・。
鬼退治に縁が無さそうな第一章の頼光が今後どのように変わっていくのか・・。明日更新日ですかね? 楽しみにしてま~す♪
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| てんてる | EMAIL | URL | 06/08/02 23:24 | GIwdMNO. |
サッチモさん、コメントありがとうございます。
そう言ってくださるとホント嬉しいです。
文章を書くのも大変ですが、一番の苦労は…イラストかな!?(笑)
また書き込みお願いします☆
そう言ってくださるとホント嬉しいです。
文章を書くのも大変ですが、一番の苦労は…イラストかな!?(笑)
また書き込みお願いします☆
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/07/31 20:29 | BFfnvy1Y |
特派員さんこんにちは。
いよいよ「神楽研究コラム」立ち上がりましたね!
神楽芸術“研究所”として、必要なコーナーだと思いますので、ご苦労も多いことだと思いますが、がんばってください。
いよいよ「神楽研究コラム」立ち上がりましたね!
神楽芸術“研究所”として、必要なコーナーだと思いますので、ご苦労も多いことだと思いますが、がんばってください。
| サッチモ | EMAIL | URL | 06/07/31 09:38 | Ow5MnHpc |
ポータルサイト「神楽の社」の本格運用に先駆けて、「神楽のぶろぐ」に新カテゴリーが追加されます!その名も「神楽研究コラム」。神楽を見ているだけではわからない、様々な事をとことん研究し、それを神楽ファンの皆様にご紹介しようというこの企画。と、こう書くと「なんだか難しそうだな~」と思われるかもしれません。が、神楽を好きな小・中学生の方にも読んでもらえるよう、わかりやすく、読みやすくということを心がけて制作しております。神楽の好きな方すべてに楽しんでもらえるよう努力したいと思います。
ここで皆様にお願いがあります。この「神楽研究コラム」、制作にけっこうな時間と費用がかかっています。そこであまり反響がないようだと、途中で打ち切り…なんてこともあり得るので、コメントを書いていただいたり、当ぶろぐも参加している「広島ブログ」のオレンジのボタン(右の欄にあります)をクリックしたりということで、ご支持をいただければと思います。
「神楽研究コラム」第一弾はシリーズ「源頼光」。頼光が登場する演目を中心に紹介し、全10章から成る予定です。その幕開けは7月31日で、以後毎週月・木曜を更新日としていきたいと思ってます。無事、最終章まで掲載できれば、ちょうど8月が終わりいよいよ神楽シーズンが始まる、という計算です。もちろん今までどおり「特派員報告」もあります。暑い夏は「神楽のぶろぐ」で乗り切りましょう~!
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ここで皆様にお願いがあります。この「神楽研究コラム」、制作にけっこうな時間と費用がかかっています。そこであまり反響がないようだと、途中で打ち切り…なんてこともあり得るので、コメントを書いていただいたり、当ぶろぐも参加している「広島ブログ」のオレンジのボタン(右の欄にあります)をクリックしたりということで、ご支持をいただければと思います。
「神楽研究コラム」第一弾はシリーズ「源頼光」。頼光が登場する演目を中心に紹介し、全10章から成る予定です。その幕開けは7月31日で、以後毎週月・木曜を更新日としていきたいと思ってます。無事、最終章まで掲載できれば、ちょうど8月が終わりいよいよ神楽シーズンが始まる、という計算です。もちろん今までどおり「特派員報告」もあります。暑い夏は「神楽のぶろぐ」で乗り切りましょう~!
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2006,07,29 Sat 15:24
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ほぼ一週間ず~っと降っていた雨もどうにか上がり、久しぶりに夏らしさを感じたこの日。競演の部は全て旧舞というなかなか珍しい大会が、芸北オークガーデンふれあい広場で行われました。
個人的にど~~~しても見たい演目があって、それが高野神楽団の「七代」。幼少の頃に見て、鬼の面の迫力に圧倒された記憶がありました。それで今回、十数年ぶりに見ることができたんですが、やはり鬼の面が印象的でしたね。高野神楽団はこの「七代」のほかにも「手草」、「かっ鼓」、「皇后」など、旧舞の演目を大事に伝承されています。ぜひともこれからも頑張っていただいて、後継者育成を進めて欲しいと思います。
準優勝はあさひが丘神楽団の「源頼政鵺退治」。立ち合いでのテンポの速さと、よくそろった舞がとてもよかったと思います。また、鬼の方が個人賞を取られたように、演技面でも非常に熱の入った舞でした。
優勝は田尾組神楽団の「塵倫」。個人的に思ったのは、準優勝のあさひが丘神楽団とは対照的な舞ではないかということです。舞人の動きが見事にそろうような、洗練された舞も神楽の面白いところですが、動きをそろえるということに集中しすぎると、今度は逆に独特の舞い方やリズムなど、それぞれの神楽団が持っている伝統が崩れてくるのはないかと思っています。田尾組神楽団の「塵倫」は、そういった独特の伝統をしっかりと感じる舞でした。また表彰式の後に、団長様をみんなで胴上げされるなど、本当に喜んでいらっしゃいました。
他には龍南神楽団の「大江山」、これも独特の舞い方がとても印象的でした。パンフレットの紹介文に「伝統である落ち着いた神楽」とあるんですが、まさにその通りだったと思います。また、「観客に満足してもらえる舞」を心がけているということで、見せ場もいろいろ工夫されていたように感じました。
波佐常磐倶楽部の「神武」。
これは浜田市の団体なんですが、見た感じは石見神楽ではなく、広島の旧舞のようでした。楽も、手打ち鐘や笛などの音自体は石見神楽の音なんですが、リズムはどちらかというと広島の安芸太田町あたりのような感じでした。ということで非常に興味深く見せていただきました。
逆に、北広島町の苅屋形神楽団「鐘馗」は、石見神楽を見ているような感じでした。楽のリズムといい舞い方といい、石見神楽そのものという印象で、また鬼の面もあまり広島では見かけない面のように思いました。
表彰の前には、審査員の方から「神楽の言葉を大切に」というお話がありました。昔からの伝統ということで、先輩方が言われていた口上をそのまま使われているのがほとんどだと思いますが、その中に意味もわからないまま使っているということもあると思います。神楽の言葉は、昔の言葉が多く、難しいものもありますが、そのあたりをよく神楽団で検討されて、意味をしっかり理解したうえで使っていただきたい、というものでした。
確かに今回の神楽はあまり見ることのない舞が多かったので、いろんな意味で自分にはとても勉強になりました。
実はこの会場は初めて行ったのですが、とても良い所だったと思います。会場が広くて、みなさん思い思いの場所で神楽を見ておられ、周りにはたくさんの出店がありました。晩御飯に食べた焼きそばはとてもおいしかったです。味は辛すぎず薄すぎず、お肉もしっかり入ってて大満足!神楽の合間には抽選会もあり、なんと身近な人が見事当選して賞品をもらっていたのはビックリでした。
とにかく、旧舞を落ち着いてしっかり見たい人には超オススメの大会でした。これを読んで行ってみようと思われた方、イスか座布団を忘れずに!
競演結果
優勝 田尾組神楽団 「塵倫」
準優勝 あさひが丘神楽団 「源頼政鵺退治」
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個人的にど~~~しても見たい演目があって、それが高野神楽団の「七代」。幼少の頃に見て、鬼の面の迫力に圧倒された記憶がありました。それで今回、十数年ぶりに見ることができたんですが、やはり鬼の面が印象的でしたね。高野神楽団はこの「七代」のほかにも「手草」、「かっ鼓」、「皇后」など、旧舞の演目を大事に伝承されています。ぜひともこれからも頑張っていただいて、後継者育成を進めて欲しいと思います。
準優勝はあさひが丘神楽団の「源頼政鵺退治」。立ち合いでのテンポの速さと、よくそろった舞がとてもよかったと思います。また、鬼の方が個人賞を取られたように、演技面でも非常に熱の入った舞でした。
優勝は田尾組神楽団の「塵倫」。個人的に思ったのは、準優勝のあさひが丘神楽団とは対照的な舞ではないかということです。舞人の動きが見事にそろうような、洗練された舞も神楽の面白いところですが、動きをそろえるということに集中しすぎると、今度は逆に独特の舞い方やリズムなど、それぞれの神楽団が持っている伝統が崩れてくるのはないかと思っています。田尾組神楽団の「塵倫」は、そういった独特の伝統をしっかりと感じる舞でした。また表彰式の後に、団長様をみんなで胴上げされるなど、本当に喜んでいらっしゃいました。
他には龍南神楽団の「大江山」、これも独特の舞い方がとても印象的でした。パンフレットの紹介文に「伝統である落ち着いた神楽」とあるんですが、まさにその通りだったと思います。また、「観客に満足してもらえる舞」を心がけているということで、見せ場もいろいろ工夫されていたように感じました。
波佐常磐倶楽部の「神武」。
これは浜田市の団体なんですが、見た感じは石見神楽ではなく、広島の旧舞のようでした。楽も、手打ち鐘や笛などの音自体は石見神楽の音なんですが、リズムはどちらかというと広島の安芸太田町あたりのような感じでした。ということで非常に興味深く見せていただきました。
逆に、北広島町の苅屋形神楽団「鐘馗」は、石見神楽を見ているような感じでした。楽のリズムといい舞い方といい、石見神楽そのものという印象で、また鬼の面もあまり広島では見かけない面のように思いました。
表彰の前には、審査員の方から「神楽の言葉を大切に」というお話がありました。昔からの伝統ということで、先輩方が言われていた口上をそのまま使われているのがほとんどだと思いますが、その中に意味もわからないまま使っているということもあると思います。神楽の言葉は、昔の言葉が多く、難しいものもありますが、そのあたりをよく神楽団で検討されて、意味をしっかり理解したうえで使っていただきたい、というものでした。
確かに今回の神楽はあまり見ることのない舞が多かったので、いろんな意味で自分にはとても勉強になりました。
実はこの会場は初めて行ったのですが、とても良い所だったと思います。会場が広くて、みなさん思い思いの場所で神楽を見ておられ、周りにはたくさんの出店がありました。晩御飯に食べた焼きそばはとてもおいしかったです。味は辛すぎず薄すぎず、お肉もしっかり入ってて大満足!神楽の合間には抽選会もあり、なんと身近な人が見事当選して賞品をもらっていたのはビックリでした。
とにかく、旧舞を落ち着いてしっかり見たい人には超オススメの大会でした。これを読んで行ってみようと思われた方、イスか座布団を忘れずに!
競演結果
優勝 田尾組神楽団 「塵倫」
準優勝 あさひが丘神楽団 「源頼政鵺退治」
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2006,07,23 Sun 21:49
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いよいよ正式運用開始が迫っていますが、無謀にも8月1日から、広島神楽の祭典のフル動画配信を計画しています。
すでに映像のコーデックも終了しテストしているところです。
配信形式も、http配信では、2人以上の方が同じ動画をご覧になると映像が止まってしまいますので、今回ストリーミングサーバー(容量をUpし)を用意し、既存の動画も500kbの配信は全てストリーミングサーバーからの配信としました。
しかし、ストリーミングサーバーでも、ある程度の人数の方が同じ動画をご覧になると映像配信が不安定なると思います。
これは、ストリーミングサーバーの回線容量に依存します。回線容量に比例して回線使用料も増加します。
NPOでは、ストリーミングサーバーレンタル会社の中からインプレスレンタルサーバー完全ガイド ストリーミング専有サーバーで1位を獲得している、
メディアイメージの共有WBタイプのサービスを利用しています。
http://www.mi-j.com/index.html
価格も他の業者の方と比較して低価格ですし、サポートも親切ですよ。
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すでに映像のコーデックも終了しテストしているところです。
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しかし、ストリーミングサーバーでも、ある程度の人数の方が同じ動画をご覧になると映像配信が不安定なると思います。
これは、ストリーミングサーバーの回線容量に依存します。回線容量に比例して回線使用料も増加します。
NPOでは、ストリーミングサーバーレンタル会社の中からインプレスレンタルサーバー完全ガイド ストリーミング専有サーバーで1位を獲得している、
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2006,07,22 Sat 10:00
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休憩の後は、芸北神楽の上演。備後神楽が、岡山県の備前、備中神楽の流れを汲むのに対し、芸北神楽は島根県の石見神楽が元になっています。
まず、北広島町の新庄保育所神楽団による「新・新・新紅葉狩」。芸北神楽の新舞「紅葉狩」をアレンジした演目で、鬼女が住む戸隠山を保育所近くの寒曳山に置き換えたり、神が飲むのは酒ではなく毒ミルクだったりと、子供たちにも親しみやすい内容に工夫されています。5月の舞ロード千代田の上演から約一ヵ月半、みなさんさらに上手になってましたよ。
続いて、北広島町の有田神楽団による「八岐大蛇」。有田神楽団はどの舞も昔からの形を大事に保存、伝承されていますが、特にこの演目は素晴らしいと思います。何より大蛇の演技が素晴らしいのです。じっくり観察したことがある方ならおわかりだと思いますが、ヘビはとぐろを巻いて呼吸するとき、それに合わせて微妙に胴体が伸縮するんです。この有田さんの大蛇はそんな動きまで再現しておられ、非常にリアルな大蛇になっています。
次は安芸高田市の原田神楽団による「天の岩戸」。以前、島根県にお住まいの神楽ファンの方から、「原田の岩戸見たことある?あれいいよ~!」と超オススメされたことがあるんですが、初めて見たときは本当にいい神楽だなと感動しましたね。登場する神様の個性がしっかりとしており、それが奏楽と見事に合わさった舞は何回観ても素晴らしいです。
最後は安芸高田市の上河内神楽団による「紅葉狩」。衣装の豪華さ、美しい鬼女が鬼へと変貌する場面、立ち合いのスピード感など、新舞の魅力たっぷりの演目です。鬼の大王が赤いガッソで登場するのですが、これは芸北神楽では珍しく、上河内神楽団「紅葉狩」の特徴の一つと言えます。あと、笛の方がプログラムの配役と違う方だったので、「もしやあの人の登場か!?」と思ったんですが、さすがに今回はなかったです(笑)。
会場は1階席から3階席までお客さんでいっぱいで、開場から約30分後には当日券が売り切れるほどでした。個人的には、普段なかなか見る機会のない神楽が見れて、本当にいろいろ勉強になった一日でした。
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まず、北広島町の新庄保育所神楽団による「新・新・新紅葉狩」。芸北神楽の新舞「紅葉狩」をアレンジした演目で、鬼女が住む戸隠山を保育所近くの寒曳山に置き換えたり、神が飲むのは酒ではなく毒ミルクだったりと、子供たちにも親しみやすい内容に工夫されています。5月の舞ロード千代田の上演から約一ヵ月半、みなさんさらに上手になってましたよ。
続いて、北広島町の有田神楽団による「八岐大蛇」。有田神楽団はどの舞も昔からの形を大事に保存、伝承されていますが、特にこの演目は素晴らしいと思います。何より大蛇の演技が素晴らしいのです。じっくり観察したことがある方ならおわかりだと思いますが、ヘビはとぐろを巻いて呼吸するとき、それに合わせて微妙に胴体が伸縮するんです。この有田さんの大蛇はそんな動きまで再現しておられ、非常にリアルな大蛇になっています。
次は安芸高田市の原田神楽団による「天の岩戸」。以前、島根県にお住まいの神楽ファンの方から、「原田の岩戸見たことある?あれいいよ~!」と超オススメされたことがあるんですが、初めて見たときは本当にいい神楽だなと感動しましたね。登場する神様の個性がしっかりとしており、それが奏楽と見事に合わさった舞は何回観ても素晴らしいです。
最後は安芸高田市の上河内神楽団による「紅葉狩」。衣装の豪華さ、美しい鬼女が鬼へと変貌する場面、立ち合いのスピード感など、新舞の魅力たっぷりの演目です。鬼の大王が赤いガッソで登場するのですが、これは芸北神楽では珍しく、上河内神楽団「紅葉狩」の特徴の一つと言えます。あと、笛の方がプログラムの配役と違う方だったので、「もしやあの人の登場か!?」と思ったんですが、さすがに今回はなかったです(笑)。
会場は1階席から3階席までお客さんでいっぱいで、開場から約30分後には当日券が売り切れるほどでした。個人的には、普段なかなか見る機会のない神楽が見れて、本当にいろいろ勉強になった一日でした。
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2006,07,13 Thu 20:52
新着コメント
あい様さん、コメントありがとうございます。
返事が遅くなってすみません!
今は一応シーズンオフ?でイベントが少ないため、なかなかブログも更新できませんが、8月からの本運用に向けて、新しい企画を考えています。
これからもよろしくお願いします。
返事が遅くなってすみません!
今は一応シーズンオフ?でイベントが少ないため、なかなかブログも更新できませんが、8月からの本運用に向けて、新しい企画を考えています。
これからもよろしくお願いします。
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/07/22 12:01 | tTBCbx1A |