広島・島根交流神楽公演ということで、今月から新しく開催されることになった「月一の舞」。その記念すべき第一回は、北広島町内から山王神楽団、北広島町以外の県内から宮乃木神楽団、そして島根県からは江津市の都治神楽社中の3団体の上演がありました。
まずは山王神楽団「羅生門」。見せ場たっぷりの演目ですが、一番はやはり酒呑童子の化身ではないでしょうか。個人的に好きなのは、綱の館を訪ねる場面。綱のセリフに悲しんだり、悔しがったり、喜んだりする化身の感情をうまく表現されてて、非常に見応えがあると思います。あと細かいところですが、頼光が持っている御幣が二つあること。前半は白のみの御幣ですが、八幡のお告げを受けて参上する後半では、紫の入った少し豪華(?)な御幣を持って登場します。こういう変化にも注目すると、より一層神楽が楽しめると思います。
次は宮乃木神楽団「滝夜叉姫」。これは一番初めの五月姫が妖術を授かる場面、ここがとても印象的です。貴船の荒御霊からのお告げが聞こえてくると、五月姫の演技、楽の調子、照明やドライアイスなどの演出によって、一気に全体が不気味な雰囲気に包まれるんですが、さらに追い討ちをかけるように滝夜叉姫へと変貌するところ、ここは本当に素晴らしい場面に仕上がっていると思います。また、立ち合いでは、緊迫した雰囲気やスピード感溢れる舞で、思わず見入ってしまいました。
最後は都治神楽社中「大蛇」(ビデオ配信しています)。やっぱり石見神楽の大蛇はすごいなぁ、という感想を抱かずにはいられないほどの舞でした。なんといっても大蛇の迫力!大きい蛇、ではなく、怪物としての「大蛇」という感じで、今にも客席に降りてきて、お客さんを呑んでしまうかのような、本当にすごい迫力があったと思います。舞手の呼吸もピッタリで、息つく暇もないほどの見せ場の連続でした。立ち合いでは次から次へと口から火を吐き、スサノオがやられてしまうのではないかと思わせるほどの暴れっぷりでした。
全体を通して感じたことは、やはりいい神楽にはいい奏楽が不可欠ということ。今回の三団体のみなさんはどこも奏楽がとてもよかったです。客席からも「うまいうまい!」と声が飛んだりしていましたが、ホントにその通りだと思います。迫力ある太鼓と掛け声、リズムに乗って気持ちよさそうに笛を吹かれている方など、舞だけ見るのはもったいないくらいでした。
上演終了後は、「大蛇と一緒に写真を撮ろう!」というミニイベントもあり、たくさんのお客さんに最後の最後まで楽しんでもらえたようです。次回の「長月の舞」は9月24日です。今回よりもっとたくさんの方に来て頂きたいと思います。
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
まずは山王神楽団「羅生門」。見せ場たっぷりの演目ですが、一番はやはり酒呑童子の化身ではないでしょうか。個人的に好きなのは、綱の館を訪ねる場面。綱のセリフに悲しんだり、悔しがったり、喜んだりする化身の感情をうまく表現されてて、非常に見応えがあると思います。あと細かいところですが、頼光が持っている御幣が二つあること。前半は白のみの御幣ですが、八幡のお告げを受けて参上する後半では、紫の入った少し豪華(?)な御幣を持って登場します。こういう変化にも注目すると、より一層神楽が楽しめると思います。
次は宮乃木神楽団「滝夜叉姫」。これは一番初めの五月姫が妖術を授かる場面、ここがとても印象的です。貴船の荒御霊からのお告げが聞こえてくると、五月姫の演技、楽の調子、照明やドライアイスなどの演出によって、一気に全体が不気味な雰囲気に包まれるんですが、さらに追い討ちをかけるように滝夜叉姫へと変貌するところ、ここは本当に素晴らしい場面に仕上がっていると思います。また、立ち合いでは、緊迫した雰囲気やスピード感溢れる舞で、思わず見入ってしまいました。
最後は都治神楽社中「大蛇」(ビデオ配信しています)。やっぱり石見神楽の大蛇はすごいなぁ、という感想を抱かずにはいられないほどの舞でした。なんといっても大蛇の迫力!大きい蛇、ではなく、怪物としての「大蛇」という感じで、今にも客席に降りてきて、お客さんを呑んでしまうかのような、本当にすごい迫力があったと思います。舞手の呼吸もピッタリで、息つく暇もないほどの見せ場の連続でした。立ち合いでは次から次へと口から火を吐き、スサノオがやられてしまうのではないかと思わせるほどの暴れっぷりでした。
全体を通して感じたことは、やはりいい神楽にはいい奏楽が不可欠ということ。今回の三団体のみなさんはどこも奏楽がとてもよかったです。客席からも「うまいうまい!」と声が飛んだりしていましたが、ホントにその通りだと思います。迫力ある太鼓と掛け声、リズムに乗って気持ちよさそうに笛を吹かれている方など、舞だけ見るのはもったいないくらいでした。
上演終了後は、「大蛇と一緒に写真を撮ろう!」というミニイベントもあり、たくさんのお客さんに最後の最後まで楽しんでもらえたようです。次回の「長月の舞」は9月24日です。今回よりもっとたくさんの方に来て頂きたいと思います。
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
2006,08,22 Tue 00:00
新着コメント
サッチモさん、コメントありがとうございます。
きっと某国でもご覧になっていると思っていたのですが、やはり。
ありがとうございます☆
いつ帰国されるのかは存じませんが、葉月の舞は、司会の人が言うに「五千人」のお客さんが来られたそうです(笑)。
ですから、きっとこれからも続きますよ!
なにげに15位ですね・・・びっくりです。
管理人は自分ではないような気がするんですが・・・、まぁ記事が一番多いのはボクですね。
これからも頑張りますんで、どうぞよろしくお願いします☆
きっと某国でもご覧になっていると思っていたのですが、やはり。
ありがとうございます☆
いつ帰国されるのかは存じませんが、葉月の舞は、司会の人が言うに「五千人」のお客さんが来られたそうです(笑)。
ですから、きっとこれからも続きますよ!
なにげに15位ですね・・・びっくりです。
管理人は自分ではないような気がするんですが・・・、まぁ記事が一番多いのはボクですね。
これからも頑張りますんで、どうぞよろしくお願いします☆
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/22 19:32 | BFfnvy1Y |
月いちの舞、開催おめでとうございます。
ぼくも見たいです。帰国するまで開催されてることを祈るばかりです。
ところで、広島ブログがなにげに15位にランクされてるじゃないですか!これも管理人さんの努力の成果ですね。これからもがんばってください。
ぼくも見たいです。帰国するまで開催されてることを祈るばかりです。
ところで、広島ブログがなにげに15位にランクされてるじゃないですか!これも管理人さんの努力の成果ですね。これからもがんばってください。
| サッチモ | EMAIL | URL | 06/08/22 14:24 | 3.hALXIc |
ようやく大江山の麓(ふもと)まできた。だが、千丈ケ岳(せんじょうがたけ)まではまだまだ遠い・・・。この大江山については、語らなければならないことが山ほどあり、とてもじゃないが一つの章だけでは無理なので、前・中・後編と三章に渡ってお送りすることにする。
まずは大江山の場所について。実は大江山は二つある。これまた知らない方にとっては混乱を招きそうだが、わかりやすく地図を描いてみたので参考にしていただきたい。
神楽でおなじみの「丹波の国大江山」は、都から北西の位置にあり、かなり離れている。が、中世の「大江山」と言えば、すぐ近くの「大枝山」を指していた。ここには酒呑童子の首塚が残されている。また、日本武尊が鬼神を退治する舞台などの伊吹山が酒呑童子退治の場所とする伝説もあったりする。
そのあたりも詳しくみていきたいのだが、そうなると「源頼光」から離れてしまい、またその事だけで二章はスペースをとらないといけない。ということで「大江山」の舞台については、一般説である「丹波の国大江山」とし、今回は他にも「大枝山」がありますよ、という紹介のみにさせていただきたい。
では、神楽「大江山」のもとになったと言われる謡曲「大江山」を少しだけ紹介する。謡曲(ようきょく)というのは、簡単に言えば能のセリフが書かれているもので、神楽と関係しているものは他に「紅葉狩」「土蜘蛛」「安達ヶ原」「鉄輪」などがある。今までは広島弁でわかりやすく紹介してきたが、謡曲を広島弁にしてしまうと謡曲ではなくなってしまうので、少し難しいがそのまま掲載する。
ワキ(頼光)ワキヅレ(従者) 秋風の音にたぐへて西川や、雲も行くなり大江山。
ワキ 抑々これは源頼光とはわが事なり。さてもこの度 丹波の国大江山の鬼神のこと。占方の詞に任せつつ、頼光、保昌に仰せつけらる。
ワキヅレ 頼光、保昌申すやう、たとひ大勢ありとても、人倫ならぬ化生の者、いづくを境に攻むべきぞ。
ワキ 思ふ子細の候とて、山伏の姿に出立ちて。
ワキヅレ 兜にかはる兜巾を着。
ワキ 鎧にあらぬ篠懸や。
ワキヅレ 兵具に対する笈を負ひ。
ワキ 其のぬしぬしは頼光、保昌。
ワキヅレ 貞光・季武・綱・公時、又名を得たる独武者かれこれ以上五十余人。
ワキ まだ夜のうちに有明の。
ワキ、ワキヅレ 月の都を立ちいでて、行く末問えば西川や、波風立てて白木綿の御抜も頼もしや。鬼神なりと大君の恵に洩るる方あらじ、ただ分け行けや足引の大江の山に着きにけり、大江の山に着きにけり。
ワキ 急ぎ候程に丹波の国大江山に着きて候。あら不思議や、これなる川にけしからず血の流れそうろう。いかに誰かある、この所にて童子の住処を尋ねて宿を取り候へ。
狂言(剛力) 畏まって候、まず急いで参ろう。(中略)これはこれは女房衆そなたは何として此処にいるぞ。
(女) そのことでござる、わらわは三歳以前に酒呑童子に捕はれて毎日毎日このやうな濯ぎをしていることでござる。
(剛力) 子細を聞けば尤もでござる。某がこれへ来たはこの度頼み奉る頼光公、童子を退治あるべきとの事ぢや程に、そなたも都へ同道せうによって、何卒そなたは肝を煎つてお宿を申してくれぬか。
(女) 何がさて都へ連れて行て下さるならば、お宿のことはわらわが合点でござる。童子へ其由申しませう程にまづそれに待たせられい。
(剛力) 心得ておりやる。
(女) いかに童子の御座あるか。
シテ(酒呑童子) 童子と呼ぶはいかなる者ぞ。
狂言(女) 山伏達の御入り候が、一夜のお宿と仰せられ候。
シテ 何と山伏の一夜のお宿と候や、怨めしや桓武天皇に御請け申し、われ比叡の山を出でしより、出家には手を指さじと固く誓約申せしなり。中門の脇の廊に留め申し候らへ。
狂言(女) 心得申して候。
シテ いかに客僧たち、何処より何方へ御通り候へば、此の隠れ家へは御出でにて候ぞ。
ワキ さん候、これは筑紫彦山の客僧にて候が、麓の山陰道より道に踏み迷ひ、前後を忘れじ佇み候所に、今宵のお宿何より以て祝着申候。さて御名を酒呑童子と申し候は、何と申したる請にて候ぞ。
シテ 我が名を酒呑童子と云ふことは、明暮酒を好きたるにより、眷属どもに酒呑童子と呼ばれ候。されば此を見、彼を聞くにつけても、酒ほど面白きものはなく候。客僧達も聞しめされ候へ。
(中略)
ワキ 又は神国氏社南無や八幡山王権現、われらに力を添へ給へと、頼光・保昌・綱・公時・貞光・季武独武者、心を一つにしてまどろみ臥したる鬼の上に、剣を飛ばする光の影、稲妻振動おびただし。
シテ 情けなしとよ客僧達、偽あらじと云ひつるに鬼神に横道無きものを。
(中略)
ワキ あら空事やなどさらば、王地に住んで人を取り、世の妨げとはなりけるぞ、われらをば音にも聞きつらん、保昌が舘に独武者、鬼神なりとも遁すまじ、ましてやこれは勅なれば、土も木も我が大君の国なれば、いづくか鬼の宿りなるらん。
(中略)
ワキ 頼光保昌もとよりも、(地)頼光保昌もとよりも、鬼神なりともさすが頼光が手なみに、いかで漏らすべきと、走りかかってはったと打つ手に、むんずと組んでえいやえいやと組むとぞ見えしが、頼光下に組み伏せられて鬼一口に喰はんとするを頼光下より刀を抜いて二刀三刀刺し通し刺し通し、刀を力にえいやとかへし、さも勢へる鬼神を、おしつけ怒れる首を打ち落とし、大江の山をまた踏み分けて、都へとてこそ帰りけれ。
読みづらい箇所、難しい漢字がふんだんで、「これ読めません。」てな苦情のコメントもつきそうだが、たまにはそのままを掲載し、昔の物語の雰囲気を味わうのもよいのではないだろうか。そして多くの神楽ファンの方が、最初の一行を読んだ時点でピンとくるものがあると思う。そう、安芸太田町の三谷神楽団「大江山」は、この謡曲をかなり忠実にして舞っておられるようだ。他の旧舞「大江山」も、多くは謡曲を出典としているようだが、かなり違いがあるように思える。これは、前章で紹介した「戻り橋」「羅生門」の物語以上に、「大江山」伝説が数多く残されているためだと考えられる。では次回は、またいつものバージョンで「大江山の酒呑童子退治」をご紹介したいと思う。
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
まずは大江山の場所について。実は大江山は二つある。これまた知らない方にとっては混乱を招きそうだが、わかりやすく地図を描いてみたので参考にしていただきたい。
神楽でおなじみの「丹波の国大江山」は、都から北西の位置にあり、かなり離れている。が、中世の「大江山」と言えば、すぐ近くの「大枝山」を指していた。ここには酒呑童子の首塚が残されている。また、日本武尊が鬼神を退治する舞台などの伊吹山が酒呑童子退治の場所とする伝説もあったりする。
そのあたりも詳しくみていきたいのだが、そうなると「源頼光」から離れてしまい、またその事だけで二章はスペースをとらないといけない。ということで「大江山」の舞台については、一般説である「丹波の国大江山」とし、今回は他にも「大枝山」がありますよ、という紹介のみにさせていただきたい。
では、神楽「大江山」のもとになったと言われる謡曲「大江山」を少しだけ紹介する。謡曲(ようきょく)というのは、簡単に言えば能のセリフが書かれているもので、神楽と関係しているものは他に「紅葉狩」「土蜘蛛」「安達ヶ原」「鉄輪」などがある。今までは広島弁でわかりやすく紹介してきたが、謡曲を広島弁にしてしまうと謡曲ではなくなってしまうので、少し難しいがそのまま掲載する。
ワキ(頼光)ワキヅレ(従者) 秋風の音にたぐへて西川や、雲も行くなり大江山。
ワキ 抑々これは源頼光とはわが事なり。さてもこの度 丹波の国大江山の鬼神のこと。占方の詞に任せつつ、頼光、保昌に仰せつけらる。
ワキヅレ 頼光、保昌申すやう、たとひ大勢ありとても、人倫ならぬ化生の者、いづくを境に攻むべきぞ。
ワキ 思ふ子細の候とて、山伏の姿に出立ちて。
ワキヅレ 兜にかはる兜巾を着。
ワキ 鎧にあらぬ篠懸や。
ワキヅレ 兵具に対する笈を負ひ。
ワキ 其のぬしぬしは頼光、保昌。
ワキヅレ 貞光・季武・綱・公時、又名を得たる独武者かれこれ以上五十余人。
ワキ まだ夜のうちに有明の。
ワキ、ワキヅレ 月の都を立ちいでて、行く末問えば西川や、波風立てて白木綿の御抜も頼もしや。鬼神なりと大君の恵に洩るる方あらじ、ただ分け行けや足引の大江の山に着きにけり、大江の山に着きにけり。
ワキ 急ぎ候程に丹波の国大江山に着きて候。あら不思議や、これなる川にけしからず血の流れそうろう。いかに誰かある、この所にて童子の住処を尋ねて宿を取り候へ。
狂言(剛力) 畏まって候、まず急いで参ろう。(中略)これはこれは女房衆そなたは何として此処にいるぞ。
(女) そのことでござる、わらわは三歳以前に酒呑童子に捕はれて毎日毎日このやうな濯ぎをしていることでござる。
(剛力) 子細を聞けば尤もでござる。某がこれへ来たはこの度頼み奉る頼光公、童子を退治あるべきとの事ぢや程に、そなたも都へ同道せうによって、何卒そなたは肝を煎つてお宿を申してくれぬか。
(女) 何がさて都へ連れて行て下さるならば、お宿のことはわらわが合点でござる。童子へ其由申しませう程にまづそれに待たせられい。
(剛力) 心得ておりやる。
(女) いかに童子の御座あるか。
シテ(酒呑童子) 童子と呼ぶはいかなる者ぞ。
狂言(女) 山伏達の御入り候が、一夜のお宿と仰せられ候。
シテ 何と山伏の一夜のお宿と候や、怨めしや桓武天皇に御請け申し、われ比叡の山を出でしより、出家には手を指さじと固く誓約申せしなり。中門の脇の廊に留め申し候らへ。
狂言(女) 心得申して候。
シテ いかに客僧たち、何処より何方へ御通り候へば、此の隠れ家へは御出でにて候ぞ。
ワキ さん候、これは筑紫彦山の客僧にて候が、麓の山陰道より道に踏み迷ひ、前後を忘れじ佇み候所に、今宵のお宿何より以て祝着申候。さて御名を酒呑童子と申し候は、何と申したる請にて候ぞ。
シテ 我が名を酒呑童子と云ふことは、明暮酒を好きたるにより、眷属どもに酒呑童子と呼ばれ候。されば此を見、彼を聞くにつけても、酒ほど面白きものはなく候。客僧達も聞しめされ候へ。
(中略)
ワキ 又は神国氏社南無や八幡山王権現、われらに力を添へ給へと、頼光・保昌・綱・公時・貞光・季武独武者、心を一つにしてまどろみ臥したる鬼の上に、剣を飛ばする光の影、稲妻振動おびただし。
シテ 情けなしとよ客僧達、偽あらじと云ひつるに鬼神に横道無きものを。
(中略)
ワキ あら空事やなどさらば、王地に住んで人を取り、世の妨げとはなりけるぞ、われらをば音にも聞きつらん、保昌が舘に独武者、鬼神なりとも遁すまじ、ましてやこれは勅なれば、土も木も我が大君の国なれば、いづくか鬼の宿りなるらん。
(中略)
ワキ 頼光保昌もとよりも、(地)頼光保昌もとよりも、鬼神なりともさすが頼光が手なみに、いかで漏らすべきと、走りかかってはったと打つ手に、むんずと組んでえいやえいやと組むとぞ見えしが、頼光下に組み伏せられて鬼一口に喰はんとするを頼光下より刀を抜いて二刀三刀刺し通し刺し通し、刀を力にえいやとかへし、さも勢へる鬼神を、おしつけ怒れる首を打ち落とし、大江の山をまた踏み分けて、都へとてこそ帰りけれ。
読みづらい箇所、難しい漢字がふんだんで、「これ読めません。」てな苦情のコメントもつきそうだが、たまにはそのままを掲載し、昔の物語の雰囲気を味わうのもよいのではないだろうか。そして多くの神楽ファンの方が、最初の一行を読んだ時点でピンとくるものがあると思う。そう、安芸太田町の三谷神楽団「大江山」は、この謡曲をかなり忠実にして舞っておられるようだ。他の旧舞「大江山」も、多くは謡曲を出典としているようだが、かなり違いがあるように思える。これは、前章で紹介した「戻り橋」「羅生門」の物語以上に、「大江山」伝説が数多く残されているためだと考えられる。では次回は、またいつものバージョンで「大江山の酒呑童子退治」をご紹介したいと思う。
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
2006,08,21 Mon 00:00
新着コメント
はるさん、コメントありがとうございます。
お酒が大好きなんですね。
ボクはまったく飲めないんで、童子さんの気持ちがすべて理解できないかもしれません。
酒呑童子が酒を飲む場面は、神楽の見せ場ですよね。
謡曲ではあまりそこは強調されてないようです。
後編で、そのあたりを詳しくご紹介できると思います。
またコメントお願いします♪
お酒が大好きなんですね。
ボクはまったく飲めないんで、童子さんの気持ちがすべて理解できないかもしれません。
酒呑童子が酒を飲む場面は、神楽の見せ場ですよね。
謡曲ではあまりそこは強調されてないようです。
後編で、そのあたりを詳しくご紹介できると思います。
またコメントお願いします♪
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/21 18:22 | BFfnvy1Y |
私は酒が三度の御飯よりも好きです。
酒呑童子の 『身も心も酔ったりし~ぃ』の
呑みっぷりが、気持ちいい、たまりません♪
酒呑童子の 『身も心も酔ったりし~ぃ』の
呑みっぷりが、気持ちいい、たまりません♪
| はる | EMAIL | URL | 06/08/21 15:12 | gRhkdjzc |
さぁ、いよいよ謎解きの始まりである。とその前に、渡辺綱について調べてみよう。生没については頼光とほぼ同じで、953年~1025年となっている。源敦(みなもとのあつし)の養子で、その敦が頼光の父、満仲の婿だったために、その関係で頼光に仕えるようになった。多田源氏の流れを汲む頼光に対し、綱は箕田(美田/みた)源氏の出身である。ので、もともとは源綱(みなもとのつな)なのだが、養母が摂津国渡辺に住んでいたので、これにちなんで「渡辺」を名乗るようになったという。
少し難しい説明が入ってしまった。それではお待ちかね「羅生門の鬼」の話を紹介する。ここでは、御伽草子「羅生門」と謡曲「羅生門」を組み合わせ、より物語性を持たせて、神楽ファンのみなさんにわかりやすいよう編集を試みた。
源頼光と四天王、藤原保昌の六人は、大江山で酒呑童子をはじめ七十五匹の鬼を退治した。春雨が降り続くある日、頼光は四天王と保昌を招いて酒をふるまった。その酒宴の席で保昌が「そぉいや、大江山で鬼退治したときに、一匹討ち漏らした鬼がおるらしいで。」と語り始めた。みなが興味を示し、保昌は続いて「へぇで最近、その鬼が九条の羅生門に住み着いてからに、わりぃことするゆぅんじゃと。」と言った。すると渡辺綱が「おぉい保昌さん、そがぁなことがあるわきゃなかろぅて。羅生門は都の南門じゃろ?『土も木も わが大君の国ならば いづくか鬼の宿と定めん』ゆぅ歌もあるじゃろが。ホンマにおったとしても、羅生門に鬼を住まわせちゃぁいけんわ。そんなつまらんげな事は言いんさんなや。」と言った。保昌は「へじゃぁあんたはわしがウソをよぅる言うんか。このこたぁ、誰でも知っとるけぇよぅるんで。ウソじゃ言うんなら、今晩にでも羅生門へ行ってからにホンマかウソか見てきんさいや。」と答えた。すると「はぁ、そりゃぁわしが羅生門へよぅ行かん思うとんじゃろ。へんならホンマかウソか、今晩行ってみちゃろうてぇ。なんか、そけぇ行ったいう印のもんをくれぇや。」と、羅生門へ行く姿勢を示した。みなが「やめときんさいや。」と止めたが、綱は「いやいや、別に保昌さんとケンカするわけじゃないんだが、一つは帝(みかど)のためでもあるけぇ、印をくれぇ言うたんよ。」と言う。それを聞いた頼光は「なるほどのぅ、綱が言うように一つは帝のためにもなるけぇ、印を立てに行ってきんさい。」と許可を出した。
こうして綱は、羅生門に置いてくる印をもらい、さっそく準備をし始めた。鎧を身に付け、兜の緒を締め、先祖伝来の太刀を持ち、たくましい馬に乗り、たった一人で宿を出て、二条大宮を南へ進み羅生門へと向かった。さて九条通りに出て羅生門に近づくと、ものすごい雨が降り始めた。突然のすさまじい嵐に、馬はおびえて立ち止まってしまった。綱は馬から飛び降り、羅生門の石段に駆け上がると、印の札を壇上に立て置いて帰ろうとした。しかし、後ろから兜の錏(しころ:兜の左右や後ろに垂れた、首をおおうもの)をつかんで引き止めるものがあるので、「ぅお!鬼じゃぁ!」と太刀を抜いて斬ろうとした。だが鬼は兜をつかんだので、綱は兜の緒を引きちぎって、思わず壇から飛び降りた。鬼は怒り狂って持っていた綱の兜を投げ捨てた。その背丈は羅生門の軒と同じくらいで、両眼は月日のようにらんらんと光り、綱をにらみつけて立っていた。綱は少しもひるまずに太刀をかまえ、「あんたぁ知らんのんか!わりぃことをするもんは、罰が当たるんでぇ~!」と言って切りかかると、鬼は鉄杖(てつじょう)を振りまわしてきた。綱はそれをかわし、違いざまに鬼に斬りつけた。鬼はさらに突進して綱に組み付こうとしたが、綱はその腕を切り落とした。鬼はたまらず塀に上がり、空へと飛び上がった。綱は後を追ったが黒雲におおわれてしまい、「いつか取り返しちゃるけぇの!!」と鬼の叫ぶ声が聞こえ、そのまま姿を消してしまった。
これが「羅生門の鬼」の伝説である。「戻り橋」で紹介した話とよく似ているのはすぐに気づかれたと思う。が、問題はその時期。これでは「戻り橋」→「大江山」→「羅生門」という順番になってしまう。ますます混乱してきそうだが、どうやらこの「羅生門」の伝説は、「戻り橋」の話をもとに作られたようである。つまり、「戻り橋」「大江山」の物語が定着して以降に作られたもので、正確に言えば神楽の物語と関連はないことになる。羅生門はこれ以外にも、いろいろ鬼にまつわる伝説が残されており、そういったものが組み合わさってこの「羅生門」の鬼伝説が生まれたようだ。
ちなみに御伽草子「羅生門」は、綱が切り取る腕が右腕だったり、鬼を切る刀も膝丸のほうだったりなど、一般的な物語と多少違う部分がある。これは御伽草子が人から人への語り伝えをまとめたものであり、またいろんな人が書き残しているので、どうしても微妙に違いが出てしまうのである。さらに御伽草子「羅生門」は、このあとに頼光が病になり、綱が牛鬼の腕を切り取り、頼光が物忌みをし、腕を取り返されたりという、どこかで聞いたような物語が続いている。これも、もとは土蜘蛛伝説であるものが、いろいろ尾ひれがついて御伽草子に収められたということである。残念ながらその続きの物語はスペースの都合上、割愛させていただく。
で、結局、綱が鬼の腕を切り落としたのはどっち?という最大の問題が残っているが、ハッキリ言ってこれは「各神楽団によって異なる」としか言いようがない。もとになった伝説がこれだけバラバラであるのだから、各神楽団で解釈が違ってくるのも当然である。ただ、一つ確かなことは、「都は羅生門、戻り橋あたりにおいて、茨木童子が左の腕を切り取られたり。」というセリフ、これは正しくないということである。前回で解説したとおり、戻り橋と羅生門はまったく別の離れた場所にある。例えるなら「今日は神楽があったけぇ、神楽ドーム、開発センターあたりに行ってきたんじゃ。」てな感じか。「どっちやねん!」とツッコミを入れなければならない。今度「戻り橋」「羅生門」を見るときは、そういうセリフをよく聞いて、いったいどちらで鬼の腕が切り取られたのか、注目すると面白いかもしれない。
最後に「羅生門」そのものについてだが、正確には「羅城門」と書いて「らしょうもん」と読む。しかし、もともとは「らいせいもん」や「らせいもん」と呼ばれていた。それが「らしょうもん」と呼ばれるようになったのはずっと後のことで、完全に定着した原因はあの芥川龍之介の小説「羅生門」であるといわれている。ちなみにこの小説「羅生門」、それから黒澤明監督の映画「羅生門」は、神楽の物語とは関係ない。
いつしか羅生門には鬼が住むと言われるようになった。「門」はある一つの世界と別の世界を結ぶものであり、そこを通り抜けるということは別世界への旅立ちということを意味する。羅生門の鬼伝説も、そういった意識のもとで生まれたのだろう。謎だらけでお送りしたこの章、このあたりでお開きとさせていただくが、最後はやはり謎でしめることにしよう。
『「戻り橋」や「羅生門」で渡辺綱に腕を切り取られた鬼は、本当に茨木童子だったのか!?』
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
少し難しい説明が入ってしまった。それではお待ちかね「羅生門の鬼」の話を紹介する。ここでは、御伽草子「羅生門」と謡曲「羅生門」を組み合わせ、より物語性を持たせて、神楽ファンのみなさんにわかりやすいよう編集を試みた。
源頼光と四天王、藤原保昌の六人は、大江山で酒呑童子をはじめ七十五匹の鬼を退治した。春雨が降り続くある日、頼光は四天王と保昌を招いて酒をふるまった。その酒宴の席で保昌が「そぉいや、大江山で鬼退治したときに、一匹討ち漏らした鬼がおるらしいで。」と語り始めた。みなが興味を示し、保昌は続いて「へぇで最近、その鬼が九条の羅生門に住み着いてからに、わりぃことするゆぅんじゃと。」と言った。すると渡辺綱が「おぉい保昌さん、そがぁなことがあるわきゃなかろぅて。羅生門は都の南門じゃろ?『土も木も わが大君の国ならば いづくか鬼の宿と定めん』ゆぅ歌もあるじゃろが。ホンマにおったとしても、羅生門に鬼を住まわせちゃぁいけんわ。そんなつまらんげな事は言いんさんなや。」と言った。保昌は「へじゃぁあんたはわしがウソをよぅる言うんか。このこたぁ、誰でも知っとるけぇよぅるんで。ウソじゃ言うんなら、今晩にでも羅生門へ行ってからにホンマかウソか見てきんさいや。」と答えた。すると「はぁ、そりゃぁわしが羅生門へよぅ行かん思うとんじゃろ。へんならホンマかウソか、今晩行ってみちゃろうてぇ。なんか、そけぇ行ったいう印のもんをくれぇや。」と、羅生門へ行く姿勢を示した。みなが「やめときんさいや。」と止めたが、綱は「いやいや、別に保昌さんとケンカするわけじゃないんだが、一つは帝(みかど)のためでもあるけぇ、印をくれぇ言うたんよ。」と言う。それを聞いた頼光は「なるほどのぅ、綱が言うように一つは帝のためにもなるけぇ、印を立てに行ってきんさい。」と許可を出した。
こうして綱は、羅生門に置いてくる印をもらい、さっそく準備をし始めた。鎧を身に付け、兜の緒を締め、先祖伝来の太刀を持ち、たくましい馬に乗り、たった一人で宿を出て、二条大宮を南へ進み羅生門へと向かった。さて九条通りに出て羅生門に近づくと、ものすごい雨が降り始めた。突然のすさまじい嵐に、馬はおびえて立ち止まってしまった。綱は馬から飛び降り、羅生門の石段に駆け上がると、印の札を壇上に立て置いて帰ろうとした。しかし、後ろから兜の錏(しころ:兜の左右や後ろに垂れた、首をおおうもの)をつかんで引き止めるものがあるので、「ぅお!鬼じゃぁ!」と太刀を抜いて斬ろうとした。だが鬼は兜をつかんだので、綱は兜の緒を引きちぎって、思わず壇から飛び降りた。鬼は怒り狂って持っていた綱の兜を投げ捨てた。その背丈は羅生門の軒と同じくらいで、両眼は月日のようにらんらんと光り、綱をにらみつけて立っていた。綱は少しもひるまずに太刀をかまえ、「あんたぁ知らんのんか!わりぃことをするもんは、罰が当たるんでぇ~!」と言って切りかかると、鬼は鉄杖(てつじょう)を振りまわしてきた。綱はそれをかわし、違いざまに鬼に斬りつけた。鬼はさらに突進して綱に組み付こうとしたが、綱はその腕を切り落とした。鬼はたまらず塀に上がり、空へと飛び上がった。綱は後を追ったが黒雲におおわれてしまい、「いつか取り返しちゃるけぇの!!」と鬼の叫ぶ声が聞こえ、そのまま姿を消してしまった。
これが「羅生門の鬼」の伝説である。「戻り橋」で紹介した話とよく似ているのはすぐに気づかれたと思う。が、問題はその時期。これでは「戻り橋」→「大江山」→「羅生門」という順番になってしまう。ますます混乱してきそうだが、どうやらこの「羅生門」の伝説は、「戻り橋」の話をもとに作られたようである。つまり、「戻り橋」「大江山」の物語が定着して以降に作られたもので、正確に言えば神楽の物語と関連はないことになる。羅生門はこれ以外にも、いろいろ鬼にまつわる伝説が残されており、そういったものが組み合わさってこの「羅生門」の鬼伝説が生まれたようだ。
ちなみに御伽草子「羅生門」は、綱が切り取る腕が右腕だったり、鬼を切る刀も膝丸のほうだったりなど、一般的な物語と多少違う部分がある。これは御伽草子が人から人への語り伝えをまとめたものであり、またいろんな人が書き残しているので、どうしても微妙に違いが出てしまうのである。さらに御伽草子「羅生門」は、このあとに頼光が病になり、綱が牛鬼の腕を切り取り、頼光が物忌みをし、腕を取り返されたりという、どこかで聞いたような物語が続いている。これも、もとは土蜘蛛伝説であるものが、いろいろ尾ひれがついて御伽草子に収められたということである。残念ながらその続きの物語はスペースの都合上、割愛させていただく。
で、結局、綱が鬼の腕を切り落としたのはどっち?という最大の問題が残っているが、ハッキリ言ってこれは「各神楽団によって異なる」としか言いようがない。もとになった伝説がこれだけバラバラであるのだから、各神楽団で解釈が違ってくるのも当然である。ただ、一つ確かなことは、「都は羅生門、戻り橋あたりにおいて、茨木童子が左の腕を切り取られたり。」というセリフ、これは正しくないということである。前回で解説したとおり、戻り橋と羅生門はまったく別の離れた場所にある。例えるなら「今日は神楽があったけぇ、神楽ドーム、開発センターあたりに行ってきたんじゃ。」てな感じか。「どっちやねん!」とツッコミを入れなければならない。今度「戻り橋」「羅生門」を見るときは、そういうセリフをよく聞いて、いったいどちらで鬼の腕が切り取られたのか、注目すると面白いかもしれない。
最後に「羅生門」そのものについてだが、正確には「羅城門」と書いて「らしょうもん」と読む。しかし、もともとは「らいせいもん」や「らせいもん」と呼ばれていた。それが「らしょうもん」と呼ばれるようになったのはずっと後のことで、完全に定着した原因はあの芥川龍之介の小説「羅生門」であるといわれている。ちなみにこの小説「羅生門」、それから黒澤明監督の映画「羅生門」は、神楽の物語とは関係ない。
いつしか羅生門には鬼が住むと言われるようになった。「門」はある一つの世界と別の世界を結ぶものであり、そこを通り抜けるということは別世界への旅立ちということを意味する。羅生門の鬼伝説も、そういった意識のもとで生まれたのだろう。謎だらけでお送りしたこの章、このあたりでお開きとさせていただくが、最後はやはり謎でしめることにしよう。
『「戻り橋」や「羅生門」で渡辺綱に腕を切り取られた鬼は、本当に茨木童子だったのか!?』
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
2006,08,17 Thu 00:00
新着コメント
リロっちさん、コメントありがとうございます。
広島弁にするのはそう大変ではないんですよ。
訳したら自然と広島弁になってて、逆に標準語にするほうが難しいくらいで・・・。
あがぁなことはなぁんですが(笑)。
とにかく、みなさんにわかりやすい、楽しいと言っていただけるのは本当に嬉しいです☆
ランキングにも支持をいただけて、感謝感激してます。
これからもよろしくお願いします!
広島弁にするのはそう大変ではないんですよ。
訳したら自然と広島弁になってて、逆に標準語にするほうが難しいくらいで・・・。
あがぁなことはなぁんですが(笑)。
とにかく、みなさんにわかりやすい、楽しいと言っていただけるのは本当に嬉しいです☆
ランキングにも支持をいただけて、感謝感激してます。
これからもよろしくお願いします!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/19 01:15 | BFfnvy1Y |
訳したものをまた広島弁に変えることはとても大変な作業だったのではないかと思います。お疲れ様です・・・☆
おかげで、とても楽しくお勉強させて頂いております。分かりやすく楽しい故、しっかりと頭に残ります!
また、ランキングがグングンとあがっているようですが、このブログをたくさんの方が見られてお勉強されていることをとても嬉しく思います。これからも、私たちファンのために頑張ってくださいね☆
おかげで、とても楽しくお勉強させて頂いております。分かりやすく楽しい故、しっかりと頭に残ります!
また、ランキングがグングンとあがっているようですが、このブログをたくさんの方が見られてお勉強されていることをとても嬉しく思います。これからも、私たちファンのために頑張ってくださいね☆
| リロっち | EMAIL | URL | 06/08/19 00:52 | Q8k/.EqM |
TOKOさん、コメントありがとうございます。
昔の物語って、訳すのが結構大変で、しかも難しい文章が多いんですよね。
だからせっかく訳しても、わかりにくかったりするので、何かいい手はないかなぁ~と思って、会話を広島弁にしてみました(笑)
ようやくその事にコメントしていただけて、内心ホッとしてます☆
これからもよろしくお願いします。
昔の物語って、訳すのが結構大変で、しかも難しい文章が多いんですよね。
だからせっかく訳しても、わかりにくかったりするので、何かいい手はないかなぁ~と思って、会話を広島弁にしてみました(笑)
ようやくその事にコメントしていただけて、内心ホッとしてます☆
これからもよろしくお願いします。
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/17 22:49 | BFfnvy1Y |
はるさん、コメントありがとうございます。
やっぱり神楽だけ見てると、あらすじがよくわからないことってありますよね!
見事な舞だけについ目が行ってしまったりして・・・。
「楽しく、わかりやすい」という事をテーマに書いてますので、そういうお言葉をいただいて嬉しく思います。
またコメントしてくださいね☆
やっぱり神楽だけ見てると、あらすじがよくわからないことってありますよね!
見事な舞だけについ目が行ってしまったりして・・・。
「楽しく、わかりやすい」という事をテーマに書いてますので、そういうお言葉をいただいて嬉しく思います。
またコメントしてくださいね☆
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/17 22:45 | BFfnvy1Y |
ここでははじめましてですね♪
源頼光どのや渡辺綱どの等の四天王のお話、または羅生門や戻り橋等の演目のあらすじ等、とても楽しく読ませて頂いております。
特に広島弁の会話が最高です♪
ますます、神楽が大好きになっていきますね。
源頼光どのや渡辺綱どの等の四天王のお話、または羅生門や戻り橋等の演目のあらすじ等、とても楽しく読ませて頂いております。
特に広島弁の会話が最高です♪
ますます、神楽が大好きになっていきますね。
| TOKO | EMAIL | URL | 06/08/17 17:29 | n5WKKwWQ |
「都は羅生門、戻り橋あたりにおいて・・・。」
神楽ファンにはなじみの深いセリフだと思うが、戻り橋と羅生門の実際の位置関係をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろうか?簡単に図で示したのでご覧いただきたい。実はこの二つ、軽く5キロは離れていた。つまり全然違う場所にあったのである。「すぐ近くにあるものだと思ってた・・・」という方も少なくないだろう。が、ここで一つ疑問が生じる。
「ではなぜ、さも近くにあるかのように続けて語られるのか?」
近くにあると思っていた方には自然と湧き上がる思いだろう。なぜか?それは戻り橋、羅生門それぞれに鬼が出たからである。つまり、セリフの「羅生門、戻り橋」の間には「AND」の意味が込められている、というわけだ。
というわけで、その「戻り橋」と「羅生門」にまつわる鬼の話を紹介しよう。まずは「平家物語 剣の巻」より、一条戻り橋に出た鬼の話である。
摂津守頼光のもとには、綱・公時・貞道・末武という四天王が仕えていた。中でも綱は抜きん出ていた。武蔵国の美田(みた)というところで生まれたので、美田源氏と言っていた。頼光が一条大宮に用事があったので、綱を使者に遣わした。夜も更けていたので鬚切(ひげきり)という刀を持たせ、馬に乗せて遣わした。目的地に到着して会合して帰り、一条堀川の戻橋を渡った時、橋の東側に二十歳くらいの女で、肌は雪のように白く、紅梅の着物を身に付け、経を持ち、従者も連れず、たった一人で南へ向う者がいた。綱は橋の西側から「ありゃあ、どけぇ行きんさるんかのう。わしゃあ五条の辺に行くんじゃが、もう暗うなっていびせえじゃろうが。送っちゃろう。」と馴れ馴れしく言うと急いで馬から飛び降り、「この馬に乗りんさい。」と言って、女を抱き上げて馬に乗らせて堀川の東側を南の方へ行っていたが、この女が後ろを向いて「ほんまは五条の辺にゃあ大して用事ゃあないんよ。あたしん家ゃあ都の外にあるんよ。そこまで送ってつかぁさいや。」と言った。綱が「おぉええで。どけぇでも送っちゃるで~。」と言うのを聞いた途端、恐ろしい鬼に姿を変え、「わしが行く所は愛宕山でぇ~!」と言いながら、綱の髪の毛を掴んで北西の方角へ飛び立った。綱は少しも騒がず例の鬚切をさっと抜き、鬼の手をふつっと切った。綱は北野天満宮の社の廊下の屋根の上にどうっと落ちた。鬼は手を切られながらも愛宕へと飛び去った。
さて綱は髪の毛に付いた鬼の手を取って見てみれば、女の雪のような顔に引き換え、真っ黒であった。白い毛が隙間なく生えてまるで銀の針を立てているようだった。これを持って帰ると、頼光はびっくり仰天して、「晴明を呼べぃ!」と播磨守安倍晴明を呼んで「どがんしょーかー?」と問えば、「綱は七日休みをもろうて引っ込んどきんさい。鬼の手をようよう仕舞ぅときんさいよ。祈祷にゃあ仁王経を読みんさい。」と言ったので、その通りにした。六日が過ぎた黄昏時に、綱の宿所の門が叩かれた。「何にゃぁ?」と尋ねれば、「綱の乳母で、渡辺におったのがきたんでぇ~。」と答えた。綱は「わざわざ来てもろうたんじゃけども、七日の物忌みをしよって、今日は六日目なんじゃ。明日まではどがぁやっても会えんけぇ、宿を取りんさい。あさってになったら入れてあぎょうよ。」と言ったら、乳母はこれを聞いてさめざめと泣いて「そりゃぁどうしようもないことじゃ。へじゃけども、あんたが生まれた時からやしのうて育てた気持ちを何じゃぁ思うとんなら。夜もよぅ寝られんかった。濡れたところにわしが寝て、乾いたところにあんたを寝かせて、4~5歳になるまでは強い風にも当てんようにして、いつか大きゅうなって立派になったのを見たい思うて、昼夜ず~っと願いよったかいがあって、頼光さんとこん中じゃ、あんたに並ぶもんはおらん。嬉しゅうて会いたい思よったけども、このごろ悪い夢ばっかり見て心配になってここまで来たのに、門の内へも入れてくれん。親と思うてもらえん。情けないことよ。」そこで綱はしぶしぶ門を開いて中へ入れた。乳母は「七日の物忌みって、なんかあったんかいの?」と聞くので、綱は隠すことではないのでありのままに話した。乳母はこれを聞いて「鬼の手ってどんなんかいの?見たいのう。」と言った。綱は「みやすいことじゃけども、七日目をすぎにゃあだめよ。明日、日が暮れたら見せちゃるけえ。」と答えた。「はあはあ、ほんなら見んでもええわ。わしゃ帰る。」と恨めしそうに言われた綱は、封じてあった鬼の手を取り出して乳母の前に置いた。乳母は「あらいびせ。鬼の手ってこぎゃあなもんなんか。」と言うと、立ち上がって「こりゃあわしの手じゃけえ取るど!」と言いながら恐ろしい鬼に変わって、空へ飛び上がり光って消えた。綱は鬼に手を取り返されて、七日の物忌みを破ったが、仁王経の力で別に被害はなかった。この鬚切は鬼を切って以降、「鬼丸」と改名した。
これは芸北神楽「戻り橋」「羅生門」のあらすじによく似た内容である。ではここで、芸北神楽における「戻り橋」から「大江山」へとつながる物語を整理しておこう。一般的に「戻り橋」で綱が鬼の片腕を切り取り、「羅生門」で鬼がその腕を取り返す。そして「大江山」で鬼退治というわけなのだが、ファンの皆様もよくよくご存知のように、各神楽団でかなり違いがある。たとえば、安芸高田市高宮町の原田神楽団の「戻り橋」は、鬼が腕を取り返す「羅生門」のあらすじだったり、安芸太田町の堀神楽団の「羅生門」は、鬼の腕を切り取る「戻り橋」のあらすじであるなど、とてつもなくややこしい。まるで釣り糸が絡まってしまったようだ。ちなみに釣り糸同士が絡まってしまった状態のことを「オマツリ」という。へぇ。これこそトリビアである。
これだけややこしいので、今回の「戻り橋」は前編、次回の「羅生門」は後編ということにさせていただく。そして次回はもう一つの「羅生門の鬼」の話を紹介する。がしかし!先にネタばらしをしてしまおう。なんと、この「羅生門の鬼」の話は、「大江山」の酒呑童子を退治した後の物語なのであるっ!次回に続く!
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
神楽ファンにはなじみの深いセリフだと思うが、戻り橋と羅生門の実際の位置関係をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろうか?簡単に図で示したのでご覧いただきたい。実はこの二つ、軽く5キロは離れていた。つまり全然違う場所にあったのである。「すぐ近くにあるものだと思ってた・・・」という方も少なくないだろう。が、ここで一つ疑問が生じる。
「ではなぜ、さも近くにあるかのように続けて語られるのか?」
近くにあると思っていた方には自然と湧き上がる思いだろう。なぜか?それは戻り橋、羅生門それぞれに鬼が出たからである。つまり、セリフの「羅生門、戻り橋」の間には「AND」の意味が込められている、というわけだ。
というわけで、その「戻り橋」と「羅生門」にまつわる鬼の話を紹介しよう。まずは「平家物語 剣の巻」より、一条戻り橋に出た鬼の話である。
摂津守頼光のもとには、綱・公時・貞道・末武という四天王が仕えていた。中でも綱は抜きん出ていた。武蔵国の美田(みた)というところで生まれたので、美田源氏と言っていた。頼光が一条大宮に用事があったので、綱を使者に遣わした。夜も更けていたので鬚切(ひげきり)という刀を持たせ、馬に乗せて遣わした。目的地に到着して会合して帰り、一条堀川の戻橋を渡った時、橋の東側に二十歳くらいの女で、肌は雪のように白く、紅梅の着物を身に付け、経を持ち、従者も連れず、たった一人で南へ向う者がいた。綱は橋の西側から「ありゃあ、どけぇ行きんさるんかのう。わしゃあ五条の辺に行くんじゃが、もう暗うなっていびせえじゃろうが。送っちゃろう。」と馴れ馴れしく言うと急いで馬から飛び降り、「この馬に乗りんさい。」と言って、女を抱き上げて馬に乗らせて堀川の東側を南の方へ行っていたが、この女が後ろを向いて「ほんまは五条の辺にゃあ大して用事ゃあないんよ。あたしん家ゃあ都の外にあるんよ。そこまで送ってつかぁさいや。」と言った。綱が「おぉええで。どけぇでも送っちゃるで~。」と言うのを聞いた途端、恐ろしい鬼に姿を変え、「わしが行く所は愛宕山でぇ~!」と言いながら、綱の髪の毛を掴んで北西の方角へ飛び立った。綱は少しも騒がず例の鬚切をさっと抜き、鬼の手をふつっと切った。綱は北野天満宮の社の廊下の屋根の上にどうっと落ちた。鬼は手を切られながらも愛宕へと飛び去った。
さて綱は髪の毛に付いた鬼の手を取って見てみれば、女の雪のような顔に引き換え、真っ黒であった。白い毛が隙間なく生えてまるで銀の針を立てているようだった。これを持って帰ると、頼光はびっくり仰天して、「晴明を呼べぃ!」と播磨守安倍晴明を呼んで「どがんしょーかー?」と問えば、「綱は七日休みをもろうて引っ込んどきんさい。鬼の手をようよう仕舞ぅときんさいよ。祈祷にゃあ仁王経を読みんさい。」と言ったので、その通りにした。六日が過ぎた黄昏時に、綱の宿所の門が叩かれた。「何にゃぁ?」と尋ねれば、「綱の乳母で、渡辺におったのがきたんでぇ~。」と答えた。綱は「わざわざ来てもろうたんじゃけども、七日の物忌みをしよって、今日は六日目なんじゃ。明日まではどがぁやっても会えんけぇ、宿を取りんさい。あさってになったら入れてあぎょうよ。」と言ったら、乳母はこれを聞いてさめざめと泣いて「そりゃぁどうしようもないことじゃ。へじゃけども、あんたが生まれた時からやしのうて育てた気持ちを何じゃぁ思うとんなら。夜もよぅ寝られんかった。濡れたところにわしが寝て、乾いたところにあんたを寝かせて、4~5歳になるまでは強い風にも当てんようにして、いつか大きゅうなって立派になったのを見たい思うて、昼夜ず~っと願いよったかいがあって、頼光さんとこん中じゃ、あんたに並ぶもんはおらん。嬉しゅうて会いたい思よったけども、このごろ悪い夢ばっかり見て心配になってここまで来たのに、門の内へも入れてくれん。親と思うてもらえん。情けないことよ。」そこで綱はしぶしぶ門を開いて中へ入れた。乳母は「七日の物忌みって、なんかあったんかいの?」と聞くので、綱は隠すことではないのでありのままに話した。乳母はこれを聞いて「鬼の手ってどんなんかいの?見たいのう。」と言った。綱は「みやすいことじゃけども、七日目をすぎにゃあだめよ。明日、日が暮れたら見せちゃるけえ。」と答えた。「はあはあ、ほんなら見んでもええわ。わしゃ帰る。」と恨めしそうに言われた綱は、封じてあった鬼の手を取り出して乳母の前に置いた。乳母は「あらいびせ。鬼の手ってこぎゃあなもんなんか。」と言うと、立ち上がって「こりゃあわしの手じゃけえ取るど!」と言いながら恐ろしい鬼に変わって、空へ飛び上がり光って消えた。綱は鬼に手を取り返されて、七日の物忌みを破ったが、仁王経の力で別に被害はなかった。この鬚切は鬼を切って以降、「鬼丸」と改名した。
これは芸北神楽「戻り橋」「羅生門」のあらすじによく似た内容である。ではここで、芸北神楽における「戻り橋」から「大江山」へとつながる物語を整理しておこう。一般的に「戻り橋」で綱が鬼の片腕を切り取り、「羅生門」で鬼がその腕を取り返す。そして「大江山」で鬼退治というわけなのだが、ファンの皆様もよくよくご存知のように、各神楽団でかなり違いがある。たとえば、安芸高田市高宮町の原田神楽団の「戻り橋」は、鬼が腕を取り返す「羅生門」のあらすじだったり、安芸太田町の堀神楽団の「羅生門」は、鬼の腕を切り取る「戻り橋」のあらすじであるなど、とてつもなくややこしい。まるで釣り糸が絡まってしまったようだ。ちなみに釣り糸同士が絡まってしまった状態のことを「オマツリ」という。へぇ。これこそトリビアである。
これだけややこしいので、今回の「戻り橋」は前編、次回の「羅生門」は後編ということにさせていただく。そして次回はもう一つの「羅生門の鬼」の話を紹介する。がしかし!先にネタばらしをしてしまおう。なんと、この「羅生門の鬼」の話は、「大江山」の酒呑童子を退治した後の物語なのであるっ!次回に続く!
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
2006,08,14 Mon 00:00
新着コメント
リロッチさん、コメントありがとうございます!
あまり知らない方のために、とにかくわかりやすく、ということを心がけておりますので、そう言っていただけると本当に嬉しいです☆
わからないところ、難しいところなどありましたら、お気軽にコメントしてくださいね!
あまり知らない方のために、とにかくわかりやすく、ということを心がけておりますので、そう言っていただけると本当に嬉しいです☆
わからないところ、難しいところなどありましたら、お気軽にコメントしてくださいね!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/14 11:04 | BFfnvy1Y |
いつも楽しく読ませていただいております!
文字の色使いも良く、神楽を知らないものにとってもすごくわかりやすく、勉強になります☆絵もおもしろく、イイ感じです♪これからも大変だと思いますが、ファンのために頑張ってくださいね★★★
文字の色使いも良く、神楽を知らないものにとってもすごくわかりやすく、勉強になります☆絵もおもしろく、イイ感じです♪これからも大変だと思いますが、ファンのために頑張ってくださいね★★★
| リロッチ | EMAIL | URL | 06/08/14 11:01 | Q8k/.EqM |
お盆休みで帰省した人に、故郷の郷土芸能「神楽」を楽しんでもらおう。そんな思いで、北広島町の今田神楽団が主催する神楽発表会が、八重地区総合センターで行われました。
はじめは今田神楽団「神降し」。こういった儀式舞には興味のない方もいらっしゃると思いますが、自分にとってはやはり、神楽の基本ですのでいつもしっかり見るようにしています。拝み始める場所、方向、回数など、注目すべきところはたくさんあります。ちょっと難しい話ですが、こういう事を知っておくとより神楽を楽しむ事ができるように思います。
次は筏津神楽団「黒塚」。悪狐が女に変化するところでは、一瞬にして面が変わったので、客席から大きなどよめきが上がりました。
三浦介と上総介の両将がそれぞれ面をつけて登場したのも、筏津さんらしいところではないかと感じました。あとは悪狐のガッソも印象的なものでした。
今田神楽団「日本武尊」。登場するみなさんがとてもいい声をされており、口上がとてもよかったと思います。大太鼓の方もいい声でしたので、神楽歌がいい響きでしたね。立ち合いの前に川上梟帥が口上を言うところは、「怒り」を非常によく表現されていてよかったと思いました。
山王神楽団の「羅生門」。酒呑童子が老婆に変化する場面では、ドライアイスをうまく使われていたので、いかにも妖術で変わったように見えました。また、白砂に化ける場面、茨木童子に腕をつける場面などなど、とにかく見せ場がいっぱいで、息つく暇もないような面白さの連続でした。
安芸高田市美土里町、塩瀬神楽団の「鈴鹿山」。今田神楽団は、5年前に塩瀬神楽団と交流を始められ、舞を習ったりされたのだそうです。ということで今田さんの神楽で口上がよいと感じたので、その辺に注目しましたが、さすがに先輩神楽団だけあってみなさんいい~声でした。特に夜叉丸の方が、悪の時の声と、改心した時の声の微妙な違いをうまく表現されていたので、「おぉ~すごい~!」と思いました。
最後は中川戸神楽団の「土蜘蛛」。自分にとっては約2年ぶりに見たんですが、前とはかなりメンバーチェンジされており、さらに中身も変わっていて、とても興味深く見させていただきました。特に「蜘蛛切丸」の威徳を強調するような印象を強く受けました。立ち合いのところで、意外な展開になった場面は、いかにも中川戸さんらしい演出だと感じました。
うわさに聞いていたとおり、かなり会場は暑かったです。でも、うちわを貸してくださった親切な方がいらして、とても助かりました。ありがとうございました。来年はしっかり、暑さ対策を自分でしようと思います!
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
2006,08,13 Sun 19:21
新着コメント