「ひろしま夏の芸術祭 メインコンサート」の最後を飾ったのは、琴庄神楽団「厳島」。この演目は、厳島神社の起源や歴史を基に、平清盛とその妻、時子(二位の尼)を中心にした物語です。いつも見慣れた演目と違って、創作神楽となると物語を理解するためにはセリフが重要なポイントになってくると思います。この「厳島」はそのセリフが多く、中にはとても長いものもあるため、まずは聞き取ることに集中された方もおられたことでしょう。しかし当日のパンフレットには、なんとこの「厳島」の台本が掲載されていました。ファンのみなさんにとって神楽の台本を見るというのは滅多にない機会だと思いますが、これによってこの演目をより深く楽しむことができたのではないでしょうか。それではご紹介していきたいと思います。
「波の下にも都は候ぞ…」 …二位の尼の悲痛な声が響きます。ドドン、ドドドドドド…。瀬戸内海の激しい波を思わせる太鼓が続き、舞台はドライアイスと青い照明で海が再現されました。その海に浮かぶかのように二位の尼が登場し、ゆっくりと語り始めます。壇ノ浦の決戦で源氏に破れた平家一族。二位の尼は幼き安徳天皇を抱いて波の下に都を求め、海に沈んだと伝えられています。そしてその亡骸は厳島へと流れ着き、その場所には二位殿灯篭という石碑が建てられています。時に寂しげに、時には怒りを表しながら、ゆっくりと噛み締めるように語っていく二位の尼。その感情に同調するように笛の音が鳴り響き、物語序盤の重要な場面を見事に表現されていたように思います。
壇ノ浦の決戦から遡ること約六百年。市杵島姫(いちきしまひめ)、湍津姫(たぎつひめ)、田心姫(たごりひめ)ら三人の女神が瀬戸内海を訪れます。須佐之男命を父として生まれたこの三女神(さんじょしん)は、自分たちが鎮まる地を求めていたのです。そして佐伯鞍職(さえきくらもと)という人物が登場し、三女神を厳島へと案内します。この佐伯鞍職は厳島に住んだ豪族で、593年に厳島神社を創建して初代神主になったと伝えられています。こうして鞍職が先導して三女神との四人舞が始まりました。舞台を静かに回り、あるいは縦横に交差したりと、奏楽も含めて儀式舞のような印象を受けました。そして所々で「あれに見えしは…」と名所を案内します。日本三景の一つに数えられる絶景に感動した三女神は、遂にこの地に鎮まるのでした。決して派手ではありませんが、非常に興味深い場面でした。
再び舞台は平安時代。平清盛と妻時子(二位の尼)、清盛の四男知盛(とももり)が登場します。「平家にあらずんば人にあらず」と言われた平家一族の全盛期を築いた平清盛は、先ほどの三女神ら厳島大神を崇め、厚く信仰します。厳島神社を参拝した清盛一族に対し、厳島大神は清盛の願いを聞き入れ、加護すると告げます。そしてここで前半の大きな見せ場が。大神の加護を受けた清盛は、沈みかけた太陽を扇の舞で再び呼び戻すと宣言。両手に持った扇を勢いよく開くと、天を見据えて力強く、そして躍動感溢れる舞で必死に太陽を仰ぎます。両手をいっぱいに広げながら、渾身の力を込めたその舞に、思わずイスから腰が浮き上がってしまった方もおられたのではないでしょうか。実にエネルギッシュなその姿は、岩戸から天照大神を呼び出す際の手力男命が重なって見えました。ただ一つだけ個人的に言わせていただければ、せっかくの舞手さんの熱演ですから、照明などの舞台装置で、太陽が再び戻ってくるような演出があればより盛り上がったのでは…と思いました。
続いて花道から静かに登場したのは陰陽師である安倍泰親(あべのやすちか)。原因不明の病に倒れた清盛を救うため、京の六波羅(ろくはら)にある屋敷へと向かいます。これまでは穏やかな物語が続いていましたが、ここから一気に恐ろしい展開に。清盛を苦しめているのは、清盛が今まで負かしてきた政敵たちの怨霊だったのです。舞台のあちこちから立ち昇るスモークに、うなされながら刀で切り付けようとする清盛。泰親は陰陽の術で怨霊の姿を暴きます。照明が落とされ、低く不気味な声が会場に響き渡りました。「清盛ぃ~…」 三人の怨霊が清盛を地獄に引きずり込もうと近寄ってきます。何と言う恐ろしさでしょうか。ヒュ~ドロドロ…と聞こえるような奏楽も効果抜群。泰親は知盛の加勢を受けて怨霊に立ち向かいます。ここは広島神楽の合戦の見せ場、大いに盛り上がりました。しかし積もる恨みを晴らそうとする怨霊たちは、しぶとく清盛に襲い掛かります。最後に泰親は陰陽術でようやく怨霊たちを追い払います。舞台に残されたのは、もはや息も絶え絶えの清盛。しかし最期の言葉は、自分が厚く信仰した厳島大神に向けたものでした。「御身(おんみ)らの加護ありて、我が志(こころざし)、永久(とこしえ)に語り継がれるべし。」と遺し、ついにその生涯を終えた清盛。後半の大きな見せ場が終わりました。
その直後、勇ましい奏楽と共に再び幕が開きます。清盛の死から4年、壇ノ浦。二位の尼が登場し、平家一族の命運もこれまでと悟り、自ら海へと身を投げます。ドドドドド…。冒頭の場面を思わせる雰囲気で、波に飲まれるような舞、そしてゆっくりと倒れ込む二位の尼。切なげに鳴り渡る笛が始まり、幕が開くとそこには、厳島の大鳥居をバックにたたずむ清盛の姿が。ゆっくりと立ち上がった二位の尼は、清盛の元へと向かい、静かに幕が閉じました。
三女神の一人、市杵島姫は「神霊を斎祭る(いつきまつる)島」という意味を持っていることから、「いつきまつる」…「いつくしま」と呼ばれるようになったと伝えられています。また「厳島」のクライマックスにおいて、平時子は「慈(いつく)しみ 夫婦互いに思い馳せ 想い重ねる 朱(あけ)の鳥居よ」と歌い、夫、清盛の元に身を寄せます。普段はおそらくほとんどの方が「宮島」と呼ばれていることと思いますが、「厳島」の背景にはこんな物語があったんですね。「平家物語」など歴史の影響か、いいイメージで語られることの少ない平清盛ですが、海外との貿易に力を入れ、国の繁栄を図ったという一面も忘れてはなりません。何より広島に住む私達にとって、世界遺産にまでなった厳島神社を崇め、今日まで残した功績はもっと多くの方に知ってもらいたい事だと思います。逆に言えば、広島に住んでいるからこそ、身近な観光地としての「宮島」なのかもしれませんが、この神楽をきっかけに、「厳島に行ってみようかな」など、より興味を深めていただくことが、この演目に携わった方々に向けた最高の賛辞になるのではないでしょうか。そして今回の「厳島」の上演が最後ではなく、あくまで始まりであり、今後広島神楽を代表する演目となるよう、私達ファンも応援していければと思います。
「波の下にも都は候ぞ…」 …二位の尼の悲痛な声が響きます。ドドン、ドドドドドド…。瀬戸内海の激しい波を思わせる太鼓が続き、舞台はドライアイスと青い照明で海が再現されました。その海に浮かぶかのように二位の尼が登場し、ゆっくりと語り始めます。壇ノ浦の決戦で源氏に破れた平家一族。二位の尼は幼き安徳天皇を抱いて波の下に都を求め、海に沈んだと伝えられています。そしてその亡骸は厳島へと流れ着き、その場所には二位殿灯篭という石碑が建てられています。時に寂しげに、時には怒りを表しながら、ゆっくりと噛み締めるように語っていく二位の尼。その感情に同調するように笛の音が鳴り響き、物語序盤の重要な場面を見事に表現されていたように思います。
壇ノ浦の決戦から遡ること約六百年。市杵島姫(いちきしまひめ)、湍津姫(たぎつひめ)、田心姫(たごりひめ)ら三人の女神が瀬戸内海を訪れます。須佐之男命を父として生まれたこの三女神(さんじょしん)は、自分たちが鎮まる地を求めていたのです。そして佐伯鞍職(さえきくらもと)という人物が登場し、三女神を厳島へと案内します。この佐伯鞍職は厳島に住んだ豪族で、593年に厳島神社を創建して初代神主になったと伝えられています。こうして鞍職が先導して三女神との四人舞が始まりました。舞台を静かに回り、あるいは縦横に交差したりと、奏楽も含めて儀式舞のような印象を受けました。そして所々で「あれに見えしは…」と名所を案内します。日本三景の一つに数えられる絶景に感動した三女神は、遂にこの地に鎮まるのでした。決して派手ではありませんが、非常に興味深い場面でした。
再び舞台は平安時代。平清盛と妻時子(二位の尼)、清盛の四男知盛(とももり)が登場します。「平家にあらずんば人にあらず」と言われた平家一族の全盛期を築いた平清盛は、先ほどの三女神ら厳島大神を崇め、厚く信仰します。厳島神社を参拝した清盛一族に対し、厳島大神は清盛の願いを聞き入れ、加護すると告げます。そしてここで前半の大きな見せ場が。大神の加護を受けた清盛は、沈みかけた太陽を扇の舞で再び呼び戻すと宣言。両手に持った扇を勢いよく開くと、天を見据えて力強く、そして躍動感溢れる舞で必死に太陽を仰ぎます。両手をいっぱいに広げながら、渾身の力を込めたその舞に、思わずイスから腰が浮き上がってしまった方もおられたのではないでしょうか。実にエネルギッシュなその姿は、岩戸から天照大神を呼び出す際の手力男命が重なって見えました。ただ一つだけ個人的に言わせていただければ、せっかくの舞手さんの熱演ですから、照明などの舞台装置で、太陽が再び戻ってくるような演出があればより盛り上がったのでは…と思いました。
続いて花道から静かに登場したのは陰陽師である安倍泰親(あべのやすちか)。原因不明の病に倒れた清盛を救うため、京の六波羅(ろくはら)にある屋敷へと向かいます。これまでは穏やかな物語が続いていましたが、ここから一気に恐ろしい展開に。清盛を苦しめているのは、清盛が今まで負かしてきた政敵たちの怨霊だったのです。舞台のあちこちから立ち昇るスモークに、うなされながら刀で切り付けようとする清盛。泰親は陰陽の術で怨霊の姿を暴きます。照明が落とされ、低く不気味な声が会場に響き渡りました。「清盛ぃ~…」 三人の怨霊が清盛を地獄に引きずり込もうと近寄ってきます。何と言う恐ろしさでしょうか。ヒュ~ドロドロ…と聞こえるような奏楽も効果抜群。泰親は知盛の加勢を受けて怨霊に立ち向かいます。ここは広島神楽の合戦の見せ場、大いに盛り上がりました。しかし積もる恨みを晴らそうとする怨霊たちは、しぶとく清盛に襲い掛かります。最後に泰親は陰陽術でようやく怨霊たちを追い払います。舞台に残されたのは、もはや息も絶え絶えの清盛。しかし最期の言葉は、自分が厚く信仰した厳島大神に向けたものでした。「御身(おんみ)らの加護ありて、我が志(こころざし)、永久(とこしえ)に語り継がれるべし。」と遺し、ついにその生涯を終えた清盛。後半の大きな見せ場が終わりました。
その直後、勇ましい奏楽と共に再び幕が開きます。清盛の死から4年、壇ノ浦。二位の尼が登場し、平家一族の命運もこれまでと悟り、自ら海へと身を投げます。ドドドドド…。冒頭の場面を思わせる雰囲気で、波に飲まれるような舞、そしてゆっくりと倒れ込む二位の尼。切なげに鳴り渡る笛が始まり、幕が開くとそこには、厳島の大鳥居をバックにたたずむ清盛の姿が。ゆっくりと立ち上がった二位の尼は、清盛の元へと向かい、静かに幕が閉じました。
三女神の一人、市杵島姫は「神霊を斎祭る(いつきまつる)島」という意味を持っていることから、「いつきまつる」…「いつくしま」と呼ばれるようになったと伝えられています。また「厳島」のクライマックスにおいて、平時子は「慈(いつく)しみ 夫婦互いに思い馳せ 想い重ねる 朱(あけ)の鳥居よ」と歌い、夫、清盛の元に身を寄せます。普段はおそらくほとんどの方が「宮島」と呼ばれていることと思いますが、「厳島」の背景にはこんな物語があったんですね。「平家物語」など歴史の影響か、いいイメージで語られることの少ない平清盛ですが、海外との貿易に力を入れ、国の繁栄を図ったという一面も忘れてはなりません。何より広島に住む私達にとって、世界遺産にまでなった厳島神社を崇め、今日まで残した功績はもっと多くの方に知ってもらいたい事だと思います。逆に言えば、広島に住んでいるからこそ、身近な観光地としての「宮島」なのかもしれませんが、この神楽をきっかけに、「厳島に行ってみようかな」など、より興味を深めていただくことが、この演目に携わった方々に向けた最高の賛辞になるのではないでしょうか。そして今回の「厳島」の上演が最後ではなく、あくまで始まりであり、今後広島神楽を代表する演目となるよう、私達ファンも応援していければと思います。
2010,09,07 Tue 23:50
新着コメント
がんばれ
| ゆうき | EMAIL | URL | 10/10/09 16:54 | fS7eTqwo |
佐伯鞍職は、厳島に住んで無いですね。現在の大竹市辺りに住んだとされる豪族で、厳島に人が居住するのは、ず~っと後代になってからであると言われております。
| 脚本家 | EMAIL | URL | 10/09/09 14:31 | U4EPaMDU |