いよいよシリーズ最終章、まとめの章である。が、まとめの章ということになれば、難しい話ばかりになりそうなので、やっぱりまとめない。まとめないかわりに、晩年の頼光についての物語が「今昔物語集」に収められているので紹介する。
今は昔、東宮(後の三条天皇)がお出かけになった時に、東三条殿という大きな屋敷の軒下に、狐が寝ているのを見つけた。そこで東宮は、お供をしていた源頼光に「ぉい頼光、あっけぇ狐がおろうが。あれに矢を討ってみぃの。」と命令した。すると頼光は「そぎゃんこたぁちぃと無理じゃ思うんですが。他の人なら外してもせやなぁが、わしが外したとなりゃ、大事ですけぇ。」と辞退した。しかし東宮に「まぁえぇけぇ、マジでやれぇやぁ!」と言われ、頼光は辞退できなくなり、弓をとって矢をつがえながらも「この弓がもちぃと強けりゃえぇんじゃが、こんぎゃぁに離れた的には、この矢は重たぁでぇ~。矢が途中で落ちてしもうたら、外すより耐えがたぁけぇやれんよぉ!どがしょうかいねぇ~。」などとブツブツ言いながら、矢を放った。すると、見事狐の胸に命中し、狐はそばの池に落ちて死んでしまった。東宮をはじめ、そばにいた人たちは「すげぇ!」などと頼光を褒め称えた。東宮は褒美として頼光に馬を与えようとした。しかし頼光は「ありゃぁ、わしが討った矢じゃぁなぁんよ。いっつも拝みよる石清水八幡さんが、助けてくれちゃったんですよ。」と言って引き下がった。それ以降も頼光は、家族や知人などに「ありゃぁ神様仏様のおかげなんで。」と常に語っていたので、世間は頼光を褒め称えたという。
ここに登場する東宮は、今で言えば皇太子のような存在で、藤原道長と親しくしていたとはいえ、武家の出身である頼光がそのお供をしていたという事であるから、どれほど頼光がまわりから大物と見られていたか、想像できるような物語である。さらに鬼退治などではないにせよ、頼光の武勇と八幡崇拝がテーマとして書かれている。
冒頭で「まとめない。」と爆弾発言したが、まとめないと終わりそうにないので、やっぱりまとめる。なんじゃそりゃ。とにかく、「英雄化された頼光」についての謎を解くには、次の三つの大きなポイントがあげられる。
まず一つ目。平安後期に賊征伐の事件が多発したこと。実はあの大江山にも、なんらかの反中央勢力がはびこり、それを朝廷の命を受けた軍が制圧したという記録が残されているのだ。つまり、鬼退治ではないにしろ、大江山へ賊を征伐するために武将たちが攻め上ったのは事実なのである。「葛城山」の章でも述べたように、こういった事件が「酒呑童子」のベースになった、という説もある。
そして二つ目。鬼退治の伝説を作る必要があったということ。いつの世でもそうだが、権力者にとっては下の者が逆らうことほどやっかいなことはない。上記にあげたように、賊退治の多発が政治不信につながり、民の朝廷への不満が高まる一方となる。そういった不信感を、鬼退治などの伝説を広めてごまかした、という仮説である。現代でさえ、お偉いさん連中は権力と大金を操り、自分の不正や不祥事を隠そうとするのである。ケータイやテレビがなかった時代、鬼や神様仏様が信じられていた時代。鬼退治という物語は、誰でも興味を持つ、恰好(かっこう)の題材ではなかろうか。
そして最大のポイントは、英雄として最もふさわしい人物が源頼光であった、ということ。頼光は藤原道長に仕えていたという大きなアドバンテージがある。たとえ頼光の名は知らなくても、「あの道長様に仕えとったんじゃと。」と聞けば「はぁ、そりゃよっぽど強い人だったんじゃろぅて。」と思われていたということは、想像に難くない。また、鬼退治の物語が作られ始めた(仮説)平安後期から、「御伽草子」によって酒呑童子の話が定着した室町時代という時代背景を考えてみると、要するに貴族から武士へと変わっていった時代だった。清和天皇の血筋で、「源」氏を名乗る頼光はまさに時代にピッタリの主役だったのである。もし、源氏が平氏に敗れていたら、「源頼光」という名は今日まで残っていなかったかもしれない。ヘタすりゃ、「酒呑童子」の物語の主役は藤原保昌とかになってたりして・・・!伝説は、ちょっとしたことですぐにその形を変えてしまうものである。「源頼光」が主役であり続け、世に定着することができたのは、こういった時代背景に支えられた面が大きいのではないだろうか。
こうして、英雄になるべくして、頼光は伝説の英雄になった。藤原道長に仕え、必死に源氏の地位を高めようとした源頼光。確かにその後、源氏は繁栄し、幕府を開いたりするなどの活躍もあった。がしかし「源頼光」という名が、それから1000年近くたった現在、神楽という芸能の中で大ブレイクしてしているということは、予想だにしなかったことであろう。この現状を見て、きっと頼光殿も苦笑いしているに違いない。というわけで、十章にわたってお送りしたシリーズ「源頼光」、これにて完結。長い間ご愛読してくださった皆さんに、心から感謝したい。ではまたの機会に。
(塩瀬神楽団の写真提供:すな様)
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続き▽
今は昔、東宮(後の三条天皇)がお出かけになった時に、東三条殿という大きな屋敷の軒下に、狐が寝ているのを見つけた。そこで東宮は、お供をしていた源頼光に「ぉい頼光、あっけぇ狐がおろうが。あれに矢を討ってみぃの。」と命令した。すると頼光は「そぎゃんこたぁちぃと無理じゃ思うんですが。他の人なら外してもせやなぁが、わしが外したとなりゃ、大事ですけぇ。」と辞退した。しかし東宮に「まぁえぇけぇ、マジでやれぇやぁ!」と言われ、頼光は辞退できなくなり、弓をとって矢をつがえながらも「この弓がもちぃと強けりゃえぇんじゃが、こんぎゃぁに離れた的には、この矢は重たぁでぇ~。矢が途中で落ちてしもうたら、外すより耐えがたぁけぇやれんよぉ!どがしょうかいねぇ~。」などとブツブツ言いながら、矢を放った。すると、見事狐の胸に命中し、狐はそばの池に落ちて死んでしまった。東宮をはじめ、そばにいた人たちは「すげぇ!」などと頼光を褒め称えた。東宮は褒美として頼光に馬を与えようとした。しかし頼光は「ありゃぁ、わしが討った矢じゃぁなぁんよ。いっつも拝みよる石清水八幡さんが、助けてくれちゃったんですよ。」と言って引き下がった。それ以降も頼光は、家族や知人などに「ありゃぁ神様仏様のおかげなんで。」と常に語っていたので、世間は頼光を褒め称えたという。
ここに登場する東宮は、今で言えば皇太子のような存在で、藤原道長と親しくしていたとはいえ、武家の出身である頼光がそのお供をしていたという事であるから、どれほど頼光がまわりから大物と見られていたか、想像できるような物語である。さらに鬼退治などではないにせよ、頼光の武勇と八幡崇拝がテーマとして書かれている。
冒頭で「まとめない。」と爆弾発言したが、まとめないと終わりそうにないので、やっぱりまとめる。なんじゃそりゃ。とにかく、「英雄化された頼光」についての謎を解くには、次の三つの大きなポイントがあげられる。
まず一つ目。平安後期に賊征伐の事件が多発したこと。実はあの大江山にも、なんらかの反中央勢力がはびこり、それを朝廷の命を受けた軍が制圧したという記録が残されているのだ。つまり、鬼退治ではないにしろ、大江山へ賊を征伐するために武将たちが攻め上ったのは事実なのである。「葛城山」の章でも述べたように、こういった事件が「酒呑童子」のベースになった、という説もある。
そして二つ目。鬼退治の伝説を作る必要があったということ。いつの世でもそうだが、権力者にとっては下の者が逆らうことほどやっかいなことはない。上記にあげたように、賊退治の多発が政治不信につながり、民の朝廷への不満が高まる一方となる。そういった不信感を、鬼退治などの伝説を広めてごまかした、という仮説である。現代でさえ、お偉いさん連中は権力と大金を操り、自分の不正や不祥事を隠そうとするのである。ケータイやテレビがなかった時代、鬼や神様仏様が信じられていた時代。鬼退治という物語は、誰でも興味を持つ、恰好(かっこう)の題材ではなかろうか。
そして最大のポイントは、英雄として最もふさわしい人物が源頼光であった、ということ。頼光は藤原道長に仕えていたという大きなアドバンテージがある。たとえ頼光の名は知らなくても、「あの道長様に仕えとったんじゃと。」と聞けば「はぁ、そりゃよっぽど強い人だったんじゃろぅて。」と思われていたということは、想像に難くない。また、鬼退治の物語が作られ始めた(仮説)平安後期から、「御伽草子」によって酒呑童子の話が定着した室町時代という時代背景を考えてみると、要するに貴族から武士へと変わっていった時代だった。清和天皇の血筋で、「源」氏を名乗る頼光はまさに時代にピッタリの主役だったのである。もし、源氏が平氏に敗れていたら、「源頼光」という名は今日まで残っていなかったかもしれない。ヘタすりゃ、「酒呑童子」の物語の主役は藤原保昌とかになってたりして・・・!伝説は、ちょっとしたことですぐにその形を変えてしまうものである。「源頼光」が主役であり続け、世に定着することができたのは、こういった時代背景に支えられた面が大きいのではないだろうか。
こうして、英雄になるべくして、頼光は伝説の英雄になった。藤原道長に仕え、必死に源氏の地位を高めようとした源頼光。確かにその後、源氏は繁栄し、幕府を開いたりするなどの活躍もあった。がしかし「源頼光」という名が、それから1000年近くたった現在、神楽という芸能の中で大ブレイクしてしているということは、予想だにしなかったことであろう。この現状を見て、きっと頼光殿も苦笑いしているに違いない。というわけで、十章にわたってお送りしたシリーズ「源頼光」、これにて完結。長い間ご愛読してくださった皆さんに、心から感謝したい。ではまたの機会に。
(塩瀬神楽団の写真提供:すな様)
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2006,08,31 Thu 00:00
新着コメント
みなとさん、コメントありがとうございます。
大変懐かしい記事で…(笑)
広島の芸北地域の神楽は、時代に沿って進化していますので、初めての方にも興味を持っていただけると思います。
機会がありましたら、ぜひご覧ください!
大変懐かしい記事で…(笑)
広島の芸北地域の神楽は、時代に沿って進化していますので、初めての方にも興味を持っていただけると思います。
機会がありましたら、ぜひご覧ください!
| 特派員 | EMAIL | URL | 08/08/14 22:38 | BFfnvy1Y |
古い記事にコメント失礼します。
源頼光や酒呑童子で検索して来ました。
シリーズとても興味深く楽しく読ませてもらいましたo(^-^)o
神楽って見たことがないのですが、是非見てみたいなぁと思いました!
源頼光や酒呑童子で検索して来ました。
シリーズとても興味深く楽しく読ませてもらいましたo(^-^)o
神楽って見たことがないのですが、是非見てみたいなぁと思いました!
| みなと | EMAIL | URL | 08/08/14 22:01 | iV95cbPg |
リロっちさん、コメントありがとうございます。
いやぁ~何気に大変でした!(笑)
ブログ書くのにこんなにテマヒマかけていいのかなと。
しかもお褒めのコメントまで頂いて、ただただ感謝ばかりです。
第二弾、実現するかわかりませんが、頑張りたいと思います☆
またコメントお願いします!
いやぁ~何気に大変でした!(笑)
ブログ書くのにこんなにテマヒマかけていいのかなと。
しかもお褒めのコメントまで頂いて、ただただ感謝ばかりです。
第二弾、実現するかわかりませんが、頑張りたいと思います☆
またコメントお願いします!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/31 23:15 | BFfnvy1Y |
長い間、お疲れ様でした!!
記事を書くのはとても大変だったと思います。
神楽にあまり詳しくない私には、少し難しいと思う部分もありましたが、広島弁でとても分かりやすく楽しくお勉強させていただきました。
絵もとても気に入りました☆
また、次のコラムを楽しみにしています(^▼^)
記事を書くのはとても大変だったと思います。
神楽にあまり詳しくない私には、少し難しいと思う部分もありましたが、広島弁でとても分かりやすく楽しくお勉強させていただきました。
絵もとても気に入りました☆
また、次のコラムを楽しみにしています(^▼^)
| リロっち | EMAIL | URL | 06/08/31 23:05 | Q8k/.EqM |
源頼光をはじめとする六人は、花園中納言の姫の教えどおり、川を上っていくと、大きな鉄の門にたどり着いた。鬼の門番たちが六人を見て「おぉ!?こりゃ珍しい。最近は人を食うとらんけぇ食いたいのぅ思よったところじゃ。飛んで火に入る夏の虫たぁこのことじゃの。よし、食お。」と頼光たちに飛び掛ってきた。が、その中の一匹の鬼が「こりゃ、あわてんさんな。こがぁに珍しいご馳走を、わしらぁだけで食うたらいけまぁ。先に大将に言わんにゃぁ。」と言った。鬼たちはそれはもっともだと、奥へ入って酒呑童子へこの事を伝えた。すると童子は「そりゃ珍しいわ。誰が来たんかいのうや。奥へ通しんさい。」と言うので、頼光たちは縁の上に通された。
しばらくすると生臭い風が吹き、雷鳴稲妻がとどろき、人間の姿をした酒呑童子が現れた。童子は「こかぁごうぎな山なんで。あんたら人間じゃろうが。天をかけってきたんかいの。聞いちゃるけぇ語りんさい。」と言った。頼光は「わしらは山伏の修行をしよるんじゃが、道に迷うてからここまで来てしもうたんよ。これも何かの縁じゃけぇ、今晩泊めてつかぁさいや。わしら酒を持ってきとるけぇご馳走しますで。」と答えた。童子はこれを聞いて頼光たちを部屋の中まで招きいれ、「へじゃぁまず、うちかたの酒を飲んでみんさいや。」と言い、手下の鬼に酒を持ってこさせた。見ると、たった今搾ったとみられる人間の生き血であり、童子はそれを頼光に差し出した。頼光は盃(さかずき)を受け取ると、何でもないようにさらりと飲み干した。続いて綱もさらりと飲み干した。童子は「酒のつまみがありゃせんか?」と言い、手下の鬼が持ってきたものは、これも今切ったとみられる人間の腕と足であり、それがまな板の上に乗っていた。頼光はこれを見て、腰につけていた小刀をするりと抜き、肉を一口大に切り取ってうまそうに食べた。これを見た綱も「まぁつまみまでもろうて、ありがたいことじゃのう。いただきます。」と同じく切り取ってうまそうに食べた。童子はこれを見て「あんたらぁは同じ人間の肉を食うんかいの。いなげなやっちゃのぅ。」と怪しんだので、すかさず頼光は「そがぁに思うてのは、よぅわかりますで。わしらぁ山伏の教えは、人様からいただいたものは、嫌と言わずにありがたくいただくいうもんじゃけぇ。へじゃけぇ何ゅぅもろうてもうれしゅぅ思いますてぇね。」と言って童子に礼をした。すると童子はあわてて頼光に礼を返し、「ありゃぁ、ホンマは食いとぅないもんを、食べんさい言うて出したんは、ホンマにわりかったのぅや。」と反省した。その時、頼光は例の酒を取り出し、「こりゃぁ都から持ってきた酒なんじゃが、童子さんにも差し上げますわぁ。」と、まずは自分で毒見をし、童子にすすめた。童子は盃を受け取り、さらりと飲み干した。その味は甘露(かんろ)のようで、言葉では例えようもないものだった。童子は上機嫌になり「うちかたのべっぴんさんにも飲ませてあぎょうてぇ。」と池田中納言と花園中納言の娘を呼び出した。
そして童子はあまりの嬉しさに、自分の身の上話を始めた。
「わしゃぁの、越後の生まれで山寺育ちなんよ。じゃが坊さんとケンカしての、いっぴゃぁ坊さんを殺したんじゃ。へぇで比叡(ひえい)の山ぁ行って、こけぇ住もう思うたら、伝教(でんきょう)いう坊さんが来てわしを追い出しやがった。やれんけぇこの山へ来たんじゃが、こんだぁ弘法大師いうパ~プ~に追い出された。へじゃけいっぺん高野山に行ったんじゃが、今はもう邪魔なんがおらんけぇ、こけぇ住み着いてからにぜいたくしよるんよ。都からべっぴんさんをさろぅたりのぅ、こげなごうぎな御殿を建てたりのぅ、ホンマ他にこがぁなぜいたくしよるやつぁおらんで。ただのぅ、一つやれんのは、都で有名な頼光いうぶちわりぃやつがおるんじゃわ。こいつは日本一つぇえんじゃ。ほいから頼光の部下に、定光・末武・公時・綱・保昌いうんがおって、こいつらもつぇえんじゃ。この六人だきゃぁの、ホンマ油断ならんで。どがぁなか言うたらの、こなぁだの春ん時に、わしの部下の茨木童子いうんを、都へ行ってこさぁた時に、あの綱と出おぅたんじゃわ。茨木童子が女に化けてからに、よ~にだまして、ひっつかまえたところを、綱のやつが片腕を切り落としやがった。ほじゃけわしゃ~よぅよぅ考えてから、腕を取り返して、今はもうせやなぃんで。あいつらがむかつくけぇ、わしゃ最近都へよぅ行かんのんよ。」
そう語ると、酒呑童子は頼光をじぃ~っとにらんで、「あんたらぁはいなげなのぅ。よう見りゃ、あんたは頼光じゃないかぁ!?その隣ゃぁ、茨木童子の腕を切りやがった綱じゃろうて。残る四人は定光・末武・公時・保昌じゃろうが、げにあがぁで。おい、手下の野郎ども、油断すなよ!しばいちゃろうでぇ~!」と叫び、立ち上がった。頼光はこれを見て、ここで見抜かれては大変と思い、少しも慌てず騒がず、からからと笑い飛ばした。「まぁ~、うれしぃ事を言いんさるのぅ。日本一つぇえやつに、山伏が似とりんさるか。その頼光いうぶにも、末武とかいうぶんも、いま初めて聞いたぁや。げに、そがんわりぃやつなら、はよぅわしらを食うちゃんさい。わしらぁは今童子さんに酒をもろうたりして情けをかけてもろうた。一つも命が惜しいとは思わんけ、どうぞどうぞ。」と顔色一つ変えずに言ってのけると、童子はすぐさま気を取り直し、「まぁそげなことを言うてか。よう考えたら、あいつらぁがここまではよぅ来んじゃろぅの。酒に酔うてしもうたけぇ、ついつい・・・。いやぁ、ホンマに酔うたわ。赤ぅなっとるんは酒のせぃじゃけ、鬼じゃなぁんで。」と言ってすっかり気を許した。そして周りの鬼たちにも酒を飲ませ、ついに鬼たちはみな酔いつぶれてしまった。童子は「おし、寝ようてぇ。山伏さん、また明日。」と寝床へ入って行った。
頼光はこれを見て、残された姫に近づき「わしらは鬼退治してあんたらを都に帰すために来たんじゃ。酒呑童子の寝床を教えてつかぁさい。」と言うと、姫は「まぁ~嬉しいのう!へじゃ案内しますけぇ、したくしんさい。」と答えた。六人は笈に入れてきた鎧兜などを素早く身に付け、討ち入りの準備を整えた。そして姫のあとに続き、童子の寝床へと急いだ。しかし童子の寝床は、巨大な鉄の扉で閉ざされており、とても入ることはできない。すきまから中をのぞくと、先ほどとはうってかわり、恐ろしい鬼の姿となった酒呑童子が寝ていた。身長は7mくらい、髪は赤く逆立ち、角が生え、手足は熊のようで、その姿は身の毛もよだつほどだった。そこへ、三社の神が現れ、六人に「よぅここまで来ちゃんさったのぅ。鬼の手足はわしらが鎖で縛っちゃったけ、よう動かんで。頼光は首を切りんさい。他のもんは胴体を切りまくりんさい。いたしゅぅないで。」と言って、鉄の扉を開いて消え失せた。頼光たちは神の加護に感謝しつつ、童子の寝床へと忍び込んだ。そして頼光は頭のほうに行き、刀をするりと抜いて「なまんだぶぅ三社の神さん、力を貸しちゃんさぃ~。」と三度礼をして、童子の首を一気に切り落とした。酒呑童子は目を覚まし、「何ゅぅするんなら~!ウソじゃぁなぁよったくせに、あんたらひきょうじゃのぉ!」と起き上がろうとしたが、手足は鎖で柱に繋がれているので、起きることができない。童子は怒り狂って大声で叫べば、その凄まじさは雷電稲妻、天地を揺るがすほどだった。他の五人は胴体を切り刻めば、首は高く舞い上がり、頼光めがけてただ一咬みと襲い掛かったが、三社の神の星兜のおかげで、頼光は傷一つ負う事はなかった。ついに酒呑童子は息絶え、六人は大庭へと出た。すると大勢の鬼がおり、その中で茨木童子が「大将をやりやがってからぁ~!」と襲い掛かってきた。綱がこれを見て「あんたぁどれほどのもんかよぅ知っとるで。今度こそ退治しちゃる!」と応戦した。しばらく互角に戦っていたが、ついに茨木童子が綱を押さえこんだ。頼光がこれを見て走りより、茨木童子の首をばっさりと切り落とした。そして六人は残った鬼たちをすべて討ち取った。
頼光は「よしゃ、こんだぁ姫さんを助けようで。」と捕らわれていた姫たちを連れ出し、都へ帰ろうとした。その時、辺りを見ると鬼たちに食われてしまった人間の骨が山となっていた。そしてその中に、手足を切り落とされた若い姫が、息も絶え絶えになっているのを見つけた。頼光が駆け寄るとそれが堀河中納言の娘で、「なんとまぁお姫さん、わしらは今鬼ゅぅみな退治して、都へ帰るとこなんじゃ。あんたも連れて帰っちゃるけぇ、もちぃとがんばりんさいよ。」と頼光が言うと姫は「そりゃぁ嬉しいことを言うてじゃの。へじゃがもうわたしゃぁダメじゃけぇ、形見に髪の毛を切って、両親に渡してつかぁさい。ちぃでに帰る前に、わたしにとどめをさしてつかぁさい。」と言った。頼光は「そりゃぁそうかもしれんが、へじゃ都へ帰ったら、すぐにも迎えをよこすけぇ、もちぃと待ちよりんさい。」と言い残し、一行は大江山を下った。ふもとの村で馬を調達し、姫たちを先に帰らせると、都では大騒ぎとなり、凱旋する頼光たちを迎えようと大勢の人が集まった。その中に池田中納言夫婦の姿もあり、ついに娘との再会を果たした。頼光は帝に鬼退治を報告すると、その褒美は限り無しだったと言う。これ以来、この国は平和が訪れ、いつまでも平安な世が続いたという。
大変長くなって申し訳ない。これでもかなり削ったのだが。注目すべき点はいくらでもあるが、中でも酒呑童子が、昼は人間の姿で、夜になると恐ろしい鬼の正体を現すという事。「童子」と言う名だけに、これは重要な点だと思うのだが、実際の神楽においてそういった演出をされているところは意外と少ない。安佐町の宮乃木神楽団が、立ち合いの寸前に面を変えるという事をされているが、非常に見事な演出で個人的にも好きな場面である。ついでにもう一つ言わせてもらうと、あの中川戸神楽団に、「スーパー神楽」として「大江山」を創作していただきたいと日頃から思っているのだが、中川戸さん、ファンのみなさん、いかがだろうか。
この物語は、頼光たちの武勇をメインにしつつ、神のご加護があってこそ、という印象も強調されている。この点は、この「大江山」に限ったことではなく、先に紹介した「葛城山」など、この時代に流行った物語に共通することである。この、「時代に流行った」もしくは「誰かが流行らせた」という観点から考えれば、このシリーズ最大のテーマである「なぜ、貴族風の生活をしていたはずの源頼光が、伝説の主役に仕立て上げられたのか」という事への一つの答えが見つかると思われる。さぁ、では次回はついに最終章。その謎に迫ろう。
(大森神楽団の写真提供:すな様)
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しばらくすると生臭い風が吹き、雷鳴稲妻がとどろき、人間の姿をした酒呑童子が現れた。童子は「こかぁごうぎな山なんで。あんたら人間じゃろうが。天をかけってきたんかいの。聞いちゃるけぇ語りんさい。」と言った。頼光は「わしらは山伏の修行をしよるんじゃが、道に迷うてからここまで来てしもうたんよ。これも何かの縁じゃけぇ、今晩泊めてつかぁさいや。わしら酒を持ってきとるけぇご馳走しますで。」と答えた。童子はこれを聞いて頼光たちを部屋の中まで招きいれ、「へじゃぁまず、うちかたの酒を飲んでみんさいや。」と言い、手下の鬼に酒を持ってこさせた。見ると、たった今搾ったとみられる人間の生き血であり、童子はそれを頼光に差し出した。頼光は盃(さかずき)を受け取ると、何でもないようにさらりと飲み干した。続いて綱もさらりと飲み干した。童子は「酒のつまみがありゃせんか?」と言い、手下の鬼が持ってきたものは、これも今切ったとみられる人間の腕と足であり、それがまな板の上に乗っていた。頼光はこれを見て、腰につけていた小刀をするりと抜き、肉を一口大に切り取ってうまそうに食べた。これを見た綱も「まぁつまみまでもろうて、ありがたいことじゃのう。いただきます。」と同じく切り取ってうまそうに食べた。童子はこれを見て「あんたらぁは同じ人間の肉を食うんかいの。いなげなやっちゃのぅ。」と怪しんだので、すかさず頼光は「そがぁに思うてのは、よぅわかりますで。わしらぁ山伏の教えは、人様からいただいたものは、嫌と言わずにありがたくいただくいうもんじゃけぇ。へじゃけぇ何ゅぅもろうてもうれしゅぅ思いますてぇね。」と言って童子に礼をした。すると童子はあわてて頼光に礼を返し、「ありゃぁ、ホンマは食いとぅないもんを、食べんさい言うて出したんは、ホンマにわりかったのぅや。」と反省した。その時、頼光は例の酒を取り出し、「こりゃぁ都から持ってきた酒なんじゃが、童子さんにも差し上げますわぁ。」と、まずは自分で毒見をし、童子にすすめた。童子は盃を受け取り、さらりと飲み干した。その味は甘露(かんろ)のようで、言葉では例えようもないものだった。童子は上機嫌になり「うちかたのべっぴんさんにも飲ませてあぎょうてぇ。」と池田中納言と花園中納言の娘を呼び出した。
そして童子はあまりの嬉しさに、自分の身の上話を始めた。
「わしゃぁの、越後の生まれで山寺育ちなんよ。じゃが坊さんとケンカしての、いっぴゃぁ坊さんを殺したんじゃ。へぇで比叡(ひえい)の山ぁ行って、こけぇ住もう思うたら、伝教(でんきょう)いう坊さんが来てわしを追い出しやがった。やれんけぇこの山へ来たんじゃが、こんだぁ弘法大師いうパ~プ~に追い出された。へじゃけいっぺん高野山に行ったんじゃが、今はもう邪魔なんがおらんけぇ、こけぇ住み着いてからにぜいたくしよるんよ。都からべっぴんさんをさろぅたりのぅ、こげなごうぎな御殿を建てたりのぅ、ホンマ他にこがぁなぜいたくしよるやつぁおらんで。ただのぅ、一つやれんのは、都で有名な頼光いうぶちわりぃやつがおるんじゃわ。こいつは日本一つぇえんじゃ。ほいから頼光の部下に、定光・末武・公時・綱・保昌いうんがおって、こいつらもつぇえんじゃ。この六人だきゃぁの、ホンマ油断ならんで。どがぁなか言うたらの、こなぁだの春ん時に、わしの部下の茨木童子いうんを、都へ行ってこさぁた時に、あの綱と出おぅたんじゃわ。茨木童子が女に化けてからに、よ~にだまして、ひっつかまえたところを、綱のやつが片腕を切り落としやがった。ほじゃけわしゃ~よぅよぅ考えてから、腕を取り返して、今はもうせやなぃんで。あいつらがむかつくけぇ、わしゃ最近都へよぅ行かんのんよ。」
そう語ると、酒呑童子は頼光をじぃ~っとにらんで、「あんたらぁはいなげなのぅ。よう見りゃ、あんたは頼光じゃないかぁ!?その隣ゃぁ、茨木童子の腕を切りやがった綱じゃろうて。残る四人は定光・末武・公時・保昌じゃろうが、げにあがぁで。おい、手下の野郎ども、油断すなよ!しばいちゃろうでぇ~!」と叫び、立ち上がった。頼光はこれを見て、ここで見抜かれては大変と思い、少しも慌てず騒がず、からからと笑い飛ばした。「まぁ~、うれしぃ事を言いんさるのぅ。日本一つぇえやつに、山伏が似とりんさるか。その頼光いうぶにも、末武とかいうぶんも、いま初めて聞いたぁや。げに、そがんわりぃやつなら、はよぅわしらを食うちゃんさい。わしらぁは今童子さんに酒をもろうたりして情けをかけてもろうた。一つも命が惜しいとは思わんけ、どうぞどうぞ。」と顔色一つ変えずに言ってのけると、童子はすぐさま気を取り直し、「まぁそげなことを言うてか。よう考えたら、あいつらぁがここまではよぅ来んじゃろぅの。酒に酔うてしもうたけぇ、ついつい・・・。いやぁ、ホンマに酔うたわ。赤ぅなっとるんは酒のせぃじゃけ、鬼じゃなぁんで。」と言ってすっかり気を許した。そして周りの鬼たちにも酒を飲ませ、ついに鬼たちはみな酔いつぶれてしまった。童子は「おし、寝ようてぇ。山伏さん、また明日。」と寝床へ入って行った。
頼光はこれを見て、残された姫に近づき「わしらは鬼退治してあんたらを都に帰すために来たんじゃ。酒呑童子の寝床を教えてつかぁさい。」と言うと、姫は「まぁ~嬉しいのう!へじゃ案内しますけぇ、したくしんさい。」と答えた。六人は笈に入れてきた鎧兜などを素早く身に付け、討ち入りの準備を整えた。そして姫のあとに続き、童子の寝床へと急いだ。しかし童子の寝床は、巨大な鉄の扉で閉ざされており、とても入ることはできない。すきまから中をのぞくと、先ほどとはうってかわり、恐ろしい鬼の姿となった酒呑童子が寝ていた。身長は7mくらい、髪は赤く逆立ち、角が生え、手足は熊のようで、その姿は身の毛もよだつほどだった。そこへ、三社の神が現れ、六人に「よぅここまで来ちゃんさったのぅ。鬼の手足はわしらが鎖で縛っちゃったけ、よう動かんで。頼光は首を切りんさい。他のもんは胴体を切りまくりんさい。いたしゅぅないで。」と言って、鉄の扉を開いて消え失せた。頼光たちは神の加護に感謝しつつ、童子の寝床へと忍び込んだ。そして頼光は頭のほうに行き、刀をするりと抜いて「なまんだぶぅ三社の神さん、力を貸しちゃんさぃ~。」と三度礼をして、童子の首を一気に切り落とした。酒呑童子は目を覚まし、「何ゅぅするんなら~!ウソじゃぁなぁよったくせに、あんたらひきょうじゃのぉ!」と起き上がろうとしたが、手足は鎖で柱に繋がれているので、起きることができない。童子は怒り狂って大声で叫べば、その凄まじさは雷電稲妻、天地を揺るがすほどだった。他の五人は胴体を切り刻めば、首は高く舞い上がり、頼光めがけてただ一咬みと襲い掛かったが、三社の神の星兜のおかげで、頼光は傷一つ負う事はなかった。ついに酒呑童子は息絶え、六人は大庭へと出た。すると大勢の鬼がおり、その中で茨木童子が「大将をやりやがってからぁ~!」と襲い掛かってきた。綱がこれを見て「あんたぁどれほどのもんかよぅ知っとるで。今度こそ退治しちゃる!」と応戦した。しばらく互角に戦っていたが、ついに茨木童子が綱を押さえこんだ。頼光がこれを見て走りより、茨木童子の首をばっさりと切り落とした。そして六人は残った鬼たちをすべて討ち取った。
頼光は「よしゃ、こんだぁ姫さんを助けようで。」と捕らわれていた姫たちを連れ出し、都へ帰ろうとした。その時、辺りを見ると鬼たちに食われてしまった人間の骨が山となっていた。そしてその中に、手足を切り落とされた若い姫が、息も絶え絶えになっているのを見つけた。頼光が駆け寄るとそれが堀河中納言の娘で、「なんとまぁお姫さん、わしらは今鬼ゅぅみな退治して、都へ帰るとこなんじゃ。あんたも連れて帰っちゃるけぇ、もちぃとがんばりんさいよ。」と頼光が言うと姫は「そりゃぁ嬉しいことを言うてじゃの。へじゃがもうわたしゃぁダメじゃけぇ、形見に髪の毛を切って、両親に渡してつかぁさい。ちぃでに帰る前に、わたしにとどめをさしてつかぁさい。」と言った。頼光は「そりゃぁそうかもしれんが、へじゃ都へ帰ったら、すぐにも迎えをよこすけぇ、もちぃと待ちよりんさい。」と言い残し、一行は大江山を下った。ふもとの村で馬を調達し、姫たちを先に帰らせると、都では大騒ぎとなり、凱旋する頼光たちを迎えようと大勢の人が集まった。その中に池田中納言夫婦の姿もあり、ついに娘との再会を果たした。頼光は帝に鬼退治を報告すると、その褒美は限り無しだったと言う。これ以来、この国は平和が訪れ、いつまでも平安な世が続いたという。
大変長くなって申し訳ない。これでもかなり削ったのだが。注目すべき点はいくらでもあるが、中でも酒呑童子が、昼は人間の姿で、夜になると恐ろしい鬼の正体を現すという事。「童子」と言う名だけに、これは重要な点だと思うのだが、実際の神楽においてそういった演出をされているところは意外と少ない。安佐町の宮乃木神楽団が、立ち合いの寸前に面を変えるという事をされているが、非常に見事な演出で個人的にも好きな場面である。ついでにもう一つ言わせてもらうと、あの中川戸神楽団に、「スーパー神楽」として「大江山」を創作していただきたいと日頃から思っているのだが、中川戸さん、ファンのみなさん、いかがだろうか。
この物語は、頼光たちの武勇をメインにしつつ、神のご加護があってこそ、という印象も強調されている。この点は、この「大江山」に限ったことではなく、先に紹介した「葛城山」など、この時代に流行った物語に共通することである。この、「時代に流行った」もしくは「誰かが流行らせた」という観点から考えれば、このシリーズ最大のテーマである「なぜ、貴族風の生活をしていたはずの源頼光が、伝説の主役に仕立て上げられたのか」という事への一つの答えが見つかると思われる。さぁ、では次回はついに最終章。その謎に迫ろう。
(大森神楽団の写真提供:すな様)
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2006,08,28 Mon 00:00
新着コメント
A・Iさん、コメントありがとうございます。
こんなにたくさんの感想を書いていただいて、本当に嬉しいです!
3歳の頃のエピソード、とても微笑ましいですねぇ~☆
この物語は、御伽草子を元にして書いたんですが、あのお姫様はそれっきり登場しなかったんですよ^^;
ですから、ボクにもどうなったかわかりません(笑)
ホント、気になりますよね!
広島弁のセリフ、楽しんでいただけたでしょうか。
できればまた新シリーズを書いてみたいんですけど、何しろ手間隙かかるもので…^^;
またコメントお願いします☆
こんなにたくさんの感想を書いていただいて、本当に嬉しいです!
3歳の頃のエピソード、とても微笑ましいですねぇ~☆
この物語は、御伽草子を元にして書いたんですが、あのお姫様はそれっきり登場しなかったんですよ^^;
ですから、ボクにもどうなったかわかりません(笑)
ホント、気になりますよね!
広島弁のセリフ、楽しんでいただけたでしょうか。
できればまた新シリーズを書いてみたいんですけど、何しろ手間隙かかるもので…^^;
またコメントお願いします☆
| 特派員 | EMAIL | URL | 07/03/29 18:29 | BFfnvy1Y |
ちょっとだけ・・・とのぞいてみたらついつい全部読んじゃいました!!
古いのに書き込んじゃってごめんなさ~い(;^-^)人
「大江山」ってそういう物語だったんですね。
昼間は人間の姿なんて知らんかった(@o@;)なんと恐ろしい。
父が現役の頃、酒呑童子を舞っていましたが、幼少の頃うちの父は本当に鬼なんだと思っていました(^^;)
ここを読んだ瞬間つい思い出してしまいました。
うちの知っとる父は・・・
日中の顔は人間で、秋ごろは夜になれば赤い鬼になる!!!
最後に首を切られるとき、
「お父さんの首を切るなぁ!死んでしまうだろうがぁ!!殺すなぁ~!!!」
って3歳の頃、大泣きして大暴れしたことを今でもはっきり覚えています。(笑)
どうでもいいけど、うちのなかでは鬼は綺麗な人をさらうイメージがありました。
といってもただ単純に、さらわれる姫はどこも綺麗だからってだけでしょうけどね・・・。
「そんならうちは鬼にさらわれることはないけぇ大丈夫じゃわぁ」って思っとりました。
童子が頼光様たちに、生き血や人の肉を差し出したなんて!!!
頼光様はすげぇ(ノ◎o◎)ノ
見破られそうになっても交わすところも、さすが頼光様だわ☆
童子も身の上話をしたり、わりとあっさり信用して寝たりとかなんか、「こいつもしかしたら良い奴?話せば分かる奴?」って少し見方しそうになってしまいました。
たぶん広島弁なところが親近感わいてそう思ったんでしょうね!!
赤ぅなっとるんは酒のせぃじゃけ、鬼じゃなぁんでってところとか(他にもあるけど)、やっぱり三谷さんの大江山を思い出してしまいます。
そしてあの姫さんは助かったんでしょうか!?それが少しだけ気になる。(。_。;)
神楽ではすっごい戦いをしよったのに、そんなことがおきとったとはこれまた衝撃!!
宮乃木さんのも見たくなりましたぁ☆
最近このシリーズ更新されてないようですが、もうせんのんですかぁ?
古いのに書き込んじゃってごめんなさ~い(;^-^)人
「大江山」ってそういう物語だったんですね。
昼間は人間の姿なんて知らんかった(@o@;)なんと恐ろしい。
父が現役の頃、酒呑童子を舞っていましたが、幼少の頃うちの父は本当に鬼なんだと思っていました(^^;)
ここを読んだ瞬間つい思い出してしまいました。
うちの知っとる父は・・・
日中の顔は人間で、秋ごろは夜になれば赤い鬼になる!!!
最後に首を切られるとき、
「お父さんの首を切るなぁ!死んでしまうだろうがぁ!!殺すなぁ~!!!」
って3歳の頃、大泣きして大暴れしたことを今でもはっきり覚えています。(笑)
どうでもいいけど、うちのなかでは鬼は綺麗な人をさらうイメージがありました。
といってもただ単純に、さらわれる姫はどこも綺麗だからってだけでしょうけどね・・・。
「そんならうちは鬼にさらわれることはないけぇ大丈夫じゃわぁ」って思っとりました。
童子が頼光様たちに、生き血や人の肉を差し出したなんて!!!
頼光様はすげぇ(ノ◎o◎)ノ
見破られそうになっても交わすところも、さすが頼光様だわ☆
童子も身の上話をしたり、わりとあっさり信用して寝たりとかなんか、「こいつもしかしたら良い奴?話せば分かる奴?」って少し見方しそうになってしまいました。
たぶん広島弁なところが親近感わいてそう思ったんでしょうね!!
赤ぅなっとるんは酒のせぃじゃけ、鬼じゃなぁんでってところとか(他にもあるけど)、やっぱり三谷さんの大江山を思い出してしまいます。
そしてあの姫さんは助かったんでしょうか!?それが少しだけ気になる。(。_。;)
神楽ではすっごい戦いをしよったのに、そんなことがおきとったとはこれまた衝撃!!
宮乃木さんのも見たくなりましたぁ☆
最近このシリーズ更新されてないようですが、もうせんのんですかぁ?
| A・I | EMAIL | URL | 07/03/29 15:24 | 0dchuV.g |
まずはじめに、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)について調べてみよう。生没年は958~1036年で、弟の保輔(やすすけ)はなんと名高い盗賊だった。摂津の国の平井という地に住んだので、平井氏と名乗った。頼光と同じく、武勇に優れた人物として広く知られていたようだ。四天王は頼光の部下だが、保昌は頼光と同じ位まで出世した人物なので、部下ではなく同僚のような感じとイメージしたほうが良いだろう。
それでは、「大江山の酒呑童子退治」の物語を「御伽草子」より紹介する。そのままを訳したものを掲載すると、とてつもなく長くなるので、そのあたりは読みやすいように編集したのでご了承いただきたい。
昔、丹波の国大江山に鬼神が住み、日が暮れると大勢の人をさらっていた。都においては、17~18歳の若い女を中心にして、数多くの者がさらわれていた。中でも大富豪である池田中納言くにたかの娘が行方不明になったときには、朝廷内でも大騒ぎになった。中納言はあまりの悲しさに、村岡のまさときという、名高い陰陽師に占ってもらうことにした。陰陽師を前にして泣きながら「わしのたった一人の娘が、ゆうべどこ行ったんかわからんよぅになったんよ。今年でまだ十三歳なのに・・・。もしどけぇおるか占ってくれりゃぁ、なんぼでも銭(ぜに)あげるけぇ、なんとかしてくだしゃぁ。」と言った。もちろん陰陽師は名人なので、さっそく巻物を取り出し、姫の所在を占った。そして「あんたの娘さんをさらったんは、丹波の国の大江山におる、鬼の仕業じゃぁ。今のところ命に別状はなぁみたいじゃの。」などと、まるで見てきたかのように占った。中納言はこれを聞いて、急ぎ朝廷へ報告した。
これを受けて内裏(だいり)では、帝をはじめ公卿、大臣が集まって、話し合いとなった。その中で関白が進み出て「前にもこれとおんなじような事件があったらしぃんじゃが、そんときゃ弘法大師さんに頼んで、わりぃやつを封じ込めてもろうたんだげな。ほじゃけ、このたびゃぁ、源頼光を呼んで鬼退治せぇと言うてみようや。そうすりゃ定光・末武・綱・公時・保昌らが加わるじゃろうて。こいつらぁはぶちつぇえけぇ、鬼も恐れてよう手を出さんいぅらしぇけぇの。あがぁしょうやぁ。」と提案した。さっそくそれで意見がまとまり、帝は源頼光を呼び寄せた。頼光は突然の帝の招集に、何事かと急ぎ内裏(だいり)へと参上した。すると帝は、「いかに頼光、よぅ聞きんさい。丹波の国大江山に鬼が住んで、わりぃことをするんじゃ。この国はわしのもんじゃけぇ、どこにも鬼が住むとこはないはずで。それも都からこげな近くにおってから、人を悩ますじゃことの、ほんまに。しばいちゃりんさい。」と勅命を出した。
頼光はこの仰せ(おおせ)に、大役を任された喜びもさることながら、鬼神は変化自在の者であるので、退治しようと近づけば塵(ちり)や木の葉へと姿を変えてしまい、人の目で見つけることは難しくなる。がしかし、勅命に背く事はできない。などあれこれ考え、急ぎ館に帰った。そして四天王たちを集め、「わしらぁだけじゃ、とてもじゃないが勝てんわ。神様仏様にお祈りゅぅしてからに、神さんの力を頼もうや。そうするんが一番えかろう。」と言った。そして頼光と保昌は八幡へ、綱と公時は住吉へ、定光と末武は熊野へ、それぞれ参拝した。そして一同は再び館へ集まり、作戦を練った。頼光が「こりゃぁ、人が多けりゃえぇいうもんじゃないよの。わしら六人が山伏に変装してから、道に迷うたふりゅぅして、丹波の鬼ヶ城(おにがじょう)へ行って、うまいしこ鬼をだましちゃりゃぁ、退治するなぁみやすかろうて。みなそれぞれ笈(おい)をこしらぁて、兜やら武器やら入れて持ってこうやぁ。どがなや?」と言うと、「あがしょ!」と、みな笈を作り始めた。それぞれその中に鎧や兜、刀などを仕込み、酒を持ち、小刀、頭巾(ずきん)、鈴懸(すずかけ)、ほら貝、金剛杖を身につけ、丹波の国へと向かった。この六人の様子は、いかなる悪鬼でさえも恐れるように思えた。
ここで少し休憩。「池田中納言くにたか」や「村岡のまさとき」など原文で漢字を使われてないものがあるのだが、下手にこちらで漢字を使わず、あえてひらがなで記載させていただく事にした。また伝説によっては、陰陽師はあの安部晴明が登場するが、この御伽草子では晴明は出てこない。他にも名だたる陰陽師がいて、その話も興味深いが、ここでは省略する。
急げば程もなく、六人は丹波の国大江山のふもとに着いた。すると里人がいたので、頼光が「ちぃと聞いてみるんじゃが、ここらで千丈ケ岳言うたらどこですかいの?鬼の岩屋に行きたいんじゃが。」と尋ねた。里人は「この峰(みね)をず~っと奥へはぁてっての、もひとつ谷と峰を越えりゃぁ、鬼の住処(すみか)じゃ言うて、人間はそっから先ゃぁ行けれんのんよ。」と語った。頼光たちはこれを聞いて、山奥へと入っていき、谷を越えて峰を越えて登っていくと、大きな岩穴を見つけた。その中に小屋があり、翁(おきな)が三人いた。頼光は少し警戒し、「あんたらぁは、なしてこがぁなとけぇおるんかいの?」と聞くと、「わしらぁは決していなげなもんじゃなぁで。この山の酒呑童子に嫁さんや子供をとられてから、どがぁぞしちゃろう思うてここまで来たんじゃわ。あんたらぁよぅ見りゃぁ、普通の人じゃなぁのぅ。たぁてぇ、酒呑童子を退治せぇ言うて勅命を受けた人じゃろうて。ほいじゃぁ、わしらがこっから道案内しましょうてぇ。まぁその前にちぃと休みんさい。」と言った。
頼光たちは気を許し、笈を下ろして休むことにした。都から持ってきた酒を三人の翁にすすめると、翁が言うに「おぉ、この山の鬼神いうなぁ、ぶち酒が好きなんよ。へじゃけ酒呑童子いうて呼ばれるんじゃ。わしらはおかしげな酒を持っとって、神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)いうんよ。こりゃ鬼が飲みゃぁ力が出せんようになるんじゃが、あんたらが飲めばかえって薬になるんよ。」そして星兜(ほしかぶと)を取り出し「あんたはこれをかぶって、鬼の首を切りんさい。」と頼光に渡した。六人はこれを見て、さては三社の使いか、なんとありがたい・・・と思っていると、翁たちが立ち上がり「おしゃ、行こうでぇ。」と道案内を始めた。それに従ってさらに山奥へ入り、暗い岩穴をいくつもくぐり抜けると、細い川にたどり着いた。翁が「この川をず~っと上って行きんさい。そしたら若い娘さんがおってじゃけぇ、あとはその人に詳しゅぅ聞きんさいや。鬼をやっちゃるその時は、わしらも手伝うけぇ。住吉、八幡、熊野の神がここらまできたでぇ~。」と言ってかき消すように消えてしまった。
六人は翁たちがいたところを深く拝み、教えに従って川を上っていくと、言葉どおり若い娘に出会った。頼光が「あんたぁ誰かいの?」と聞くと、「わたしゃぁ都の者なんじゃけど、ある夜に鬼につかまって、こげなとこまでさらわれたんじゃ。ここらは鬼の岩屋じゃ言うて、人間が来れるわきゃぁなぁ。あんたらどがんしてこけぇ来たんかいの?どがぁぞしてわたしゅぅ都まで帰しちゃんさい。」とさめざめと泣きながら答えた。そこで頼光が「あんたぁどこの子かいの?」と聞くと、「わたしゃぁ花園中納言の一人娘なんよ。他にも若いんが十何人さらわれとる。堀河中納言の娘さんが、今朝血ぅしぼられてからに、それで血染めの服を洗ようるんじゃ。」とまたさめざめと泣いた。頼光は「わしらは鬼ゅぅ退治してからに、あんたらを都に帰しちゃろう思うてここまで来たんよ。鬼の住処をよぅよぅ教えちゃんさい。」と言うと姫は大喜びで「この川をず~っと上っていきゃぁ、鉄の門があって鬼が番をしよるわ。へぇで中にはぁたら、ごうぎな御殿が建っとるけぇ。姫さんがおる牢屋の前には、ほしくま童子、くま童子、とらくま童子、かね童子いう、鬼の四天王がおって番をしよるんじゃ。こいつらぶちつぇえらしいで。へぇで酒呑童子いうなぁ、色があこぅて背がたこぅて、昼は人の姿なんじゃが、夜になったらぶちいびせぇ鬼になるんよ。こいつぁぶち酒が好きで、酔うて寝たらなんも覚えとらんらしいで。へじゃけあんたら、童子をだましてから酒を飲ませて、酔うて寝たところをやっちゃりんさい。あんたらならできようて。」と言った。
非常に興味深い物語だが、中でも注目したいのは、三人の翁、姫との出会いによって、ようやく鬼の住処へとたどり着くという事。これはつまり、文中にあるように、人間の力では鬼の世界に入ることすらできない、という意味である。この部分も詳しく見ていきたいのだが、そうするとかなり難しい話にもなるので、省略する。神楽団の中では翁(三社の使い)や姫に逢わずに、すんなりと岩屋にたどり着くようにしておられるところもある。上演時間の都合上、やむなく省略されたのだと思うが、この「人の世界と鬼の世界は別の次元」という概念は、神楽においても非常に重要なものであると考えられる。ファンのみなさんにもぜひ注目して見ていただきたい。とうことで「大江山」の前半部分を紹介した。続きはまた来週!
(大森神楽団の写真提供:すな様)
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それでは、「大江山の酒呑童子退治」の物語を「御伽草子」より紹介する。そのままを訳したものを掲載すると、とてつもなく長くなるので、そのあたりは読みやすいように編集したのでご了承いただきたい。
昔、丹波の国大江山に鬼神が住み、日が暮れると大勢の人をさらっていた。都においては、17~18歳の若い女を中心にして、数多くの者がさらわれていた。中でも大富豪である池田中納言くにたかの娘が行方不明になったときには、朝廷内でも大騒ぎになった。中納言はあまりの悲しさに、村岡のまさときという、名高い陰陽師に占ってもらうことにした。陰陽師を前にして泣きながら「わしのたった一人の娘が、ゆうべどこ行ったんかわからんよぅになったんよ。今年でまだ十三歳なのに・・・。もしどけぇおるか占ってくれりゃぁ、なんぼでも銭(ぜに)あげるけぇ、なんとかしてくだしゃぁ。」と言った。もちろん陰陽師は名人なので、さっそく巻物を取り出し、姫の所在を占った。そして「あんたの娘さんをさらったんは、丹波の国の大江山におる、鬼の仕業じゃぁ。今のところ命に別状はなぁみたいじゃの。」などと、まるで見てきたかのように占った。中納言はこれを聞いて、急ぎ朝廷へ報告した。
これを受けて内裏(だいり)では、帝をはじめ公卿、大臣が集まって、話し合いとなった。その中で関白が進み出て「前にもこれとおんなじような事件があったらしぃんじゃが、そんときゃ弘法大師さんに頼んで、わりぃやつを封じ込めてもろうたんだげな。ほじゃけ、このたびゃぁ、源頼光を呼んで鬼退治せぇと言うてみようや。そうすりゃ定光・末武・綱・公時・保昌らが加わるじゃろうて。こいつらぁはぶちつぇえけぇ、鬼も恐れてよう手を出さんいぅらしぇけぇの。あがぁしょうやぁ。」と提案した。さっそくそれで意見がまとまり、帝は源頼光を呼び寄せた。頼光は突然の帝の招集に、何事かと急ぎ内裏(だいり)へと参上した。すると帝は、「いかに頼光、よぅ聞きんさい。丹波の国大江山に鬼が住んで、わりぃことをするんじゃ。この国はわしのもんじゃけぇ、どこにも鬼が住むとこはないはずで。それも都からこげな近くにおってから、人を悩ますじゃことの、ほんまに。しばいちゃりんさい。」と勅命を出した。
頼光はこの仰せ(おおせ)に、大役を任された喜びもさることながら、鬼神は変化自在の者であるので、退治しようと近づけば塵(ちり)や木の葉へと姿を変えてしまい、人の目で見つけることは難しくなる。がしかし、勅命に背く事はできない。などあれこれ考え、急ぎ館に帰った。そして四天王たちを集め、「わしらぁだけじゃ、とてもじゃないが勝てんわ。神様仏様にお祈りゅぅしてからに、神さんの力を頼もうや。そうするんが一番えかろう。」と言った。そして頼光と保昌は八幡へ、綱と公時は住吉へ、定光と末武は熊野へ、それぞれ参拝した。そして一同は再び館へ集まり、作戦を練った。頼光が「こりゃぁ、人が多けりゃえぇいうもんじゃないよの。わしら六人が山伏に変装してから、道に迷うたふりゅぅして、丹波の鬼ヶ城(おにがじょう)へ行って、うまいしこ鬼をだましちゃりゃぁ、退治するなぁみやすかろうて。みなそれぞれ笈(おい)をこしらぁて、兜やら武器やら入れて持ってこうやぁ。どがなや?」と言うと、「あがしょ!」と、みな笈を作り始めた。それぞれその中に鎧や兜、刀などを仕込み、酒を持ち、小刀、頭巾(ずきん)、鈴懸(すずかけ)、ほら貝、金剛杖を身につけ、丹波の国へと向かった。この六人の様子は、いかなる悪鬼でさえも恐れるように思えた。
ここで少し休憩。「池田中納言くにたか」や「村岡のまさとき」など原文で漢字を使われてないものがあるのだが、下手にこちらで漢字を使わず、あえてひらがなで記載させていただく事にした。また伝説によっては、陰陽師はあの安部晴明が登場するが、この御伽草子では晴明は出てこない。他にも名だたる陰陽師がいて、その話も興味深いが、ここでは省略する。
急げば程もなく、六人は丹波の国大江山のふもとに着いた。すると里人がいたので、頼光が「ちぃと聞いてみるんじゃが、ここらで千丈ケ岳言うたらどこですかいの?鬼の岩屋に行きたいんじゃが。」と尋ねた。里人は「この峰(みね)をず~っと奥へはぁてっての、もひとつ谷と峰を越えりゃぁ、鬼の住処(すみか)じゃ言うて、人間はそっから先ゃぁ行けれんのんよ。」と語った。頼光たちはこれを聞いて、山奥へと入っていき、谷を越えて峰を越えて登っていくと、大きな岩穴を見つけた。その中に小屋があり、翁(おきな)が三人いた。頼光は少し警戒し、「あんたらぁは、なしてこがぁなとけぇおるんかいの?」と聞くと、「わしらぁは決していなげなもんじゃなぁで。この山の酒呑童子に嫁さんや子供をとられてから、どがぁぞしちゃろう思うてここまで来たんじゃわ。あんたらぁよぅ見りゃぁ、普通の人じゃなぁのぅ。たぁてぇ、酒呑童子を退治せぇ言うて勅命を受けた人じゃろうて。ほいじゃぁ、わしらがこっから道案内しましょうてぇ。まぁその前にちぃと休みんさい。」と言った。
頼光たちは気を許し、笈を下ろして休むことにした。都から持ってきた酒を三人の翁にすすめると、翁が言うに「おぉ、この山の鬼神いうなぁ、ぶち酒が好きなんよ。へじゃけ酒呑童子いうて呼ばれるんじゃ。わしらはおかしげな酒を持っとって、神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)いうんよ。こりゃ鬼が飲みゃぁ力が出せんようになるんじゃが、あんたらが飲めばかえって薬になるんよ。」そして星兜(ほしかぶと)を取り出し「あんたはこれをかぶって、鬼の首を切りんさい。」と頼光に渡した。六人はこれを見て、さては三社の使いか、なんとありがたい・・・と思っていると、翁たちが立ち上がり「おしゃ、行こうでぇ。」と道案内を始めた。それに従ってさらに山奥へ入り、暗い岩穴をいくつもくぐり抜けると、細い川にたどり着いた。翁が「この川をず~っと上って行きんさい。そしたら若い娘さんがおってじゃけぇ、あとはその人に詳しゅぅ聞きんさいや。鬼をやっちゃるその時は、わしらも手伝うけぇ。住吉、八幡、熊野の神がここらまできたでぇ~。」と言ってかき消すように消えてしまった。
六人は翁たちがいたところを深く拝み、教えに従って川を上っていくと、言葉どおり若い娘に出会った。頼光が「あんたぁ誰かいの?」と聞くと、「わたしゃぁ都の者なんじゃけど、ある夜に鬼につかまって、こげなとこまでさらわれたんじゃ。ここらは鬼の岩屋じゃ言うて、人間が来れるわきゃぁなぁ。あんたらどがんしてこけぇ来たんかいの?どがぁぞしてわたしゅぅ都まで帰しちゃんさい。」とさめざめと泣きながら答えた。そこで頼光が「あんたぁどこの子かいの?」と聞くと、「わたしゃぁ花園中納言の一人娘なんよ。他にも若いんが十何人さらわれとる。堀河中納言の娘さんが、今朝血ぅしぼられてからに、それで血染めの服を洗ようるんじゃ。」とまたさめざめと泣いた。頼光は「わしらは鬼ゅぅ退治してからに、あんたらを都に帰しちゃろう思うてここまで来たんよ。鬼の住処をよぅよぅ教えちゃんさい。」と言うと姫は大喜びで「この川をず~っと上っていきゃぁ、鉄の門があって鬼が番をしよるわ。へぇで中にはぁたら、ごうぎな御殿が建っとるけぇ。姫さんがおる牢屋の前には、ほしくま童子、くま童子、とらくま童子、かね童子いう、鬼の四天王がおって番をしよるんじゃ。こいつらぶちつぇえらしいで。へぇで酒呑童子いうなぁ、色があこぅて背がたこぅて、昼は人の姿なんじゃが、夜になったらぶちいびせぇ鬼になるんよ。こいつぁぶち酒が好きで、酔うて寝たらなんも覚えとらんらしいで。へじゃけあんたら、童子をだましてから酒を飲ませて、酔うて寝たところをやっちゃりんさい。あんたらならできようて。」と言った。
非常に興味深い物語だが、中でも注目したいのは、三人の翁、姫との出会いによって、ようやく鬼の住処へとたどり着くという事。これはつまり、文中にあるように、人間の力では鬼の世界に入ることすらできない、という意味である。この部分も詳しく見ていきたいのだが、そうするとかなり難しい話にもなるので、省略する。神楽団の中では翁(三社の使い)や姫に逢わずに、すんなりと岩屋にたどり着くようにしておられるところもある。上演時間の都合上、やむなく省略されたのだと思うが、この「人の世界と鬼の世界は別の次元」という概念は、神楽においても非常に重要なものであると考えられる。ファンのみなさんにもぜひ注目して見ていただきたい。とうことで「大江山」の前半部分を紹介した。続きはまた来週!
(大森神楽団の写真提供:すな様)
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2006,08,24 Thu 00:00
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ようやく大江山の麓(ふもと)まできた。だが、千丈ケ岳(せんじょうがたけ)まではまだまだ遠い・・・。この大江山については、語らなければならないことが山ほどあり、とてもじゃないが一つの章だけでは無理なので、前・中・後編と三章に渡ってお送りすることにする。
まずは大江山の場所について。実は大江山は二つある。これまた知らない方にとっては混乱を招きそうだが、わかりやすく地図を描いてみたので参考にしていただきたい。
神楽でおなじみの「丹波の国大江山」は、都から北西の位置にあり、かなり離れている。が、中世の「大江山」と言えば、すぐ近くの「大枝山」を指していた。ここには酒呑童子の首塚が残されている。また、日本武尊が鬼神を退治する舞台などの伊吹山が酒呑童子退治の場所とする伝説もあったりする。
そのあたりも詳しくみていきたいのだが、そうなると「源頼光」から離れてしまい、またその事だけで二章はスペースをとらないといけない。ということで「大江山」の舞台については、一般説である「丹波の国大江山」とし、今回は他にも「大枝山」がありますよ、という紹介のみにさせていただきたい。
では、神楽「大江山」のもとになったと言われる謡曲「大江山」を少しだけ紹介する。謡曲(ようきょく)というのは、簡単に言えば能のセリフが書かれているもので、神楽と関係しているものは他に「紅葉狩」「土蜘蛛」「安達ヶ原」「鉄輪」などがある。今までは広島弁でわかりやすく紹介してきたが、謡曲を広島弁にしてしまうと謡曲ではなくなってしまうので、少し難しいがそのまま掲載する。
ワキ(頼光)ワキヅレ(従者) 秋風の音にたぐへて西川や、雲も行くなり大江山。
ワキ 抑々これは源頼光とはわが事なり。さてもこの度 丹波の国大江山の鬼神のこと。占方の詞に任せつつ、頼光、保昌に仰せつけらる。
ワキヅレ 頼光、保昌申すやう、たとひ大勢ありとても、人倫ならぬ化生の者、いづくを境に攻むべきぞ。
ワキ 思ふ子細の候とて、山伏の姿に出立ちて。
ワキヅレ 兜にかはる兜巾を着。
ワキ 鎧にあらぬ篠懸や。
ワキヅレ 兵具に対する笈を負ひ。
ワキ 其のぬしぬしは頼光、保昌。
ワキヅレ 貞光・季武・綱・公時、又名を得たる独武者かれこれ以上五十余人。
ワキ まだ夜のうちに有明の。
ワキ、ワキヅレ 月の都を立ちいでて、行く末問えば西川や、波風立てて白木綿の御抜も頼もしや。鬼神なりと大君の恵に洩るる方あらじ、ただ分け行けや足引の大江の山に着きにけり、大江の山に着きにけり。
ワキ 急ぎ候程に丹波の国大江山に着きて候。あら不思議や、これなる川にけしからず血の流れそうろう。いかに誰かある、この所にて童子の住処を尋ねて宿を取り候へ。
狂言(剛力) 畏まって候、まず急いで参ろう。(中略)これはこれは女房衆そなたは何として此処にいるぞ。
(女) そのことでござる、わらわは三歳以前に酒呑童子に捕はれて毎日毎日このやうな濯ぎをしていることでござる。
(剛力) 子細を聞けば尤もでござる。某がこれへ来たはこの度頼み奉る頼光公、童子を退治あるべきとの事ぢや程に、そなたも都へ同道せうによって、何卒そなたは肝を煎つてお宿を申してくれぬか。
(女) 何がさて都へ連れて行て下さるならば、お宿のことはわらわが合点でござる。童子へ其由申しませう程にまづそれに待たせられい。
(剛力) 心得ておりやる。
(女) いかに童子の御座あるか。
シテ(酒呑童子) 童子と呼ぶはいかなる者ぞ。
狂言(女) 山伏達の御入り候が、一夜のお宿と仰せられ候。
シテ 何と山伏の一夜のお宿と候や、怨めしや桓武天皇に御請け申し、われ比叡の山を出でしより、出家には手を指さじと固く誓約申せしなり。中門の脇の廊に留め申し候らへ。
狂言(女) 心得申して候。
シテ いかに客僧たち、何処より何方へ御通り候へば、此の隠れ家へは御出でにて候ぞ。
ワキ さん候、これは筑紫彦山の客僧にて候が、麓の山陰道より道に踏み迷ひ、前後を忘れじ佇み候所に、今宵のお宿何より以て祝着申候。さて御名を酒呑童子と申し候は、何と申したる請にて候ぞ。
シテ 我が名を酒呑童子と云ふことは、明暮酒を好きたるにより、眷属どもに酒呑童子と呼ばれ候。されば此を見、彼を聞くにつけても、酒ほど面白きものはなく候。客僧達も聞しめされ候へ。
(中略)
ワキ 又は神国氏社南無や八幡山王権現、われらに力を添へ給へと、頼光・保昌・綱・公時・貞光・季武独武者、心を一つにしてまどろみ臥したる鬼の上に、剣を飛ばする光の影、稲妻振動おびただし。
シテ 情けなしとよ客僧達、偽あらじと云ひつるに鬼神に横道無きものを。
(中略)
ワキ あら空事やなどさらば、王地に住んで人を取り、世の妨げとはなりけるぞ、われらをば音にも聞きつらん、保昌が舘に独武者、鬼神なりとも遁すまじ、ましてやこれは勅なれば、土も木も我が大君の国なれば、いづくか鬼の宿りなるらん。
(中略)
ワキ 頼光保昌もとよりも、(地)頼光保昌もとよりも、鬼神なりともさすが頼光が手なみに、いかで漏らすべきと、走りかかってはったと打つ手に、むんずと組んでえいやえいやと組むとぞ見えしが、頼光下に組み伏せられて鬼一口に喰はんとするを頼光下より刀を抜いて二刀三刀刺し通し刺し通し、刀を力にえいやとかへし、さも勢へる鬼神を、おしつけ怒れる首を打ち落とし、大江の山をまた踏み分けて、都へとてこそ帰りけれ。
読みづらい箇所、難しい漢字がふんだんで、「これ読めません。」てな苦情のコメントもつきそうだが、たまにはそのままを掲載し、昔の物語の雰囲気を味わうのもよいのではないだろうか。そして多くの神楽ファンの方が、最初の一行を読んだ時点でピンとくるものがあると思う。そう、安芸太田町の三谷神楽団「大江山」は、この謡曲をかなり忠実にして舞っておられるようだ。他の旧舞「大江山」も、多くは謡曲を出典としているようだが、かなり違いがあるように思える。これは、前章で紹介した「戻り橋」「羅生門」の物語以上に、「大江山」伝説が数多く残されているためだと考えられる。では次回は、またいつものバージョンで「大江山の酒呑童子退治」をご紹介したいと思う。
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まずは大江山の場所について。実は大江山は二つある。これまた知らない方にとっては混乱を招きそうだが、わかりやすく地図を描いてみたので参考にしていただきたい。
神楽でおなじみの「丹波の国大江山」は、都から北西の位置にあり、かなり離れている。が、中世の「大江山」と言えば、すぐ近くの「大枝山」を指していた。ここには酒呑童子の首塚が残されている。また、日本武尊が鬼神を退治する舞台などの伊吹山が酒呑童子退治の場所とする伝説もあったりする。
そのあたりも詳しくみていきたいのだが、そうなると「源頼光」から離れてしまい、またその事だけで二章はスペースをとらないといけない。ということで「大江山」の舞台については、一般説である「丹波の国大江山」とし、今回は他にも「大枝山」がありますよ、という紹介のみにさせていただきたい。
では、神楽「大江山」のもとになったと言われる謡曲「大江山」を少しだけ紹介する。謡曲(ようきょく)というのは、簡単に言えば能のセリフが書かれているもので、神楽と関係しているものは他に「紅葉狩」「土蜘蛛」「安達ヶ原」「鉄輪」などがある。今までは広島弁でわかりやすく紹介してきたが、謡曲を広島弁にしてしまうと謡曲ではなくなってしまうので、少し難しいがそのまま掲載する。
ワキ(頼光)ワキヅレ(従者) 秋風の音にたぐへて西川や、雲も行くなり大江山。
ワキ 抑々これは源頼光とはわが事なり。さてもこの度 丹波の国大江山の鬼神のこと。占方の詞に任せつつ、頼光、保昌に仰せつけらる。
ワキヅレ 頼光、保昌申すやう、たとひ大勢ありとても、人倫ならぬ化生の者、いづくを境に攻むべきぞ。
ワキ 思ふ子細の候とて、山伏の姿に出立ちて。
ワキヅレ 兜にかはる兜巾を着。
ワキ 鎧にあらぬ篠懸や。
ワキヅレ 兵具に対する笈を負ひ。
ワキ 其のぬしぬしは頼光、保昌。
ワキヅレ 貞光・季武・綱・公時、又名を得たる独武者かれこれ以上五十余人。
ワキ まだ夜のうちに有明の。
ワキ、ワキヅレ 月の都を立ちいでて、行く末問えば西川や、波風立てて白木綿の御抜も頼もしや。鬼神なりと大君の恵に洩るる方あらじ、ただ分け行けや足引の大江の山に着きにけり、大江の山に着きにけり。
ワキ 急ぎ候程に丹波の国大江山に着きて候。あら不思議や、これなる川にけしからず血の流れそうろう。いかに誰かある、この所にて童子の住処を尋ねて宿を取り候へ。
狂言(剛力) 畏まって候、まず急いで参ろう。(中略)これはこれは女房衆そなたは何として此処にいるぞ。
(女) そのことでござる、わらわは三歳以前に酒呑童子に捕はれて毎日毎日このやうな濯ぎをしていることでござる。
(剛力) 子細を聞けば尤もでござる。某がこれへ来たはこの度頼み奉る頼光公、童子を退治あるべきとの事ぢや程に、そなたも都へ同道せうによって、何卒そなたは肝を煎つてお宿を申してくれぬか。
(女) 何がさて都へ連れて行て下さるならば、お宿のことはわらわが合点でござる。童子へ其由申しませう程にまづそれに待たせられい。
(剛力) 心得ておりやる。
(女) いかに童子の御座あるか。
シテ(酒呑童子) 童子と呼ぶはいかなる者ぞ。
狂言(女) 山伏達の御入り候が、一夜のお宿と仰せられ候。
シテ 何と山伏の一夜のお宿と候や、怨めしや桓武天皇に御請け申し、われ比叡の山を出でしより、出家には手を指さじと固く誓約申せしなり。中門の脇の廊に留め申し候らへ。
狂言(女) 心得申して候。
シテ いかに客僧たち、何処より何方へ御通り候へば、此の隠れ家へは御出でにて候ぞ。
ワキ さん候、これは筑紫彦山の客僧にて候が、麓の山陰道より道に踏み迷ひ、前後を忘れじ佇み候所に、今宵のお宿何より以て祝着申候。さて御名を酒呑童子と申し候は、何と申したる請にて候ぞ。
シテ 我が名を酒呑童子と云ふことは、明暮酒を好きたるにより、眷属どもに酒呑童子と呼ばれ候。されば此を見、彼を聞くにつけても、酒ほど面白きものはなく候。客僧達も聞しめされ候へ。
(中略)
ワキ 又は神国氏社南無や八幡山王権現、われらに力を添へ給へと、頼光・保昌・綱・公時・貞光・季武独武者、心を一つにしてまどろみ臥したる鬼の上に、剣を飛ばする光の影、稲妻振動おびただし。
シテ 情けなしとよ客僧達、偽あらじと云ひつるに鬼神に横道無きものを。
(中略)
ワキ あら空事やなどさらば、王地に住んで人を取り、世の妨げとはなりけるぞ、われらをば音にも聞きつらん、保昌が舘に独武者、鬼神なりとも遁すまじ、ましてやこれは勅なれば、土も木も我が大君の国なれば、いづくか鬼の宿りなるらん。
(中略)
ワキ 頼光保昌もとよりも、(地)頼光保昌もとよりも、鬼神なりともさすが頼光が手なみに、いかで漏らすべきと、走りかかってはったと打つ手に、むんずと組んでえいやえいやと組むとぞ見えしが、頼光下に組み伏せられて鬼一口に喰はんとするを頼光下より刀を抜いて二刀三刀刺し通し刺し通し、刀を力にえいやとかへし、さも勢へる鬼神を、おしつけ怒れる首を打ち落とし、大江の山をまた踏み分けて、都へとてこそ帰りけれ。
読みづらい箇所、難しい漢字がふんだんで、「これ読めません。」てな苦情のコメントもつきそうだが、たまにはそのままを掲載し、昔の物語の雰囲気を味わうのもよいのではないだろうか。そして多くの神楽ファンの方が、最初の一行を読んだ時点でピンとくるものがあると思う。そう、安芸太田町の三谷神楽団「大江山」は、この謡曲をかなり忠実にして舞っておられるようだ。他の旧舞「大江山」も、多くは謡曲を出典としているようだが、かなり違いがあるように思える。これは、前章で紹介した「戻り橋」「羅生門」の物語以上に、「大江山」伝説が数多く残されているためだと考えられる。では次回は、またいつものバージョンで「大江山の酒呑童子退治」をご紹介したいと思う。
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2006,08,21 Mon 00:00
新着コメント
はるさん、コメントありがとうございます。
お酒が大好きなんですね。
ボクはまったく飲めないんで、童子さんの気持ちがすべて理解できないかもしれません。
酒呑童子が酒を飲む場面は、神楽の見せ場ですよね。
謡曲ではあまりそこは強調されてないようです。
後編で、そのあたりを詳しくご紹介できると思います。
またコメントお願いします♪
お酒が大好きなんですね。
ボクはまったく飲めないんで、童子さんの気持ちがすべて理解できないかもしれません。
酒呑童子が酒を飲む場面は、神楽の見せ場ですよね。
謡曲ではあまりそこは強調されてないようです。
後編で、そのあたりを詳しくご紹介できると思います。
またコメントお願いします♪
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/21 18:22 | BFfnvy1Y |
私は酒が三度の御飯よりも好きです。
酒呑童子の 『身も心も酔ったりし~ぃ』の
呑みっぷりが、気持ちいい、たまりません♪
酒呑童子の 『身も心も酔ったりし~ぃ』の
呑みっぷりが、気持ちいい、たまりません♪
| はる | EMAIL | URL | 06/08/21 15:12 | gRhkdjzc |
さぁ、いよいよ謎解きの始まりである。とその前に、渡辺綱について調べてみよう。生没については頼光とほぼ同じで、953年~1025年となっている。源敦(みなもとのあつし)の養子で、その敦が頼光の父、満仲の婿だったために、その関係で頼光に仕えるようになった。多田源氏の流れを汲む頼光に対し、綱は箕田(美田/みた)源氏の出身である。ので、もともとは源綱(みなもとのつな)なのだが、養母が摂津国渡辺に住んでいたので、これにちなんで「渡辺」を名乗るようになったという。
少し難しい説明が入ってしまった。それではお待ちかね「羅生門の鬼」の話を紹介する。ここでは、御伽草子「羅生門」と謡曲「羅生門」を組み合わせ、より物語性を持たせて、神楽ファンのみなさんにわかりやすいよう編集を試みた。
源頼光と四天王、藤原保昌の六人は、大江山で酒呑童子をはじめ七十五匹の鬼を退治した。春雨が降り続くある日、頼光は四天王と保昌を招いて酒をふるまった。その酒宴の席で保昌が「そぉいや、大江山で鬼退治したときに、一匹討ち漏らした鬼がおるらしいで。」と語り始めた。みなが興味を示し、保昌は続いて「へぇで最近、その鬼が九条の羅生門に住み着いてからに、わりぃことするゆぅんじゃと。」と言った。すると渡辺綱が「おぉい保昌さん、そがぁなことがあるわきゃなかろぅて。羅生門は都の南門じゃろ?『土も木も わが大君の国ならば いづくか鬼の宿と定めん』ゆぅ歌もあるじゃろが。ホンマにおったとしても、羅生門に鬼を住まわせちゃぁいけんわ。そんなつまらんげな事は言いんさんなや。」と言った。保昌は「へじゃぁあんたはわしがウソをよぅる言うんか。このこたぁ、誰でも知っとるけぇよぅるんで。ウソじゃ言うんなら、今晩にでも羅生門へ行ってからにホンマかウソか見てきんさいや。」と答えた。すると「はぁ、そりゃぁわしが羅生門へよぅ行かん思うとんじゃろ。へんならホンマかウソか、今晩行ってみちゃろうてぇ。なんか、そけぇ行ったいう印のもんをくれぇや。」と、羅生門へ行く姿勢を示した。みなが「やめときんさいや。」と止めたが、綱は「いやいや、別に保昌さんとケンカするわけじゃないんだが、一つは帝(みかど)のためでもあるけぇ、印をくれぇ言うたんよ。」と言う。それを聞いた頼光は「なるほどのぅ、綱が言うように一つは帝のためにもなるけぇ、印を立てに行ってきんさい。」と許可を出した。
こうして綱は、羅生門に置いてくる印をもらい、さっそく準備をし始めた。鎧を身に付け、兜の緒を締め、先祖伝来の太刀を持ち、たくましい馬に乗り、たった一人で宿を出て、二条大宮を南へ進み羅生門へと向かった。さて九条通りに出て羅生門に近づくと、ものすごい雨が降り始めた。突然のすさまじい嵐に、馬はおびえて立ち止まってしまった。綱は馬から飛び降り、羅生門の石段に駆け上がると、印の札を壇上に立て置いて帰ろうとした。しかし、後ろから兜の錏(しころ:兜の左右や後ろに垂れた、首をおおうもの)をつかんで引き止めるものがあるので、「ぅお!鬼じゃぁ!」と太刀を抜いて斬ろうとした。だが鬼は兜をつかんだので、綱は兜の緒を引きちぎって、思わず壇から飛び降りた。鬼は怒り狂って持っていた綱の兜を投げ捨てた。その背丈は羅生門の軒と同じくらいで、両眼は月日のようにらんらんと光り、綱をにらみつけて立っていた。綱は少しもひるまずに太刀をかまえ、「あんたぁ知らんのんか!わりぃことをするもんは、罰が当たるんでぇ~!」と言って切りかかると、鬼は鉄杖(てつじょう)を振りまわしてきた。綱はそれをかわし、違いざまに鬼に斬りつけた。鬼はさらに突進して綱に組み付こうとしたが、綱はその腕を切り落とした。鬼はたまらず塀に上がり、空へと飛び上がった。綱は後を追ったが黒雲におおわれてしまい、「いつか取り返しちゃるけぇの!!」と鬼の叫ぶ声が聞こえ、そのまま姿を消してしまった。
これが「羅生門の鬼」の伝説である。「戻り橋」で紹介した話とよく似ているのはすぐに気づかれたと思う。が、問題はその時期。これでは「戻り橋」→「大江山」→「羅生門」という順番になってしまう。ますます混乱してきそうだが、どうやらこの「羅生門」の伝説は、「戻り橋」の話をもとに作られたようである。つまり、「戻り橋」「大江山」の物語が定着して以降に作られたもので、正確に言えば神楽の物語と関連はないことになる。羅生門はこれ以外にも、いろいろ鬼にまつわる伝説が残されており、そういったものが組み合わさってこの「羅生門」の鬼伝説が生まれたようだ。
ちなみに御伽草子「羅生門」は、綱が切り取る腕が右腕だったり、鬼を切る刀も膝丸のほうだったりなど、一般的な物語と多少違う部分がある。これは御伽草子が人から人への語り伝えをまとめたものであり、またいろんな人が書き残しているので、どうしても微妙に違いが出てしまうのである。さらに御伽草子「羅生門」は、このあとに頼光が病になり、綱が牛鬼の腕を切り取り、頼光が物忌みをし、腕を取り返されたりという、どこかで聞いたような物語が続いている。これも、もとは土蜘蛛伝説であるものが、いろいろ尾ひれがついて御伽草子に収められたということである。残念ながらその続きの物語はスペースの都合上、割愛させていただく。
で、結局、綱が鬼の腕を切り落としたのはどっち?という最大の問題が残っているが、ハッキリ言ってこれは「各神楽団によって異なる」としか言いようがない。もとになった伝説がこれだけバラバラであるのだから、各神楽団で解釈が違ってくるのも当然である。ただ、一つ確かなことは、「都は羅生門、戻り橋あたりにおいて、茨木童子が左の腕を切り取られたり。」というセリフ、これは正しくないということである。前回で解説したとおり、戻り橋と羅生門はまったく別の離れた場所にある。例えるなら「今日は神楽があったけぇ、神楽ドーム、開発センターあたりに行ってきたんじゃ。」てな感じか。「どっちやねん!」とツッコミを入れなければならない。今度「戻り橋」「羅生門」を見るときは、そういうセリフをよく聞いて、いったいどちらで鬼の腕が切り取られたのか、注目すると面白いかもしれない。
最後に「羅生門」そのものについてだが、正確には「羅城門」と書いて「らしょうもん」と読む。しかし、もともとは「らいせいもん」や「らせいもん」と呼ばれていた。それが「らしょうもん」と呼ばれるようになったのはずっと後のことで、完全に定着した原因はあの芥川龍之介の小説「羅生門」であるといわれている。ちなみにこの小説「羅生門」、それから黒澤明監督の映画「羅生門」は、神楽の物語とは関係ない。
いつしか羅生門には鬼が住むと言われるようになった。「門」はある一つの世界と別の世界を結ぶものであり、そこを通り抜けるということは別世界への旅立ちということを意味する。羅生門の鬼伝説も、そういった意識のもとで生まれたのだろう。謎だらけでお送りしたこの章、このあたりでお開きとさせていただくが、最後はやはり謎でしめることにしよう。
『「戻り橋」や「羅生門」で渡辺綱に腕を切り取られた鬼は、本当に茨木童子だったのか!?』
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少し難しい説明が入ってしまった。それではお待ちかね「羅生門の鬼」の話を紹介する。ここでは、御伽草子「羅生門」と謡曲「羅生門」を組み合わせ、より物語性を持たせて、神楽ファンのみなさんにわかりやすいよう編集を試みた。
源頼光と四天王、藤原保昌の六人は、大江山で酒呑童子をはじめ七十五匹の鬼を退治した。春雨が降り続くある日、頼光は四天王と保昌を招いて酒をふるまった。その酒宴の席で保昌が「そぉいや、大江山で鬼退治したときに、一匹討ち漏らした鬼がおるらしいで。」と語り始めた。みなが興味を示し、保昌は続いて「へぇで最近、その鬼が九条の羅生門に住み着いてからに、わりぃことするゆぅんじゃと。」と言った。すると渡辺綱が「おぉい保昌さん、そがぁなことがあるわきゃなかろぅて。羅生門は都の南門じゃろ?『土も木も わが大君の国ならば いづくか鬼の宿と定めん』ゆぅ歌もあるじゃろが。ホンマにおったとしても、羅生門に鬼を住まわせちゃぁいけんわ。そんなつまらんげな事は言いんさんなや。」と言った。保昌は「へじゃぁあんたはわしがウソをよぅる言うんか。このこたぁ、誰でも知っとるけぇよぅるんで。ウソじゃ言うんなら、今晩にでも羅生門へ行ってからにホンマかウソか見てきんさいや。」と答えた。すると「はぁ、そりゃぁわしが羅生門へよぅ行かん思うとんじゃろ。へんならホンマかウソか、今晩行ってみちゃろうてぇ。なんか、そけぇ行ったいう印のもんをくれぇや。」と、羅生門へ行く姿勢を示した。みなが「やめときんさいや。」と止めたが、綱は「いやいや、別に保昌さんとケンカするわけじゃないんだが、一つは帝(みかど)のためでもあるけぇ、印をくれぇ言うたんよ。」と言う。それを聞いた頼光は「なるほどのぅ、綱が言うように一つは帝のためにもなるけぇ、印を立てに行ってきんさい。」と許可を出した。
こうして綱は、羅生門に置いてくる印をもらい、さっそく準備をし始めた。鎧を身に付け、兜の緒を締め、先祖伝来の太刀を持ち、たくましい馬に乗り、たった一人で宿を出て、二条大宮を南へ進み羅生門へと向かった。さて九条通りに出て羅生門に近づくと、ものすごい雨が降り始めた。突然のすさまじい嵐に、馬はおびえて立ち止まってしまった。綱は馬から飛び降り、羅生門の石段に駆け上がると、印の札を壇上に立て置いて帰ろうとした。しかし、後ろから兜の錏(しころ:兜の左右や後ろに垂れた、首をおおうもの)をつかんで引き止めるものがあるので、「ぅお!鬼じゃぁ!」と太刀を抜いて斬ろうとした。だが鬼は兜をつかんだので、綱は兜の緒を引きちぎって、思わず壇から飛び降りた。鬼は怒り狂って持っていた綱の兜を投げ捨てた。その背丈は羅生門の軒と同じくらいで、両眼は月日のようにらんらんと光り、綱をにらみつけて立っていた。綱は少しもひるまずに太刀をかまえ、「あんたぁ知らんのんか!わりぃことをするもんは、罰が当たるんでぇ~!」と言って切りかかると、鬼は鉄杖(てつじょう)を振りまわしてきた。綱はそれをかわし、違いざまに鬼に斬りつけた。鬼はさらに突進して綱に組み付こうとしたが、綱はその腕を切り落とした。鬼はたまらず塀に上がり、空へと飛び上がった。綱は後を追ったが黒雲におおわれてしまい、「いつか取り返しちゃるけぇの!!」と鬼の叫ぶ声が聞こえ、そのまま姿を消してしまった。
これが「羅生門の鬼」の伝説である。「戻り橋」で紹介した話とよく似ているのはすぐに気づかれたと思う。が、問題はその時期。これでは「戻り橋」→「大江山」→「羅生門」という順番になってしまう。ますます混乱してきそうだが、どうやらこの「羅生門」の伝説は、「戻り橋」の話をもとに作られたようである。つまり、「戻り橋」「大江山」の物語が定着して以降に作られたもので、正確に言えば神楽の物語と関連はないことになる。羅生門はこれ以外にも、いろいろ鬼にまつわる伝説が残されており、そういったものが組み合わさってこの「羅生門」の鬼伝説が生まれたようだ。
ちなみに御伽草子「羅生門」は、綱が切り取る腕が右腕だったり、鬼を切る刀も膝丸のほうだったりなど、一般的な物語と多少違う部分がある。これは御伽草子が人から人への語り伝えをまとめたものであり、またいろんな人が書き残しているので、どうしても微妙に違いが出てしまうのである。さらに御伽草子「羅生門」は、このあとに頼光が病になり、綱が牛鬼の腕を切り取り、頼光が物忌みをし、腕を取り返されたりという、どこかで聞いたような物語が続いている。これも、もとは土蜘蛛伝説であるものが、いろいろ尾ひれがついて御伽草子に収められたということである。残念ながらその続きの物語はスペースの都合上、割愛させていただく。
で、結局、綱が鬼の腕を切り落としたのはどっち?という最大の問題が残っているが、ハッキリ言ってこれは「各神楽団によって異なる」としか言いようがない。もとになった伝説がこれだけバラバラであるのだから、各神楽団で解釈が違ってくるのも当然である。ただ、一つ確かなことは、「都は羅生門、戻り橋あたりにおいて、茨木童子が左の腕を切り取られたり。」というセリフ、これは正しくないということである。前回で解説したとおり、戻り橋と羅生門はまったく別の離れた場所にある。例えるなら「今日は神楽があったけぇ、神楽ドーム、開発センターあたりに行ってきたんじゃ。」てな感じか。「どっちやねん!」とツッコミを入れなければならない。今度「戻り橋」「羅生門」を見るときは、そういうセリフをよく聞いて、いったいどちらで鬼の腕が切り取られたのか、注目すると面白いかもしれない。
最後に「羅生門」そのものについてだが、正確には「羅城門」と書いて「らしょうもん」と読む。しかし、もともとは「らいせいもん」や「らせいもん」と呼ばれていた。それが「らしょうもん」と呼ばれるようになったのはずっと後のことで、完全に定着した原因はあの芥川龍之介の小説「羅生門」であるといわれている。ちなみにこの小説「羅生門」、それから黒澤明監督の映画「羅生門」は、神楽の物語とは関係ない。
いつしか羅生門には鬼が住むと言われるようになった。「門」はある一つの世界と別の世界を結ぶものであり、そこを通り抜けるということは別世界への旅立ちということを意味する。羅生門の鬼伝説も、そういった意識のもとで生まれたのだろう。謎だらけでお送りしたこの章、このあたりでお開きとさせていただくが、最後はやはり謎でしめることにしよう。
『「戻り橋」や「羅生門」で渡辺綱に腕を切り取られた鬼は、本当に茨木童子だったのか!?』
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2006,08,17 Thu 00:00
新着コメント
リロっちさん、コメントありがとうございます。
広島弁にするのはそう大変ではないんですよ。
訳したら自然と広島弁になってて、逆に標準語にするほうが難しいくらいで・・・。
あがぁなことはなぁんですが(笑)。
とにかく、みなさんにわかりやすい、楽しいと言っていただけるのは本当に嬉しいです☆
ランキングにも支持をいただけて、感謝感激してます。
これからもよろしくお願いします!
広島弁にするのはそう大変ではないんですよ。
訳したら自然と広島弁になってて、逆に標準語にするほうが難しいくらいで・・・。
あがぁなことはなぁんですが(笑)。
とにかく、みなさんにわかりやすい、楽しいと言っていただけるのは本当に嬉しいです☆
ランキングにも支持をいただけて、感謝感激してます。
これからもよろしくお願いします!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/19 01:15 | BFfnvy1Y |
訳したものをまた広島弁に変えることはとても大変な作業だったのではないかと思います。お疲れ様です・・・☆
おかげで、とても楽しくお勉強させて頂いております。分かりやすく楽しい故、しっかりと頭に残ります!
また、ランキングがグングンとあがっているようですが、このブログをたくさんの方が見られてお勉強されていることをとても嬉しく思います。これからも、私たちファンのために頑張ってくださいね☆
おかげで、とても楽しくお勉強させて頂いております。分かりやすく楽しい故、しっかりと頭に残ります!
また、ランキングがグングンとあがっているようですが、このブログをたくさんの方が見られてお勉強されていることをとても嬉しく思います。これからも、私たちファンのために頑張ってくださいね☆
| リロっち | EMAIL | URL | 06/08/19 00:52 | Q8k/.EqM |
TOKOさん、コメントありがとうございます。
昔の物語って、訳すのが結構大変で、しかも難しい文章が多いんですよね。
だからせっかく訳しても、わかりにくかったりするので、何かいい手はないかなぁ~と思って、会話を広島弁にしてみました(笑)
ようやくその事にコメントしていただけて、内心ホッとしてます☆
これからもよろしくお願いします。
昔の物語って、訳すのが結構大変で、しかも難しい文章が多いんですよね。
だからせっかく訳しても、わかりにくかったりするので、何かいい手はないかなぁ~と思って、会話を広島弁にしてみました(笑)
ようやくその事にコメントしていただけて、内心ホッとしてます☆
これからもよろしくお願いします。
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/17 22:49 | BFfnvy1Y |
はるさん、コメントありがとうございます。
やっぱり神楽だけ見てると、あらすじがよくわからないことってありますよね!
見事な舞だけについ目が行ってしまったりして・・・。
「楽しく、わかりやすい」という事をテーマに書いてますので、そういうお言葉をいただいて嬉しく思います。
またコメントしてくださいね☆
やっぱり神楽だけ見てると、あらすじがよくわからないことってありますよね!
見事な舞だけについ目が行ってしまったりして・・・。
「楽しく、わかりやすい」という事をテーマに書いてますので、そういうお言葉をいただいて嬉しく思います。
またコメントしてくださいね☆
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/17 22:45 | BFfnvy1Y |
ここでははじめましてですね♪
源頼光どのや渡辺綱どの等の四天王のお話、または羅生門や戻り橋等の演目のあらすじ等、とても楽しく読ませて頂いております。
特に広島弁の会話が最高です♪
ますます、神楽が大好きになっていきますね。
源頼光どのや渡辺綱どの等の四天王のお話、または羅生門や戻り橋等の演目のあらすじ等、とても楽しく読ませて頂いております。
特に広島弁の会話が最高です♪
ますます、神楽が大好きになっていきますね。
| TOKO | EMAIL | URL | 06/08/17 17:29 | n5WKKwWQ |