先週の日曜日、千代田開発センターで月一の舞いが行われました。今回のテーマは、「-神楽歴史物語 義経伝説-」です。源義経は悲劇の英雄として多くの伝説が残っていますが、今回はその義経と弁慶の出会いやその生涯までを4団体4演目でご紹介していきます。それでは、報告です。
都治神楽社中「弁慶」
みなさんもご存じかもしれませんが、あの有名な武蔵坊弁慶と義経が出会う物語。京で千本の太刀を奪おうと悲願を立てた弁慶。しかし、999本まで集めますが、あと一本ということころで義経と出会います。神楽のはじめ、弁慶が登場。腰をずっしりと落し、ゆっくりと舞う弁慶の姿は迫力満点。また、長刀を持ってぐるぐると回転させる姿は豪快でした。力強さと重みのある舞いで、無敵の弁慶という風格が伝わってくるようでした。そして、いよいよ弁慶と義経が出会う場面。千本目となる太刀、義経の太刀を奪おうと弁慶は義経に襲い掛かります。しかし、どんなに長刀を振り回しても、ひょいひょいっと義経は簡単によけていきます。写真でも分かると思いますが、義経の見事なジャンプ。激しい立ち合いにもかかわらず、何度も高いジャンプを繰り返す身軽な義経の様子におもわず見とれてしまいました。
上本地神楽団「壇の浦」
長門国(ながとのくに)赤間関壇の浦、現在の山口県下関。平家が遂に滅亡に至ってしまう最後の戦いです。見どころは、母である二位尼 平時子とその息子、新中納言 平知盛(たいらのとももり)の別れの場面。遂に義経軍に敗れ、平氏一門の終焉のとき。「見苦しいものを取り清め給え…」と言う知盛の言葉にすべてを悟った二位尼。そして、安徳天皇を抱き、「波の下にも都あり」と海に身を投じていきます。無念と悲しむ知盛の姿にそっと手を差し伸べようとするもグッと堪える二位尼の姿はなんとも切なく、舞手さんの迫真の演技に心打たれてしまいました。そして場面はクライマックス、知盛と義経の合戦。どんどん激しくなる戦いは迫力満点。しかし、激しい戦いを繰り広げるも、知盛は碇を担ぎ自ら海へ身を投げます。「見るべき程のものは、全て見つ。今はただ自害せん」平家の生き様を全て見届けた、今はただ自害しよう…。この言葉には悲しさの中にもどこか満足感があるようにも感じられました。
琴庄神楽団「義経平氏追討」
先ほどの演目、「壇の浦」の後編にあたるお話。壇の浦の戦いにより滅んだ平家一門。しかし、海へと身を投じた平知盛は、その恨みを晴らすべく、怨霊となり再び義経たちに襲い掛かろうとします。先ほど見た壇の浦の前半部分のお話により、この演目の話の流れには、スムーズに入りやすかったのではないでしょうか。知盛が怨霊へと変わっていく場面。義経軍に敗れ、次々に身を海に投じてった平氏軍。母、二位の尼も目の前で身を投げ、知盛はさぞかし無念で悔しかったことでしょう。神楽では、その無念さと海の底で息のできない苦しさとが知盛の表情に表れているようで、こちらまで苦しくなってしまいそうでした。また、義経たちと怨霊と化した知盛との戦いの場面では、切られても苦しみながらも、何度も襲い掛かる知盛の怨霊に不気味さが感じられました。
川西神楽団「衣川の館(ころもがわのたて)」
源義経、最後の物語。この物語は、川西神楽団さんのあらすじを参考にさせていただくと、壇の浦の戦いで、平家滅亡に活躍した義経はその後、兄 源頼朝によって鎌倉を追われてしまいます。義経は奥州藤原三代目秀衡(ひでひら)を頼り、平泉の地は衣川の館に安住を求めるも、藤原秀衡死後、源頼朝の命令により衣川の館にて秀衡の息子、泰衡(やすひら)に襲われます。泰衡の意をくんだ義経は自害の道を選び、弁慶は義経の自害の際、全身に矢を受けながらも、義経の前に仁王立ちし、最後を守ったそうです。やはり見どころは、立ち合いの場面でしょうか。義経と弁慶、泰衡と弟、衡国の激しい合戦が繰り広げられます。そして弁慶が義経を守ろうとする場面では、義経を守るため、泰衡らに弁慶一人で挑んでいきます。歴史の中の弁慶は敵からの攻撃を受けるも立ったまま亡くなったとされていますが、神楽でもその様子が取り込まれていました。
さて、来月は2011広島・島根交流神楽フェスティバル‐神楽の祭典‐が行われます。8月20、21日と二日間連続で行われますが、チケットが異なりますので注意してくださいね。それでは、来月もお楽しみに★
都治神楽社中「弁慶」
みなさんもご存じかもしれませんが、あの有名な武蔵坊弁慶と義経が出会う物語。京で千本の太刀を奪おうと悲願を立てた弁慶。しかし、999本まで集めますが、あと一本ということころで義経と出会います。神楽のはじめ、弁慶が登場。腰をずっしりと落し、ゆっくりと舞う弁慶の姿は迫力満点。また、長刀を持ってぐるぐると回転させる姿は豪快でした。力強さと重みのある舞いで、無敵の弁慶という風格が伝わってくるようでした。そして、いよいよ弁慶と義経が出会う場面。千本目となる太刀、義経の太刀を奪おうと弁慶は義経に襲い掛かります。しかし、どんなに長刀を振り回しても、ひょいひょいっと義経は簡単によけていきます。写真でも分かると思いますが、義経の見事なジャンプ。激しい立ち合いにもかかわらず、何度も高いジャンプを繰り返す身軽な義経の様子におもわず見とれてしまいました。
上本地神楽団「壇の浦」
長門国(ながとのくに)赤間関壇の浦、現在の山口県下関。平家が遂に滅亡に至ってしまう最後の戦いです。見どころは、母である二位尼 平時子とその息子、新中納言 平知盛(たいらのとももり)の別れの場面。遂に義経軍に敗れ、平氏一門の終焉のとき。「見苦しいものを取り清め給え…」と言う知盛の言葉にすべてを悟った二位尼。そして、安徳天皇を抱き、「波の下にも都あり」と海に身を投じていきます。無念と悲しむ知盛の姿にそっと手を差し伸べようとするもグッと堪える二位尼の姿はなんとも切なく、舞手さんの迫真の演技に心打たれてしまいました。そして場面はクライマックス、知盛と義経の合戦。どんどん激しくなる戦いは迫力満点。しかし、激しい戦いを繰り広げるも、知盛は碇を担ぎ自ら海へ身を投げます。「見るべき程のものは、全て見つ。今はただ自害せん」平家の生き様を全て見届けた、今はただ自害しよう…。この言葉には悲しさの中にもどこか満足感があるようにも感じられました。
琴庄神楽団「義経平氏追討」
先ほどの演目、「壇の浦」の後編にあたるお話。壇の浦の戦いにより滅んだ平家一門。しかし、海へと身を投じた平知盛は、その恨みを晴らすべく、怨霊となり再び義経たちに襲い掛かろうとします。先ほど見た壇の浦の前半部分のお話により、この演目の話の流れには、スムーズに入りやすかったのではないでしょうか。知盛が怨霊へと変わっていく場面。義経軍に敗れ、次々に身を海に投じてった平氏軍。母、二位の尼も目の前で身を投げ、知盛はさぞかし無念で悔しかったことでしょう。神楽では、その無念さと海の底で息のできない苦しさとが知盛の表情に表れているようで、こちらまで苦しくなってしまいそうでした。また、義経たちと怨霊と化した知盛との戦いの場面では、切られても苦しみながらも、何度も襲い掛かる知盛の怨霊に不気味さが感じられました。
川西神楽団「衣川の館(ころもがわのたて)」
源義経、最後の物語。この物語は、川西神楽団さんのあらすじを参考にさせていただくと、壇の浦の戦いで、平家滅亡に活躍した義経はその後、兄 源頼朝によって鎌倉を追われてしまいます。義経は奥州藤原三代目秀衡(ひでひら)を頼り、平泉の地は衣川の館に安住を求めるも、藤原秀衡死後、源頼朝の命令により衣川の館にて秀衡の息子、泰衡(やすひら)に襲われます。泰衡の意をくんだ義経は自害の道を選び、弁慶は義経の自害の際、全身に矢を受けながらも、義経の前に仁王立ちし、最後を守ったそうです。やはり見どころは、立ち合いの場面でしょうか。義経と弁慶、泰衡と弟、衡国の激しい合戦が繰り広げられます。そして弁慶が義経を守ろうとする場面では、義経を守るため、泰衡らに弁慶一人で挑んでいきます。歴史の中の弁慶は敵からの攻撃を受けるも立ったまま亡くなったとされていますが、神楽でもその様子が取り込まれていました。
さて、来月は2011広島・島根交流神楽フェスティバル‐神楽の祭典‐が行われます。8月20、21日と二日間連続で行われますが、チケットが異なりますので注意してくださいね。それでは、来月もお楽しみに★
2011,07,26 Tue 23:00
新着コメント
無さんコメントありがとうございます(^O^)
神楽の祭典では二日とも特派員報告する予\定です♪
楽しみに待っててくださいね★
神楽の祭典では二日とも特派員報告する予\定です♪
楽しみに待っててくださいね★
| 特派員N | EMAIL | URL | 11/07/27 21:18 | FxqC11LA |
今度の月一の舞い神楽の祭典では管理人さんは1日目と2日目どちらに行かれますか。ぼくは両方の報告をしてもらいたです。
| 無 | EMAIL | URL | 11/07/27 10:41 | TbAzEWsM |