いよいよシリーズ最終章、まとめの章である。が、まとめの章ということになれば、難しい話ばかりになりそうなので、やっぱりまとめない。まとめないかわりに、晩年の頼光についての物語が「今昔物語集」に収められているので紹介する。
今は昔、東宮(後の三条天皇)がお出かけになった時に、東三条殿という大きな屋敷の軒下に、狐が寝ているのを見つけた。そこで東宮は、お供をしていた源頼光に「ぉい頼光、あっけぇ狐がおろうが。あれに矢を討ってみぃの。」と命令した。すると頼光は「そぎゃんこたぁちぃと無理じゃ思うんですが。他の人なら外してもせやなぁが、わしが外したとなりゃ、大事ですけぇ。」と辞退した。しかし東宮に「まぁえぇけぇ、マジでやれぇやぁ!」と言われ、頼光は辞退できなくなり、弓をとって矢をつがえながらも「この弓がもちぃと強けりゃえぇんじゃが、こんぎゃぁに離れた的には、この矢は重たぁでぇ~。矢が途中で落ちてしもうたら、外すより耐えがたぁけぇやれんよぉ!どがしょうかいねぇ~。」などとブツブツ言いながら、矢を放った。すると、見事狐の胸に命中し、狐はそばの池に落ちて死んでしまった。東宮をはじめ、そばにいた人たちは「すげぇ!」などと頼光を褒め称えた。東宮は褒美として頼光に馬を与えようとした。しかし頼光は「ありゃぁ、わしが討った矢じゃぁなぁんよ。いっつも拝みよる石清水八幡さんが、助けてくれちゃったんですよ。」と言って引き下がった。それ以降も頼光は、家族や知人などに「ありゃぁ神様仏様のおかげなんで。」と常に語っていたので、世間は頼光を褒め称えたという。
ここに登場する東宮は、今で言えば皇太子のような存在で、藤原道長と親しくしていたとはいえ、武家の出身である頼光がそのお供をしていたという事であるから、どれほど頼光がまわりから大物と見られていたか、想像できるような物語である。さらに鬼退治などではないにせよ、頼光の武勇と八幡崇拝がテーマとして書かれている。
冒頭で「まとめない。」と爆弾発言したが、まとめないと終わりそうにないので、やっぱりまとめる。なんじゃそりゃ。とにかく、「英雄化された頼光」についての謎を解くには、次の三つの大きなポイントがあげられる。
まず一つ目。平安後期に賊征伐の事件が多発したこと。実はあの大江山にも、なんらかの反中央勢力がはびこり、それを朝廷の命を受けた軍が制圧したという記録が残されているのだ。つまり、鬼退治ではないにしろ、大江山へ賊を征伐するために武将たちが攻め上ったのは事実なのである。「葛城山」の章でも述べたように、こういった事件が「酒呑童子」のベースになった、という説もある。
そして二つ目。鬼退治の伝説を作る必要があったということ。いつの世でもそうだが、権力者にとっては下の者が逆らうことほどやっかいなことはない。上記にあげたように、賊退治の多発が政治不信につながり、民の朝廷への不満が高まる一方となる。そういった不信感を、鬼退治などの伝説を広めてごまかした、という仮説である。現代でさえ、お偉いさん連中は権力と大金を操り、自分の不正や不祥事を隠そうとするのである。ケータイやテレビがなかった時代、鬼や神様仏様が信じられていた時代。鬼退治という物語は、誰でも興味を持つ、恰好(かっこう)の題材ではなかろうか。
そして最大のポイントは、英雄として最もふさわしい人物が源頼光であった、ということ。頼光は藤原道長に仕えていたという大きなアドバンテージがある。たとえ頼光の名は知らなくても、「あの道長様に仕えとったんじゃと。」と聞けば「はぁ、そりゃよっぽど強い人だったんじゃろぅて。」と思われていたということは、想像に難くない。また、鬼退治の物語が作られ始めた(仮説)平安後期から、「御伽草子」によって酒呑童子の話が定着した室町時代という時代背景を考えてみると、要するに貴族から武士へと変わっていった時代だった。清和天皇の血筋で、「源」氏を名乗る頼光はまさに時代にピッタリの主役だったのである。もし、源氏が平氏に敗れていたら、「源頼光」という名は今日まで残っていなかったかもしれない。ヘタすりゃ、「酒呑童子」の物語の主役は藤原保昌とかになってたりして・・・!伝説は、ちょっとしたことですぐにその形を変えてしまうものである。「源頼光」が主役であり続け、世に定着することができたのは、こういった時代背景に支えられた面が大きいのではないだろうか。
こうして、英雄になるべくして、頼光は伝説の英雄になった。藤原道長に仕え、必死に源氏の地位を高めようとした源頼光。確かにその後、源氏は繁栄し、幕府を開いたりするなどの活躍もあった。がしかし「源頼光」という名が、それから1000年近くたった現在、神楽という芸能の中で大ブレイクしてしているということは、予想だにしなかったことであろう。この現状を見て、きっと頼光殿も苦笑いしているに違いない。というわけで、十章にわたってお送りしたシリーズ「源頼光」、これにて完結。長い間ご愛読してくださった皆さんに、心から感謝したい。ではまたの機会に。
(塩瀬神楽団の写真提供:すな様)
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参考文献
朧谷 寿 「源 頼光」 吉川弘文館
東京大学史料編纂所 「大日本古記録 御堂関白記」 岩波書店
東京大学史料編纂所 「大日本古記録 小右記」 岩波書店
馬淵 和夫・国東 文麿・今野 達 「日本古典文学全集 今昔物語集」 小学館
大島 建彦 「日本古典文学全集 御伽草子集」 小学館
西尾 光一・小林保治 「新潮日本古典集成 古今著聞集」 新潮社
黒板 勝美・国史大系編修会 「尊卑文脈」 吉川弘文館
小松 和彦 「酒呑童子の首」 せりか書房
石川 透 「御伽草子 その世界」 勉誠出版
笹間 良彦 「鬼ともののけの文化史」 遊子館
佐竹 昭広 「酒呑童子異聞」 平凡社
志村 有広 「羅城門の怪」 角川書店
大江山鬼伝説一千年祭実行委員会鬼文化部会 「大江山鬼伝説考」
高橋 昌明 「酒呑童子の誕生 もうひとつの日本文化」 中央公論新社
山田 現阿 「絵巻 酒呑童子」 考古堂
竹本 幹夫 「対訳でたのしむ 土蜘蛛」 檜書店
佐々木 順三 「かぐら台本集 新曲目の部」
画像提供
ユッキー様
すな様
写真協力
原田神楽団
大塚神楽団
東山神楽団
八重西神楽団
宮乃木神楽団
筏津神楽団
龍南神楽団
小枝神楽団
大森神楽団
塩瀬神楽団
広森神楽団
取材協力
八重西神楽団
イラスト 門出尚子
今は昔、東宮(後の三条天皇)がお出かけになった時に、東三条殿という大きな屋敷の軒下に、狐が寝ているのを見つけた。そこで東宮は、お供をしていた源頼光に「ぉい頼光、あっけぇ狐がおろうが。あれに矢を討ってみぃの。」と命令した。すると頼光は「そぎゃんこたぁちぃと無理じゃ思うんですが。他の人なら外してもせやなぁが、わしが外したとなりゃ、大事ですけぇ。」と辞退した。しかし東宮に「まぁえぇけぇ、マジでやれぇやぁ!」と言われ、頼光は辞退できなくなり、弓をとって矢をつがえながらも「この弓がもちぃと強けりゃえぇんじゃが、こんぎゃぁに離れた的には、この矢は重たぁでぇ~。矢が途中で落ちてしもうたら、外すより耐えがたぁけぇやれんよぉ!どがしょうかいねぇ~。」などとブツブツ言いながら、矢を放った。すると、見事狐の胸に命中し、狐はそばの池に落ちて死んでしまった。東宮をはじめ、そばにいた人たちは「すげぇ!」などと頼光を褒め称えた。東宮は褒美として頼光に馬を与えようとした。しかし頼光は「ありゃぁ、わしが討った矢じゃぁなぁんよ。いっつも拝みよる石清水八幡さんが、助けてくれちゃったんですよ。」と言って引き下がった。それ以降も頼光は、家族や知人などに「ありゃぁ神様仏様のおかげなんで。」と常に語っていたので、世間は頼光を褒め称えたという。
ここに登場する東宮は、今で言えば皇太子のような存在で、藤原道長と親しくしていたとはいえ、武家の出身である頼光がそのお供をしていたという事であるから、どれほど頼光がまわりから大物と見られていたか、想像できるような物語である。さらに鬼退治などではないにせよ、頼光の武勇と八幡崇拝がテーマとして書かれている。
冒頭で「まとめない。」と爆弾発言したが、まとめないと終わりそうにないので、やっぱりまとめる。なんじゃそりゃ。とにかく、「英雄化された頼光」についての謎を解くには、次の三つの大きなポイントがあげられる。
まず一つ目。平安後期に賊征伐の事件が多発したこと。実はあの大江山にも、なんらかの反中央勢力がはびこり、それを朝廷の命を受けた軍が制圧したという記録が残されているのだ。つまり、鬼退治ではないにしろ、大江山へ賊を征伐するために武将たちが攻め上ったのは事実なのである。「葛城山」の章でも述べたように、こういった事件が「酒呑童子」のベースになった、という説もある。
そして二つ目。鬼退治の伝説を作る必要があったということ。いつの世でもそうだが、権力者にとっては下の者が逆らうことほどやっかいなことはない。上記にあげたように、賊退治の多発が政治不信につながり、民の朝廷への不満が高まる一方となる。そういった不信感を、鬼退治などの伝説を広めてごまかした、という仮説である。現代でさえ、お偉いさん連中は権力と大金を操り、自分の不正や不祥事を隠そうとするのである。ケータイやテレビがなかった時代、鬼や神様仏様が信じられていた時代。鬼退治という物語は、誰でも興味を持つ、恰好(かっこう)の題材ではなかろうか。
そして最大のポイントは、英雄として最もふさわしい人物が源頼光であった、ということ。頼光は藤原道長に仕えていたという大きなアドバンテージがある。たとえ頼光の名は知らなくても、「あの道長様に仕えとったんじゃと。」と聞けば「はぁ、そりゃよっぽど強い人だったんじゃろぅて。」と思われていたということは、想像に難くない。また、鬼退治の物語が作られ始めた(仮説)平安後期から、「御伽草子」によって酒呑童子の話が定着した室町時代という時代背景を考えてみると、要するに貴族から武士へと変わっていった時代だった。清和天皇の血筋で、「源」氏を名乗る頼光はまさに時代にピッタリの主役だったのである。もし、源氏が平氏に敗れていたら、「源頼光」という名は今日まで残っていなかったかもしれない。ヘタすりゃ、「酒呑童子」の物語の主役は藤原保昌とかになってたりして・・・!伝説は、ちょっとしたことですぐにその形を変えてしまうものである。「源頼光」が主役であり続け、世に定着することができたのは、こういった時代背景に支えられた面が大きいのではないだろうか。
こうして、英雄になるべくして、頼光は伝説の英雄になった。藤原道長に仕え、必死に源氏の地位を高めようとした源頼光。確かにその後、源氏は繁栄し、幕府を開いたりするなどの活躍もあった。がしかし「源頼光」という名が、それから1000年近くたった現在、神楽という芸能の中で大ブレイクしてしているということは、予想だにしなかったことであろう。この現状を見て、きっと頼光殿も苦笑いしているに違いない。というわけで、十章にわたってお送りしたシリーズ「源頼光」、これにて完結。長い間ご愛読してくださった皆さんに、心から感謝したい。ではまたの機会に。
(塩瀬神楽団の写真提供:すな様)
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
参考文献
朧谷 寿 「源 頼光」 吉川弘文館
東京大学史料編纂所 「大日本古記録 御堂関白記」 岩波書店
東京大学史料編纂所 「大日本古記録 小右記」 岩波書店
馬淵 和夫・国東 文麿・今野 達 「日本古典文学全集 今昔物語集」 小学館
大島 建彦 「日本古典文学全集 御伽草子集」 小学館
西尾 光一・小林保治 「新潮日本古典集成 古今著聞集」 新潮社
黒板 勝美・国史大系編修会 「尊卑文脈」 吉川弘文館
小松 和彦 「酒呑童子の首」 せりか書房
石川 透 「御伽草子 その世界」 勉誠出版
笹間 良彦 「鬼ともののけの文化史」 遊子館
佐竹 昭広 「酒呑童子異聞」 平凡社
志村 有広 「羅城門の怪」 角川書店
大江山鬼伝説一千年祭実行委員会鬼文化部会 「大江山鬼伝説考」
高橋 昌明 「酒呑童子の誕生 もうひとつの日本文化」 中央公論新社
山田 現阿 「絵巻 酒呑童子」 考古堂
竹本 幹夫 「対訳でたのしむ 土蜘蛛」 檜書店
佐々木 順三 「かぐら台本集 新曲目の部」
画像提供
ユッキー様
すな様
写真協力
原田神楽団
大塚神楽団
東山神楽団
八重西神楽団
宮乃木神楽団
筏津神楽団
龍南神楽団
小枝神楽団
大森神楽団
塩瀬神楽団
広森神楽団
取材協力
八重西神楽団
イラスト 門出尚子
2006,08,31 Thu 00:00
コメント
みなとさん、コメントありがとうございます。
大変懐かしい記事で…(笑)
広島の芸北地域の神楽は、時代に沿って進化していますので、初めての方にも興味を持っていただけると思います。
機会がありましたら、ぜひご覧ください!
大変懐かしい記事で…(笑)
広島の芸北地域の神楽は、時代に沿って進化していますので、初めての方にも興味を持っていただけると思います。
機会がありましたら、ぜひご覧ください!
| 特派員 | EMAIL | URL | 08/08/14 22:38 | BFfnvy1Y |
古い記事にコメント失礼します。
源頼光や酒呑童子で検索して来ました。
シリーズとても興味深く楽しく読ませてもらいましたo(^-^)o
神楽って見たことがないのですが、是非見てみたいなぁと思いました!
源頼光や酒呑童子で検索して来ました。
シリーズとても興味深く楽しく読ませてもらいましたo(^-^)o
神楽って見たことがないのですが、是非見てみたいなぁと思いました!
| みなと | EMAIL | URL | 08/08/14 22:01 | iV95cbPg |
リロっちさん、コメントありがとうございます。
いやぁ~何気に大変でした!(笑)
ブログ書くのにこんなにテマヒマかけていいのかなと。
しかもお褒めのコメントまで頂いて、ただただ感謝ばかりです。
第二弾、実現するかわかりませんが、頑張りたいと思います☆
またコメントお願いします!
いやぁ~何気に大変でした!(笑)
ブログ書くのにこんなにテマヒマかけていいのかなと。
しかもお褒めのコメントまで頂いて、ただただ感謝ばかりです。
第二弾、実現するかわかりませんが、頑張りたいと思います☆
またコメントお願いします!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/31 23:15 | BFfnvy1Y |
長い間、お疲れ様でした!!
記事を書くのはとても大変だったと思います。
神楽にあまり詳しくない私には、少し難しいと思う部分もありましたが、広島弁でとても分かりやすく楽しくお勉強させていただきました。
絵もとても気に入りました☆
また、次のコラムを楽しみにしています(^▼^)
記事を書くのはとても大変だったと思います。
神楽にあまり詳しくない私には、少し難しいと思う部分もありましたが、広島弁でとても分かりやすく楽しくお勉強させていただきました。
絵もとても気に入りました☆
また、次のコラムを楽しみにしています(^▼^)
| リロっち | EMAIL | URL | 06/08/31 23:05 | Q8k/.EqM |
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