本文中で書きそびれたことをいくつか補足説明。まずは呉葉が寵愛を受けた源経基について。この人物を学校の授業で聞いた覚えのある方はいらっしゃるだろうか。とにかく源という苗字の割りには「で、だれ?」みたいな感じがするが、実は清和天皇の孫に当たる人物である。そしてその息子には源満仲。ここまで書けばピンと来るだろう。そう、実はあの頼光のおじいさんになるのだ。ちなみに、頼光が生まれたとされるのは948年で、紅葉が平維茂に成敗されたのが969年とされているから、その時頼光は21歳だったということになる。さらにちなみに、頼光が大江山へ登って酒呑童子を退治したのが995年とされており、この時頼光は47歳。若き日の頼光は、維茂の武勇伝を聞いて「いつか自分も!」と思っていたのかもしれない。
もう一つ、紅葉が従えていた部下について。神楽で見る場合、鬼女大王が中心で手下が二人というものだが、伝説において紅葉は盗賊の首領だった。その手下には平将門に仕えた者の子孫と伝えられる鬼武、熊武、鷲王、伊賀瀬という4人の盗賊もいたという。もっとも有力な部下は、「おまん」という怪力を持った女だった。その背丈はなんと8尺(2m40cm)もあったと伝えられ、35人力という怪力に加え、一晩に40キロ以上の距離を走りまわったりと、まさにバケモノ級の女傑だった。維茂が率いる軍勢によって、紅葉を始め盗賊たちがことごとく討ち取られても、自慢の怪力と快速で一人逃げ延びた。そしてある山中で、水溜りで血まみれの手足を洗い、ふと目をあげると、そこには夕日で染まった美しい戸隠の山々が広がっていた。あまりの美しさに見入っていたおまんが、再び目を落とすと、その水溜りには血で汚れて凄まじい形相の自分の顔が映っていた。そこで我に返ったおまんは、今までの罪を改め、また亡き紅葉たちの御霊を慰めるために尼になったという。そして毎日祈り続けた末、善人に戻ったことを悟り、自ら首を落としたという伝説が残っている。
以上、神楽だけでは知ることのできない、「紅葉狩」の伝説補足編をお届けした。
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もう一つ、紅葉が従えていた部下について。神楽で見る場合、鬼女大王が中心で手下が二人というものだが、伝説において紅葉は盗賊の首領だった。その手下には平将門に仕えた者の子孫と伝えられる鬼武、熊武、鷲王、伊賀瀬という4人の盗賊もいたという。もっとも有力な部下は、「おまん」という怪力を持った女だった。その背丈はなんと8尺(2m40cm)もあったと伝えられ、35人力という怪力に加え、一晩に40キロ以上の距離を走りまわったりと、まさにバケモノ級の女傑だった。維茂が率いる軍勢によって、紅葉を始め盗賊たちがことごとく討ち取られても、自慢の怪力と快速で一人逃げ延びた。そしてある山中で、水溜りで血まみれの手足を洗い、ふと目をあげると、そこには夕日で染まった美しい戸隠の山々が広がっていた。あまりの美しさに見入っていたおまんが、再び目を落とすと、その水溜りには血で汚れて凄まじい形相の自分の顔が映っていた。そこで我に返ったおまんは、今までの罪を改め、また亡き紅葉たちの御霊を慰めるために尼になったという。そして毎日祈り続けた末、善人に戻ったことを悟り、自ら首を落としたという伝説が残っている。
以上、神楽だけでは知ることのできない、「紅葉狩」の伝説補足編をお届けした。
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2007,01,16 Tue 00:00
コメント
若葉さん、コメントありがとうございます。
とても詳しいお話で、大変勉強になりました☆
最初に神が二人になったのは、わりと最近なんですね。
もっと昔の話かと思ってました^^;
この事については全く知らなかったので、我ながらいい予想だったと思います(笑)
本当はここまで調べてから書くのが一番なんですけど、なかなか実際には難しいものがありまして…。
若葉さんの投稿は本当にありがたいと思います。
またコメントお願いします!
とても詳しいお話で、大変勉強になりました☆
最初に神が二人になったのは、わりと最近なんですね。
もっと昔の話かと思ってました^^;
この事については全く知らなかったので、我ながらいい予想だったと思います(笑)
本当はここまで調べてから書くのが一番なんですけど、なかなか実際には難しいものがありまして…。
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| 特派員 | EMAIL | URL | 07/01/24 18:35 | BFfnvy1Y |
神楽研究コラム「紅葉狩」を見ました。
主に戸隠山の鬼女紅葉伝説について書かれていたようですが、文字で残されているもので一番古いのは、能の紅葉狩(作者・観世小次郎信光 1435~1516)であって、紅葉伝説の最古の記録「信府統記」が1724年であることから、能からヒントを得て作られたのではないかと言われているそうです。
所詮、どちらも伝説なので、どちらが正しいかの議論はこの際、あまり意味はありませんが、豆知識程度に書かせていただきます。
ちなみにもう一点、紅葉狩の神を二人出したのは、原田神楽団が最初です。昭和52年に芸石神楽競演大会へ紅葉狩で出演していますので、約30年前からだと思います。理由は、一人よりも二人のほうが見栄えがいいからだそうです。
その後、他の神楽団も二人出すところが増えましたが、団ごとに従者に名前を付けておられるようなので、様々な名前があるのだと思います。ちなみに原田神楽団の従者には名前はありません。
主に戸隠山の鬼女紅葉伝説について書かれていたようですが、文字で残されているもので一番古いのは、能の紅葉狩(作者・観世小次郎信光 1435~1516)であって、紅葉伝説の最古の記録「信府統記」が1724年であることから、能からヒントを得て作られたのではないかと言われているそうです。
所詮、どちらも伝説なので、どちらが正しいかの議論はこの際、あまり意味はありませんが、豆知識程度に書かせていただきます。
ちなみにもう一点、紅葉狩の神を二人出したのは、原田神楽団が最初です。昭和52年に芸石神楽競演大会へ紅葉狩で出演していますので、約30年前からだと思います。理由は、一人よりも二人のほうが見栄えがいいからだそうです。
その後、他の神楽団も二人出すところが増えましたが、団ごとに従者に名前を付けておられるようなので、様々な名前があるのだと思います。ちなみに原田神楽団の従者には名前はありません。
| 若葉 | EMAIL | URL | 07/01/23 22:35 | Xg3P.urA |
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