芸北神楽の登場人物の中で、もっとも英雄的なキャラクター、源頼光。大江山三段返しをはじめ、葛城山(土蜘蛛)、山姥、鬼同丸退治などその活躍ぶりは他に類を見ない。しかし、神楽や伝説の中でこれほど活躍しているにもかかわらず、歴史の授業などで彼の名を耳にした記憶はない。いや、別に授業をサボったり、居眠りをしていたわけではない。
とにかく、伝説上の英雄である源頼光、その実像に迫ってみることにする。
源頼光は、清和天皇のひ孫にあたる源満仲の長男として、940~950年あたりに生まれた。頼光の実像は、当時のことがいろいろ記された日記で知ることができる。と言っても、頼光自身が書いた日記は残っておらず、参考になるのは藤原道長が書いた「御堂関白記」、藤原実資の日記「小右記」などである。藤原道長と言えば、「この世をば 我が世とぞ思う望月の 欠けたる事も無しと思えば」の歌で有名なあの道長である。東山神楽団「天神記」に登場する藤原時平が、この歌をなぞったセリフを言う場面があるが、すぐにピンとくる神楽ファンの方もおられるだろう。頼光はこの藤原道長に仕えていた人物の一人だった。正確には、一方的に品物を贈りつけて気に入られようとしていたようだが。
そのあたり、これらの日記を読むと、頼光が道長にたびたび貢物をしていたことが記されている。ちなみに、この日記には、「○○年○月に頼光が大江山へ登った」とか、「土蜘蛛を退治した」などのことは一切記されていない。念のため。
また、道長の家が火事で焼けた時には、いち早く物資、家具一式などを贈り、大変喜ばれたそうだ。その後、新しくなった道長の家にも、さらに頼光から続々と贈り物が届いていたようで、その品物を見ようと見物人が集まるほどだったらしい。
このことから察するに、頼光は相当なお金持ちだったようだ。確かに神楽に登場する頼光さんは、とても豪華絢爛な衣装を着ているし!ってそれは関係ありませんね。
記録上、頼光は様々な要職についていた。朝廷から任命され、それぞれの国を治める国司(今で言えば県知事か?)や、重要人物の警護など、かなりエリート組の仕事ばかりである。特に国司にいたっては、備前(岡山)から始まり、伊豆、信濃、美濃、尾張、但馬、讃岐、丹波、河内、伊予、紀伊、摂津(大阪府)などなど、16~17を数える。中でも有名なのはセリフでおなじみの「摂津守」だろう。しかし実は、摂津守に任命されてから一年とたたず、頼光は亡くなっている。1021年のことだ。
こういった仕事をしっかりとこなし、着実に財産を蓄え、その財力を持って当時の最高権力者に貢いでいた。こうしてみるとかなり出世上手な人物だったことがわかる。さらに当時の出世術の最たるものは、自分の娘を天皇の嫁にすることだった。道長もそうやって摂政となり、栄華を築いていった。頼光はこの道長の兄である道綱を娘婿に迎えている。よって摂関家の道綱は頼光の家に住むことになり、それによって頼光は自分の地位を高めようとしたようだ。
以上が記録からわかる頼光の実像である。ちなみに「鬼同丸退治」などに登場する、弟の頼信は、実際には頼光とは腹違いの弟になり、頼信も藤原氏一族の実資に仕えていた。そしてなんと、頼信の子孫からは、「1192つくろう鎌倉幕府」の源頼朝が出ている。頼光の子孫からは頼朝のような大物は出ていないが、後世まで「頼光」の名を残すことができたのはやはり、当時の最高権力者だった藤原道長に気に入られていたからだろう。しいて言えば、「源頼政ぬえ退治」などの頼政が、頼光の子孫での大物と言えるか。
このように、神楽の物語からはとても想像できない、鬼退治とはまったく無縁の平和な毎日を過ごしていた平安の貴族というのが、源頼光の実像である。と、ここまで書くと当然、ではなぜ鬼退治などの伝説の英雄に仕立て上げられたのか、という疑問がわく。それはこのシリーズのラストにおいてまとめたいと思う。
というようなわけで、ついに始まった神楽研究コラム、シリーズ「源頼光」。神楽だけでは知ることのできない様々な物語などを、神楽ファンの方にわかりやすく伝えていこうと思うなり。「え~、そんなこともあったん?」とか「実はこうだったんかぁ!」など、トリ○ア的に言えば90へぇ以上間違いなしのネタを、どんどん掲載していく予定。「へぇ~」と思った方はボタンを押す代わりに、広島ブログのマークをクリック!どうぞよろしく!
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とにかく、伝説上の英雄である源頼光、その実像に迫ってみることにする。
源頼光は、清和天皇のひ孫にあたる源満仲の長男として、940~950年あたりに生まれた。頼光の実像は、当時のことがいろいろ記された日記で知ることができる。と言っても、頼光自身が書いた日記は残っておらず、参考になるのは藤原道長が書いた「御堂関白記」、藤原実資の日記「小右記」などである。藤原道長と言えば、「この世をば 我が世とぞ思う望月の 欠けたる事も無しと思えば」の歌で有名なあの道長である。東山神楽団「天神記」に登場する藤原時平が、この歌をなぞったセリフを言う場面があるが、すぐにピンとくる神楽ファンの方もおられるだろう。頼光はこの藤原道長に仕えていた人物の一人だった。正確には、一方的に品物を贈りつけて気に入られようとしていたようだが。
そのあたり、これらの日記を読むと、頼光が道長にたびたび貢物をしていたことが記されている。ちなみに、この日記には、「○○年○月に頼光が大江山へ登った」とか、「土蜘蛛を退治した」などのことは一切記されていない。念のため。
また、道長の家が火事で焼けた時には、いち早く物資、家具一式などを贈り、大変喜ばれたそうだ。その後、新しくなった道長の家にも、さらに頼光から続々と贈り物が届いていたようで、その品物を見ようと見物人が集まるほどだったらしい。
このことから察するに、頼光は相当なお金持ちだったようだ。確かに神楽に登場する頼光さんは、とても豪華絢爛な衣装を着ているし!ってそれは関係ありませんね。
記録上、頼光は様々な要職についていた。朝廷から任命され、それぞれの国を治める国司(今で言えば県知事か?)や、重要人物の警護など、かなりエリート組の仕事ばかりである。特に国司にいたっては、備前(岡山)から始まり、伊豆、信濃、美濃、尾張、但馬、讃岐、丹波、河内、伊予、紀伊、摂津(大阪府)などなど、16~17を数える。中でも有名なのはセリフでおなじみの「摂津守」だろう。しかし実は、摂津守に任命されてから一年とたたず、頼光は亡くなっている。1021年のことだ。
こういった仕事をしっかりとこなし、着実に財産を蓄え、その財力を持って当時の最高権力者に貢いでいた。こうしてみるとかなり出世上手な人物だったことがわかる。さらに当時の出世術の最たるものは、自分の娘を天皇の嫁にすることだった。道長もそうやって摂政となり、栄華を築いていった。頼光はこの道長の兄である道綱を娘婿に迎えている。よって摂関家の道綱は頼光の家に住むことになり、それによって頼光は自分の地位を高めようとしたようだ。
以上が記録からわかる頼光の実像である。ちなみに「鬼同丸退治」などに登場する、弟の頼信は、実際には頼光とは腹違いの弟になり、頼信も藤原氏一族の実資に仕えていた。そしてなんと、頼信の子孫からは、「1192つくろう鎌倉幕府」の源頼朝が出ている。頼光の子孫からは頼朝のような大物は出ていないが、後世まで「頼光」の名を残すことができたのはやはり、当時の最高権力者だった藤原道長に気に入られていたからだろう。しいて言えば、「源頼政ぬえ退治」などの頼政が、頼光の子孫での大物と言えるか。
このように、神楽の物語からはとても想像できない、鬼退治とはまったく無縁の平和な毎日を過ごしていた平安の貴族というのが、源頼光の実像である。と、ここまで書くと当然、ではなぜ鬼退治などの伝説の英雄に仕立て上げられたのか、という疑問がわく。それはこのシリーズのラストにおいてまとめたいと思う。
というようなわけで、ついに始まった神楽研究コラム、シリーズ「源頼光」。神楽だけでは知ることのできない様々な物語などを、神楽ファンの方にわかりやすく伝えていこうと思うなり。「え~、そんなこともあったん?」とか「実はこうだったんかぁ!」など、トリ○ア的に言えば90へぇ以上間違いなしのネタを、どんどん掲載していく予定。「へぇ~」と思った方はボタンを押す代わりに、広島ブログのマークをクリック!どうぞよろしく!
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2006,07,31 Mon 00:00
コメント
てんてるさん、コメントありがとうございます☆
やっぱり神楽だけの頼光さんだと、こんなイメージわかないですよね~。
自分も調べながら「へぇ~!」の連続でしたから(笑)
今後の展開としては、頼光自身が変わっていくというよりも、頼光の登場する演目を詳しく調べ、その時代背景などを掘り下げながら、英雄化した頼光の謎に迫るといった感じかと思います。
“脱線”も多いようですが…。
これからもよろしくお願いします♪
やっぱり神楽だけの頼光さんだと、こんなイメージわかないですよね~。
自分も調べながら「へぇ~!」の連続でしたから(笑)
今後の展開としては、頼光自身が変わっていくというよりも、頼光の登場する演目を詳しく調べ、その時代背景などを掘り下げながら、英雄化した頼光の謎に迫るといった感じかと思います。
“脱線”も多いようですが…。
これからもよろしくお願いします♪
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/03 01:41 | BFfnvy1Y |
こんばんは!
神楽を見て楽しむだけでなく、登場人物に的をあて説明する点はおもしろいですね。他にあまり無いと思うのですが・・・。
ところで、頼光って第一章までを見ると、イメージが違っていますねぇ。。色んな神楽団で頼光役の方を思い出しては「違うな・・・」なんて・・・。
鬼退治に縁が無さそうな第一章の頼光が今後どのように変わっていくのか・・。明日更新日ですかね? 楽しみにしてま~す♪
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神楽を見て楽しむだけでなく、登場人物に的をあて説明する点はおもしろいですね。他にあまり無いと思うのですが・・・。
ところで、頼光って第一章までを見ると、イメージが違っていますねぇ。。色んな神楽団で頼光役の方を思い出しては「違うな・・・」なんて・・・。
鬼退治に縁が無さそうな第一章の頼光が今後どのように変わっていくのか・・。明日更新日ですかね? 楽しみにしてま~す♪
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| てんてる | EMAIL | URL | 06/08/02 23:24 | GIwdMNO. |
サッチモさん、コメントありがとうございます。
そう言ってくださるとホント嬉しいです。
文章を書くのも大変ですが、一番の苦労は…イラストかな!?(笑)
また書き込みお願いします☆
そう言ってくださるとホント嬉しいです。
文章を書くのも大変ですが、一番の苦労は…イラストかな!?(笑)
また書き込みお願いします☆
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/07/31 20:29 | BFfnvy1Y |
特派員さんこんにちは。
いよいよ「神楽研究コラム」立ち上がりましたね!
神楽芸術“研究所”として、必要なコーナーだと思いますので、ご苦労も多いことだと思いますが、がんばってください。
いよいよ「神楽研究コラム」立ち上がりましたね!
神楽芸術“研究所”として、必要なコーナーだと思いますので、ご苦労も多いことだと思いますが、がんばってください。
| サッチモ | EMAIL | URL | 06/07/31 09:38 | Ow5MnHpc |
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