次は、頼光を語る上で欠かせない四天王について迫ってみたい。神楽マニアの方なら、その4人の名前がすべて挙げられると思うがいかがだろうか。その4人とは、渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時(さかたのきんとき)、卜部季武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいのさだみつ)。この4人、それぞれ個性的なストーリーを持っており、簡単に紹介すると、
渡辺綱…羅生門、戻り橋で鬼の片腕を切りとる。
坂田金時…上路山(あげろやま)で山姥の子として育つ。
卜部季武…滝夜叉姫に盗まれた宝刀、蜘蛛切丸(くもきりまる)を取り戻す。
碓井貞光…力持ちで知られ、源氏には力試しの岩が残っている。
これらのキャラを家来として束ねているのだから、頼光のリーダーぶりがよくうかがえる。戦隊モノで言えば、チームリーダーのレッドといったところか。ならば、綱はブルー、季武がグリーン、金時がイエロー(金のイメージで)、貞光がピンク(なんとなく薄い…)か。5人合わせて「一条戦隊、オニレンジャー!」ズジャー!!
…なにがズジャーだ。取り乱しました、すんません。
気を取り直して、この4人についてもう少し詳しく調べてみる。
芸北神楽「山姥」で紹介される金時の物語は、「院の北面の武士である坂田時行(さかたときゆき)の妻、八重桐(やえぎり)が、夫を亡くして上路山にこもって山賊となり、その息子を怪童丸(かいどうまる)と名づけた。旅の途中だった源頼光にその腕を認められた怪童丸は、坂田金時と改められ四天王の一員に加わる」というもの。この「山姥」という伝説は、実は日本各地に存在する。神奈川県の足柄山(あしがらやま)に住んでいた豪族の娘に八重桐姫というものがおり、その子供が金太郎と呼ばれていた、とか、山中にこもっていた老婆が、夢の中で赤龍と交わって生まれたのが怪童丸である、などさまざまである。しかし、上記に紹介した、金時の誕生から幼少についての神楽の物語は、江戸時代の浄瑠璃において初めて語られており、謡曲「山姥」はまた別の物語となっている。
渡辺綱については、後ほど「戻り橋」「羅生門」の章で詳しく述べることにする。
卜部季武についてだが、先に紹介した「滝夜叉姫に盗まれた宝刀、蜘蛛切丸を取り戻す」の物語を初めて聞いたという方もおられるかもしれない。伝説などで語られているストーリーを紹介すると、「季武が管理していた蜘蛛切丸が、滝夜叉姫の妖術によって盗まれてしまう。これが頼光の怒りに触れたため、季武は碓井貞光とともに滝夜叉姫一味と戦い、これを成敗し刀を取り戻す」というもの。安佐町の宮乃木神楽団などがこれを神楽化した演目を舞っておられる。
碓井貞光については、力持ちという点と、季武とともに刀を取り戻したという話以外にはこれといってない。そのせいか、やはり芸北神楽においても最も登場回数の少ない、名前のとおり「うすい」四天王になってしまっている。
そして、この四天王が登場する面白い話が「今昔物語」に収めれられているので紹介する。
坂田金時、卜部季武、碓井貞光の3人が、賀茂祭(という大きな祭)の名物である行列を見に行こうという話になった。しかし、「馬に乗って見に行くのもなんだし、歩いて行って顔を隠すわけにもいかんし、でも見に行きたいし、どがぁしょ~かいの~(広島弁バージョン)。」と困っていた。(注:当時、この祭を見に行くのは貴族がすることで、彼らのような武士が見に行くような習慣はなかった)
すると、その中の一人が(誰とは書いてない…季武にしとこう)「ほいじゃったら、牛車を借りてそれに乗って見よ~や!」と提案した。するとまた一人が(…金時でいいか)「乗ったこともない牛車に乗って、位の高い人にバレたら、引きづり下ろされて蹴られて死んでしまうわぁ!」と言った(そんなにヤワなんかい!)。もう一人が言うに(これが貞光だね)「すだれを垂らして中を見えんようにして、女性が乗るような車に変装して見に行くのはどがなや?」すると2人が「そりゃぁえ~わ~!」と賛成し、さっそく牛車を借りて出発した。
ところが、3人とも牛車に乗ったことがないので、牛車の中はまるで物の入った箱を揺らすような状態になってしまった。3人は中で振り回され、頭をぶつけ、頬をぶつけ合い、ゴロゴロ転がったりして、あっちゃならんことになってしもうた。こうやって行くうちに、3人とも車酔いして(当たり前や!)、持ち物や烏帽子まで落としてしまった。牛車の速度が速かったため、中から「もっとゆっくり!」と叫ぶと、そのまわりにいた人々が、「こりゃ~女の人が乗る車じゃが、どがぁな人が乗っとるんじゃろうか。」「なんか大きな鳥が鳴きょうるような声じゃが、聞いたことないの~」「田舎の娘らが乗っとんじゃないんか?」「いや、声は男みたいだぞ!?」などと怪しんでいた。そしてようやく祭の会場に着いたはいいが、来るのが早過ぎたようだった。3人とも車酔いでフラフラで、目が回って物が逆さまに見えるほどだった。あまりに酔ってしまったのと、早く着いたために、3人ともぐっすり寝てしまった。ところがその間に、名物である行列が通り過ぎてしまったが、3人とも死んだように寝ていたのでまったく気づかなかった。そして祭も終わり、人々が片づけを始めると、その音の騒がしさでようやく3人が目を覚まし、そして驚いた!「ありゃ!?もう終わっとるじゃん!?せっかくここまで車酔いしながら来たのに~!!むかつく~!!」「帰るのにまた牛車に乗れば、わしらはもう生きちゃおれんわ…」「んじゃ~もぅちぃとここで待って、誰もおらんようになってから、歩いて帰ろうや。」ということになった。まわりに誰もいなくなると、3人は牛車から降り、車を先に帰らせ、靴を履いて扇で顔を隠し、頼光殿の家に帰った。
という物語。数々の妖怪、鬼を退治してきた武士たちだが、こんな情けない一面もあるという興味深い物語だと思う。ちなみに、この話には渡辺綱は出てこない。綱は四天王の中でも一つ格上の存在だったようで、このときも頼光のお供でもしていたのかもしれない。
次回はいよいよ、怪物退治の話を見ていきたいと思う。
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渡辺綱…羅生門、戻り橋で鬼の片腕を切りとる。
坂田金時…上路山(あげろやま)で山姥の子として育つ。
卜部季武…滝夜叉姫に盗まれた宝刀、蜘蛛切丸(くもきりまる)を取り戻す。
碓井貞光…力持ちで知られ、源氏には力試しの岩が残っている。
これらのキャラを家来として束ねているのだから、頼光のリーダーぶりがよくうかがえる。戦隊モノで言えば、チームリーダーのレッドといったところか。ならば、綱はブルー、季武がグリーン、金時がイエロー(金のイメージで)、貞光がピンク(なんとなく薄い…)か。5人合わせて「一条戦隊、オニレンジャー!」ズジャー!!
…なにがズジャーだ。取り乱しました、すんません。
気を取り直して、この4人についてもう少し詳しく調べてみる。
芸北神楽「山姥」で紹介される金時の物語は、「院の北面の武士である坂田時行(さかたときゆき)の妻、八重桐(やえぎり)が、夫を亡くして上路山にこもって山賊となり、その息子を怪童丸(かいどうまる)と名づけた。旅の途中だった源頼光にその腕を認められた怪童丸は、坂田金時と改められ四天王の一員に加わる」というもの。この「山姥」という伝説は、実は日本各地に存在する。神奈川県の足柄山(あしがらやま)に住んでいた豪族の娘に八重桐姫というものがおり、その子供が金太郎と呼ばれていた、とか、山中にこもっていた老婆が、夢の中で赤龍と交わって生まれたのが怪童丸である、などさまざまである。しかし、上記に紹介した、金時の誕生から幼少についての神楽の物語は、江戸時代の浄瑠璃において初めて語られており、謡曲「山姥」はまた別の物語となっている。
渡辺綱については、後ほど「戻り橋」「羅生門」の章で詳しく述べることにする。
卜部季武についてだが、先に紹介した「滝夜叉姫に盗まれた宝刀、蜘蛛切丸を取り戻す」の物語を初めて聞いたという方もおられるかもしれない。伝説などで語られているストーリーを紹介すると、「季武が管理していた蜘蛛切丸が、滝夜叉姫の妖術によって盗まれてしまう。これが頼光の怒りに触れたため、季武は碓井貞光とともに滝夜叉姫一味と戦い、これを成敗し刀を取り戻す」というもの。安佐町の宮乃木神楽団などがこれを神楽化した演目を舞っておられる。
碓井貞光については、力持ちという点と、季武とともに刀を取り戻したという話以外にはこれといってない。そのせいか、やはり芸北神楽においても最も登場回数の少ない、名前のとおり「うすい」四天王になってしまっている。
そして、この四天王が登場する面白い話が「今昔物語」に収めれられているので紹介する。
坂田金時、卜部季武、碓井貞光の3人が、賀茂祭(という大きな祭)の名物である行列を見に行こうという話になった。しかし、「馬に乗って見に行くのもなんだし、歩いて行って顔を隠すわけにもいかんし、でも見に行きたいし、どがぁしょ~かいの~(広島弁バージョン)。」と困っていた。(注:当時、この祭を見に行くのは貴族がすることで、彼らのような武士が見に行くような習慣はなかった)
すると、その中の一人が(誰とは書いてない…季武にしとこう)「ほいじゃったら、牛車を借りてそれに乗って見よ~や!」と提案した。するとまた一人が(…金時でいいか)「乗ったこともない牛車に乗って、位の高い人にバレたら、引きづり下ろされて蹴られて死んでしまうわぁ!」と言った(そんなにヤワなんかい!)。もう一人が言うに(これが貞光だね)「すだれを垂らして中を見えんようにして、女性が乗るような車に変装して見に行くのはどがなや?」すると2人が「そりゃぁえ~わ~!」と賛成し、さっそく牛車を借りて出発した。
ところが、3人とも牛車に乗ったことがないので、牛車の中はまるで物の入った箱を揺らすような状態になってしまった。3人は中で振り回され、頭をぶつけ、頬をぶつけ合い、ゴロゴロ転がったりして、あっちゃならんことになってしもうた。こうやって行くうちに、3人とも車酔いして(当たり前や!)、持ち物や烏帽子まで落としてしまった。牛車の速度が速かったため、中から「もっとゆっくり!」と叫ぶと、そのまわりにいた人々が、「こりゃ~女の人が乗る車じゃが、どがぁな人が乗っとるんじゃろうか。」「なんか大きな鳥が鳴きょうるような声じゃが、聞いたことないの~」「田舎の娘らが乗っとんじゃないんか?」「いや、声は男みたいだぞ!?」などと怪しんでいた。そしてようやく祭の会場に着いたはいいが、来るのが早過ぎたようだった。3人とも車酔いでフラフラで、目が回って物が逆さまに見えるほどだった。あまりに酔ってしまったのと、早く着いたために、3人ともぐっすり寝てしまった。ところがその間に、名物である行列が通り過ぎてしまったが、3人とも死んだように寝ていたのでまったく気づかなかった。そして祭も終わり、人々が片づけを始めると、その音の騒がしさでようやく3人が目を覚まし、そして驚いた!「ありゃ!?もう終わっとるじゃん!?せっかくここまで車酔いしながら来たのに~!!むかつく~!!」「帰るのにまた牛車に乗れば、わしらはもう生きちゃおれんわ…」「んじゃ~もぅちぃとここで待って、誰もおらんようになってから、歩いて帰ろうや。」ということになった。まわりに誰もいなくなると、3人は牛車から降り、車を先に帰らせ、靴を履いて扇で顔を隠し、頼光殿の家に帰った。
という物語。数々の妖怪、鬼を退治してきた武士たちだが、こんな情けない一面もあるという興味深い物語だと思う。ちなみに、この話には渡辺綱は出てこない。綱は四天王の中でも一つ格上の存在だったようで、このときも頼光のお供でもしていたのかもしれない。
次回はいよいよ、怪物退治の話を見ていきたいと思う。
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2006,08,03 Thu 00:00
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