ようやく大江山の麓(ふもと)まできた。だが、千丈ケ岳(せんじょうがたけ)まではまだまだ遠い・・・。この大江山については、語らなければならないことが山ほどあり、とてもじゃないが一つの章だけでは無理なので、前・中・後編と三章に渡ってお送りすることにする。
まずは大江山の場所について。実は大江山は二つある。これまた知らない方にとっては混乱を招きそうだが、わかりやすく地図を描いてみたので参考にしていただきたい。
神楽でおなじみの「丹波の国大江山」は、都から北西の位置にあり、かなり離れている。が、中世の「大江山」と言えば、すぐ近くの「大枝山」を指していた。ここには酒呑童子の首塚が残されている。また、日本武尊が鬼神を退治する舞台などの伊吹山が酒呑童子退治の場所とする伝説もあったりする。
そのあたりも詳しくみていきたいのだが、そうなると「源頼光」から離れてしまい、またその事だけで二章はスペースをとらないといけない。ということで「大江山」の舞台については、一般説である「丹波の国大江山」とし、今回は他にも「大枝山」がありますよ、という紹介のみにさせていただきたい。
では、神楽「大江山」のもとになったと言われる謡曲「大江山」を少しだけ紹介する。謡曲(ようきょく)というのは、簡単に言えば能のセリフが書かれているもので、神楽と関係しているものは他に「紅葉狩」「土蜘蛛」「安達ヶ原」「鉄輪」などがある。今までは広島弁でわかりやすく紹介してきたが、謡曲を広島弁にしてしまうと謡曲ではなくなってしまうので、少し難しいがそのまま掲載する。
ワキ(頼光)ワキヅレ(従者) 秋風の音にたぐへて西川や、雲も行くなり大江山。
ワキ 抑々これは源頼光とはわが事なり。さてもこの度 丹波の国大江山の鬼神のこと。占方の詞に任せつつ、頼光、保昌に仰せつけらる。
ワキヅレ 頼光、保昌申すやう、たとひ大勢ありとても、人倫ならぬ化生の者、いづくを境に攻むべきぞ。
ワキ 思ふ子細の候とて、山伏の姿に出立ちて。
ワキヅレ 兜にかはる兜巾を着。
ワキ 鎧にあらぬ篠懸や。
ワキヅレ 兵具に対する笈を負ひ。
ワキ 其のぬしぬしは頼光、保昌。
ワキヅレ 貞光・季武・綱・公時、又名を得たる独武者かれこれ以上五十余人。
ワキ まだ夜のうちに有明の。
ワキ、ワキヅレ 月の都を立ちいでて、行く末問えば西川や、波風立てて白木綿の御抜も頼もしや。鬼神なりと大君の恵に洩るる方あらじ、ただ分け行けや足引の大江の山に着きにけり、大江の山に着きにけり。
ワキ 急ぎ候程に丹波の国大江山に着きて候。あら不思議や、これなる川にけしからず血の流れそうろう。いかに誰かある、この所にて童子の住処を尋ねて宿を取り候へ。
狂言(剛力) 畏まって候、まず急いで参ろう。(中略)これはこれは女房衆そなたは何として此処にいるぞ。
(女) そのことでござる、わらわは三歳以前に酒呑童子に捕はれて毎日毎日このやうな濯ぎをしていることでござる。
(剛力) 子細を聞けば尤もでござる。某がこれへ来たはこの度頼み奉る頼光公、童子を退治あるべきとの事ぢや程に、そなたも都へ同道せうによって、何卒そなたは肝を煎つてお宿を申してくれぬか。
(女) 何がさて都へ連れて行て下さるならば、お宿のことはわらわが合点でござる。童子へ其由申しませう程にまづそれに待たせられい。
(剛力) 心得ておりやる。
(女) いかに童子の御座あるか。
シテ(酒呑童子) 童子と呼ぶはいかなる者ぞ。
狂言(女) 山伏達の御入り候が、一夜のお宿と仰せられ候。
シテ 何と山伏の一夜のお宿と候や、怨めしや桓武天皇に御請け申し、われ比叡の山を出でしより、出家には手を指さじと固く誓約申せしなり。中門の脇の廊に留め申し候らへ。
狂言(女) 心得申して候。
シテ いかに客僧たち、何処より何方へ御通り候へば、此の隠れ家へは御出でにて候ぞ。
ワキ さん候、これは筑紫彦山の客僧にて候が、麓の山陰道より道に踏み迷ひ、前後を忘れじ佇み候所に、今宵のお宿何より以て祝着申候。さて御名を酒呑童子と申し候は、何と申したる請にて候ぞ。
シテ 我が名を酒呑童子と云ふことは、明暮酒を好きたるにより、眷属どもに酒呑童子と呼ばれ候。されば此を見、彼を聞くにつけても、酒ほど面白きものはなく候。客僧達も聞しめされ候へ。
(中略)
ワキ 又は神国氏社南無や八幡山王権現、われらに力を添へ給へと、頼光・保昌・綱・公時・貞光・季武独武者、心を一つにしてまどろみ臥したる鬼の上に、剣を飛ばする光の影、稲妻振動おびただし。
シテ 情けなしとよ客僧達、偽あらじと云ひつるに鬼神に横道無きものを。
(中略)
ワキ あら空事やなどさらば、王地に住んで人を取り、世の妨げとはなりけるぞ、われらをば音にも聞きつらん、保昌が舘に独武者、鬼神なりとも遁すまじ、ましてやこれは勅なれば、土も木も我が大君の国なれば、いづくか鬼の宿りなるらん。
(中略)
ワキ 頼光保昌もとよりも、(地)頼光保昌もとよりも、鬼神なりともさすが頼光が手なみに、いかで漏らすべきと、走りかかってはったと打つ手に、むんずと組んでえいやえいやと組むとぞ見えしが、頼光下に組み伏せられて鬼一口に喰はんとするを頼光下より刀を抜いて二刀三刀刺し通し刺し通し、刀を力にえいやとかへし、さも勢へる鬼神を、おしつけ怒れる首を打ち落とし、大江の山をまた踏み分けて、都へとてこそ帰りけれ。
読みづらい箇所、難しい漢字がふんだんで、「これ読めません。」てな苦情のコメントもつきそうだが、たまにはそのままを掲載し、昔の物語の雰囲気を味わうのもよいのではないだろうか。そして多くの神楽ファンの方が、最初の一行を読んだ時点でピンとくるものがあると思う。そう、安芸太田町の三谷神楽団「大江山」は、この謡曲をかなり忠実にして舞っておられるようだ。他の旧舞「大江山」も、多くは謡曲を出典としているようだが、かなり違いがあるように思える。これは、前章で紹介した「戻り橋」「羅生門」の物語以上に、「大江山」伝説が数多く残されているためだと考えられる。では次回は、またいつものバージョンで「大江山の酒呑童子退治」をご紹介したいと思う。
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
まずは大江山の場所について。実は大江山は二つある。これまた知らない方にとっては混乱を招きそうだが、わかりやすく地図を描いてみたので参考にしていただきたい。
神楽でおなじみの「丹波の国大江山」は、都から北西の位置にあり、かなり離れている。が、中世の「大江山」と言えば、すぐ近くの「大枝山」を指していた。ここには酒呑童子の首塚が残されている。また、日本武尊が鬼神を退治する舞台などの伊吹山が酒呑童子退治の場所とする伝説もあったりする。
そのあたりも詳しくみていきたいのだが、そうなると「源頼光」から離れてしまい、またその事だけで二章はスペースをとらないといけない。ということで「大江山」の舞台については、一般説である「丹波の国大江山」とし、今回は他にも「大枝山」がありますよ、という紹介のみにさせていただきたい。
では、神楽「大江山」のもとになったと言われる謡曲「大江山」を少しだけ紹介する。謡曲(ようきょく)というのは、簡単に言えば能のセリフが書かれているもので、神楽と関係しているものは他に「紅葉狩」「土蜘蛛」「安達ヶ原」「鉄輪」などがある。今までは広島弁でわかりやすく紹介してきたが、謡曲を広島弁にしてしまうと謡曲ではなくなってしまうので、少し難しいがそのまま掲載する。
ワキ(頼光)ワキヅレ(従者) 秋風の音にたぐへて西川や、雲も行くなり大江山。
ワキ 抑々これは源頼光とはわが事なり。さてもこの度 丹波の国大江山の鬼神のこと。占方の詞に任せつつ、頼光、保昌に仰せつけらる。
ワキヅレ 頼光、保昌申すやう、たとひ大勢ありとても、人倫ならぬ化生の者、いづくを境に攻むべきぞ。
ワキ 思ふ子細の候とて、山伏の姿に出立ちて。
ワキヅレ 兜にかはる兜巾を着。
ワキ 鎧にあらぬ篠懸や。
ワキヅレ 兵具に対する笈を負ひ。
ワキ 其のぬしぬしは頼光、保昌。
ワキヅレ 貞光・季武・綱・公時、又名を得たる独武者かれこれ以上五十余人。
ワキ まだ夜のうちに有明の。
ワキ、ワキヅレ 月の都を立ちいでて、行く末問えば西川や、波風立てて白木綿の御抜も頼もしや。鬼神なりと大君の恵に洩るる方あらじ、ただ分け行けや足引の大江の山に着きにけり、大江の山に着きにけり。
ワキ 急ぎ候程に丹波の国大江山に着きて候。あら不思議や、これなる川にけしからず血の流れそうろう。いかに誰かある、この所にて童子の住処を尋ねて宿を取り候へ。
狂言(剛力) 畏まって候、まず急いで参ろう。(中略)これはこれは女房衆そなたは何として此処にいるぞ。
(女) そのことでござる、わらわは三歳以前に酒呑童子に捕はれて毎日毎日このやうな濯ぎをしていることでござる。
(剛力) 子細を聞けば尤もでござる。某がこれへ来たはこの度頼み奉る頼光公、童子を退治あるべきとの事ぢや程に、そなたも都へ同道せうによって、何卒そなたは肝を煎つてお宿を申してくれぬか。
(女) 何がさて都へ連れて行て下さるならば、お宿のことはわらわが合点でござる。童子へ其由申しませう程にまづそれに待たせられい。
(剛力) 心得ておりやる。
(女) いかに童子の御座あるか。
シテ(酒呑童子) 童子と呼ぶはいかなる者ぞ。
狂言(女) 山伏達の御入り候が、一夜のお宿と仰せられ候。
シテ 何と山伏の一夜のお宿と候や、怨めしや桓武天皇に御請け申し、われ比叡の山を出でしより、出家には手を指さじと固く誓約申せしなり。中門の脇の廊に留め申し候らへ。
狂言(女) 心得申して候。
シテ いかに客僧たち、何処より何方へ御通り候へば、此の隠れ家へは御出でにて候ぞ。
ワキ さん候、これは筑紫彦山の客僧にて候が、麓の山陰道より道に踏み迷ひ、前後を忘れじ佇み候所に、今宵のお宿何より以て祝着申候。さて御名を酒呑童子と申し候は、何と申したる請にて候ぞ。
シテ 我が名を酒呑童子と云ふことは、明暮酒を好きたるにより、眷属どもに酒呑童子と呼ばれ候。されば此を見、彼を聞くにつけても、酒ほど面白きものはなく候。客僧達も聞しめされ候へ。
(中略)
ワキ 又は神国氏社南無や八幡山王権現、われらに力を添へ給へと、頼光・保昌・綱・公時・貞光・季武独武者、心を一つにしてまどろみ臥したる鬼の上に、剣を飛ばする光の影、稲妻振動おびただし。
シテ 情けなしとよ客僧達、偽あらじと云ひつるに鬼神に横道無きものを。
(中略)
ワキ あら空事やなどさらば、王地に住んで人を取り、世の妨げとはなりけるぞ、われらをば音にも聞きつらん、保昌が舘に独武者、鬼神なりとも遁すまじ、ましてやこれは勅なれば、土も木も我が大君の国なれば、いづくか鬼の宿りなるらん。
(中略)
ワキ 頼光保昌もとよりも、(地)頼光保昌もとよりも、鬼神なりともさすが頼光が手なみに、いかで漏らすべきと、走りかかってはったと打つ手に、むんずと組んでえいやえいやと組むとぞ見えしが、頼光下に組み伏せられて鬼一口に喰はんとするを頼光下より刀を抜いて二刀三刀刺し通し刺し通し、刀を力にえいやとかへし、さも勢へる鬼神を、おしつけ怒れる首を打ち落とし、大江の山をまた踏み分けて、都へとてこそ帰りけれ。
読みづらい箇所、難しい漢字がふんだんで、「これ読めません。」てな苦情のコメントもつきそうだが、たまにはそのままを掲載し、昔の物語の雰囲気を味わうのもよいのではないだろうか。そして多くの神楽ファンの方が、最初の一行を読んだ時点でピンとくるものがあると思う。そう、安芸太田町の三谷神楽団「大江山」は、この謡曲をかなり忠実にして舞っておられるようだ。他の旧舞「大江山」も、多くは謡曲を出典としているようだが、かなり違いがあるように思える。これは、前章で紹介した「戻り橋」「羅生門」の物語以上に、「大江山」伝説が数多く残されているためだと考えられる。では次回は、またいつものバージョンで「大江山の酒呑童子退治」をご紹介したいと思う。
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
2006,08,21 Mon 00:00
コメント
はるさん、コメントありがとうございます。
お酒が大好きなんですね。
ボクはまったく飲めないんで、童子さんの気持ちがすべて理解できないかもしれません。
酒呑童子が酒を飲む場面は、神楽の見せ場ですよね。
謡曲ではあまりそこは強調されてないようです。
後編で、そのあたりを詳しくご紹介できると思います。
またコメントお願いします♪
お酒が大好きなんですね。
ボクはまったく飲めないんで、童子さんの気持ちがすべて理解できないかもしれません。
酒呑童子が酒を飲む場面は、神楽の見せ場ですよね。
謡曲ではあまりそこは強調されてないようです。
後編で、そのあたりを詳しくご紹介できると思います。
またコメントお願いします♪
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/21 18:22 | BFfnvy1Y |
私は酒が三度の御飯よりも好きです。
酒呑童子の 『身も心も酔ったりし~ぃ』の
呑みっぷりが、気持ちいい、たまりません♪
酒呑童子の 『身も心も酔ったりし~ぃ』の
呑みっぷりが、気持ちいい、たまりません♪
| はる | EMAIL | URL | 06/08/21 15:12 | gRhkdjzc |
コメントする
この記事のトラックバックURL
http://www.npo-hiroshima.jp/blogn/tb.php/34
トラックバック