さぁ、いよいよ謎解きの始まりである。とその前に、渡辺綱について調べてみよう。生没については頼光とほぼ同じで、953年~1025年となっている。源敦(みなもとのあつし)の養子で、その敦が頼光の父、満仲の婿だったために、その関係で頼光に仕えるようになった。多田源氏の流れを汲む頼光に対し、綱は箕田(美田/みた)源氏の出身である。ので、もともとは源綱(みなもとのつな)なのだが、養母が摂津国渡辺に住んでいたので、これにちなんで「渡辺」を名乗るようになったという。
少し難しい説明が入ってしまった。それではお待ちかね「羅生門の鬼」の話を紹介する。ここでは、御伽草子「羅生門」と謡曲「羅生門」を組み合わせ、より物語性を持たせて、神楽ファンのみなさんにわかりやすいよう編集を試みた。
源頼光と四天王、藤原保昌の六人は、大江山で酒呑童子をはじめ七十五匹の鬼を退治した。春雨が降り続くある日、頼光は四天王と保昌を招いて酒をふるまった。その酒宴の席で保昌が「そぉいや、大江山で鬼退治したときに、一匹討ち漏らした鬼がおるらしいで。」と語り始めた。みなが興味を示し、保昌は続いて「へぇで最近、その鬼が九条の羅生門に住み着いてからに、わりぃことするゆぅんじゃと。」と言った。すると渡辺綱が「おぉい保昌さん、そがぁなことがあるわきゃなかろぅて。羅生門は都の南門じゃろ?『土も木も わが大君の国ならば いづくか鬼の宿と定めん』ゆぅ歌もあるじゃろが。ホンマにおったとしても、羅生門に鬼を住まわせちゃぁいけんわ。そんなつまらんげな事は言いんさんなや。」と言った。保昌は「へじゃぁあんたはわしがウソをよぅる言うんか。このこたぁ、誰でも知っとるけぇよぅるんで。ウソじゃ言うんなら、今晩にでも羅生門へ行ってからにホンマかウソか見てきんさいや。」と答えた。すると「はぁ、そりゃぁわしが羅生門へよぅ行かん思うとんじゃろ。へんならホンマかウソか、今晩行ってみちゃろうてぇ。なんか、そけぇ行ったいう印のもんをくれぇや。」と、羅生門へ行く姿勢を示した。みなが「やめときんさいや。」と止めたが、綱は「いやいや、別に保昌さんとケンカするわけじゃないんだが、一つは帝(みかど)のためでもあるけぇ、印をくれぇ言うたんよ。」と言う。それを聞いた頼光は「なるほどのぅ、綱が言うように一つは帝のためにもなるけぇ、印を立てに行ってきんさい。」と許可を出した。
こうして綱は、羅生門に置いてくる印をもらい、さっそく準備をし始めた。鎧を身に付け、兜の緒を締め、先祖伝来の太刀を持ち、たくましい馬に乗り、たった一人で宿を出て、二条大宮を南へ進み羅生門へと向かった。さて九条通りに出て羅生門に近づくと、ものすごい雨が降り始めた。突然のすさまじい嵐に、馬はおびえて立ち止まってしまった。綱は馬から飛び降り、羅生門の石段に駆け上がると、印の札を壇上に立て置いて帰ろうとした。しかし、後ろから兜の錏(しころ:兜の左右や後ろに垂れた、首をおおうもの)をつかんで引き止めるものがあるので、「ぅお!鬼じゃぁ!」と太刀を抜いて斬ろうとした。だが鬼は兜をつかんだので、綱は兜の緒を引きちぎって、思わず壇から飛び降りた。鬼は怒り狂って持っていた綱の兜を投げ捨てた。その背丈は羅生門の軒と同じくらいで、両眼は月日のようにらんらんと光り、綱をにらみつけて立っていた。綱は少しもひるまずに太刀をかまえ、「あんたぁ知らんのんか!わりぃことをするもんは、罰が当たるんでぇ~!」と言って切りかかると、鬼は鉄杖(てつじょう)を振りまわしてきた。綱はそれをかわし、違いざまに鬼に斬りつけた。鬼はさらに突進して綱に組み付こうとしたが、綱はその腕を切り落とした。鬼はたまらず塀に上がり、空へと飛び上がった。綱は後を追ったが黒雲におおわれてしまい、「いつか取り返しちゃるけぇの!!」と鬼の叫ぶ声が聞こえ、そのまま姿を消してしまった。
これが「羅生門の鬼」の伝説である。「戻り橋」で紹介した話とよく似ているのはすぐに気づかれたと思う。が、問題はその時期。これでは「戻り橋」→「大江山」→「羅生門」という順番になってしまう。ますます混乱してきそうだが、どうやらこの「羅生門」の伝説は、「戻り橋」の話をもとに作られたようである。つまり、「戻り橋」「大江山」の物語が定着して以降に作られたもので、正確に言えば神楽の物語と関連はないことになる。羅生門はこれ以外にも、いろいろ鬼にまつわる伝説が残されており、そういったものが組み合わさってこの「羅生門」の鬼伝説が生まれたようだ。
ちなみに御伽草子「羅生門」は、綱が切り取る腕が右腕だったり、鬼を切る刀も膝丸のほうだったりなど、一般的な物語と多少違う部分がある。これは御伽草子が人から人への語り伝えをまとめたものであり、またいろんな人が書き残しているので、どうしても微妙に違いが出てしまうのである。さらに御伽草子「羅生門」は、このあとに頼光が病になり、綱が牛鬼の腕を切り取り、頼光が物忌みをし、腕を取り返されたりという、どこかで聞いたような物語が続いている。これも、もとは土蜘蛛伝説であるものが、いろいろ尾ひれがついて御伽草子に収められたということである。残念ながらその続きの物語はスペースの都合上、割愛させていただく。
で、結局、綱が鬼の腕を切り落としたのはどっち?という最大の問題が残っているが、ハッキリ言ってこれは「各神楽団によって異なる」としか言いようがない。もとになった伝説がこれだけバラバラであるのだから、各神楽団で解釈が違ってくるのも当然である。ただ、一つ確かなことは、「都は羅生門、戻り橋あたりにおいて、茨木童子が左の腕を切り取られたり。」というセリフ、これは正しくないということである。前回で解説したとおり、戻り橋と羅生門はまったく別の離れた場所にある。例えるなら「今日は神楽があったけぇ、神楽ドーム、開発センターあたりに行ってきたんじゃ。」てな感じか。「どっちやねん!」とツッコミを入れなければならない。今度「戻り橋」「羅生門」を見るときは、そういうセリフをよく聞いて、いったいどちらで鬼の腕が切り取られたのか、注目すると面白いかもしれない。
最後に「羅生門」そのものについてだが、正確には「羅城門」と書いて「らしょうもん」と読む。しかし、もともとは「らいせいもん」や「らせいもん」と呼ばれていた。それが「らしょうもん」と呼ばれるようになったのはずっと後のことで、完全に定着した原因はあの芥川龍之介の小説「羅生門」であるといわれている。ちなみにこの小説「羅生門」、それから黒澤明監督の映画「羅生門」は、神楽の物語とは関係ない。
いつしか羅生門には鬼が住むと言われるようになった。「門」はある一つの世界と別の世界を結ぶものであり、そこを通り抜けるということは別世界への旅立ちということを意味する。羅生門の鬼伝説も、そういった意識のもとで生まれたのだろう。謎だらけでお送りしたこの章、このあたりでお開きとさせていただくが、最後はやはり謎でしめることにしよう。
『「戻り橋」や「羅生門」で渡辺綱に腕を切り取られた鬼は、本当に茨木童子だったのか!?』
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
少し難しい説明が入ってしまった。それではお待ちかね「羅生門の鬼」の話を紹介する。ここでは、御伽草子「羅生門」と謡曲「羅生門」を組み合わせ、より物語性を持たせて、神楽ファンのみなさんにわかりやすいよう編集を試みた。
源頼光と四天王、藤原保昌の六人は、大江山で酒呑童子をはじめ七十五匹の鬼を退治した。春雨が降り続くある日、頼光は四天王と保昌を招いて酒をふるまった。その酒宴の席で保昌が「そぉいや、大江山で鬼退治したときに、一匹討ち漏らした鬼がおるらしいで。」と語り始めた。みなが興味を示し、保昌は続いて「へぇで最近、その鬼が九条の羅生門に住み着いてからに、わりぃことするゆぅんじゃと。」と言った。すると渡辺綱が「おぉい保昌さん、そがぁなことがあるわきゃなかろぅて。羅生門は都の南門じゃろ?『土も木も わが大君の国ならば いづくか鬼の宿と定めん』ゆぅ歌もあるじゃろが。ホンマにおったとしても、羅生門に鬼を住まわせちゃぁいけんわ。そんなつまらんげな事は言いんさんなや。」と言った。保昌は「へじゃぁあんたはわしがウソをよぅる言うんか。このこたぁ、誰でも知っとるけぇよぅるんで。ウソじゃ言うんなら、今晩にでも羅生門へ行ってからにホンマかウソか見てきんさいや。」と答えた。すると「はぁ、そりゃぁわしが羅生門へよぅ行かん思うとんじゃろ。へんならホンマかウソか、今晩行ってみちゃろうてぇ。なんか、そけぇ行ったいう印のもんをくれぇや。」と、羅生門へ行く姿勢を示した。みなが「やめときんさいや。」と止めたが、綱は「いやいや、別に保昌さんとケンカするわけじゃないんだが、一つは帝(みかど)のためでもあるけぇ、印をくれぇ言うたんよ。」と言う。それを聞いた頼光は「なるほどのぅ、綱が言うように一つは帝のためにもなるけぇ、印を立てに行ってきんさい。」と許可を出した。
こうして綱は、羅生門に置いてくる印をもらい、さっそく準備をし始めた。鎧を身に付け、兜の緒を締め、先祖伝来の太刀を持ち、たくましい馬に乗り、たった一人で宿を出て、二条大宮を南へ進み羅生門へと向かった。さて九条通りに出て羅生門に近づくと、ものすごい雨が降り始めた。突然のすさまじい嵐に、馬はおびえて立ち止まってしまった。綱は馬から飛び降り、羅生門の石段に駆け上がると、印の札を壇上に立て置いて帰ろうとした。しかし、後ろから兜の錏(しころ:兜の左右や後ろに垂れた、首をおおうもの)をつかんで引き止めるものがあるので、「ぅお!鬼じゃぁ!」と太刀を抜いて斬ろうとした。だが鬼は兜をつかんだので、綱は兜の緒を引きちぎって、思わず壇から飛び降りた。鬼は怒り狂って持っていた綱の兜を投げ捨てた。その背丈は羅生門の軒と同じくらいで、両眼は月日のようにらんらんと光り、綱をにらみつけて立っていた。綱は少しもひるまずに太刀をかまえ、「あんたぁ知らんのんか!わりぃことをするもんは、罰が当たるんでぇ~!」と言って切りかかると、鬼は鉄杖(てつじょう)を振りまわしてきた。綱はそれをかわし、違いざまに鬼に斬りつけた。鬼はさらに突進して綱に組み付こうとしたが、綱はその腕を切り落とした。鬼はたまらず塀に上がり、空へと飛び上がった。綱は後を追ったが黒雲におおわれてしまい、「いつか取り返しちゃるけぇの!!」と鬼の叫ぶ声が聞こえ、そのまま姿を消してしまった。
これが「羅生門の鬼」の伝説である。「戻り橋」で紹介した話とよく似ているのはすぐに気づかれたと思う。が、問題はその時期。これでは「戻り橋」→「大江山」→「羅生門」という順番になってしまう。ますます混乱してきそうだが、どうやらこの「羅生門」の伝説は、「戻り橋」の話をもとに作られたようである。つまり、「戻り橋」「大江山」の物語が定着して以降に作られたもので、正確に言えば神楽の物語と関連はないことになる。羅生門はこれ以外にも、いろいろ鬼にまつわる伝説が残されており、そういったものが組み合わさってこの「羅生門」の鬼伝説が生まれたようだ。
ちなみに御伽草子「羅生門」は、綱が切り取る腕が右腕だったり、鬼を切る刀も膝丸のほうだったりなど、一般的な物語と多少違う部分がある。これは御伽草子が人から人への語り伝えをまとめたものであり、またいろんな人が書き残しているので、どうしても微妙に違いが出てしまうのである。さらに御伽草子「羅生門」は、このあとに頼光が病になり、綱が牛鬼の腕を切り取り、頼光が物忌みをし、腕を取り返されたりという、どこかで聞いたような物語が続いている。これも、もとは土蜘蛛伝説であるものが、いろいろ尾ひれがついて御伽草子に収められたということである。残念ながらその続きの物語はスペースの都合上、割愛させていただく。
で、結局、綱が鬼の腕を切り落としたのはどっち?という最大の問題が残っているが、ハッキリ言ってこれは「各神楽団によって異なる」としか言いようがない。もとになった伝説がこれだけバラバラであるのだから、各神楽団で解釈が違ってくるのも当然である。ただ、一つ確かなことは、「都は羅生門、戻り橋あたりにおいて、茨木童子が左の腕を切り取られたり。」というセリフ、これは正しくないということである。前回で解説したとおり、戻り橋と羅生門はまったく別の離れた場所にある。例えるなら「今日は神楽があったけぇ、神楽ドーム、開発センターあたりに行ってきたんじゃ。」てな感じか。「どっちやねん!」とツッコミを入れなければならない。今度「戻り橋」「羅生門」を見るときは、そういうセリフをよく聞いて、いったいどちらで鬼の腕が切り取られたのか、注目すると面白いかもしれない。
最後に「羅生門」そのものについてだが、正確には「羅城門」と書いて「らしょうもん」と読む。しかし、もともとは「らいせいもん」や「らせいもん」と呼ばれていた。それが「らしょうもん」と呼ばれるようになったのはずっと後のことで、完全に定着した原因はあの芥川龍之介の小説「羅生門」であるといわれている。ちなみにこの小説「羅生門」、それから黒澤明監督の映画「羅生門」は、神楽の物語とは関係ない。
いつしか羅生門には鬼が住むと言われるようになった。「門」はある一つの世界と別の世界を結ぶものであり、そこを通り抜けるということは別世界への旅立ちということを意味する。羅生門の鬼伝説も、そういった意識のもとで生まれたのだろう。謎だらけでお送りしたこの章、このあたりでお開きとさせていただくが、最後はやはり謎でしめることにしよう。
『「戻り橋」や「羅生門」で渡辺綱に腕を切り取られた鬼は、本当に茨木童子だったのか!?』
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
2006,08,17 Thu 00:00
コメント
リロっちさん、コメントありがとうございます。
広島弁にするのはそう大変ではないんですよ。
訳したら自然と広島弁になってて、逆に標準語にするほうが難しいくらいで・・・。
あがぁなことはなぁんですが(笑)。
とにかく、みなさんにわかりやすい、楽しいと言っていただけるのは本当に嬉しいです☆
ランキングにも支持をいただけて、感謝感激してます。
これからもよろしくお願いします!
広島弁にするのはそう大変ではないんですよ。
訳したら自然と広島弁になってて、逆に標準語にするほうが難しいくらいで・・・。
あがぁなことはなぁんですが(笑)。
とにかく、みなさんにわかりやすい、楽しいと言っていただけるのは本当に嬉しいです☆
ランキングにも支持をいただけて、感謝感激してます。
これからもよろしくお願いします!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/19 01:15 | BFfnvy1Y |
訳したものをまた広島弁に変えることはとても大変な作業だったのではないかと思います。お疲れ様です・・・☆
おかげで、とても楽しくお勉強させて頂いております。分かりやすく楽しい故、しっかりと頭に残ります!
また、ランキングがグングンとあがっているようですが、このブログをたくさんの方が見られてお勉強されていることをとても嬉しく思います。これからも、私たちファンのために頑張ってくださいね☆
おかげで、とても楽しくお勉強させて頂いております。分かりやすく楽しい故、しっかりと頭に残ります!
また、ランキングがグングンとあがっているようですが、このブログをたくさんの方が見られてお勉強されていることをとても嬉しく思います。これからも、私たちファンのために頑張ってくださいね☆
| リロっち | EMAIL | URL | 06/08/19 00:52 | Q8k/.EqM |
TOKOさん、コメントありがとうございます。
昔の物語って、訳すのが結構大変で、しかも難しい文章が多いんですよね。
だからせっかく訳しても、わかりにくかったりするので、何かいい手はないかなぁ~と思って、会話を広島弁にしてみました(笑)
ようやくその事にコメントしていただけて、内心ホッとしてます☆
これからもよろしくお願いします。
昔の物語って、訳すのが結構大変で、しかも難しい文章が多いんですよね。
だからせっかく訳しても、わかりにくかったりするので、何かいい手はないかなぁ~と思って、会話を広島弁にしてみました(笑)
ようやくその事にコメントしていただけて、内心ホッとしてます☆
これからもよろしくお願いします。
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/17 22:49 | BFfnvy1Y |
はるさん、コメントありがとうございます。
やっぱり神楽だけ見てると、あらすじがよくわからないことってありますよね!
見事な舞だけについ目が行ってしまったりして・・・。
「楽しく、わかりやすい」という事をテーマに書いてますので、そういうお言葉をいただいて嬉しく思います。
またコメントしてくださいね☆
やっぱり神楽だけ見てると、あらすじがよくわからないことってありますよね!
見事な舞だけについ目が行ってしまったりして・・・。
「楽しく、わかりやすい」という事をテーマに書いてますので、そういうお言葉をいただいて嬉しく思います。
またコメントしてくださいね☆
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/17 22:45 | BFfnvy1Y |
ここでははじめましてですね♪
源頼光どのや渡辺綱どの等の四天王のお話、または羅生門や戻り橋等の演目のあらすじ等、とても楽しく読ませて頂いております。
特に広島弁の会話が最高です♪
ますます、神楽が大好きになっていきますね。
源頼光どのや渡辺綱どの等の四天王のお話、または羅生門や戻り橋等の演目のあらすじ等、とても楽しく読ませて頂いております。
特に広島弁の会話が最高です♪
ますます、神楽が大好きになっていきますね。
| TOKO | EMAIL | URL | 06/08/17 17:29 | n5WKKwWQ |
初めましてです。
神楽大好きで、公演や祭り、あちこち出没するのですが、イマイチあらすじが理解できない演目ありで…
ここは楽しく、わかりやすく筋書きされてて、
たすかりますわっ♪
またちょくちょくお邪魔いたします。
神楽大好きで、公演や祭り、あちこち出没するのですが、イマイチあらすじが理解できない演目ありで…
ここは楽しく、わかりやすく筋書きされてて、
たすかりますわっ♪
またちょくちょくお邪魔いたします。
| はる | EMAIL | URL | 06/08/17 16:44 | gRhkdjzc |
コメントする
この記事のトラックバックURL
http://www.npo-hiroshima.jp/blogn/tb.php/33
トラックバック