まずはじめに、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)について調べてみよう。生没年は958~1036年で、弟の保輔(やすすけ)はなんと名高い盗賊だった。摂津の国の平井という地に住んだので、平井氏と名乗った。頼光と同じく、武勇に優れた人物として広く知られていたようだ。四天王は頼光の部下だが、保昌は頼光と同じ位まで出世した人物なので、部下ではなく同僚のような感じとイメージしたほうが良いだろう。
それでは、「大江山の酒呑童子退治」の物語を「御伽草子」より紹介する。そのままを訳したものを掲載すると、とてつもなく長くなるので、そのあたりは読みやすいように編集したのでご了承いただきたい。
昔、丹波の国大江山に鬼神が住み、日が暮れると大勢の人をさらっていた。都においては、17~18歳の若い女を中心にして、数多くの者がさらわれていた。中でも大富豪である池田中納言くにたかの娘が行方不明になったときには、朝廷内でも大騒ぎになった。中納言はあまりの悲しさに、村岡のまさときという、名高い陰陽師に占ってもらうことにした。陰陽師を前にして泣きながら「わしのたった一人の娘が、ゆうべどこ行ったんかわからんよぅになったんよ。今年でまだ十三歳なのに・・・。もしどけぇおるか占ってくれりゃぁ、なんぼでも銭(ぜに)あげるけぇ、なんとかしてくだしゃぁ。」と言った。もちろん陰陽師は名人なので、さっそく巻物を取り出し、姫の所在を占った。そして「あんたの娘さんをさらったんは、丹波の国の大江山におる、鬼の仕業じゃぁ。今のところ命に別状はなぁみたいじゃの。」などと、まるで見てきたかのように占った。中納言はこれを聞いて、急ぎ朝廷へ報告した。
これを受けて内裏(だいり)では、帝をはじめ公卿、大臣が集まって、話し合いとなった。その中で関白が進み出て「前にもこれとおんなじような事件があったらしぃんじゃが、そんときゃ弘法大師さんに頼んで、わりぃやつを封じ込めてもろうたんだげな。ほじゃけ、このたびゃぁ、源頼光を呼んで鬼退治せぇと言うてみようや。そうすりゃ定光・末武・綱・公時・保昌らが加わるじゃろうて。こいつらぁはぶちつぇえけぇ、鬼も恐れてよう手を出さんいぅらしぇけぇの。あがぁしょうやぁ。」と提案した。さっそくそれで意見がまとまり、帝は源頼光を呼び寄せた。頼光は突然の帝の招集に、何事かと急ぎ内裏(だいり)へと参上した。すると帝は、「いかに頼光、よぅ聞きんさい。丹波の国大江山に鬼が住んで、わりぃことをするんじゃ。この国はわしのもんじゃけぇ、どこにも鬼が住むとこはないはずで。それも都からこげな近くにおってから、人を悩ますじゃことの、ほんまに。しばいちゃりんさい。」と勅命を出した。
頼光はこの仰せ(おおせ)に、大役を任された喜びもさることながら、鬼神は変化自在の者であるので、退治しようと近づけば塵(ちり)や木の葉へと姿を変えてしまい、人の目で見つけることは難しくなる。がしかし、勅命に背く事はできない。などあれこれ考え、急ぎ館に帰った。そして四天王たちを集め、「わしらぁだけじゃ、とてもじゃないが勝てんわ。神様仏様にお祈りゅぅしてからに、神さんの力を頼もうや。そうするんが一番えかろう。」と言った。そして頼光と保昌は八幡へ、綱と公時は住吉へ、定光と末武は熊野へ、それぞれ参拝した。そして一同は再び館へ集まり、作戦を練った。頼光が「こりゃぁ、人が多けりゃえぇいうもんじゃないよの。わしら六人が山伏に変装してから、道に迷うたふりゅぅして、丹波の鬼ヶ城(おにがじょう)へ行って、うまいしこ鬼をだましちゃりゃぁ、退治するなぁみやすかろうて。みなそれぞれ笈(おい)をこしらぁて、兜やら武器やら入れて持ってこうやぁ。どがなや?」と言うと、「あがしょ!」と、みな笈を作り始めた。それぞれその中に鎧や兜、刀などを仕込み、酒を持ち、小刀、頭巾(ずきん)、鈴懸(すずかけ)、ほら貝、金剛杖を身につけ、丹波の国へと向かった。この六人の様子は、いかなる悪鬼でさえも恐れるように思えた。
ここで少し休憩。「池田中納言くにたか」や「村岡のまさとき」など原文で漢字を使われてないものがあるのだが、下手にこちらで漢字を使わず、あえてひらがなで記載させていただく事にした。また伝説によっては、陰陽師はあの安部晴明が登場するが、この御伽草子では晴明は出てこない。他にも名だたる陰陽師がいて、その話も興味深いが、ここでは省略する。
急げば程もなく、六人は丹波の国大江山のふもとに着いた。すると里人がいたので、頼光が「ちぃと聞いてみるんじゃが、ここらで千丈ケ岳言うたらどこですかいの?鬼の岩屋に行きたいんじゃが。」と尋ねた。里人は「この峰(みね)をず~っと奥へはぁてっての、もひとつ谷と峰を越えりゃぁ、鬼の住処(すみか)じゃ言うて、人間はそっから先ゃぁ行けれんのんよ。」と語った。頼光たちはこれを聞いて、山奥へと入っていき、谷を越えて峰を越えて登っていくと、大きな岩穴を見つけた。その中に小屋があり、翁(おきな)が三人いた。頼光は少し警戒し、「あんたらぁは、なしてこがぁなとけぇおるんかいの?」と聞くと、「わしらぁは決していなげなもんじゃなぁで。この山の酒呑童子に嫁さんや子供をとられてから、どがぁぞしちゃろう思うてここまで来たんじゃわ。あんたらぁよぅ見りゃぁ、普通の人じゃなぁのぅ。たぁてぇ、酒呑童子を退治せぇ言うて勅命を受けた人じゃろうて。ほいじゃぁ、わしらがこっから道案内しましょうてぇ。まぁその前にちぃと休みんさい。」と言った。
頼光たちは気を許し、笈を下ろして休むことにした。都から持ってきた酒を三人の翁にすすめると、翁が言うに「おぉ、この山の鬼神いうなぁ、ぶち酒が好きなんよ。へじゃけ酒呑童子いうて呼ばれるんじゃ。わしらはおかしげな酒を持っとって、神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)いうんよ。こりゃ鬼が飲みゃぁ力が出せんようになるんじゃが、あんたらが飲めばかえって薬になるんよ。」そして星兜(ほしかぶと)を取り出し「あんたはこれをかぶって、鬼の首を切りんさい。」と頼光に渡した。六人はこれを見て、さては三社の使いか、なんとありがたい・・・と思っていると、翁たちが立ち上がり「おしゃ、行こうでぇ。」と道案内を始めた。それに従ってさらに山奥へ入り、暗い岩穴をいくつもくぐり抜けると、細い川にたどり着いた。翁が「この川をず~っと上って行きんさい。そしたら若い娘さんがおってじゃけぇ、あとはその人に詳しゅぅ聞きんさいや。鬼をやっちゃるその時は、わしらも手伝うけぇ。住吉、八幡、熊野の神がここらまできたでぇ~。」と言ってかき消すように消えてしまった。
六人は翁たちがいたところを深く拝み、教えに従って川を上っていくと、言葉どおり若い娘に出会った。頼光が「あんたぁ誰かいの?」と聞くと、「わたしゃぁ都の者なんじゃけど、ある夜に鬼につかまって、こげなとこまでさらわれたんじゃ。ここらは鬼の岩屋じゃ言うて、人間が来れるわきゃぁなぁ。あんたらどがんしてこけぇ来たんかいの?どがぁぞしてわたしゅぅ都まで帰しちゃんさい。」とさめざめと泣きながら答えた。そこで頼光が「あんたぁどこの子かいの?」と聞くと、「わたしゃぁ花園中納言の一人娘なんよ。他にも若いんが十何人さらわれとる。堀河中納言の娘さんが、今朝血ぅしぼられてからに、それで血染めの服を洗ようるんじゃ。」とまたさめざめと泣いた。頼光は「わしらは鬼ゅぅ退治してからに、あんたらを都に帰しちゃろう思うてここまで来たんよ。鬼の住処をよぅよぅ教えちゃんさい。」と言うと姫は大喜びで「この川をず~っと上っていきゃぁ、鉄の門があって鬼が番をしよるわ。へぇで中にはぁたら、ごうぎな御殿が建っとるけぇ。姫さんがおる牢屋の前には、ほしくま童子、くま童子、とらくま童子、かね童子いう、鬼の四天王がおって番をしよるんじゃ。こいつらぶちつぇえらしいで。へぇで酒呑童子いうなぁ、色があこぅて背がたこぅて、昼は人の姿なんじゃが、夜になったらぶちいびせぇ鬼になるんよ。こいつぁぶち酒が好きで、酔うて寝たらなんも覚えとらんらしいで。へじゃけあんたら、童子をだましてから酒を飲ませて、酔うて寝たところをやっちゃりんさい。あんたらならできようて。」と言った。
非常に興味深い物語だが、中でも注目したいのは、三人の翁、姫との出会いによって、ようやく鬼の住処へとたどり着くという事。これはつまり、文中にあるように、人間の力では鬼の世界に入ることすらできない、という意味である。この部分も詳しく見ていきたいのだが、そうするとかなり難しい話にもなるので、省略する。神楽団の中では翁(三社の使い)や姫に逢わずに、すんなりと岩屋にたどり着くようにしておられるところもある。上演時間の都合上、やむなく省略されたのだと思うが、この「人の世界と鬼の世界は別の次元」という概念は、神楽においても非常に重要なものであると考えられる。ファンのみなさんにもぜひ注目して見ていただきたい。とうことで「大江山」の前半部分を紹介した。続きはまた来週!
(大森神楽団の写真提供:すな様)
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それでは、「大江山の酒呑童子退治」の物語を「御伽草子」より紹介する。そのままを訳したものを掲載すると、とてつもなく長くなるので、そのあたりは読みやすいように編集したのでご了承いただきたい。
昔、丹波の国大江山に鬼神が住み、日が暮れると大勢の人をさらっていた。都においては、17~18歳の若い女を中心にして、数多くの者がさらわれていた。中でも大富豪である池田中納言くにたかの娘が行方不明になったときには、朝廷内でも大騒ぎになった。中納言はあまりの悲しさに、村岡のまさときという、名高い陰陽師に占ってもらうことにした。陰陽師を前にして泣きながら「わしのたった一人の娘が、ゆうべどこ行ったんかわからんよぅになったんよ。今年でまだ十三歳なのに・・・。もしどけぇおるか占ってくれりゃぁ、なんぼでも銭(ぜに)あげるけぇ、なんとかしてくだしゃぁ。」と言った。もちろん陰陽師は名人なので、さっそく巻物を取り出し、姫の所在を占った。そして「あんたの娘さんをさらったんは、丹波の国の大江山におる、鬼の仕業じゃぁ。今のところ命に別状はなぁみたいじゃの。」などと、まるで見てきたかのように占った。中納言はこれを聞いて、急ぎ朝廷へ報告した。
これを受けて内裏(だいり)では、帝をはじめ公卿、大臣が集まって、話し合いとなった。その中で関白が進み出て「前にもこれとおんなじような事件があったらしぃんじゃが、そんときゃ弘法大師さんに頼んで、わりぃやつを封じ込めてもろうたんだげな。ほじゃけ、このたびゃぁ、源頼光を呼んで鬼退治せぇと言うてみようや。そうすりゃ定光・末武・綱・公時・保昌らが加わるじゃろうて。こいつらぁはぶちつぇえけぇ、鬼も恐れてよう手を出さんいぅらしぇけぇの。あがぁしょうやぁ。」と提案した。さっそくそれで意見がまとまり、帝は源頼光を呼び寄せた。頼光は突然の帝の招集に、何事かと急ぎ内裏(だいり)へと参上した。すると帝は、「いかに頼光、よぅ聞きんさい。丹波の国大江山に鬼が住んで、わりぃことをするんじゃ。この国はわしのもんじゃけぇ、どこにも鬼が住むとこはないはずで。それも都からこげな近くにおってから、人を悩ますじゃことの、ほんまに。しばいちゃりんさい。」と勅命を出した。
頼光はこの仰せ(おおせ)に、大役を任された喜びもさることながら、鬼神は変化自在の者であるので、退治しようと近づけば塵(ちり)や木の葉へと姿を変えてしまい、人の目で見つけることは難しくなる。がしかし、勅命に背く事はできない。などあれこれ考え、急ぎ館に帰った。そして四天王たちを集め、「わしらぁだけじゃ、とてもじゃないが勝てんわ。神様仏様にお祈りゅぅしてからに、神さんの力を頼もうや。そうするんが一番えかろう。」と言った。そして頼光と保昌は八幡へ、綱と公時は住吉へ、定光と末武は熊野へ、それぞれ参拝した。そして一同は再び館へ集まり、作戦を練った。頼光が「こりゃぁ、人が多けりゃえぇいうもんじゃないよの。わしら六人が山伏に変装してから、道に迷うたふりゅぅして、丹波の鬼ヶ城(おにがじょう)へ行って、うまいしこ鬼をだましちゃりゃぁ、退治するなぁみやすかろうて。みなそれぞれ笈(おい)をこしらぁて、兜やら武器やら入れて持ってこうやぁ。どがなや?」と言うと、「あがしょ!」と、みな笈を作り始めた。それぞれその中に鎧や兜、刀などを仕込み、酒を持ち、小刀、頭巾(ずきん)、鈴懸(すずかけ)、ほら貝、金剛杖を身につけ、丹波の国へと向かった。この六人の様子は、いかなる悪鬼でさえも恐れるように思えた。
ここで少し休憩。「池田中納言くにたか」や「村岡のまさとき」など原文で漢字を使われてないものがあるのだが、下手にこちらで漢字を使わず、あえてひらがなで記載させていただく事にした。また伝説によっては、陰陽師はあの安部晴明が登場するが、この御伽草子では晴明は出てこない。他にも名だたる陰陽師がいて、その話も興味深いが、ここでは省略する。
急げば程もなく、六人は丹波の国大江山のふもとに着いた。すると里人がいたので、頼光が「ちぃと聞いてみるんじゃが、ここらで千丈ケ岳言うたらどこですかいの?鬼の岩屋に行きたいんじゃが。」と尋ねた。里人は「この峰(みね)をず~っと奥へはぁてっての、もひとつ谷と峰を越えりゃぁ、鬼の住処(すみか)じゃ言うて、人間はそっから先ゃぁ行けれんのんよ。」と語った。頼光たちはこれを聞いて、山奥へと入っていき、谷を越えて峰を越えて登っていくと、大きな岩穴を見つけた。その中に小屋があり、翁(おきな)が三人いた。頼光は少し警戒し、「あんたらぁは、なしてこがぁなとけぇおるんかいの?」と聞くと、「わしらぁは決していなげなもんじゃなぁで。この山の酒呑童子に嫁さんや子供をとられてから、どがぁぞしちゃろう思うてここまで来たんじゃわ。あんたらぁよぅ見りゃぁ、普通の人じゃなぁのぅ。たぁてぇ、酒呑童子を退治せぇ言うて勅命を受けた人じゃろうて。ほいじゃぁ、わしらがこっから道案内しましょうてぇ。まぁその前にちぃと休みんさい。」と言った。
頼光たちは気を許し、笈を下ろして休むことにした。都から持ってきた酒を三人の翁にすすめると、翁が言うに「おぉ、この山の鬼神いうなぁ、ぶち酒が好きなんよ。へじゃけ酒呑童子いうて呼ばれるんじゃ。わしらはおかしげな酒を持っとって、神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)いうんよ。こりゃ鬼が飲みゃぁ力が出せんようになるんじゃが、あんたらが飲めばかえって薬になるんよ。」そして星兜(ほしかぶと)を取り出し「あんたはこれをかぶって、鬼の首を切りんさい。」と頼光に渡した。六人はこれを見て、さては三社の使いか、なんとありがたい・・・と思っていると、翁たちが立ち上がり「おしゃ、行こうでぇ。」と道案内を始めた。それに従ってさらに山奥へ入り、暗い岩穴をいくつもくぐり抜けると、細い川にたどり着いた。翁が「この川をず~っと上って行きんさい。そしたら若い娘さんがおってじゃけぇ、あとはその人に詳しゅぅ聞きんさいや。鬼をやっちゃるその時は、わしらも手伝うけぇ。住吉、八幡、熊野の神がここらまできたでぇ~。」と言ってかき消すように消えてしまった。
六人は翁たちがいたところを深く拝み、教えに従って川を上っていくと、言葉どおり若い娘に出会った。頼光が「あんたぁ誰かいの?」と聞くと、「わたしゃぁ都の者なんじゃけど、ある夜に鬼につかまって、こげなとこまでさらわれたんじゃ。ここらは鬼の岩屋じゃ言うて、人間が来れるわきゃぁなぁ。あんたらどがんしてこけぇ来たんかいの?どがぁぞしてわたしゅぅ都まで帰しちゃんさい。」とさめざめと泣きながら答えた。そこで頼光が「あんたぁどこの子かいの?」と聞くと、「わたしゃぁ花園中納言の一人娘なんよ。他にも若いんが十何人さらわれとる。堀河中納言の娘さんが、今朝血ぅしぼられてからに、それで血染めの服を洗ようるんじゃ。」とまたさめざめと泣いた。頼光は「わしらは鬼ゅぅ退治してからに、あんたらを都に帰しちゃろう思うてここまで来たんよ。鬼の住処をよぅよぅ教えちゃんさい。」と言うと姫は大喜びで「この川をず~っと上っていきゃぁ、鉄の門があって鬼が番をしよるわ。へぇで中にはぁたら、ごうぎな御殿が建っとるけぇ。姫さんがおる牢屋の前には、ほしくま童子、くま童子、とらくま童子、かね童子いう、鬼の四天王がおって番をしよるんじゃ。こいつらぶちつぇえらしいで。へぇで酒呑童子いうなぁ、色があこぅて背がたこぅて、昼は人の姿なんじゃが、夜になったらぶちいびせぇ鬼になるんよ。こいつぁぶち酒が好きで、酔うて寝たらなんも覚えとらんらしいで。へじゃけあんたら、童子をだましてから酒を飲ませて、酔うて寝たところをやっちゃりんさい。あんたらならできようて。」と言った。
非常に興味深い物語だが、中でも注目したいのは、三人の翁、姫との出会いによって、ようやく鬼の住処へとたどり着くという事。これはつまり、文中にあるように、人間の力では鬼の世界に入ることすらできない、という意味である。この部分も詳しく見ていきたいのだが、そうするとかなり難しい話にもなるので、省略する。神楽団の中では翁(三社の使い)や姫に逢わずに、すんなりと岩屋にたどり着くようにしておられるところもある。上演時間の都合上、やむなく省略されたのだと思うが、この「人の世界と鬼の世界は別の次元」という概念は、神楽においても非常に重要なものであると考えられる。ファンのみなさんにもぜひ注目して見ていただきたい。とうことで「大江山」の前半部分を紹介した。続きはまた来週!
(大森神楽団の写真提供:すな様)
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2006,08,24 Thu 00:00
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