今年の5月から、特派員として活動を始めてあっという間の7ヶ月。各地でさまざまな神楽を見てきました。そして、この1年の活動を振り返って感じたことをまとめてみようと思います。
まず、私が常に考えているのは「神楽とは何か」という事です。
簡単なようで難しい問いかけだと思いますが、すぐに答えられる方、いらっしゃいますでしょうか。
そして私の願いは、この地域の神楽がより一層発展し、いつまでも伝承される事です。しかし、現在の状況を見ると、果たしてこのままで本当に大丈夫だろうかと、 不安を抱かざるを得ません。
特派員として各地の大会やイベントを視察する一方で、いろいろな資料などで神楽の勉強もしています。その中で興味深い文章を見つけました。
『かつて芸北地方の神楽競演大会を見られた民俗学者が「神楽のような芸能大会」と評され、数年後には「神楽ともいえない芸能大会」と述べられた』そうです。
これは、普段私たちが目にしているほとんどの神楽が、民俗学的には「神楽ではない」という意味になってしまいます。広島県に入ってきた石見神楽が、各地に根付いて芸北神楽となり、最近では「ひろしま神楽」という言葉も使われるようになってきています。
何が言いたいかと言うと、「神楽が進化し続けている」ということです。もちろん、今までも時代の変化とともに神楽も進化し、そのおかげで今日まで伝承されてきました。しかしここ十数年、いわゆるスーパー神楽や創作神楽などの登場によって、著しく変わってしまったという印象を持つのは、私だけではないと思います。簡単に言うなら「派手になりすぎている」といった感じでしょうか。
ここで、現在の状況を見てみましょう。近年は各神楽団とも見せ方に工夫を凝らし、非常に見栄えのする神楽が増えてきています。これは応援してくださるファンのためであり、もっと喜んでもらいたいという気持ちの表れです。そうすることによって、ファンの方もますます神楽に夢中になっていきます。そして、競演大会やイベントの主催者側は、たくさんのお客さんに来て欲しい、という気持ちが当然ありますから、プログラムはどうしても人気の高い神楽団がメインになります。呼ばれた神楽団は、せっかく呼んでいただいて、たくさんの方に見てもらうのだから、と少しでも見栄えをよくしようと工夫をします。そしてそれにまたファンが反応し…というように、今の状況は神楽がますます派手になるような循環が出来上がってしまっているのです。
神楽の発展という意味では、これは歓迎すべき状況でしょう。しかし、伝統の芸能の保存という観点から見れば、とても手放しで喜べるものではありません。ではどうすればよいのでしょうか。「じゃぁ旧舞ばっかりやればいいのか?」という声が上がりそうですが、そんな単純な問題ではありません。それに私は、スーパー神楽や創作神楽の批判をしたいわけでもありません。神楽ブームと言われる今だからこそ、神楽団・神楽ファン・主催者の三者が、「神楽とは何か」ということを見つめ直さなければならないと思います。
その中でも、特にファンの方にもっと神楽の事を知ってもらう機会を作るのが急務ではないかと考えています。現在の状況は、ただ神楽を見るだけで終わってしまい、ファンには見た目の良さしか残りません。そうではなく、「この演目ではこの衣装、面を着ける」だとか「舞人の立ち位置にはこんな意味がある」というような、神楽の基本をファンの方に知ってもらえば、ただ派手なものがいいというわけではない、神楽の本当の面白さみたいなものが、少しはわかっていただけるのではと思います。
私は、神楽芸術研究所の一人として、この地域の神楽のために何をすればよいかと、毎日あれこれ考えています。今回は「神楽とは何か」という事を一人でも多くの方に考えていただきたいと思い、この文章を書きました。今後も活動を続けていきたいのですが、今年はマイクロソフト社のNPO支援事業のおかげで助成金をいただき、このような活動ができました。しかし来年以降はそういったものがないので、今までと同じような活動ができる保障はありません。こればかりは自分の力ではどうしようもない事です。ですから、今まで以上にみなさんのご支援、ご協力が必要です。どうかこれからもよろしくお願いします。
このコラムに関してのご意見、ご感想をお待ちしております。
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まず、私が常に考えているのは「神楽とは何か」という事です。
簡単なようで難しい問いかけだと思いますが、すぐに答えられる方、いらっしゃいますでしょうか。
そして私の願いは、この地域の神楽がより一層発展し、いつまでも伝承される事です。しかし、現在の状況を見ると、果たしてこのままで本当に大丈夫だろうかと、 不安を抱かざるを得ません。
特派員として各地の大会やイベントを視察する一方で、いろいろな資料などで神楽の勉強もしています。その中で興味深い文章を見つけました。
『かつて芸北地方の神楽競演大会を見られた民俗学者が「神楽のような芸能大会」と評され、数年後には「神楽ともいえない芸能大会」と述べられた』そうです。
これは、普段私たちが目にしているほとんどの神楽が、民俗学的には「神楽ではない」という意味になってしまいます。広島県に入ってきた石見神楽が、各地に根付いて芸北神楽となり、最近では「ひろしま神楽」という言葉も使われるようになってきています。
何が言いたいかと言うと、「神楽が進化し続けている」ということです。もちろん、今までも時代の変化とともに神楽も進化し、そのおかげで今日まで伝承されてきました。しかしここ十数年、いわゆるスーパー神楽や創作神楽などの登場によって、著しく変わってしまったという印象を持つのは、私だけではないと思います。簡単に言うなら「派手になりすぎている」といった感じでしょうか。
ここで、現在の状況を見てみましょう。近年は各神楽団とも見せ方に工夫を凝らし、非常に見栄えのする神楽が増えてきています。これは応援してくださるファンのためであり、もっと喜んでもらいたいという気持ちの表れです。そうすることによって、ファンの方もますます神楽に夢中になっていきます。そして、競演大会やイベントの主催者側は、たくさんのお客さんに来て欲しい、という気持ちが当然ありますから、プログラムはどうしても人気の高い神楽団がメインになります。呼ばれた神楽団は、せっかく呼んでいただいて、たくさんの方に見てもらうのだから、と少しでも見栄えをよくしようと工夫をします。そしてそれにまたファンが反応し…というように、今の状況は神楽がますます派手になるような循環が出来上がってしまっているのです。
神楽の発展という意味では、これは歓迎すべき状況でしょう。しかし、伝統の芸能の保存という観点から見れば、とても手放しで喜べるものではありません。ではどうすればよいのでしょうか。「じゃぁ旧舞ばっかりやればいいのか?」という声が上がりそうですが、そんな単純な問題ではありません。それに私は、スーパー神楽や創作神楽の批判をしたいわけでもありません。神楽ブームと言われる今だからこそ、神楽団・神楽ファン・主催者の三者が、「神楽とは何か」ということを見つめ直さなければならないと思います。
その中でも、特にファンの方にもっと神楽の事を知ってもらう機会を作るのが急務ではないかと考えています。現在の状況は、ただ神楽を見るだけで終わってしまい、ファンには見た目の良さしか残りません。そうではなく、「この演目ではこの衣装、面を着ける」だとか「舞人の立ち位置にはこんな意味がある」というような、神楽の基本をファンの方に知ってもらえば、ただ派手なものがいいというわけではない、神楽の本当の面白さみたいなものが、少しはわかっていただけるのではと思います。
私は、神楽芸術研究所の一人として、この地域の神楽のために何をすればよいかと、毎日あれこれ考えています。今回は「神楽とは何か」という事を一人でも多くの方に考えていただきたいと思い、この文章を書きました。今後も活動を続けていきたいのですが、今年はマイクロソフト社のNPO支援事業のおかげで助成金をいただき、このような活動ができました。しかし来年以降はそういったものがないので、今までと同じような活動ができる保障はありません。こればかりは自分の力ではどうしようもない事です。ですから、今まで以上にみなさんのご支援、ご協力が必要です。どうかこれからもよろしくお願いします。
このコラムに関してのご意見、ご感想をお待ちしております。
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2006,12,29 Fri 20:50
コメント
すみません、文章が切れてしまったので、続きを投稿します。
八調子石見神楽系を研究に値しないと言う人は言ってしまえば、大元神楽や比婆荒神神楽に価値を見出している訳です。それはそれで立派なことですが、一方で時代に応じて変化する神楽、ありのままの神楽をありのまま見ていないことになります。すなわち権威主義なのです。
ステージで演じる神楽をセカンドハンド、フォークロリズムだという批判もあります。フォークロリズムとは要するにフォークロアまがいです。ですが、なぜまがいものが観客を惹きつけるのか、民俗学はその理由を明らかにしていないのです。言いっぱなしなのです。
またまた話が変わりますが、関東の神楽は幕間が長く、着付けと休憩で一時間くらい空きます。その間に観客が入れ替わってしまうのです。観察するに、親御さんが子供さんに積極的に神楽を見せるという習慣がないようです。
神楽の鍵を握るのは子供です。親が子に神楽を見せる、そうやって成長した子供が親となってその子(孫)に神楽を見せるというサイクルが島根や広島では確立されています。いかにあしざまに言われようがビクともしないのは、こうしたサイクルのお蔭でしょう。
八調子石見神楽系を研究に値しないと言う人は言ってしまえば、大元神楽や比婆荒神神楽に価値を見出している訳です。それはそれで立派なことですが、一方で時代に応じて変化する神楽、ありのままの神楽をありのまま見ていないことになります。すなわち権威主義なのです。
ステージで演じる神楽をセカンドハンド、フォークロリズムだという批判もあります。フォークロリズムとは要するにフォークロアまがいです。ですが、なぜまがいものが観客を惹きつけるのか、民俗学はその理由を明らかにしていないのです。言いっぱなしなのです。
またまた話が変わりますが、関東の神楽は幕間が長く、着付けと休憩で一時間くらい空きます。その間に観客が入れ替わってしまうのです。観察するに、親御さんが子供さんに積極的に神楽を見せるという習慣がないようです。
神楽の鍵を握るのは子供です。親が子に神楽を見せる、そうやって成長した子供が親となってその子(孫)に神楽を見せるというサイクルが島根や広島では確立されています。いかにあしざまに言われようがビクともしないのは、こうしたサイクルのお蔭でしょう。
| mitsuzakura | EMAIL | URL | 20/11/24 21:56 | rj4PZ9s6 |
失礼します。私は島根県浜田市の出身で、現在は関東に住んでいます。なので芸北神楽はYouTubeで見ただけです。いずれ大朝の競演大会を見にいきたいと思っています(高速道路で一本なので)。
さて、関東の神代神楽の奉納を何軒か見ることができたのですが、石見神楽系の神楽に比べてバトルの要素が薄いのです。海幸山幸や天孫降臨など記紀神話に比較的忠実な内容です。
翻って見るに、特に芸北神楽の新舞ですが、ほとんどの演目がバトルが主眼となっています。それから新舞の場合、その成り立ち上、神話を題材にした演目が少なく説話を題材にした演目が多いです。言ってしまえば、神話劇からの逸脱です。
出雲の民俗学者である石塚尊俊は「曲目もどんどん新作され、神楽といいながら神話とも縁起とも関係ないものがもっぱら賞翫されるに至っております。」と山陰民俗研究3号で述べています。
八調子石見神楽系の人気の要因はテンポが速い、闊達である、そして勧善懲悪のストーリー性を持つこと等でしょう。しかしながら、特に新舞はそれに特化し過ぎてしまっている様に見えます。これは神楽とは神話劇であるという縛りを外すことで、一段と世界を広げているという見方もできるでしょう。一方で、バトル一辺倒の内容となっていますので、その点で発展の方向性が限られているということも言えます。
関東の神代神楽が証明していますが、バトルに頼らなくても神楽は成立するのです(※関東の神楽にバトルが無いとは言っていません)。
話は変わりますが、私自身、中学生のときに「本物の神楽は大元神楽みたいなのを言うんだ」と郷土史家だった担任の先生の発言があったことを記憶しています。
芸北神楽を神楽ではないという批判ですが、要するに「ショーである」「見せ物である」という批判と同根のものでしょう。
これについては、二つの見方が挙げられます。伝統芸能は昔から変わらずに今まできたという認識は今では否定され、伝統芸能は時代に応じて変化しながら生き残ってきたという認識の方が有力となっています。
八調子石見神楽系は他地域の神楽と比べて変化を進んで受容し、時代に応じて生き延びてきた度合いが強いと言えるでしょう。
八調子石見神楽系を研究に値しないと言う人は言ってしまえば、大元神楽や比婆荒神神楽に価値を見出している訳です。それはそれで立派なことですが、一方で時代に応じて変化する神楽、ありのま
さて、関東の神代神楽の奉納を何軒か見ることができたのですが、石見神楽系の神楽に比べてバトルの要素が薄いのです。海幸山幸や天孫降臨など記紀神話に比較的忠実な内容です。
翻って見るに、特に芸北神楽の新舞ですが、ほとんどの演目がバトルが主眼となっています。それから新舞の場合、その成り立ち上、神話を題材にした演目が少なく説話を題材にした演目が多いです。言ってしまえば、神話劇からの逸脱です。
出雲の民俗学者である石塚尊俊は「曲目もどんどん新作され、神楽といいながら神話とも縁起とも関係ないものがもっぱら賞翫されるに至っております。」と山陰民俗研究3号で述べています。
八調子石見神楽系の人気の要因はテンポが速い、闊達である、そして勧善懲悪のストーリー性を持つこと等でしょう。しかしながら、特に新舞はそれに特化し過ぎてしまっている様に見えます。これは神楽とは神話劇であるという縛りを外すことで、一段と世界を広げているという見方もできるでしょう。一方で、バトル一辺倒の内容となっていますので、その点で発展の方向性が限られているということも言えます。
関東の神代神楽が証明していますが、バトルに頼らなくても神楽は成立するのです(※関東の神楽にバトルが無いとは言っていません)。
話は変わりますが、私自身、中学生のときに「本物の神楽は大元神楽みたいなのを言うんだ」と郷土史家だった担任の先生の発言があったことを記憶しています。
芸北神楽を神楽ではないという批判ですが、要するに「ショーである」「見せ物である」という批判と同根のものでしょう。
これについては、二つの見方が挙げられます。伝統芸能は昔から変わらずに今まできたという認識は今では否定され、伝統芸能は時代に応じて変化しながら生き残ってきたという認識の方が有力となっています。
八調子石見神楽系は他地域の神楽と比べて変化を進んで受容し、時代に応じて生き延びてきた度合いが強いと言えるでしょう。
八調子石見神楽系を研究に値しないと言う人は言ってしまえば、大元神楽や比婆荒神神楽に価値を見出している訳です。それはそれで立派なことですが、一方で時代に応じて変化する神楽、ありのま
| mitsuzakura | EMAIL | URL | 20/11/24 21:51 | rj4PZ9s6 |
メビウスさん、コメントありがとうございます。
団員をされている方の投稿、嬉しいです☆
メビウスさんの意見、本当にその通りだと思います。
「敬神観念」、ファンの方には難しいかもしれませんが、これは神楽において非常に大切なものですよね。
もっと団員さんとファンとの距離を、いろんな面から近づけたい、と思います。
ご意見ありがとうございました。
団員をされている方の投稿、嬉しいです☆
メビウスさんの意見、本当にその通りだと思います。
「敬神観念」、ファンの方には難しいかもしれませんが、これは神楽において非常に大切なものですよね。
もっと団員さんとファンとの距離を、いろんな面から近づけたい、と思います。
ご意見ありがとうございました。
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/12/31 17:20 | BFfnvy1Y |
私も神楽を舞いますが、大晦日にもの思う。です。
確かに神楽は、神の御霊を鎮めると同時に大衆の楽しみ、心のよりどころの一端を担い発展、進化し続けてきました。でも、私は思います。見るものを意識しないのもこの地方に根付いた神楽ではないと。活発な囃子と絢爛な衣装。その神楽は人々を魅了し、感動を与える。全国稀な郷土芸能です。一方では、過疎化が進み、神楽を奉納することすらできなくなった団体も垣間見られ、全体を見渡せば後継者が着実に減っているのはまぎれもない事実。芸能化を迎合するものではありませんが、神楽人はいろんな狭間で葛藤しているのだと思います。舞台神楽のみを見れば確かに神楽とは言いがたいのかも知れない・・・しかし、そこに立つものは宮での奉納も礼をつくしておこなっているはず。私は神楽人として、その場に合った舞のできる懐の深い舞子でいたいと思います。そして、この誇れる郷土芸能をこの地の文化として、敬神観念を持ちながら伝承していきたいと思っています。
確かに神楽は、神の御霊を鎮めると同時に大衆の楽しみ、心のよりどころの一端を担い発展、進化し続けてきました。でも、私は思います。見るものを意識しないのもこの地方に根付いた神楽ではないと。活発な囃子と絢爛な衣装。その神楽は人々を魅了し、感動を与える。全国稀な郷土芸能です。一方では、過疎化が進み、神楽を奉納することすらできなくなった団体も垣間見られ、全体を見渡せば後継者が着実に減っているのはまぎれもない事実。芸能化を迎合するものではありませんが、神楽人はいろんな狭間で葛藤しているのだと思います。舞台神楽のみを見れば確かに神楽とは言いがたいのかも知れない・・・しかし、そこに立つものは宮での奉納も礼をつくしておこなっているはず。私は神楽人として、その場に合った舞のできる懐の深い舞子でいたいと思います。そして、この誇れる郷土芸能をこの地の文化として、敬神観念を持ちながら伝承していきたいと思っています。
| メビウス | EMAIL | URL | 06/12/31 17:07 | LEQ4bAmU |
ジェラードさん、コメントありがとうございます。
「天の岩戸」は、本来ならば儀式舞と同じように、神楽を舞うときには必ず奉納しなければならない演目でした。
しかし、この「天の岩戸」が保持演目にない神楽団もけっこうあるようです。
見た目は地味ですが、大切な神楽の一つだと思います。
またコメントお願いします。
「天の岩戸」は、本来ならば儀式舞と同じように、神楽を舞うときには必ず奉納しなければならない演目でした。
しかし、この「天の岩戸」が保持演目にない神楽団もけっこうあるようです。
見た目は地味ですが、大切な神楽の一つだと思います。
またコメントお願いします。
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/12/30 12:00 | BFfnvy1Y |
確かに特派員さんの言うとおり神楽は進化していますよね。
悪い事では、無いですが、もう一度神楽の原点の「天の岩戸」を見てみるのもいいかもしれませんね。
悪い事では、無いですが、もう一度神楽の原点の「天の岩戸」を見てみるのもいいかもしれませんね。
| ジェラード | EMAIL | URL | 06/12/30 11:54 | 5I/Y1lys |
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