「都は羅生門、戻り橋あたりにおいて・・・。」
神楽ファンにはなじみの深いセリフだと思うが、戻り橋と羅生門の実際の位置関係をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろうか?簡単に図で示したのでご覧いただきたい。実はこの二つ、軽く5キロは離れていた。つまり全然違う場所にあったのである。「すぐ近くにあるものだと思ってた・・・」という方も少なくないだろう。が、ここで一つ疑問が生じる。
「ではなぜ、さも近くにあるかのように続けて語られるのか?」
近くにあると思っていた方には自然と湧き上がる思いだろう。なぜか?それは戻り橋、羅生門それぞれに鬼が出たからである。つまり、セリフの「羅生門、戻り橋」の間には「AND」の意味が込められている、というわけだ。
というわけで、その「戻り橋」と「羅生門」にまつわる鬼の話を紹介しよう。まずは「平家物語 剣の巻」より、一条戻り橋に出た鬼の話である。
摂津守頼光のもとには、綱・公時・貞道・末武という四天王が仕えていた。中でも綱は抜きん出ていた。武蔵国の美田(みた)というところで生まれたので、美田源氏と言っていた。頼光が一条大宮に用事があったので、綱を使者に遣わした。夜も更けていたので鬚切(ひげきり)という刀を持たせ、馬に乗せて遣わした。目的地に到着して会合して帰り、一条堀川の戻橋を渡った時、橋の東側に二十歳くらいの女で、肌は雪のように白く、紅梅の着物を身に付け、経を持ち、従者も連れず、たった一人で南へ向う者がいた。綱は橋の西側から「ありゃあ、どけぇ行きんさるんかのう。わしゃあ五条の辺に行くんじゃが、もう暗うなっていびせえじゃろうが。送っちゃろう。」と馴れ馴れしく言うと急いで馬から飛び降り、「この馬に乗りんさい。」と言って、女を抱き上げて馬に乗らせて堀川の東側を南の方へ行っていたが、この女が後ろを向いて「ほんまは五条の辺にゃあ大して用事ゃあないんよ。あたしん家ゃあ都の外にあるんよ。そこまで送ってつかぁさいや。」と言った。綱が「おぉええで。どけぇでも送っちゃるで~。」と言うのを聞いた途端、恐ろしい鬼に姿を変え、「わしが行く所は愛宕山でぇ~!」と言いながら、綱の髪の毛を掴んで北西の方角へ飛び立った。綱は少しも騒がず例の鬚切をさっと抜き、鬼の手をふつっと切った。綱は北野天満宮の社の廊下の屋根の上にどうっと落ちた。鬼は手を切られながらも愛宕へと飛び去った。
さて綱は髪の毛に付いた鬼の手を取って見てみれば、女の雪のような顔に引き換え、真っ黒であった。白い毛が隙間なく生えてまるで銀の針を立てているようだった。これを持って帰ると、頼光はびっくり仰天して、「晴明を呼べぃ!」と播磨守安倍晴明を呼んで「どがんしょーかー?」と問えば、「綱は七日休みをもろうて引っ込んどきんさい。鬼の手をようよう仕舞ぅときんさいよ。祈祷にゃあ仁王経を読みんさい。」と言ったので、その通りにした。六日が過ぎた黄昏時に、綱の宿所の門が叩かれた。「何にゃぁ?」と尋ねれば、「綱の乳母で、渡辺におったのがきたんでぇ~。」と答えた。綱は「わざわざ来てもろうたんじゃけども、七日の物忌みをしよって、今日は六日目なんじゃ。明日まではどがぁやっても会えんけぇ、宿を取りんさい。あさってになったら入れてあぎょうよ。」と言ったら、乳母はこれを聞いてさめざめと泣いて「そりゃぁどうしようもないことじゃ。へじゃけども、あんたが生まれた時からやしのうて育てた気持ちを何じゃぁ思うとんなら。夜もよぅ寝られんかった。濡れたところにわしが寝て、乾いたところにあんたを寝かせて、4~5歳になるまでは強い風にも当てんようにして、いつか大きゅうなって立派になったのを見たい思うて、昼夜ず~っと願いよったかいがあって、頼光さんとこん中じゃ、あんたに並ぶもんはおらん。嬉しゅうて会いたい思よったけども、このごろ悪い夢ばっかり見て心配になってここまで来たのに、門の内へも入れてくれん。親と思うてもらえん。情けないことよ。」そこで綱はしぶしぶ門を開いて中へ入れた。乳母は「七日の物忌みって、なんかあったんかいの?」と聞くので、綱は隠すことではないのでありのままに話した。乳母はこれを聞いて「鬼の手ってどんなんかいの?見たいのう。」と言った。綱は「みやすいことじゃけども、七日目をすぎにゃあだめよ。明日、日が暮れたら見せちゃるけえ。」と答えた。「はあはあ、ほんなら見んでもええわ。わしゃ帰る。」と恨めしそうに言われた綱は、封じてあった鬼の手を取り出して乳母の前に置いた。乳母は「あらいびせ。鬼の手ってこぎゃあなもんなんか。」と言うと、立ち上がって「こりゃあわしの手じゃけえ取るど!」と言いながら恐ろしい鬼に変わって、空へ飛び上がり光って消えた。綱は鬼に手を取り返されて、七日の物忌みを破ったが、仁王経の力で別に被害はなかった。この鬚切は鬼を切って以降、「鬼丸」と改名した。
これは芸北神楽「戻り橋」「羅生門」のあらすじによく似た内容である。ではここで、芸北神楽における「戻り橋」から「大江山」へとつながる物語を整理しておこう。一般的に「戻り橋」で綱が鬼の片腕を切り取り、「羅生門」で鬼がその腕を取り返す。そして「大江山」で鬼退治というわけなのだが、ファンの皆様もよくよくご存知のように、各神楽団でかなり違いがある。たとえば、安芸高田市高宮町の原田神楽団の「戻り橋」は、鬼が腕を取り返す「羅生門」のあらすじだったり、安芸太田町の堀神楽団の「羅生門」は、鬼の腕を切り取る「戻り橋」のあらすじであるなど、とてつもなくややこしい。まるで釣り糸が絡まってしまったようだ。ちなみに釣り糸同士が絡まってしまった状態のことを「オマツリ」という。へぇ。これこそトリビアである。
これだけややこしいので、今回の「戻り橋」は前編、次回の「羅生門」は後編ということにさせていただく。そして次回はもう一つの「羅生門の鬼」の話を紹介する。がしかし!先にネタばらしをしてしまおう。なんと、この「羅生門の鬼」の話は、「大江山」の酒呑童子を退治した後の物語なのであるっ!次回に続く!
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神楽ファンにはなじみの深いセリフだと思うが、戻り橋と羅生門の実際の位置関係をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろうか?簡単に図で示したのでご覧いただきたい。実はこの二つ、軽く5キロは離れていた。つまり全然違う場所にあったのである。「すぐ近くにあるものだと思ってた・・・」という方も少なくないだろう。が、ここで一つ疑問が生じる。
「ではなぜ、さも近くにあるかのように続けて語られるのか?」
近くにあると思っていた方には自然と湧き上がる思いだろう。なぜか?それは戻り橋、羅生門それぞれに鬼が出たからである。つまり、セリフの「羅生門、戻り橋」の間には「AND」の意味が込められている、というわけだ。
というわけで、その「戻り橋」と「羅生門」にまつわる鬼の話を紹介しよう。まずは「平家物語 剣の巻」より、一条戻り橋に出た鬼の話である。
摂津守頼光のもとには、綱・公時・貞道・末武という四天王が仕えていた。中でも綱は抜きん出ていた。武蔵国の美田(みた)というところで生まれたので、美田源氏と言っていた。頼光が一条大宮に用事があったので、綱を使者に遣わした。夜も更けていたので鬚切(ひげきり)という刀を持たせ、馬に乗せて遣わした。目的地に到着して会合して帰り、一条堀川の戻橋を渡った時、橋の東側に二十歳くらいの女で、肌は雪のように白く、紅梅の着物を身に付け、経を持ち、従者も連れず、たった一人で南へ向う者がいた。綱は橋の西側から「ありゃあ、どけぇ行きんさるんかのう。わしゃあ五条の辺に行くんじゃが、もう暗うなっていびせえじゃろうが。送っちゃろう。」と馴れ馴れしく言うと急いで馬から飛び降り、「この馬に乗りんさい。」と言って、女を抱き上げて馬に乗らせて堀川の東側を南の方へ行っていたが、この女が後ろを向いて「ほんまは五条の辺にゃあ大して用事ゃあないんよ。あたしん家ゃあ都の外にあるんよ。そこまで送ってつかぁさいや。」と言った。綱が「おぉええで。どけぇでも送っちゃるで~。」と言うのを聞いた途端、恐ろしい鬼に姿を変え、「わしが行く所は愛宕山でぇ~!」と言いながら、綱の髪の毛を掴んで北西の方角へ飛び立った。綱は少しも騒がず例の鬚切をさっと抜き、鬼の手をふつっと切った。綱は北野天満宮の社の廊下の屋根の上にどうっと落ちた。鬼は手を切られながらも愛宕へと飛び去った。
さて綱は髪の毛に付いた鬼の手を取って見てみれば、女の雪のような顔に引き換え、真っ黒であった。白い毛が隙間なく生えてまるで銀の針を立てているようだった。これを持って帰ると、頼光はびっくり仰天して、「晴明を呼べぃ!」と播磨守安倍晴明を呼んで「どがんしょーかー?」と問えば、「綱は七日休みをもろうて引っ込んどきんさい。鬼の手をようよう仕舞ぅときんさいよ。祈祷にゃあ仁王経を読みんさい。」と言ったので、その通りにした。六日が過ぎた黄昏時に、綱の宿所の門が叩かれた。「何にゃぁ?」と尋ねれば、「綱の乳母で、渡辺におったのがきたんでぇ~。」と答えた。綱は「わざわざ来てもろうたんじゃけども、七日の物忌みをしよって、今日は六日目なんじゃ。明日まではどがぁやっても会えんけぇ、宿を取りんさい。あさってになったら入れてあぎょうよ。」と言ったら、乳母はこれを聞いてさめざめと泣いて「そりゃぁどうしようもないことじゃ。へじゃけども、あんたが生まれた時からやしのうて育てた気持ちを何じゃぁ思うとんなら。夜もよぅ寝られんかった。濡れたところにわしが寝て、乾いたところにあんたを寝かせて、4~5歳になるまでは強い風にも当てんようにして、いつか大きゅうなって立派になったのを見たい思うて、昼夜ず~っと願いよったかいがあって、頼光さんとこん中じゃ、あんたに並ぶもんはおらん。嬉しゅうて会いたい思よったけども、このごろ悪い夢ばっかり見て心配になってここまで来たのに、門の内へも入れてくれん。親と思うてもらえん。情けないことよ。」そこで綱はしぶしぶ門を開いて中へ入れた。乳母は「七日の物忌みって、なんかあったんかいの?」と聞くので、綱は隠すことではないのでありのままに話した。乳母はこれを聞いて「鬼の手ってどんなんかいの?見たいのう。」と言った。綱は「みやすいことじゃけども、七日目をすぎにゃあだめよ。明日、日が暮れたら見せちゃるけえ。」と答えた。「はあはあ、ほんなら見んでもええわ。わしゃ帰る。」と恨めしそうに言われた綱は、封じてあった鬼の手を取り出して乳母の前に置いた。乳母は「あらいびせ。鬼の手ってこぎゃあなもんなんか。」と言うと、立ち上がって「こりゃあわしの手じゃけえ取るど!」と言いながら恐ろしい鬼に変わって、空へ飛び上がり光って消えた。綱は鬼に手を取り返されて、七日の物忌みを破ったが、仁王経の力で別に被害はなかった。この鬚切は鬼を切って以降、「鬼丸」と改名した。
これは芸北神楽「戻り橋」「羅生門」のあらすじによく似た内容である。ではここで、芸北神楽における「戻り橋」から「大江山」へとつながる物語を整理しておこう。一般的に「戻り橋」で綱が鬼の片腕を切り取り、「羅生門」で鬼がその腕を取り返す。そして「大江山」で鬼退治というわけなのだが、ファンの皆様もよくよくご存知のように、各神楽団でかなり違いがある。たとえば、安芸高田市高宮町の原田神楽団の「戻り橋」は、鬼が腕を取り返す「羅生門」のあらすじだったり、安芸太田町の堀神楽団の「羅生門」は、鬼の腕を切り取る「戻り橋」のあらすじであるなど、とてつもなくややこしい。まるで釣り糸が絡まってしまったようだ。ちなみに釣り糸同士が絡まってしまった状態のことを「オマツリ」という。へぇ。これこそトリビアである。
これだけややこしいので、今回の「戻り橋」は前編、次回の「羅生門」は後編ということにさせていただく。そして次回はもう一つの「羅生門の鬼」の話を紹介する。がしかし!先にネタばらしをしてしまおう。なんと、この「羅生門の鬼」の話は、「大江山」の酒呑童子を退治した後の物語なのであるっ!次回に続く!
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2006,08,14 Mon 00:00
コメント
リロッチさん、コメントありがとうございます!
あまり知らない方のために、とにかくわかりやすく、ということを心がけておりますので、そう言っていただけると本当に嬉しいです☆
わからないところ、難しいところなどありましたら、お気軽にコメントしてくださいね!
あまり知らない方のために、とにかくわかりやすく、ということを心がけておりますので、そう言っていただけると本当に嬉しいです☆
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| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/14 11:04 | BFfnvy1Y |
いつも楽しく読ませていただいております!
文字の色使いも良く、神楽を知らないものにとってもすごくわかりやすく、勉強になります☆絵もおもしろく、イイ感じです♪これからも大変だと思いますが、ファンのために頑張ってくださいね★★★
文字の色使いも良く、神楽を知らないものにとってもすごくわかりやすく、勉強になります☆絵もおもしろく、イイ感じです♪これからも大変だと思いますが、ファンのために頑張ってくださいね★★★
| リロッチ | EMAIL | URL | 06/08/14 11:01 | Q8k/.EqM |
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