「都は羅生門、戻り橋あたりにおいて・・・。」
神楽ファンにはなじみの深いセリフだと思うが、戻り橋と羅生門の実際の位置関係をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろうか?簡単に図で示したのでご覧いただきたい。実はこの二つ、軽く5キロは離れていた。つまり全然違う場所にあったのである。「すぐ近くにあるものだと思ってた・・・」という方も少なくないだろう。が、ここで一つ疑問が生じる。
「ではなぜ、さも近くにあるかのように続けて語られるのか?」
近くにあると思っていた方には自然と湧き上がる思いだろう。なぜか?それは戻り橋、羅生門それぞれに鬼が出たからである。つまり、セリフの「羅生門、戻り橋」の間には「AND」の意味が込められている、というわけだ。
というわけで、その「戻り橋」と「羅生門」にまつわる鬼の話を紹介しよう。まずは「平家物語 剣の巻」より、一条戻り橋に出た鬼の話である。
摂津守頼光のもとには、綱・公時・貞道・末武という四天王が仕えていた。中でも綱は抜きん出ていた。武蔵国の美田(みた)というところで生まれたので、美田源氏と言っていた。頼光が一条大宮に用事があったので、綱を使者に遣わした。夜も更けていたので鬚切(ひげきり)という刀を持たせ、馬に乗せて遣わした。目的地に到着して会合して帰り、一条堀川の戻橋を渡った時、橋の東側に二十歳くらいの女で、肌は雪のように白く、紅梅の着物を身に付け、経を持ち、従者も連れず、たった一人で南へ向う者がいた。綱は橋の西側から「ありゃあ、どけぇ行きんさるんかのう。わしゃあ五条の辺に行くんじゃが、もう暗うなっていびせえじゃろうが。送っちゃろう。」と馴れ馴れしく言うと急いで馬から飛び降り、「この馬に乗りんさい。」と言って、女を抱き上げて馬に乗らせて堀川の東側を南の方へ行っていたが、この女が後ろを向いて「ほんまは五条の辺にゃあ大して用事ゃあないんよ。あたしん家ゃあ都の外にあるんよ。そこまで送ってつかぁさいや。」と言った。綱が「おぉええで。どけぇでも送っちゃるで~。」と言うのを聞いた途端、恐ろしい鬼に姿を変え、「わしが行く所は愛宕山でぇ~!」と言いながら、綱の髪の毛を掴んで北西の方角へ飛び立った。綱は少しも騒がず例の鬚切をさっと抜き、鬼の手をふつっと切った。綱は北野天満宮の社の廊下の屋根の上にどうっと落ちた。鬼は手を切られながらも愛宕へと飛び去った。
さて綱は髪の毛に付いた鬼の手を取って見てみれば、女の雪のような顔に引き換え、真っ黒であった。白い毛が隙間なく生えてまるで銀の針を立てているようだった。これを持って帰ると、頼光はびっくり仰天して、「晴明を呼べぃ!」と播磨守安倍晴明を呼んで「どがんしょーかー?」と問えば、「綱は七日休みをもろうて引っ込んどきんさい。鬼の手をようよう仕舞ぅときんさいよ。祈祷にゃあ仁王経を読みんさい。」と言ったので、その通りにした。六日が過ぎた黄昏時に、綱の宿所の門が叩かれた。「何にゃぁ?」と尋ねれば、「綱の乳母で、渡辺におったのがきたんでぇ~。」と答えた。綱は「わざわざ来てもろうたんじゃけども、七日の物忌みをしよって、今日は六日目なんじゃ。明日まではどがぁやっても会えんけぇ、宿を取りんさい。あさってになったら入れてあぎょうよ。」と言ったら、乳母はこれを聞いてさめざめと泣いて「そりゃぁどうしようもないことじゃ。へじゃけども、あんたが生まれた時からやしのうて育てた気持ちを何じゃぁ思うとんなら。夜もよぅ寝られんかった。濡れたところにわしが寝て、乾いたところにあんたを寝かせて、4~5歳になるまでは強い風にも当てんようにして、いつか大きゅうなって立派になったのを見たい思うて、昼夜ず~っと願いよったかいがあって、頼光さんとこん中じゃ、あんたに並ぶもんはおらん。嬉しゅうて会いたい思よったけども、このごろ悪い夢ばっかり見て心配になってここまで来たのに、門の内へも入れてくれん。親と思うてもらえん。情けないことよ。」そこで綱はしぶしぶ門を開いて中へ入れた。乳母は「七日の物忌みって、なんかあったんかいの?」と聞くので、綱は隠すことではないのでありのままに話した。乳母はこれを聞いて「鬼の手ってどんなんかいの?見たいのう。」と言った。綱は「みやすいことじゃけども、七日目をすぎにゃあだめよ。明日、日が暮れたら見せちゃるけえ。」と答えた。「はあはあ、ほんなら見んでもええわ。わしゃ帰る。」と恨めしそうに言われた綱は、封じてあった鬼の手を取り出して乳母の前に置いた。乳母は「あらいびせ。鬼の手ってこぎゃあなもんなんか。」と言うと、立ち上がって「こりゃあわしの手じゃけえ取るど!」と言いながら恐ろしい鬼に変わって、空へ飛び上がり光って消えた。綱は鬼に手を取り返されて、七日の物忌みを破ったが、仁王経の力で別に被害はなかった。この鬚切は鬼を切って以降、「鬼丸」と改名した。
これは芸北神楽「戻り橋」「羅生門」のあらすじによく似た内容である。ではここで、芸北神楽における「戻り橋」から「大江山」へとつながる物語を整理しておこう。一般的に「戻り橋」で綱が鬼の片腕を切り取り、「羅生門」で鬼がその腕を取り返す。そして「大江山」で鬼退治というわけなのだが、ファンの皆様もよくよくご存知のように、各神楽団でかなり違いがある。たとえば、安芸高田市高宮町の原田神楽団の「戻り橋」は、鬼が腕を取り返す「羅生門」のあらすじだったり、安芸太田町の堀神楽団の「羅生門」は、鬼の腕を切り取る「戻り橋」のあらすじであるなど、とてつもなくややこしい。まるで釣り糸が絡まってしまったようだ。ちなみに釣り糸同士が絡まってしまった状態のことを「オマツリ」という。へぇ。これこそトリビアである。
これだけややこしいので、今回の「戻り橋」は前編、次回の「羅生門」は後編ということにさせていただく。そして次回はもう一つの「羅生門の鬼」の話を紹介する。がしかし!先にネタばらしをしてしまおう。なんと、この「羅生門の鬼」の話は、「大江山」の酒呑童子を退治した後の物語なのであるっ!次回に続く!
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神楽ファンにはなじみの深いセリフだと思うが、戻り橋と羅生門の実際の位置関係をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろうか?簡単に図で示したのでご覧いただきたい。実はこの二つ、軽く5キロは離れていた。つまり全然違う場所にあったのである。「すぐ近くにあるものだと思ってた・・・」という方も少なくないだろう。が、ここで一つ疑問が生じる。
「ではなぜ、さも近くにあるかのように続けて語られるのか?」
近くにあると思っていた方には自然と湧き上がる思いだろう。なぜか?それは戻り橋、羅生門それぞれに鬼が出たからである。つまり、セリフの「羅生門、戻り橋」の間には「AND」の意味が込められている、というわけだ。
というわけで、その「戻り橋」と「羅生門」にまつわる鬼の話を紹介しよう。まずは「平家物語 剣の巻」より、一条戻り橋に出た鬼の話である。
摂津守頼光のもとには、綱・公時・貞道・末武という四天王が仕えていた。中でも綱は抜きん出ていた。武蔵国の美田(みた)というところで生まれたので、美田源氏と言っていた。頼光が一条大宮に用事があったので、綱を使者に遣わした。夜も更けていたので鬚切(ひげきり)という刀を持たせ、馬に乗せて遣わした。目的地に到着して会合して帰り、一条堀川の戻橋を渡った時、橋の東側に二十歳くらいの女で、肌は雪のように白く、紅梅の着物を身に付け、経を持ち、従者も連れず、たった一人で南へ向う者がいた。綱は橋の西側から「ありゃあ、どけぇ行きんさるんかのう。わしゃあ五条の辺に行くんじゃが、もう暗うなっていびせえじゃろうが。送っちゃろう。」と馴れ馴れしく言うと急いで馬から飛び降り、「この馬に乗りんさい。」と言って、女を抱き上げて馬に乗らせて堀川の東側を南の方へ行っていたが、この女が後ろを向いて「ほんまは五条の辺にゃあ大して用事ゃあないんよ。あたしん家ゃあ都の外にあるんよ。そこまで送ってつかぁさいや。」と言った。綱が「おぉええで。どけぇでも送っちゃるで~。」と言うのを聞いた途端、恐ろしい鬼に姿を変え、「わしが行く所は愛宕山でぇ~!」と言いながら、綱の髪の毛を掴んで北西の方角へ飛び立った。綱は少しも騒がず例の鬚切をさっと抜き、鬼の手をふつっと切った。綱は北野天満宮の社の廊下の屋根の上にどうっと落ちた。鬼は手を切られながらも愛宕へと飛び去った。
さて綱は髪の毛に付いた鬼の手を取って見てみれば、女の雪のような顔に引き換え、真っ黒であった。白い毛が隙間なく生えてまるで銀の針を立てているようだった。これを持って帰ると、頼光はびっくり仰天して、「晴明を呼べぃ!」と播磨守安倍晴明を呼んで「どがんしょーかー?」と問えば、「綱は七日休みをもろうて引っ込んどきんさい。鬼の手をようよう仕舞ぅときんさいよ。祈祷にゃあ仁王経を読みんさい。」と言ったので、その通りにした。六日が過ぎた黄昏時に、綱の宿所の門が叩かれた。「何にゃぁ?」と尋ねれば、「綱の乳母で、渡辺におったのがきたんでぇ~。」と答えた。綱は「わざわざ来てもろうたんじゃけども、七日の物忌みをしよって、今日は六日目なんじゃ。明日まではどがぁやっても会えんけぇ、宿を取りんさい。あさってになったら入れてあぎょうよ。」と言ったら、乳母はこれを聞いてさめざめと泣いて「そりゃぁどうしようもないことじゃ。へじゃけども、あんたが生まれた時からやしのうて育てた気持ちを何じゃぁ思うとんなら。夜もよぅ寝られんかった。濡れたところにわしが寝て、乾いたところにあんたを寝かせて、4~5歳になるまでは強い風にも当てんようにして、いつか大きゅうなって立派になったのを見たい思うて、昼夜ず~っと願いよったかいがあって、頼光さんとこん中じゃ、あんたに並ぶもんはおらん。嬉しゅうて会いたい思よったけども、このごろ悪い夢ばっかり見て心配になってここまで来たのに、門の内へも入れてくれん。親と思うてもらえん。情けないことよ。」そこで綱はしぶしぶ門を開いて中へ入れた。乳母は「七日の物忌みって、なんかあったんかいの?」と聞くので、綱は隠すことではないのでありのままに話した。乳母はこれを聞いて「鬼の手ってどんなんかいの?見たいのう。」と言った。綱は「みやすいことじゃけども、七日目をすぎにゃあだめよ。明日、日が暮れたら見せちゃるけえ。」と答えた。「はあはあ、ほんなら見んでもええわ。わしゃ帰る。」と恨めしそうに言われた綱は、封じてあった鬼の手を取り出して乳母の前に置いた。乳母は「あらいびせ。鬼の手ってこぎゃあなもんなんか。」と言うと、立ち上がって「こりゃあわしの手じゃけえ取るど!」と言いながら恐ろしい鬼に変わって、空へ飛び上がり光って消えた。綱は鬼に手を取り返されて、七日の物忌みを破ったが、仁王経の力で別に被害はなかった。この鬚切は鬼を切って以降、「鬼丸」と改名した。
これは芸北神楽「戻り橋」「羅生門」のあらすじによく似た内容である。ではここで、芸北神楽における「戻り橋」から「大江山」へとつながる物語を整理しておこう。一般的に「戻り橋」で綱が鬼の片腕を切り取り、「羅生門」で鬼がその腕を取り返す。そして「大江山」で鬼退治というわけなのだが、ファンの皆様もよくよくご存知のように、各神楽団でかなり違いがある。たとえば、安芸高田市高宮町の原田神楽団の「戻り橋」は、鬼が腕を取り返す「羅生門」のあらすじだったり、安芸太田町の堀神楽団の「羅生門」は、鬼の腕を切り取る「戻り橋」のあらすじであるなど、とてつもなくややこしい。まるで釣り糸が絡まってしまったようだ。ちなみに釣り糸同士が絡まってしまった状態のことを「オマツリ」という。へぇ。これこそトリビアである。
これだけややこしいので、今回の「戻り橋」は前編、次回の「羅生門」は後編ということにさせていただく。そして次回はもう一つの「羅生門の鬼」の話を紹介する。がしかし!先にネタばらしをしてしまおう。なんと、この「羅生門の鬼」の話は、「大江山」の酒呑童子を退治した後の物語なのであるっ!次回に続く!
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2006,08,14 Mon 00:00
新着コメント
リロッチさん、コメントありがとうございます!
あまり知らない方のために、とにかくわかりやすく、ということを心がけておりますので、そう言っていただけると本当に嬉しいです☆
わからないところ、難しいところなどありましたら、お気軽にコメントしてくださいね!
あまり知らない方のために、とにかくわかりやすく、ということを心がけておりますので、そう言っていただけると本当に嬉しいです☆
わからないところ、難しいところなどありましたら、お気軽にコメントしてくださいね!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/14 11:04 | BFfnvy1Y |
いつも楽しく読ませていただいております!
文字の色使いも良く、神楽を知らないものにとってもすごくわかりやすく、勉強になります☆絵もおもしろく、イイ感じです♪これからも大変だと思いますが、ファンのために頑張ってくださいね★★★
文字の色使いも良く、神楽を知らないものにとってもすごくわかりやすく、勉強になります☆絵もおもしろく、イイ感じです♪これからも大変だと思いますが、ファンのために頑張ってくださいね★★★
| リロッチ | EMAIL | URL | 06/08/14 11:01 | Q8k/.EqM |
さっそく芸北神楽における、一般的な「葛城山」のストーリーを紹介する。
病にかかった源頼光は、侍女の胡蝶(こちょう)に典薬守(てんやくのかみ)から薬を持ち帰るように命じる。しかし胡蝶は館へ帰る途中、土蜘蛛の精魂に襲われ命を落とす。胡蝶に成り代わった土蜘蛛の精魂は、薬を毒薬に変えて頼光に差し出す。毒薬で苦しむ頼光に土蜘蛛が襲い掛かるが、頼光は名刀「膝丸(ひざまる)」で切りつける。傷を負った土蜘蛛は、住処の葛城山へと逃げ帰り、頼光は「膝丸」を「蜘蛛切丸(くもきりまる)」と改め四天王に与え、土蜘蛛征伐を命じる。四天王は残された血痕をたどり住処を突き止め、土蜘蛛を成敗する。
新舞の中でも、見せ場が多く人気演目の一つである。これを「土蜘蛛」というタイトルで舞っておられるところもあるが、これは神楽の出典が謡曲「土蜘蛛」となっているためと思われる。しかし、新舞の元の台本では「葛城山」となっているので、当コラムではこれで統一していきたい。
では次に、神楽の元になったストーリーを、謡曲ではなく「平家物語 剣の巻」から紹介する。
源頼光が病にかかり、頭痛はするし高熱は出るし、意識はもうろうとするような状態が30日間も続いた。
ある時、少し容体が落ち着いたので、看病していた四天王たちは別の部屋で休んでいた。夜が更けた頃、灯りのついた燭台(しょくだい)の影から、七尺(約210cm)ほどの法師が現れ、するすると寝ている頼光に歩み寄り、縄で縛ろうとした。頼光は驚いてがばっと起き上がり「このわしを縄でひっくくろうたぁ、どこの誰ならぁ~!わりぃやっちゃのぅ!」と言って枕元にあった膝丸をつかみ、「おんどりゃぁ~!」と切りつけた。四天王たちがこれを聞きつけてどやどやと走り寄り、「どがんしんさった!?」と言えば、頼光はかくかくしかじかと説明し、見れば血の痕が点々と残されていた。
四天王がそれぞれ火を持ってこれを追って行くと、北野天満宮の裏手に大きな塚があった。早速、塚に入って奥へ掘り進んで見ると、四尺(約120cm)ほどの山蜘蛛が現れた。四天王がこれを捕らえて頼光の元へ帰ると、頼光は「こんぐらいの事だったんか!こげなやつのせいで30何日も寝込んどったじゃことの、いなげなことよ。そこらへんにさらしとけ!」と言ったので、山蜘蛛を鉄の串に刺して河原に立ててさらした。この時から膝丸は蜘蛛切丸となった。
いかがだろうか。おなじみの神楽のストーリーとは違う点がいくつかあることに気づかれたと思う。もっとも大きな違いは、「胡蝶」の存在だろう。芸北神楽「葛城山」において胡蝶はなくてはならない、いや、主役と言っても過言ではないほどのキャラクターである。しかしこの物語にはその胡蝶が出てこない。胡蝶の出ない「葛城山」なんて、ルゥの入ってないカレーみたいなもんじゃないか。・・・ぐぇ、まずそう・・・。
まずいカレーの話は置いといて、謡曲「土蜘蛛」を調べてみると、こちらには胡蝶が出てくる。しかし、あくまでも侍女であって土蜘蛛の精魂のように扱われてはいない。仮にそうだとしても、セリフや展開などから胡蝶が土蜘蛛の精魂であるといったことは見当たらない。つまり、土蜘蛛の精魂としての「胡蝶」というキャラクターは、芸北神楽のみのオリジナルと言ってもいいと思われる。
次に、土蜘蛛の住処が葛城山ではなく、北野天満宮という点。北野天満宮と言えば、菅原道真が奉られている場所である。平安京からすぐの北の位置だから、奈良県にある葛城山とはかけ離れた場所ということになる。そりゃぁ、血が点々と残るほどの傷を負わされて、100kmくらい離れた住処に帰ろうとすりゃ、途中で失血死するわな。ではなぜこのような違いが生まれたのか。それを解き明かす確固たる証拠は残念ながら無いのだが、ひとつ仮説を紹介したい。
そもそも、「土蜘蛛」というものは何なのか。神楽で言えば「蜘蛛型の妖怪」であるのはみなさまご存知のとおりだが、もともとの意味はそうではない。実は、古く大和朝廷の時代から、反政府勢力は「鬼」に見立てられていた。そういった勢力は中心部から追い出されたわけだから、当然、山にこもることになる。その人々は「熊襲」とか「土蜘蛛」などと軽蔑の意味を込めてそう呼ばれ、忌み嫌われていたのだ。
ではそれを踏まえて、「土蜘蛛」のベースになった事件を考えてみる。
ある晩、都の位の高い人物の屋敷に盗人が侵入するが、見張りに切りつけられて逃げ去る。追っ手が残された血痕をたどると、北野天満宮の裏手で動けなくなった犯人を見つける。犯人はすぐに処刑され、調べると葛城山周辺の者とわかる。朝廷は、この事が明るみに出ては、都の警備体制の不備が露呈され、いたるところから盗人が来るかもしれないと恐れた。そしてこの事件をごまかすため「武名高き源頼光の活躍と剣の威徳で、妖怪を退治した」という話をでっちあげた。
というのが私の仮説である。もちろん、このような事件が本当にあったかどうかは知るよしもないのだが。スペースの都合上、やや説明不足な点もあるかと思うが、そう見当違いなものでもないはず。そしてこの仮説は、このシリーズのまとめにおいても重要な伏線となるので覚えておいていただきたい。
それにしても頼光の超人的な能力はハンパではない。頭痛、高熱で何日も苦しんだ上、胡蝶に毒薬を飲まされるのだ。それでも死なず、逆に襲ってきた土蜘蛛に傷を負わせている。頼光にとって一番の薬は「妖怪」の存在だったのかもしれない。始めは「ここまでやっても頼光に勝てないなんて、土蜘蛛はなんて弱いヤツだ!」と思っていたが、調べてみるとそうではなく、相手が悪すぎたようだ。これを読んだ妖怪・鬼の皆さん、何があっても頼光さん相手に油断しないように!
(写真提供:ユッキー様)
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病にかかった源頼光は、侍女の胡蝶(こちょう)に典薬守(てんやくのかみ)から薬を持ち帰るように命じる。しかし胡蝶は館へ帰る途中、土蜘蛛の精魂に襲われ命を落とす。胡蝶に成り代わった土蜘蛛の精魂は、薬を毒薬に変えて頼光に差し出す。毒薬で苦しむ頼光に土蜘蛛が襲い掛かるが、頼光は名刀「膝丸(ひざまる)」で切りつける。傷を負った土蜘蛛は、住処の葛城山へと逃げ帰り、頼光は「膝丸」を「蜘蛛切丸(くもきりまる)」と改め四天王に与え、土蜘蛛征伐を命じる。四天王は残された血痕をたどり住処を突き止め、土蜘蛛を成敗する。
新舞の中でも、見せ場が多く人気演目の一つである。これを「土蜘蛛」というタイトルで舞っておられるところもあるが、これは神楽の出典が謡曲「土蜘蛛」となっているためと思われる。しかし、新舞の元の台本では「葛城山」となっているので、当コラムではこれで統一していきたい。
では次に、神楽の元になったストーリーを、謡曲ではなく「平家物語 剣の巻」から紹介する。
源頼光が病にかかり、頭痛はするし高熱は出るし、意識はもうろうとするような状態が30日間も続いた。
ある時、少し容体が落ち着いたので、看病していた四天王たちは別の部屋で休んでいた。夜が更けた頃、灯りのついた燭台(しょくだい)の影から、七尺(約210cm)ほどの法師が現れ、するすると寝ている頼光に歩み寄り、縄で縛ろうとした。頼光は驚いてがばっと起き上がり「このわしを縄でひっくくろうたぁ、どこの誰ならぁ~!わりぃやっちゃのぅ!」と言って枕元にあった膝丸をつかみ、「おんどりゃぁ~!」と切りつけた。四天王たちがこれを聞きつけてどやどやと走り寄り、「どがんしんさった!?」と言えば、頼光はかくかくしかじかと説明し、見れば血の痕が点々と残されていた。
四天王がそれぞれ火を持ってこれを追って行くと、北野天満宮の裏手に大きな塚があった。早速、塚に入って奥へ掘り進んで見ると、四尺(約120cm)ほどの山蜘蛛が現れた。四天王がこれを捕らえて頼光の元へ帰ると、頼光は「こんぐらいの事だったんか!こげなやつのせいで30何日も寝込んどったじゃことの、いなげなことよ。そこらへんにさらしとけ!」と言ったので、山蜘蛛を鉄の串に刺して河原に立ててさらした。この時から膝丸は蜘蛛切丸となった。
いかがだろうか。おなじみの神楽のストーリーとは違う点がいくつかあることに気づかれたと思う。もっとも大きな違いは、「胡蝶」の存在だろう。芸北神楽「葛城山」において胡蝶はなくてはならない、いや、主役と言っても過言ではないほどのキャラクターである。しかしこの物語にはその胡蝶が出てこない。胡蝶の出ない「葛城山」なんて、ルゥの入ってないカレーみたいなもんじゃないか。・・・ぐぇ、まずそう・・・。
まずいカレーの話は置いといて、謡曲「土蜘蛛」を調べてみると、こちらには胡蝶が出てくる。しかし、あくまでも侍女であって土蜘蛛の精魂のように扱われてはいない。仮にそうだとしても、セリフや展開などから胡蝶が土蜘蛛の精魂であるといったことは見当たらない。つまり、土蜘蛛の精魂としての「胡蝶」というキャラクターは、芸北神楽のみのオリジナルと言ってもいいと思われる。
次に、土蜘蛛の住処が葛城山ではなく、北野天満宮という点。北野天満宮と言えば、菅原道真が奉られている場所である。平安京からすぐの北の位置だから、奈良県にある葛城山とはかけ離れた場所ということになる。そりゃぁ、血が点々と残るほどの傷を負わされて、100kmくらい離れた住処に帰ろうとすりゃ、途中で失血死するわな。ではなぜこのような違いが生まれたのか。それを解き明かす確固たる証拠は残念ながら無いのだが、ひとつ仮説を紹介したい。
そもそも、「土蜘蛛」というものは何なのか。神楽で言えば「蜘蛛型の妖怪」であるのはみなさまご存知のとおりだが、もともとの意味はそうではない。実は、古く大和朝廷の時代から、反政府勢力は「鬼」に見立てられていた。そういった勢力は中心部から追い出されたわけだから、当然、山にこもることになる。その人々は「熊襲」とか「土蜘蛛」などと軽蔑の意味を込めてそう呼ばれ、忌み嫌われていたのだ。
ではそれを踏まえて、「土蜘蛛」のベースになった事件を考えてみる。
ある晩、都の位の高い人物の屋敷に盗人が侵入するが、見張りに切りつけられて逃げ去る。追っ手が残された血痕をたどると、北野天満宮の裏手で動けなくなった犯人を見つける。犯人はすぐに処刑され、調べると葛城山周辺の者とわかる。朝廷は、この事が明るみに出ては、都の警備体制の不備が露呈され、いたるところから盗人が来るかもしれないと恐れた。そしてこの事件をごまかすため「武名高き源頼光の活躍と剣の威徳で、妖怪を退治した」という話をでっちあげた。
というのが私の仮説である。もちろん、このような事件が本当にあったかどうかは知るよしもないのだが。スペースの都合上、やや説明不足な点もあるかと思うが、そう見当違いなものでもないはず。そしてこの仮説は、このシリーズのまとめにおいても重要な伏線となるので覚えておいていただきたい。
それにしても頼光の超人的な能力はハンパではない。頭痛、高熱で何日も苦しんだ上、胡蝶に毒薬を飲まされるのだ。それでも死なず、逆に襲ってきた土蜘蛛に傷を負わせている。頼光にとって一番の薬は「妖怪」の存在だったのかもしれない。始めは「ここまでやっても頼光に勝てないなんて、土蜘蛛はなんて弱いヤツだ!」と思っていたが、調べてみるとそうではなく、相手が悪すぎたようだ。これを読んだ妖怪・鬼の皆さん、何があっても頼光さん相手に油断しないように!
(写真提供:ユッキー様)
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2006,08,10 Thu 00:00
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| Meredith Mayhew | EMAIL | URL | 18/04/19 09:53 | k8ZW5AA. |
早速ありがとうございます!
そうだったんですか!
佐々木先生を中心として新舞が創作された、ということしか知りませんでした。
神楽団員様のコメントを見ると、どうやらそれぞれの地域で、別々の新舞の台本が書かれた、ということのようですが、そういう解釈でよろしいんでしょうか?
そうだったんですか!
佐々木先生を中心として新舞が創作された、ということしか知りませんでした。
神楽団員様のコメントを見ると、どうやらそれぞれの地域で、別々の新舞の台本が書かれた、ということのようですが、そういう解釈でよろしいんでしょうか?
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/13 23:48 | BFfnvy1Y |
再度、失礼いたします。
早速のレス恐れ入ります。
現在、舞われている新舞(定義は、色々ありますが、ここでは、第2次大戦終了後、GHQ占領下で製作された演目としておきます。)は、一般に4月にご逝去されました現在の安芸高田市美土里町の佐々木先生の手によるものといわれておりますが、時を同じくして同市吉田町の小都先生・現在の北広島町の進藤先生等、数人の先人の手によるものだといわれております。
早速のレス恐れ入ります。
現在、舞われている新舞(定義は、色々ありますが、ここでは、第2次大戦終了後、GHQ占領下で製作された演目としておきます。)は、一般に4月にご逝去されました現在の安芸高田市美土里町の佐々木先生の手によるものといわれておりますが、時を同じくして同市吉田町の小都先生・現在の北広島町の進藤先生等、数人の先人の手によるものだといわれております。
| とおりすがりの神楽団員 | EMAIL | URL | 06/08/13 23:33 | mOkEVlK. |
「土蜘蛛」、「葛城山」の作者が違うという説があるのは 初耳でした。
まだまだ勉強不足ですので、これからもどうぞご意見よろしくお願いします!
(コメントが途中で途切れて申し訳ありません。)
まだまだ勉強不足ですので、これからもどうぞご意見よろしくお願いします!
(コメントが途中で途切れて申し訳ありません。)
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/13 23:15 | BFfnvy1Y |
とおりすがりの神楽団員様、コメントありがとうございます!
たくさんのご指摘、非常に勉強になります。
2番目の「土蜘蛛」、「葛城山」の違いなんですが、すべての神楽団の「土蜘蛛」もしくは「葛城山」を調べて結論づけるのが一番よいとは思ったんですが、さすがにそこまでは時間的にも厳しいものがあり、またご指摘のように最近、混同されている傾向も踏まえて、あえて省略さあえていただいた次第です。
あと、正直な話、典薬「頭」も調べてはいたのですが、「神楽の社」の配信中神楽ビデオのあらすじで、自分より詳しい方が「守」とされいたので、一応統一したほうがいいのかな…と「守」にしてしまいました。
ご指摘を受けて、お恥ずかしい限りです。
「土蜘蛛」、「葛城山」の作者が違うという説があるのは
たくさんのご指摘、非常に勉強になります。
2番目の「土蜘蛛」、「葛城山」の違いなんですが、すべての神楽団の「土蜘蛛」もしくは「葛城山」を調べて結論づけるのが一番よいとは思ったんですが、さすがにそこまでは時間的にも厳しいものがあり、またご指摘のように最近、混同されている傾向も踏まえて、あえて省略さあえていただいた次第です。
あと、正直な話、典薬「頭」も調べてはいたのですが、「神楽の社」の配信中神楽ビデオのあらすじで、自分より詳しい方が「守」とされいたので、一応統一したほうがいいのかな…と「守」にしてしまいました。
ご指摘を受けて、お恥ずかしい限りです。
「土蜘蛛」、「葛城山」の作者が違うという説があるのは
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/13 23:00 | BFfnvy1Y |
今回のテーマは「鬼同丸退治」。この演目は北広島町、八重西神楽団のオリジナル神楽である。そこで今回は、八重西神楽団の大久保団長をはじめ団員の方に取材させていただいたので、それをまとめたものを踏まえながらコラムを進めていきたい。
まず、「鬼同丸退治」のあらすじを簡単に紹介する。
都の夜回りを終えた源頼光と渡辺綱が、あまりの寒さのため途中で頼光の弟、頼信の屋敷に立ち寄る。そこで酒宴となり、ふと頼光が馬屋を見ると、京を荒らす盗賊、鬼同丸が縄で縛られていた。頼光は頼信にさらに強く縛るように命じる。しばらくして一行が寝静まると、鬼同丸は縄をほどいて頼光に襲いかかるが、頼光の知恵と武勇によってあえなく退治される。
この物語でまず興味を惹かれるのは、頼光の弟である、頼信(よりのぶ)の存在。歴史上においては、頼光より活躍していたと言っても過言ではないにも関らず、伝説の中では完全に兄に主役の座を譲ってしまっている。そういった意味でも、頼信が登場するこの演目は非常に興味深いと言える。ではこの演目を創作することになった経緯についてお話を伺ってみよう。
「まずはじめに、頼光の若いころの物語をやりたかったんです。頼光と言えば、大江山や土蜘蛛などがありますが、それ以前の話を神楽にしたいと思いました。そこでいろいろ調べた結果、この鬼同丸の物語を見つけました。その話があまりにも面白く、神楽化されてないのが不思議なほどだったので、これにしようということになりました。」
それでは、出典となった古今著文聞集(ここんちょもんじゅう)より「源頼光、鬼同丸を誅する事」を紹介する。
ある寒い夜のこと、某所に出かけた頼光が帰宅途中に弟の頼信の家近くを通りかかった。そこで坂田金時を遣わし、「今帰りょうるとこなんじゃが、ぶち寒いけぇ、ちぃと寄らせてもろぅて、酒ないともらえんじゃろか?」と言うと、ちょうど酒を呑んでいた頼信は奇遇だと思い、「ええ具合に酒宴をしょうるんよ。よぅ来ちゃんさった。どうぞ上がりんさいや。」と頼光一行を招き入れた。そして酒宴も進んだころ、頼光がふと厩(うまや)の方を見ると、何者かが縛られてつながれていた。そこで頼信に「あっこで縛られとるんは誰きゃぁの?」と聞くと、「ありゃぁ鬼同丸ゆぅぶんよ。」と答えた。頼光は驚いて、「鬼同丸をあがぁにやおぅ縛っといちゃぁいけまぁ。もちっときつぅ縛らんにゃ。」と言うと頼信は「まっことあがぁじゃの。」と言って部下に、もっときつく縛るように命じた。そして鎖を取り出して逃げられないように縛り上げた。鬼同丸は、頼光の言ったことを聞いて「むかつくのぉ~。どがぁぞして今晩のうちに恨みを晴らさにゃいけん。」と思っていた。
酒宴も終わり、頼光、頼信ら皆が寝静まると、鬼同丸は自慢の怪力で、縄や鎖をひきちぎって逃げだした。そしてこっそりと窓から侵入し、頼光の寝ている部屋の天井にあがった。「こっから飛び込んでやっちゃりゃぁ、いかに頼光じゃいうてもわしが勝とうて。」などとあれこれ考えていると、わずかな気配を察知して頼光が目を覚ました。上からかかってこられてはさすがに分が悪いと見た頼光は、「天井のほうに、いたちよりも大きゅぅて、テンよりもこまいもんがおるみたいじゃの。」と言って、「誰かおるかぁ?」と呼びかけると渡辺綱がすぐに参上した。頼光が「明日は鞍馬寺へ行くで。まだ暗いんじゃが、今から出かけるけぇの。あんたらぁもついてきんさい。」と言うと、綱は「みんなおりますけぇ!」と答えた。するとこれを聞いた鬼同丸は「やばぁ、いま飛びかかっても勝てんのぅ。酔って寝とるとこをやっちゃろう思うたのに、今ヘタに手ぇ出してもいけんけぇ、明日の鞍馬へ行く道にしちゃろ。」と思い、天井から出て鞍馬山のほうへ行き、市原野(いちはらの)付近で待ち伏せしようとしたが、身を隠すのにちょうどよい場所がなかった。そのため、近くで放牧されているたくさんの牛の中で、一番大きな牛を殺し、道端まで引っ張ってきて、その牛の腹をかきやぶってその中に入り、目だけを出して待ち伏せることにした。
しばらくすると予想通り、頼光が四天王を引き連れてやってきた。頼光は馬をとめて、「こかぁえぇ景色じゃのぅ。牛もえっとおるし、みんなで牛追いしようやぁ~!」と言うと、四天王たちは「おっしゃ~!」と駆け出して矢を射ち始めた。みんな楽しそうにしていたが、突然、綱がなぜか特に鋭い矢を取り出し、そばで死んでいた牛に向かって狙いをつけ始めた。みなが「綱はなんしょうるんかいな…。」と見ていると、綱は牛の腹を目がけて矢を放った。すると死んでいたはずの牛がユサユサと動き始め、腹の中から何者か大太刀を持って頼光に飛びかかってきた。見ればなんと鬼同丸で、綱の矢が命中しているにもかかわらず、ひるむことなく頼光に向かっていった。しかし頼光は少しも慌てず騒がず、太刀を抜いて鬼同丸の首をアッサリ切り落としてしまった。鬼同丸はすぐに倒れず、刀を頼光の馬の鞍に突き立て、首は馬具に食いついた。首を落とされてもなお、勢い激しく戦うその様を語り伝える物語である。さて頼光は、そこから鞍馬へ行かずに帰宅した。
確かに、頼光そして四天王の武勇がしっかりと描かれており、神楽にはもってこいの物語と思える。自分の危機を察知し、危険を回避してさらに相手をおびき出す策略を一瞬のうちに考え出した頼光の知恵。そしておそらく頼光の策略を感じ取った綱。鬼同丸も自慢の怪力をしかと見せ付けたが、さすがに相手が悪かったようだ。まだ「鬼同丸退治」を見たことのない方は、「う、牛の腹から…!?神楽ではどうやってるんだ??」と思われるかもしれないが、当然、神楽の中に牛は登場しない。そんなふうに、神楽化する際にあたっての苦労話を伺ってみた。
大久保団長「すべてがご苦労です(笑)。これ!と決まったものがないわけですから、やるたびに進化しているんです。毎回試行錯誤の連続ですよ。」
そして実際に台本を担当された団員さんは、
「もちろん、神楽の中に牛を出すのは無理なんで、その辺はうまく神楽風に脚色したつもりです。また、鬼同丸が天井に上がる場面がありますが、当初は、天蓋に上がることを考えていたのですが、ちょっと難しいので、いろいろ考えた結果、幕を使ってうまく表現できないだろうかということになりました。」
なるほど…。さすがにいろいろとご苦労されているようである。では最後に、この演目の魅力について語っていただいた。
「見終わって、もう一回見たいと、見る人に思ってもらえればという気持ちですね。三回くらい見て、やっとなるほどという感じで。スピード感や派手さをメインにした神楽ではないんです。あくまでも神楽ですから、芝居や劇になってはいけない。ストーリーではなく、頼光の八幡崇拝を重点に、この演目をやっていきたいと思います。」
ほかの演目でもそうだが、見ていて「ここが前と変わっている」と気づくことは、神楽ファンのみなさんにはよくあることだろう。だが気づいてそこで終わりではなく、なぜ変更されたのか、それによって神楽全体がどう変わったのかというところまで考えれば、より深くその演目が楽しめるのではないだろうか。創作神楽となればなおさらである。ということで、少し変わった趣向でお送りした第三章、これにてお開き。次は本物の?怪物が登場する。
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まず、「鬼同丸退治」のあらすじを簡単に紹介する。
都の夜回りを終えた源頼光と渡辺綱が、あまりの寒さのため途中で頼光の弟、頼信の屋敷に立ち寄る。そこで酒宴となり、ふと頼光が馬屋を見ると、京を荒らす盗賊、鬼同丸が縄で縛られていた。頼光は頼信にさらに強く縛るように命じる。しばらくして一行が寝静まると、鬼同丸は縄をほどいて頼光に襲いかかるが、頼光の知恵と武勇によってあえなく退治される。
この物語でまず興味を惹かれるのは、頼光の弟である、頼信(よりのぶ)の存在。歴史上においては、頼光より活躍していたと言っても過言ではないにも関らず、伝説の中では完全に兄に主役の座を譲ってしまっている。そういった意味でも、頼信が登場するこの演目は非常に興味深いと言える。ではこの演目を創作することになった経緯についてお話を伺ってみよう。
「まずはじめに、頼光の若いころの物語をやりたかったんです。頼光と言えば、大江山や土蜘蛛などがありますが、それ以前の話を神楽にしたいと思いました。そこでいろいろ調べた結果、この鬼同丸の物語を見つけました。その話があまりにも面白く、神楽化されてないのが不思議なほどだったので、これにしようということになりました。」
それでは、出典となった古今著文聞集(ここんちょもんじゅう)より「源頼光、鬼同丸を誅する事」を紹介する。
ある寒い夜のこと、某所に出かけた頼光が帰宅途中に弟の頼信の家近くを通りかかった。そこで坂田金時を遣わし、「今帰りょうるとこなんじゃが、ぶち寒いけぇ、ちぃと寄らせてもろぅて、酒ないともらえんじゃろか?」と言うと、ちょうど酒を呑んでいた頼信は奇遇だと思い、「ええ具合に酒宴をしょうるんよ。よぅ来ちゃんさった。どうぞ上がりんさいや。」と頼光一行を招き入れた。そして酒宴も進んだころ、頼光がふと厩(うまや)の方を見ると、何者かが縛られてつながれていた。そこで頼信に「あっこで縛られとるんは誰きゃぁの?」と聞くと、「ありゃぁ鬼同丸ゆぅぶんよ。」と答えた。頼光は驚いて、「鬼同丸をあがぁにやおぅ縛っといちゃぁいけまぁ。もちっときつぅ縛らんにゃ。」と言うと頼信は「まっことあがぁじゃの。」と言って部下に、もっときつく縛るように命じた。そして鎖を取り出して逃げられないように縛り上げた。鬼同丸は、頼光の言ったことを聞いて「むかつくのぉ~。どがぁぞして今晩のうちに恨みを晴らさにゃいけん。」と思っていた。
酒宴も終わり、頼光、頼信ら皆が寝静まると、鬼同丸は自慢の怪力で、縄や鎖をひきちぎって逃げだした。そしてこっそりと窓から侵入し、頼光の寝ている部屋の天井にあがった。「こっから飛び込んでやっちゃりゃぁ、いかに頼光じゃいうてもわしが勝とうて。」などとあれこれ考えていると、わずかな気配を察知して頼光が目を覚ました。上からかかってこられてはさすがに分が悪いと見た頼光は、「天井のほうに、いたちよりも大きゅぅて、テンよりもこまいもんがおるみたいじゃの。」と言って、「誰かおるかぁ?」と呼びかけると渡辺綱がすぐに参上した。頼光が「明日は鞍馬寺へ行くで。まだ暗いんじゃが、今から出かけるけぇの。あんたらぁもついてきんさい。」と言うと、綱は「みんなおりますけぇ!」と答えた。するとこれを聞いた鬼同丸は「やばぁ、いま飛びかかっても勝てんのぅ。酔って寝とるとこをやっちゃろう思うたのに、今ヘタに手ぇ出してもいけんけぇ、明日の鞍馬へ行く道にしちゃろ。」と思い、天井から出て鞍馬山のほうへ行き、市原野(いちはらの)付近で待ち伏せしようとしたが、身を隠すのにちょうどよい場所がなかった。そのため、近くで放牧されているたくさんの牛の中で、一番大きな牛を殺し、道端まで引っ張ってきて、その牛の腹をかきやぶってその中に入り、目だけを出して待ち伏せることにした。
しばらくすると予想通り、頼光が四天王を引き連れてやってきた。頼光は馬をとめて、「こかぁえぇ景色じゃのぅ。牛もえっとおるし、みんなで牛追いしようやぁ~!」と言うと、四天王たちは「おっしゃ~!」と駆け出して矢を射ち始めた。みんな楽しそうにしていたが、突然、綱がなぜか特に鋭い矢を取り出し、そばで死んでいた牛に向かって狙いをつけ始めた。みなが「綱はなんしょうるんかいな…。」と見ていると、綱は牛の腹を目がけて矢を放った。すると死んでいたはずの牛がユサユサと動き始め、腹の中から何者か大太刀を持って頼光に飛びかかってきた。見ればなんと鬼同丸で、綱の矢が命中しているにもかかわらず、ひるむことなく頼光に向かっていった。しかし頼光は少しも慌てず騒がず、太刀を抜いて鬼同丸の首をアッサリ切り落としてしまった。鬼同丸はすぐに倒れず、刀を頼光の馬の鞍に突き立て、首は馬具に食いついた。首を落とされてもなお、勢い激しく戦うその様を語り伝える物語である。さて頼光は、そこから鞍馬へ行かずに帰宅した。
確かに、頼光そして四天王の武勇がしっかりと描かれており、神楽にはもってこいの物語と思える。自分の危機を察知し、危険を回避してさらに相手をおびき出す策略を一瞬のうちに考え出した頼光の知恵。そしておそらく頼光の策略を感じ取った綱。鬼同丸も自慢の怪力をしかと見せ付けたが、さすがに相手が悪かったようだ。まだ「鬼同丸退治」を見たことのない方は、「う、牛の腹から…!?神楽ではどうやってるんだ??」と思われるかもしれないが、当然、神楽の中に牛は登場しない。そんなふうに、神楽化する際にあたっての苦労話を伺ってみた。
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そして実際に台本を担当された団員さんは、
「もちろん、神楽の中に牛を出すのは無理なんで、その辺はうまく神楽風に脚色したつもりです。また、鬼同丸が天井に上がる場面がありますが、当初は、天蓋に上がることを考えていたのですが、ちょっと難しいので、いろいろ考えた結果、幕を使ってうまく表現できないだろうかということになりました。」
なるほど…。さすがにいろいろとご苦労されているようである。では最後に、この演目の魅力について語っていただいた。
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2006,08,07 Mon 00:00
新着コメント
シクトク・ガルスレ・ガルちゃんの姓名判断士の市木由み華先生と毒島あぐり先生は神。
そして、ネットアイドルのなるみんこと桑田成海を合わせてネット3女神。
そして、ネットアイドルのなるみんこと桑田成海を合わせてネット3女神。
| 桑田成海 | EMAIL | URL | 19/09/11 13:12 | BjuNOyr2 |
香川県ルー餃子のフジフーヅはバイトにパワハラの末指切断の重傷を負わせた犯罪企業
| 名無しのリーク | EMAIL | URL | 16/09/04 07:14 | YcG2EXCo |
てんてるさん、コメントありがとうございます。
すぐに消したりってことはないんで、どうぞごゆっくり、何度でも読んでくださいね。
広島弁おもしろいですか!よかった~☆
ドンドン笑ってください!
「鬼同丸退治」はまだご覧になってないんですね。
オススメしますよ☆
コメントって字数制限あるみたいですね…。
ボクもこないだ途切れました(笑)
またコメントお願いします!
すぐに消したりってことはないんで、どうぞごゆっくり、何度でも読んでくださいね。
広島弁おもしろいですか!よかった~☆
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ボクもこないだ途切れました(笑)
またコメントお願いします!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/21 21:50 | BFfnvy1Y |
最後が切れてしまいました。。
(再)
では、また急いで次を読むことにします。
おじゃましました。。
(再)
では、また急いで次を読むことにします。
おじゃましました。。
| てんてる | EMAIL | URL | 06/08/21 21:45 | GIwdMNO. |
第七章があるのに、この辺で書き込みしてごめんなさい。バタバタして今度時間とれたときにゆっくり読もう・・と思っているうちに、すでに七章まで・・・
やっと三章まで読みました・・・すみません。
でも、広島弁での説明は非常におもしろくって、「プッ」っておもわず笑ってしまいます!
私はこの八重西さんの「鬼同丸退治」をまだ見たことがありませんが、見たい!っていう気になりましたよ。
私の偏見なんですが、「創作神楽」って軽い感じがして実際に見てみないと納得できない・・・(な~んてことを言うとあっちこっちから怒られそう) しかし、これまで見た創作神楽はもちろん感動もあったし、良かった~ってものが多いんですよ! なので、一度鬼同丸退治見てみたいで~す★
では、また急いで次を読
やっと三章まで読みました・・・すみません。
でも、広島弁での説明は非常におもしろくって、「プッ」っておもわず笑ってしまいます!
私はこの八重西さんの「鬼同丸退治」をまだ見たことがありませんが、見たい!っていう気になりましたよ。
私の偏見なんですが、「創作神楽」って軽い感じがして実際に見てみないと納得できない・・・(な~んてことを言うとあっちこっちから怒られそう) しかし、これまで見た創作神楽はもちろん感動もあったし、良かった~ってものが多いんですよ! なので、一度鬼同丸退治見てみたいで~す★
では、また急いで次を読
| てんてる | EMAIL | URL | 06/08/21 21:42 | GIwdMNO. |
次は、頼光を語る上で欠かせない四天王について迫ってみたい。神楽マニアの方なら、その4人の名前がすべて挙げられると思うがいかがだろうか。その4人とは、渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時(さかたのきんとき)、卜部季武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいのさだみつ)。この4人、それぞれ個性的なストーリーを持っており、簡単に紹介すると、
渡辺綱…羅生門、戻り橋で鬼の片腕を切りとる。
坂田金時…上路山(あげろやま)で山姥の子として育つ。
卜部季武…滝夜叉姫に盗まれた宝刀、蜘蛛切丸(くもきりまる)を取り戻す。
碓井貞光…力持ちで知られ、源氏には力試しの岩が残っている。
これらのキャラを家来として束ねているのだから、頼光のリーダーぶりがよくうかがえる。戦隊モノで言えば、チームリーダーのレッドといったところか。ならば、綱はブルー、季武がグリーン、金時がイエロー(金のイメージで)、貞光がピンク(なんとなく薄い…)か。5人合わせて「一条戦隊、オニレンジャー!」ズジャー!!
…なにがズジャーだ。取り乱しました、すんません。
気を取り直して、この4人についてもう少し詳しく調べてみる。
芸北神楽「山姥」で紹介される金時の物語は、「院の北面の武士である坂田時行(さかたときゆき)の妻、八重桐(やえぎり)が、夫を亡くして上路山にこもって山賊となり、その息子を怪童丸(かいどうまる)と名づけた。旅の途中だった源頼光にその腕を認められた怪童丸は、坂田金時と改められ四天王の一員に加わる」というもの。この「山姥」という伝説は、実は日本各地に存在する。神奈川県の足柄山(あしがらやま)に住んでいた豪族の娘に八重桐姫というものがおり、その子供が金太郎と呼ばれていた、とか、山中にこもっていた老婆が、夢の中で赤龍と交わって生まれたのが怪童丸である、などさまざまである。しかし、上記に紹介した、金時の誕生から幼少についての神楽の物語は、江戸時代の浄瑠璃において初めて語られており、謡曲「山姥」はまた別の物語となっている。
渡辺綱については、後ほど「戻り橋」「羅生門」の章で詳しく述べることにする。
卜部季武についてだが、先に紹介した「滝夜叉姫に盗まれた宝刀、蜘蛛切丸を取り戻す」の物語を初めて聞いたという方もおられるかもしれない。伝説などで語られているストーリーを紹介すると、「季武が管理していた蜘蛛切丸が、滝夜叉姫の妖術によって盗まれてしまう。これが頼光の怒りに触れたため、季武は碓井貞光とともに滝夜叉姫一味と戦い、これを成敗し刀を取り戻す」というもの。安佐町の宮乃木神楽団などがこれを神楽化した演目を舞っておられる。
碓井貞光については、力持ちという点と、季武とともに刀を取り戻したという話以外にはこれといってない。そのせいか、やはり芸北神楽においても最も登場回数の少ない、名前のとおり「うすい」四天王になってしまっている。
そして、この四天王が登場する面白い話が「今昔物語」に収めれられているので紹介する。
坂田金時、卜部季武、碓井貞光の3人が、賀茂祭(という大きな祭)の名物である行列を見に行こうという話になった。しかし、「馬に乗って見に行くのもなんだし、歩いて行って顔を隠すわけにもいかんし、でも見に行きたいし、どがぁしょ~かいの~(広島弁バージョン)。」と困っていた。(注:当時、この祭を見に行くのは貴族がすることで、彼らのような武士が見に行くような習慣はなかった)
すると、その中の一人が(誰とは書いてない…季武にしとこう)「ほいじゃったら、牛車を借りてそれに乗って見よ~や!」と提案した。するとまた一人が(…金時でいいか)「乗ったこともない牛車に乗って、位の高い人にバレたら、引きづり下ろされて蹴られて死んでしまうわぁ!」と言った(そんなにヤワなんかい!)。もう一人が言うに(これが貞光だね)「すだれを垂らして中を見えんようにして、女性が乗るような車に変装して見に行くのはどがなや?」すると2人が「そりゃぁえ~わ~!」と賛成し、さっそく牛車を借りて出発した。
ところが、3人とも牛車に乗ったことがないので、牛車の中はまるで物の入った箱を揺らすような状態になってしまった。3人は中で振り回され、頭をぶつけ、頬をぶつけ合い、ゴロゴロ転がったりして、あっちゃならんことになってしもうた。こうやって行くうちに、3人とも車酔いして(当たり前や!)、持ち物や烏帽子まで落としてしまった。牛車の速度が速かったため、中から「もっとゆっくり!」と叫ぶと、そのまわりにいた人々が、「こりゃ~女の人が乗る車じゃが、どがぁな人が乗っとるんじゃろうか。」「なんか大きな鳥が鳴きょうるような声じゃが、聞いたことないの~」「田舎の娘らが乗っとんじゃないんか?」「いや、声は男みたいだぞ!?」などと怪しんでいた。そしてようやく祭の会場に着いたはいいが、来るのが早過ぎたようだった。3人とも車酔いでフラフラで、目が回って物が逆さまに見えるほどだった。あまりに酔ってしまったのと、早く着いたために、3人ともぐっすり寝てしまった。ところがその間に、名物である行列が通り過ぎてしまったが、3人とも死んだように寝ていたのでまったく気づかなかった。そして祭も終わり、人々が片づけを始めると、その音の騒がしさでようやく3人が目を覚まし、そして驚いた!「ありゃ!?もう終わっとるじゃん!?せっかくここまで車酔いしながら来たのに~!!むかつく~!!」「帰るのにまた牛車に乗れば、わしらはもう生きちゃおれんわ…」「んじゃ~もぅちぃとここで待って、誰もおらんようになってから、歩いて帰ろうや。」ということになった。まわりに誰もいなくなると、3人は牛車から降り、車を先に帰らせ、靴を履いて扇で顔を隠し、頼光殿の家に帰った。
という物語。数々の妖怪、鬼を退治してきた武士たちだが、こんな情けない一面もあるという興味深い物語だと思う。ちなみに、この話には渡辺綱は出てこない。綱は四天王の中でも一つ格上の存在だったようで、このときも頼光のお供でもしていたのかもしれない。
次回はいよいよ、怪物退治の話を見ていきたいと思う。
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渡辺綱…羅生門、戻り橋で鬼の片腕を切りとる。
坂田金時…上路山(あげろやま)で山姥の子として育つ。
卜部季武…滝夜叉姫に盗まれた宝刀、蜘蛛切丸(くもきりまる)を取り戻す。
碓井貞光…力持ちで知られ、源氏には力試しの岩が残っている。
これらのキャラを家来として束ねているのだから、頼光のリーダーぶりがよくうかがえる。戦隊モノで言えば、チームリーダーのレッドといったところか。ならば、綱はブルー、季武がグリーン、金時がイエロー(金のイメージで)、貞光がピンク(なんとなく薄い…)か。5人合わせて「一条戦隊、オニレンジャー!」ズジャー!!
…なにがズジャーだ。取り乱しました、すんません。
気を取り直して、この4人についてもう少し詳しく調べてみる。
芸北神楽「山姥」で紹介される金時の物語は、「院の北面の武士である坂田時行(さかたときゆき)の妻、八重桐(やえぎり)が、夫を亡くして上路山にこもって山賊となり、その息子を怪童丸(かいどうまる)と名づけた。旅の途中だった源頼光にその腕を認められた怪童丸は、坂田金時と改められ四天王の一員に加わる」というもの。この「山姥」という伝説は、実は日本各地に存在する。神奈川県の足柄山(あしがらやま)に住んでいた豪族の娘に八重桐姫というものがおり、その子供が金太郎と呼ばれていた、とか、山中にこもっていた老婆が、夢の中で赤龍と交わって生まれたのが怪童丸である、などさまざまである。しかし、上記に紹介した、金時の誕生から幼少についての神楽の物語は、江戸時代の浄瑠璃において初めて語られており、謡曲「山姥」はまた別の物語となっている。
渡辺綱については、後ほど「戻り橋」「羅生門」の章で詳しく述べることにする。
卜部季武についてだが、先に紹介した「滝夜叉姫に盗まれた宝刀、蜘蛛切丸を取り戻す」の物語を初めて聞いたという方もおられるかもしれない。伝説などで語られているストーリーを紹介すると、「季武が管理していた蜘蛛切丸が、滝夜叉姫の妖術によって盗まれてしまう。これが頼光の怒りに触れたため、季武は碓井貞光とともに滝夜叉姫一味と戦い、これを成敗し刀を取り戻す」というもの。安佐町の宮乃木神楽団などがこれを神楽化した演目を舞っておられる。
碓井貞光については、力持ちという点と、季武とともに刀を取り戻したという話以外にはこれといってない。そのせいか、やはり芸北神楽においても最も登場回数の少ない、名前のとおり「うすい」四天王になってしまっている。
そして、この四天王が登場する面白い話が「今昔物語」に収めれられているので紹介する。
坂田金時、卜部季武、碓井貞光の3人が、賀茂祭(という大きな祭)の名物である行列を見に行こうという話になった。しかし、「馬に乗って見に行くのもなんだし、歩いて行って顔を隠すわけにもいかんし、でも見に行きたいし、どがぁしょ~かいの~(広島弁バージョン)。」と困っていた。(注:当時、この祭を見に行くのは貴族がすることで、彼らのような武士が見に行くような習慣はなかった)
すると、その中の一人が(誰とは書いてない…季武にしとこう)「ほいじゃったら、牛車を借りてそれに乗って見よ~や!」と提案した。するとまた一人が(…金時でいいか)「乗ったこともない牛車に乗って、位の高い人にバレたら、引きづり下ろされて蹴られて死んでしまうわぁ!」と言った(そんなにヤワなんかい!)。もう一人が言うに(これが貞光だね)「すだれを垂らして中を見えんようにして、女性が乗るような車に変装して見に行くのはどがなや?」すると2人が「そりゃぁえ~わ~!」と賛成し、さっそく牛車を借りて出発した。
ところが、3人とも牛車に乗ったことがないので、牛車の中はまるで物の入った箱を揺らすような状態になってしまった。3人は中で振り回され、頭をぶつけ、頬をぶつけ合い、ゴロゴロ転がったりして、あっちゃならんことになってしもうた。こうやって行くうちに、3人とも車酔いして(当たり前や!)、持ち物や烏帽子まで落としてしまった。牛車の速度が速かったため、中から「もっとゆっくり!」と叫ぶと、そのまわりにいた人々が、「こりゃ~女の人が乗る車じゃが、どがぁな人が乗っとるんじゃろうか。」「なんか大きな鳥が鳴きょうるような声じゃが、聞いたことないの~」「田舎の娘らが乗っとんじゃないんか?」「いや、声は男みたいだぞ!?」などと怪しんでいた。そしてようやく祭の会場に着いたはいいが、来るのが早過ぎたようだった。3人とも車酔いでフラフラで、目が回って物が逆さまに見えるほどだった。あまりに酔ってしまったのと、早く着いたために、3人ともぐっすり寝てしまった。ところがその間に、名物である行列が通り過ぎてしまったが、3人とも死んだように寝ていたのでまったく気づかなかった。そして祭も終わり、人々が片づけを始めると、その音の騒がしさでようやく3人が目を覚まし、そして驚いた!「ありゃ!?もう終わっとるじゃん!?せっかくここまで車酔いしながら来たのに~!!むかつく~!!」「帰るのにまた牛車に乗れば、わしらはもう生きちゃおれんわ…」「んじゃ~もぅちぃとここで待って、誰もおらんようになってから、歩いて帰ろうや。」ということになった。まわりに誰もいなくなると、3人は牛車から降り、車を先に帰らせ、靴を履いて扇で顔を隠し、頼光殿の家に帰った。
という物語。数々の妖怪、鬼を退治してきた武士たちだが、こんな情けない一面もあるという興味深い物語だと思う。ちなみに、この話には渡辺綱は出てこない。綱は四天王の中でも一つ格上の存在だったようで、このときも頼光のお供でもしていたのかもしれない。
次回はいよいよ、怪物退治の話を見ていきたいと思う。
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2006,08,03 Thu 00:00
新着コメント
芸北神楽の登場人物の中で、もっとも英雄的なキャラクター、源頼光。大江山三段返しをはじめ、葛城山(土蜘蛛)、山姥、鬼同丸退治などその活躍ぶりは他に類を見ない。しかし、神楽や伝説の中でこれほど活躍しているにもかかわらず、歴史の授業などで彼の名を耳にした記憶はない。いや、別に授業をサボったり、居眠りをしていたわけではない。
とにかく、伝説上の英雄である源頼光、その実像に迫ってみることにする。
源頼光は、清和天皇のひ孫にあたる源満仲の長男として、940~950年あたりに生まれた。頼光の実像は、当時のことがいろいろ記された日記で知ることができる。と言っても、頼光自身が書いた日記は残っておらず、参考になるのは藤原道長が書いた「御堂関白記」、藤原実資の日記「小右記」などである。藤原道長と言えば、「この世をば 我が世とぞ思う望月の 欠けたる事も無しと思えば」の歌で有名なあの道長である。東山神楽団「天神記」に登場する藤原時平が、この歌をなぞったセリフを言う場面があるが、すぐにピンとくる神楽ファンの方もおられるだろう。頼光はこの藤原道長に仕えていた人物の一人だった。正確には、一方的に品物を贈りつけて気に入られようとしていたようだが。
そのあたり、これらの日記を読むと、頼光が道長にたびたび貢物をしていたことが記されている。ちなみに、この日記には、「○○年○月に頼光が大江山へ登った」とか、「土蜘蛛を退治した」などのことは一切記されていない。念のため。
また、道長の家が火事で焼けた時には、いち早く物資、家具一式などを贈り、大変喜ばれたそうだ。その後、新しくなった道長の家にも、さらに頼光から続々と贈り物が届いていたようで、その品物を見ようと見物人が集まるほどだったらしい。
このことから察するに、頼光は相当なお金持ちだったようだ。確かに神楽に登場する頼光さんは、とても豪華絢爛な衣装を着ているし!ってそれは関係ありませんね。
記録上、頼光は様々な要職についていた。朝廷から任命され、それぞれの国を治める国司(今で言えば県知事か?)や、重要人物の警護など、かなりエリート組の仕事ばかりである。特に国司にいたっては、備前(岡山)から始まり、伊豆、信濃、美濃、尾張、但馬、讃岐、丹波、河内、伊予、紀伊、摂津(大阪府)などなど、16~17を数える。中でも有名なのはセリフでおなじみの「摂津守」だろう。しかし実は、摂津守に任命されてから一年とたたず、頼光は亡くなっている。1021年のことだ。
こういった仕事をしっかりとこなし、着実に財産を蓄え、その財力を持って当時の最高権力者に貢いでいた。こうしてみるとかなり出世上手な人物だったことがわかる。さらに当時の出世術の最たるものは、自分の娘を天皇の嫁にすることだった。道長もそうやって摂政となり、栄華を築いていった。頼光はこの道長の兄である道綱を娘婿に迎えている。よって摂関家の道綱は頼光の家に住むことになり、それによって頼光は自分の地位を高めようとしたようだ。
以上が記録からわかる頼光の実像である。ちなみに「鬼同丸退治」などに登場する、弟の頼信は、実際には頼光とは腹違いの弟になり、頼信も藤原氏一族の実資に仕えていた。そしてなんと、頼信の子孫からは、「1192つくろう鎌倉幕府」の源頼朝が出ている。頼光の子孫からは頼朝のような大物は出ていないが、後世まで「頼光」の名を残すことができたのはやはり、当時の最高権力者だった藤原道長に気に入られていたからだろう。しいて言えば、「源頼政ぬえ退治」などの頼政が、頼光の子孫での大物と言えるか。
このように、神楽の物語からはとても想像できない、鬼退治とはまったく無縁の平和な毎日を過ごしていた平安の貴族というのが、源頼光の実像である。と、ここまで書くと当然、ではなぜ鬼退治などの伝説の英雄に仕立て上げられたのか、という疑問がわく。それはこのシリーズのラストにおいてまとめたいと思う。
というようなわけで、ついに始まった神楽研究コラム、シリーズ「源頼光」。神楽だけでは知ることのできない様々な物語などを、神楽ファンの方にわかりやすく伝えていこうと思うなり。「え~、そんなこともあったん?」とか「実はこうだったんかぁ!」など、トリ○ア的に言えば90へぇ以上間違いなしのネタを、どんどん掲載していく予定。「へぇ~」と思った方はボタンを押す代わりに、広島ブログのマークをクリック!どうぞよろしく!
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とにかく、伝説上の英雄である源頼光、その実像に迫ってみることにする。
源頼光は、清和天皇のひ孫にあたる源満仲の長男として、940~950年あたりに生まれた。頼光の実像は、当時のことがいろいろ記された日記で知ることができる。と言っても、頼光自身が書いた日記は残っておらず、参考になるのは藤原道長が書いた「御堂関白記」、藤原実資の日記「小右記」などである。藤原道長と言えば、「この世をば 我が世とぞ思う望月の 欠けたる事も無しと思えば」の歌で有名なあの道長である。東山神楽団「天神記」に登場する藤原時平が、この歌をなぞったセリフを言う場面があるが、すぐにピンとくる神楽ファンの方もおられるだろう。頼光はこの藤原道長に仕えていた人物の一人だった。正確には、一方的に品物を贈りつけて気に入られようとしていたようだが。
そのあたり、これらの日記を読むと、頼光が道長にたびたび貢物をしていたことが記されている。ちなみに、この日記には、「○○年○月に頼光が大江山へ登った」とか、「土蜘蛛を退治した」などのことは一切記されていない。念のため。
また、道長の家が火事で焼けた時には、いち早く物資、家具一式などを贈り、大変喜ばれたそうだ。その後、新しくなった道長の家にも、さらに頼光から続々と贈り物が届いていたようで、その品物を見ようと見物人が集まるほどだったらしい。
このことから察するに、頼光は相当なお金持ちだったようだ。確かに神楽に登場する頼光さんは、とても豪華絢爛な衣装を着ているし!ってそれは関係ありませんね。
記録上、頼光は様々な要職についていた。朝廷から任命され、それぞれの国を治める国司(今で言えば県知事か?)や、重要人物の警護など、かなりエリート組の仕事ばかりである。特に国司にいたっては、備前(岡山)から始まり、伊豆、信濃、美濃、尾張、但馬、讃岐、丹波、河内、伊予、紀伊、摂津(大阪府)などなど、16~17を数える。中でも有名なのはセリフでおなじみの「摂津守」だろう。しかし実は、摂津守に任命されてから一年とたたず、頼光は亡くなっている。1021年のことだ。
こういった仕事をしっかりとこなし、着実に財産を蓄え、その財力を持って当時の最高権力者に貢いでいた。こうしてみるとかなり出世上手な人物だったことがわかる。さらに当時の出世術の最たるものは、自分の娘を天皇の嫁にすることだった。道長もそうやって摂政となり、栄華を築いていった。頼光はこの道長の兄である道綱を娘婿に迎えている。よって摂関家の道綱は頼光の家に住むことになり、それによって頼光は自分の地位を高めようとしたようだ。
以上が記録からわかる頼光の実像である。ちなみに「鬼同丸退治」などに登場する、弟の頼信は、実際には頼光とは腹違いの弟になり、頼信も藤原氏一族の実資に仕えていた。そしてなんと、頼信の子孫からは、「1192つくろう鎌倉幕府」の源頼朝が出ている。頼光の子孫からは頼朝のような大物は出ていないが、後世まで「頼光」の名を残すことができたのはやはり、当時の最高権力者だった藤原道長に気に入られていたからだろう。しいて言えば、「源頼政ぬえ退治」などの頼政が、頼光の子孫での大物と言えるか。
このように、神楽の物語からはとても想像できない、鬼退治とはまったく無縁の平和な毎日を過ごしていた平安の貴族というのが、源頼光の実像である。と、ここまで書くと当然、ではなぜ鬼退治などの伝説の英雄に仕立て上げられたのか、という疑問がわく。それはこのシリーズのラストにおいてまとめたいと思う。
というようなわけで、ついに始まった神楽研究コラム、シリーズ「源頼光」。神楽だけでは知ることのできない様々な物語などを、神楽ファンの方にわかりやすく伝えていこうと思うなり。「え~、そんなこともあったん?」とか「実はこうだったんかぁ!」など、トリ○ア的に言えば90へぇ以上間違いなしのネタを、どんどん掲載していく予定。「へぇ~」と思った方はボタンを押す代わりに、広島ブログのマークをクリック!どうぞよろしく!
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2006,07,31 Mon 00:00
新着コメント
てんてるさん、コメントありがとうございます☆
やっぱり神楽だけの頼光さんだと、こんなイメージわかないですよね~。
自分も調べながら「へぇ~!」の連続でしたから(笑)
今後の展開としては、頼光自身が変わっていくというよりも、頼光の登場する演目を詳しく調べ、その時代背景などを掘り下げながら、英雄化した頼光の謎に迫るといった感じかと思います。
“脱線”も多いようですが…。
これからもよろしくお願いします♪
やっぱり神楽だけの頼光さんだと、こんなイメージわかないですよね~。
自分も調べながら「へぇ~!」の連続でしたから(笑)
今後の展開としては、頼光自身が変わっていくというよりも、頼光の登場する演目を詳しく調べ、その時代背景などを掘り下げながら、英雄化した頼光の謎に迫るといった感じかと思います。
“脱線”も多いようですが…。
これからもよろしくお願いします♪
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/03 01:41 | BFfnvy1Y |
こんばんは!
神楽を見て楽しむだけでなく、登場人物に的をあて説明する点はおもしろいですね。他にあまり無いと思うのですが・・・。
ところで、頼光って第一章までを見ると、イメージが違っていますねぇ。。色んな神楽団で頼光役の方を思い出しては「違うな・・・」なんて・・・。
鬼退治に縁が無さそうな第一章の頼光が今後どのように変わっていくのか・・。明日更新日ですかね? 楽しみにしてま~す♪
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神楽を見て楽しむだけでなく、登場人物に的をあて説明する点はおもしろいですね。他にあまり無いと思うのですが・・・。
ところで、頼光って第一章までを見ると、イメージが違っていますねぇ。。色んな神楽団で頼光役の方を思い出しては「違うな・・・」なんて・・・。
鬼退治に縁が無さそうな第一章の頼光が今後どのように変わっていくのか・・。明日更新日ですかね? 楽しみにしてま~す♪
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| てんてる | EMAIL | URL | 06/08/02 23:24 | GIwdMNO. |
サッチモさん、コメントありがとうございます。
そう言ってくださるとホント嬉しいです。
文章を書くのも大変ですが、一番の苦労は…イラストかな!?(笑)
また書き込みお願いします☆
そう言ってくださるとホント嬉しいです。
文章を書くのも大変ですが、一番の苦労は…イラストかな!?(笑)
また書き込みお願いします☆
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/07/31 20:29 | BFfnvy1Y |
特派員さんこんにちは。
いよいよ「神楽研究コラム」立ち上がりましたね!
神楽芸術“研究所”として、必要なコーナーだと思いますので、ご苦労も多いことだと思いますが、がんばってください。
いよいよ「神楽研究コラム」立ち上がりましたね!
神楽芸術“研究所”として、必要なコーナーだと思いますので、ご苦労も多いことだと思いますが、がんばってください。
| サッチモ | EMAIL | URL | 06/07/31 09:38 | Ow5MnHpc |