2006年、秋。いよいよ神楽シーズンの始まりです。9月2日、北広島町のおおあさ鳴滝露天温泉で、毎年恒例の神楽大会が行われました。「競演」から「共演」に変わって今年で2回目。プログラムを見ると、島根県の団体が多いのが目に付きました。14演目中、島根県の団体が5演目。ということで、今回はこの島根県の演目を中心にお伝えしようと思います。
まずは大都神楽団の「御座舞」。こういった儀式舞は、ベテランの方が舞うイメージが強いと思いますが、この舞は若い方が舞っていらっしゃるのが印象的でした。石見神楽の「御座舞」は、7年あるいは4年に1回行われる大元神楽で主に舞われる希少な舞、ということですが、そのの伝統が若い人によってしっかりと受け継がれているようで、嬉しく思いました。「御座舞」といえば、ござの上を飛ぶ曲芸的な舞い方ですが、舞人がござの上を飛ぶと、会場から拍手が沸き起こりました。
雪田神楽団の「安珍清姫」も、あまり見ることのできない貴重な神楽です。安珍という美男の修験者が、自分にしつこくつきまとう清姫をだまして逃げてしまいます。そのため清姫が大蛇に化けて、釣鐘の中に隠れた安珍を火炎で焼き殺してしまう、という物語です。島根県の神楽団ですが、舞い方や奏楽は広島県の新舞と言った感じでした。
そして、前もってオススメした演目、北広島町筏津神楽団の「塵倫」。加計筋の「塵倫」は鬼が一人ですが、大朝を中心とした地域では、鬼が三人出るのが普通です。また、筏津さんは「塵倫は女の鬼」という事を着物の様な衣装で表現されているようです。それと大鬼の、空を飛ぶ演技や矢が刺さって苦しむ演技が素晴らしかったです。鬼が苦しんだ果てに床に倒れる場面もあり、会場を沸かせました。
今回は前半にあった三演目をピックアップしてレポートしました。次回は後半の演目からお届けします。お楽しみに!
まずは大都神楽団の「御座舞」。こういった儀式舞は、ベテランの方が舞うイメージが強いと思いますが、この舞は若い方が舞っていらっしゃるのが印象的でした。石見神楽の「御座舞」は、7年あるいは4年に1回行われる大元神楽で主に舞われる希少な舞、ということですが、そのの伝統が若い人によってしっかりと受け継がれているようで、嬉しく思いました。「御座舞」といえば、ござの上を飛ぶ曲芸的な舞い方ですが、舞人がござの上を飛ぶと、会場から拍手が沸き起こりました。
雪田神楽団の「安珍清姫」も、あまり見ることのできない貴重な神楽です。安珍という美男の修験者が、自分にしつこくつきまとう清姫をだまして逃げてしまいます。そのため清姫が大蛇に化けて、釣鐘の中に隠れた安珍を火炎で焼き殺してしまう、という物語です。島根県の神楽団ですが、舞い方や奏楽は広島県の新舞と言った感じでした。
そして、前もってオススメした演目、北広島町筏津神楽団の「塵倫」。加計筋の「塵倫」は鬼が一人ですが、大朝を中心とした地域では、鬼が三人出るのが普通です。また、筏津さんは「塵倫は女の鬼」という事を着物の様な衣装で表現されているようです。それと大鬼の、空を飛ぶ演技や矢が刺さって苦しむ演技が素晴らしかったです。鬼が苦しんだ果てに床に倒れる場面もあり、会場を沸かせました。
今回は前半にあった三演目をピックアップしてレポートしました。次回は後半の演目からお届けします。お楽しみに!
2006,09,03 Sun 09:31
新着コメント
サッチモさん、コメントありがとうございます。
ボクも鳴滝の会場は好きです☆
去年はいろいろ遊舞ってコトで、笑える演目がけっこうありましたよね。
自分はカメラが揺れないように必死で笑いをこらえながら撮影してたのを思い出しました(笑)
今回は時間がなく、三次にも行かないといけなかったんで、少し短めにさせていただきました。
後半はもう少しボリュームアップしたいと思います。
またコメントお願いします!
ボクも鳴滝の会場は好きです☆
去年はいろいろ遊舞ってコトで、笑える演目がけっこうありましたよね。
自分はカメラが揺れないように必死で笑いをこらえながら撮影してたのを思い出しました(笑)
今回は時間がなく、三次にも行かないといけなかったんで、少し短めにさせていただきました。
後半はもう少しボリュームアップしたいと思います。
またコメントお願いします!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/09/03 21:56 | BFfnvy1Y |
鳴滝温泉の会場は雰囲気がいいですよね。好きな会場の一つです。記事を読んで去年ビールを飲みながら鑑賞したのを思い出しました。
去年は上河内さんの「大蛇」の子蛇(オロチヘッドだけ)の登場に大変笑わせてもらいました。
去年は上河内さんの「大蛇」の子蛇(オロチヘッドだけ)の登場に大変笑わせてもらいました。
| サッチモ | EMAIL | URL | 06/09/03 11:25 | NOAzCSbg |
神楽研究コラム、いかがでしたでしょうか。こちらとしても予想以上の反響をいただいて、少し驚いてます。またコメントもたくさんの投稿があり、本当に嬉しく思います。これでシリーズ「源頼光」は連載終了ですが、一応、第二弾の企画もありますので、また実現すればお知らせいたします。連載は終了ですが、コメントはいつでも書き込んでください!「○○がおもしろかった」、「○○がつまらなかった」など一行だけでもかまいませんし、「○○が読めなかった」とかいうのでもOKです。今後の参考にしていきたいので、これからもたくさんのコメントをよろしくお願いします。
あくまで企画の段階ですが、第二弾は「酒呑童子」を考えています。この他にもいろいろ研究していきたいと思ってますので、みなさんからもリクエストありましたら、お気軽にコメントしてください。
ちなみにこの画像は、カッコ良すぎてボツになった、「一条戦隊オニレンジャー」のイラストです。
あくまで企画の段階ですが、第二弾は「酒呑童子」を考えています。この他にもいろいろ研究していきたいと思ってますので、みなさんからもリクエストありましたら、お気軽にコメントしてください。
ちなみにこの画像は、カッコ良すぎてボツになった、「一条戦隊オニレンジャー」のイラストです。
2006,09,01 Fri 00:00
新着コメント
ちあきさん、コメントありがとうございます。
区切りは確かにもっとあってもよかったですね。
特に「大江山」は、物語を重視しすぎたため、「ここで区切ったらヘンかな・・・」と思い、ちょっと少なくなってしまったように思います。
「紅葉狩」ですか!実は候補として頭の中には構想があるんですよ(笑)
何気に資料も集め始めてたり…。
来年以降になると思いますが、せっかくのご意見ですので、前向きに検討したいと思います。
いろいろご意見ありがとうございました☆
またお願いします!
区切りは確かにもっとあってもよかったですね。
特に「大江山」は、物語を重視しすぎたため、「ここで区切ったらヘンかな・・・」と思い、ちょっと少なくなってしまったように思います。
「紅葉狩」ですか!実は候補として頭の中には構想があるんですよ(笑)
何気に資料も集め始めてたり…。
来年以降になると思いますが、せっかくのご意見ですので、前向きに検討したいと思います。
いろいろご意見ありがとうございました☆
またお願いします!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/09/04 20:03 | BFfnvy1Y |
あっ、切れちゃいましたね
続を・・・
神楽を観に出掛けても紅葉狩を観れない時は何時もガッカリしているようです。
と子供に代わり投稿させて頂きました。
これから神楽公演シーズン突入ですので、特派員さんも大変だとおもいますけど、
頑張って下さい。
続を・・・
神楽を観に出掛けても紅葉狩を観れない時は何時もガッカリしているようです。
と子供に代わり投稿させて頂きました。
これから神楽公演シーズン突入ですので、特派員さんも大変だとおもいますけど、
頑張って下さい。
| ちあき | EMAIL | URL | 06/09/04 12:47 | n5WKKwWQ |
何時も楽しく拝見させて頂いています。
かなりお勉強をさせて頂いてますが正しいですけど(^^)
今日は子供(中2)の意見を少し書かせて頂きたいと思います。
イラストを描くのが好きな子供ですが、こちらのサイトのイラストを見て即「上手すぎ!」と生意気にいっていました(一条戦隊オニレンジャーボツのイラストはジャニーズみたいだと喜んでましたけど・・・笑)
と同時に・・・もう少し区切りが有れば読み易いかもという意見でした。
出来れば次は・・・は無理ですね。
何時か『紅葉狩』をお願いしますということでした
神楽はあまり好きでは無い子供ですが(汗)3~4年前に本地で3団体さん合同で(衣装納め)舞われた紅葉狩を観て以来一番好きな演目になったようです。
神楽を観に出掛けても紅葉狩
かなりお勉強をさせて頂いてますが正しいですけど(^^)
今日は子供(中2)の意見を少し書かせて頂きたいと思います。
イラストを描くのが好きな子供ですが、こちらのサイトのイラストを見て即「上手すぎ!」と生意気にいっていました(一条戦隊オニレンジャーボツのイラストはジャニーズみたいだと喜んでましたけど・・・笑)
と同時に・・・もう少し区切りが有れば読み易いかもという意見でした。
出来れば次は・・・は無理ですね。
何時か『紅葉狩』をお願いしますということでした
神楽はあまり好きでは無い子供ですが(汗)3~4年前に本地で3団体さん合同で(衣装納め)舞われた紅葉狩を観て以来一番好きな演目になったようです。
神楽を観に出掛けても紅葉狩
| ちあき | EMAIL | URL | 06/09/04 12:41 | n5WKKwWQ |
TOKOさん、コメントありがとうございます。
なるほど、そういういきさつだったんですね☆
確かに、神楽の写真ってすごく魅力のあるものだと思います。
自分も小さいころ必死に使い捨てカメラで撮ってました(笑)
腕前はあまり良くないんで、なかなか記事とうまくマッチしたものが撮れないなぁ~なんて思ってます。
神楽の秋が始まりましたね。
どうぞ楽しい週末を過ごしてください!
なるほど、そういういきさつだったんですね☆
確かに、神楽の写真ってすごく魅力のあるものだと思います。
自分も小さいころ必死に使い捨てカメラで撮ってました(笑)
腕前はあまり良くないんで、なかなか記事とうまくマッチしたものが撮れないなぁ~なんて思ってます。
神楽の秋が始まりましたね。
どうぞ楽しい週末を過ごしてください!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/09/02 09:51 | 5/W33jWw |
あらら… 長すぎて切れちゃいましたね。 σ(^◇^;)
あの続きは
少しでも綺麗に撮りたいなどと欲が出まして少しランクのあげたデジカメで撮ってるうちに私の方がすっかりとハマってしまいました。 σ(^◇^;)
今は3代目のデジカメで撮っておりますが一眼レフにすれば良かったと少し後悔しております。
長々と失礼致しました。 <(_ _)>
です。
あの続きは
少しでも綺麗に撮りたいなどと欲が出まして少しランクのあげたデジカメで撮ってるうちに私の方がすっかりとハマってしまいました。 σ(^◇^;)
今は3代目のデジカメで撮っておりますが一眼レフにすれば良かったと少し後悔しております。
長々と失礼致しました。 <(_ _)>
です。
| TOKO | EMAIL | URL | 06/09/01 21:24 | pTshLeuw |
いよいよシリーズ最終章、まとめの章である。が、まとめの章ということになれば、難しい話ばかりになりそうなので、やっぱりまとめない。まとめないかわりに、晩年の頼光についての物語が「今昔物語集」に収められているので紹介する。
今は昔、東宮(後の三条天皇)がお出かけになった時に、東三条殿という大きな屋敷の軒下に、狐が寝ているのを見つけた。そこで東宮は、お供をしていた源頼光に「ぉい頼光、あっけぇ狐がおろうが。あれに矢を討ってみぃの。」と命令した。すると頼光は「そぎゃんこたぁちぃと無理じゃ思うんですが。他の人なら外してもせやなぁが、わしが外したとなりゃ、大事ですけぇ。」と辞退した。しかし東宮に「まぁえぇけぇ、マジでやれぇやぁ!」と言われ、頼光は辞退できなくなり、弓をとって矢をつがえながらも「この弓がもちぃと強けりゃえぇんじゃが、こんぎゃぁに離れた的には、この矢は重たぁでぇ~。矢が途中で落ちてしもうたら、外すより耐えがたぁけぇやれんよぉ!どがしょうかいねぇ~。」などとブツブツ言いながら、矢を放った。すると、見事狐の胸に命中し、狐はそばの池に落ちて死んでしまった。東宮をはじめ、そばにいた人たちは「すげぇ!」などと頼光を褒め称えた。東宮は褒美として頼光に馬を与えようとした。しかし頼光は「ありゃぁ、わしが討った矢じゃぁなぁんよ。いっつも拝みよる石清水八幡さんが、助けてくれちゃったんですよ。」と言って引き下がった。それ以降も頼光は、家族や知人などに「ありゃぁ神様仏様のおかげなんで。」と常に語っていたので、世間は頼光を褒め称えたという。
ここに登場する東宮は、今で言えば皇太子のような存在で、藤原道長と親しくしていたとはいえ、武家の出身である頼光がそのお供をしていたという事であるから、どれほど頼光がまわりから大物と見られていたか、想像できるような物語である。さらに鬼退治などではないにせよ、頼光の武勇と八幡崇拝がテーマとして書かれている。
冒頭で「まとめない。」と爆弾発言したが、まとめないと終わりそうにないので、やっぱりまとめる。なんじゃそりゃ。とにかく、「英雄化された頼光」についての謎を解くには、次の三つの大きなポイントがあげられる。
まず一つ目。平安後期に賊征伐の事件が多発したこと。実はあの大江山にも、なんらかの反中央勢力がはびこり、それを朝廷の命を受けた軍が制圧したという記録が残されているのだ。つまり、鬼退治ではないにしろ、大江山へ賊を征伐するために武将たちが攻め上ったのは事実なのである。「葛城山」の章でも述べたように、こういった事件が「酒呑童子」のベースになった、という説もある。
そして二つ目。鬼退治の伝説を作る必要があったということ。いつの世でもそうだが、権力者にとっては下の者が逆らうことほどやっかいなことはない。上記にあげたように、賊退治の多発が政治不信につながり、民の朝廷への不満が高まる一方となる。そういった不信感を、鬼退治などの伝説を広めてごまかした、という仮説である。現代でさえ、お偉いさん連中は権力と大金を操り、自分の不正や不祥事を隠そうとするのである。ケータイやテレビがなかった時代、鬼や神様仏様が信じられていた時代。鬼退治という物語は、誰でも興味を持つ、恰好(かっこう)の題材ではなかろうか。
そして最大のポイントは、英雄として最もふさわしい人物が源頼光であった、ということ。頼光は藤原道長に仕えていたという大きなアドバンテージがある。たとえ頼光の名は知らなくても、「あの道長様に仕えとったんじゃと。」と聞けば「はぁ、そりゃよっぽど強い人だったんじゃろぅて。」と思われていたということは、想像に難くない。また、鬼退治の物語が作られ始めた(仮説)平安後期から、「御伽草子」によって酒呑童子の話が定着した室町時代という時代背景を考えてみると、要するに貴族から武士へと変わっていった時代だった。清和天皇の血筋で、「源」氏を名乗る頼光はまさに時代にピッタリの主役だったのである。もし、源氏が平氏に敗れていたら、「源頼光」という名は今日まで残っていなかったかもしれない。ヘタすりゃ、「酒呑童子」の物語の主役は藤原保昌とかになってたりして・・・!伝説は、ちょっとしたことですぐにその形を変えてしまうものである。「源頼光」が主役であり続け、世に定着することができたのは、こういった時代背景に支えられた面が大きいのではないだろうか。
こうして、英雄になるべくして、頼光は伝説の英雄になった。藤原道長に仕え、必死に源氏の地位を高めようとした源頼光。確かにその後、源氏は繁栄し、幕府を開いたりするなどの活躍もあった。がしかし「源頼光」という名が、それから1000年近くたった現在、神楽という芸能の中で大ブレイクしてしているということは、予想だにしなかったことであろう。この現状を見て、きっと頼光殿も苦笑いしているに違いない。というわけで、十章にわたってお送りしたシリーズ「源頼光」、これにて完結。長い間ご愛読してくださった皆さんに、心から感謝したい。ではまたの機会に。
(塩瀬神楽団の写真提供:すな様)
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今は昔、東宮(後の三条天皇)がお出かけになった時に、東三条殿という大きな屋敷の軒下に、狐が寝ているのを見つけた。そこで東宮は、お供をしていた源頼光に「ぉい頼光、あっけぇ狐がおろうが。あれに矢を討ってみぃの。」と命令した。すると頼光は「そぎゃんこたぁちぃと無理じゃ思うんですが。他の人なら外してもせやなぁが、わしが外したとなりゃ、大事ですけぇ。」と辞退した。しかし東宮に「まぁえぇけぇ、マジでやれぇやぁ!」と言われ、頼光は辞退できなくなり、弓をとって矢をつがえながらも「この弓がもちぃと強けりゃえぇんじゃが、こんぎゃぁに離れた的には、この矢は重たぁでぇ~。矢が途中で落ちてしもうたら、外すより耐えがたぁけぇやれんよぉ!どがしょうかいねぇ~。」などとブツブツ言いながら、矢を放った。すると、見事狐の胸に命中し、狐はそばの池に落ちて死んでしまった。東宮をはじめ、そばにいた人たちは「すげぇ!」などと頼光を褒め称えた。東宮は褒美として頼光に馬を与えようとした。しかし頼光は「ありゃぁ、わしが討った矢じゃぁなぁんよ。いっつも拝みよる石清水八幡さんが、助けてくれちゃったんですよ。」と言って引き下がった。それ以降も頼光は、家族や知人などに「ありゃぁ神様仏様のおかげなんで。」と常に語っていたので、世間は頼光を褒め称えたという。
ここに登場する東宮は、今で言えば皇太子のような存在で、藤原道長と親しくしていたとはいえ、武家の出身である頼光がそのお供をしていたという事であるから、どれほど頼光がまわりから大物と見られていたか、想像できるような物語である。さらに鬼退治などではないにせよ、頼光の武勇と八幡崇拝がテーマとして書かれている。
冒頭で「まとめない。」と爆弾発言したが、まとめないと終わりそうにないので、やっぱりまとめる。なんじゃそりゃ。とにかく、「英雄化された頼光」についての謎を解くには、次の三つの大きなポイントがあげられる。
まず一つ目。平安後期に賊征伐の事件が多発したこと。実はあの大江山にも、なんらかの反中央勢力がはびこり、それを朝廷の命を受けた軍が制圧したという記録が残されているのだ。つまり、鬼退治ではないにしろ、大江山へ賊を征伐するために武将たちが攻め上ったのは事実なのである。「葛城山」の章でも述べたように、こういった事件が「酒呑童子」のベースになった、という説もある。
そして二つ目。鬼退治の伝説を作る必要があったということ。いつの世でもそうだが、権力者にとっては下の者が逆らうことほどやっかいなことはない。上記にあげたように、賊退治の多発が政治不信につながり、民の朝廷への不満が高まる一方となる。そういった不信感を、鬼退治などの伝説を広めてごまかした、という仮説である。現代でさえ、お偉いさん連中は権力と大金を操り、自分の不正や不祥事を隠そうとするのである。ケータイやテレビがなかった時代、鬼や神様仏様が信じられていた時代。鬼退治という物語は、誰でも興味を持つ、恰好(かっこう)の題材ではなかろうか。
そして最大のポイントは、英雄として最もふさわしい人物が源頼光であった、ということ。頼光は藤原道長に仕えていたという大きなアドバンテージがある。たとえ頼光の名は知らなくても、「あの道長様に仕えとったんじゃと。」と聞けば「はぁ、そりゃよっぽど強い人だったんじゃろぅて。」と思われていたということは、想像に難くない。また、鬼退治の物語が作られ始めた(仮説)平安後期から、「御伽草子」によって酒呑童子の話が定着した室町時代という時代背景を考えてみると、要するに貴族から武士へと変わっていった時代だった。清和天皇の血筋で、「源」氏を名乗る頼光はまさに時代にピッタリの主役だったのである。もし、源氏が平氏に敗れていたら、「源頼光」という名は今日まで残っていなかったかもしれない。ヘタすりゃ、「酒呑童子」の物語の主役は藤原保昌とかになってたりして・・・!伝説は、ちょっとしたことですぐにその形を変えてしまうものである。「源頼光」が主役であり続け、世に定着することができたのは、こういった時代背景に支えられた面が大きいのではないだろうか。
こうして、英雄になるべくして、頼光は伝説の英雄になった。藤原道長に仕え、必死に源氏の地位を高めようとした源頼光。確かにその後、源氏は繁栄し、幕府を開いたりするなどの活躍もあった。がしかし「源頼光」という名が、それから1000年近くたった現在、神楽という芸能の中で大ブレイクしてしているということは、予想だにしなかったことであろう。この現状を見て、きっと頼光殿も苦笑いしているに違いない。というわけで、十章にわたってお送りしたシリーズ「源頼光」、これにて完結。長い間ご愛読してくださった皆さんに、心から感謝したい。ではまたの機会に。
(塩瀬神楽団の写真提供:すな様)
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2006,08,31 Thu 00:00
新着コメント
みなとさん、コメントありがとうございます。
大変懐かしい記事で…(笑)
広島の芸北地域の神楽は、時代に沿って進化していますので、初めての方にも興味を持っていただけると思います。
機会がありましたら、ぜひご覧ください!
大変懐かしい記事で…(笑)
広島の芸北地域の神楽は、時代に沿って進化していますので、初めての方にも興味を持っていただけると思います。
機会がありましたら、ぜひご覧ください!
| 特派員 | EMAIL | URL | 08/08/14 22:38 | BFfnvy1Y |
古い記事にコメント失礼します。
源頼光や酒呑童子で検索して来ました。
シリーズとても興味深く楽しく読ませてもらいましたo(^-^)o
神楽って見たことがないのですが、是非見てみたいなぁと思いました!
源頼光や酒呑童子で検索して来ました。
シリーズとても興味深く楽しく読ませてもらいましたo(^-^)o
神楽って見たことがないのですが、是非見てみたいなぁと思いました!
| みなと | EMAIL | URL | 08/08/14 22:01 | iV95cbPg |
リロっちさん、コメントありがとうございます。
いやぁ~何気に大変でした!(笑)
ブログ書くのにこんなにテマヒマかけていいのかなと。
しかもお褒めのコメントまで頂いて、ただただ感謝ばかりです。
第二弾、実現するかわかりませんが、頑張りたいと思います☆
またコメントお願いします!
いやぁ~何気に大変でした!(笑)
ブログ書くのにこんなにテマヒマかけていいのかなと。
しかもお褒めのコメントまで頂いて、ただただ感謝ばかりです。
第二弾、実現するかわかりませんが、頑張りたいと思います☆
またコメントお願いします!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/31 23:15 | BFfnvy1Y |
長い間、お疲れ様でした!!
記事を書くのはとても大変だったと思います。
神楽にあまり詳しくない私には、少し難しいと思う部分もありましたが、広島弁でとても分かりやすく楽しくお勉強させていただきました。
絵もとても気に入りました☆
また、次のコラムを楽しみにしています(^▼^)
記事を書くのはとても大変だったと思います。
神楽にあまり詳しくない私には、少し難しいと思う部分もありましたが、広島弁でとても分かりやすく楽しくお勉強させていただきました。
絵もとても気に入りました☆
また、次のコラムを楽しみにしています(^▼^)
| リロっち | EMAIL | URL | 06/08/31 23:05 | Q8k/.EqM |
このコーナーは、特派員が視察する予定の、その週末に行われる神楽大会の見どころや情報などを、ファンのみなさんにお伝えしようというものです。
第一回目の今回は、「おおあさ鳴滝露天温泉神楽共演大会」です。競演から共演になって今年で二回目。14団体の上演が組まれています。その中でもみなさんにイチオシしたいのが、江津市の都治神楽社中「大江山」です。以前に見たことがあるのですが、とにかくインパクトがあってすごかったです。何がすごいって、登場する鬼たち。鬼たちの何がすごいかは見てのお楽しみ。現在、当ブログで連載中のシリーズ「源頼光」、その八・九章の大江山の物語を読んでおくと、さらに楽しめること間違いナシ!
もう一つのオススメは、北広島町の筏津神楽団「塵倫」。おそらく多くのファンの方が見慣れている「塵倫」とは少し違いを感じるのではないかと思います。その違いが、大朝地域の「塵倫」の特徴なので、その辺をじっくり見ていただければと思います。
もちろんすべての演目が注目ではありますが、個人的にはこの二つをここで紹介させていただきました。また、この会場は客席とステージが近いのが特徴。迫力ある熱演を間近で感じることができます。長時間の鑑賞になりますので、座布団ややわらかいクッションは必須!あとすぐ近くに川が流れていたりするので、思ったよりも気温が下がる場合があります。念のため厚い上着を用意されてたほうが良いです。飲食物の持ち込みは禁止ですが、会場周辺にはちゃんと用意されてますのでご安心を。オススメは建物内のうどんです☆また、駐車場と会場が少し離れており、特に帰りの際は道が暗くなっていますので、懐中電灯などを持っていかれるなどして、十分足元にご注意ください。
大会場所
(右側からおおあさ鳴滝露天温泉を選んでください)
上演プログラム
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第一回目の今回は、「おおあさ鳴滝露天温泉神楽共演大会」です。競演から共演になって今年で二回目。14団体の上演が組まれています。その中でもみなさんにイチオシしたいのが、江津市の都治神楽社中「大江山」です。以前に見たことがあるのですが、とにかくインパクトがあってすごかったです。何がすごいって、登場する鬼たち。鬼たちの何がすごいかは見てのお楽しみ。現在、当ブログで連載中のシリーズ「源頼光」、その八・九章の大江山の物語を読んでおくと、さらに楽しめること間違いナシ!
もう一つのオススメは、北広島町の筏津神楽団「塵倫」。おそらく多くのファンの方が見慣れている「塵倫」とは少し違いを感じるのではないかと思います。その違いが、大朝地域の「塵倫」の特徴なので、その辺をじっくり見ていただければと思います。
もちろんすべての演目が注目ではありますが、個人的にはこの二つをここで紹介させていただきました。また、この会場は客席とステージが近いのが特徴。迫力ある熱演を間近で感じることができます。長時間の鑑賞になりますので、座布団ややわらかいクッションは必須!あとすぐ近くに川が流れていたりするので、思ったよりも気温が下がる場合があります。念のため厚い上着を用意されてたほうが良いです。飲食物の持ち込みは禁止ですが、会場周辺にはちゃんと用意されてますのでご安心を。オススメは建物内のうどんです☆また、駐車場と会場が少し離れており、特に帰りの際は道が暗くなっていますので、懐中電灯などを持っていかれるなどして、十分足元にご注意ください。
大会場所
(右側からおおあさ鳴滝露天温泉を選んでください)
上演プログラム
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2006,08,29 Tue 19:17
新着コメント
源頼光をはじめとする六人は、花園中納言の姫の教えどおり、川を上っていくと、大きな鉄の門にたどり着いた。鬼の門番たちが六人を見て「おぉ!?こりゃ珍しい。最近は人を食うとらんけぇ食いたいのぅ思よったところじゃ。飛んで火に入る夏の虫たぁこのことじゃの。よし、食お。」と頼光たちに飛び掛ってきた。が、その中の一匹の鬼が「こりゃ、あわてんさんな。こがぁに珍しいご馳走を、わしらぁだけで食うたらいけまぁ。先に大将に言わんにゃぁ。」と言った。鬼たちはそれはもっともだと、奥へ入って酒呑童子へこの事を伝えた。すると童子は「そりゃ珍しいわ。誰が来たんかいのうや。奥へ通しんさい。」と言うので、頼光たちは縁の上に通された。
しばらくすると生臭い風が吹き、雷鳴稲妻がとどろき、人間の姿をした酒呑童子が現れた。童子は「こかぁごうぎな山なんで。あんたら人間じゃろうが。天をかけってきたんかいの。聞いちゃるけぇ語りんさい。」と言った。頼光は「わしらは山伏の修行をしよるんじゃが、道に迷うてからここまで来てしもうたんよ。これも何かの縁じゃけぇ、今晩泊めてつかぁさいや。わしら酒を持ってきとるけぇご馳走しますで。」と答えた。童子はこれを聞いて頼光たちを部屋の中まで招きいれ、「へじゃぁまず、うちかたの酒を飲んでみんさいや。」と言い、手下の鬼に酒を持ってこさせた。見ると、たった今搾ったとみられる人間の生き血であり、童子はそれを頼光に差し出した。頼光は盃(さかずき)を受け取ると、何でもないようにさらりと飲み干した。続いて綱もさらりと飲み干した。童子は「酒のつまみがありゃせんか?」と言い、手下の鬼が持ってきたものは、これも今切ったとみられる人間の腕と足であり、それがまな板の上に乗っていた。頼光はこれを見て、腰につけていた小刀をするりと抜き、肉を一口大に切り取ってうまそうに食べた。これを見た綱も「まぁつまみまでもろうて、ありがたいことじゃのう。いただきます。」と同じく切り取ってうまそうに食べた。童子はこれを見て「あんたらぁは同じ人間の肉を食うんかいの。いなげなやっちゃのぅ。」と怪しんだので、すかさず頼光は「そがぁに思うてのは、よぅわかりますで。わしらぁ山伏の教えは、人様からいただいたものは、嫌と言わずにありがたくいただくいうもんじゃけぇ。へじゃけぇ何ゅぅもろうてもうれしゅぅ思いますてぇね。」と言って童子に礼をした。すると童子はあわてて頼光に礼を返し、「ありゃぁ、ホンマは食いとぅないもんを、食べんさい言うて出したんは、ホンマにわりかったのぅや。」と反省した。その時、頼光は例の酒を取り出し、「こりゃぁ都から持ってきた酒なんじゃが、童子さんにも差し上げますわぁ。」と、まずは自分で毒見をし、童子にすすめた。童子は盃を受け取り、さらりと飲み干した。その味は甘露(かんろ)のようで、言葉では例えようもないものだった。童子は上機嫌になり「うちかたのべっぴんさんにも飲ませてあぎょうてぇ。」と池田中納言と花園中納言の娘を呼び出した。
そして童子はあまりの嬉しさに、自分の身の上話を始めた。
「わしゃぁの、越後の生まれで山寺育ちなんよ。じゃが坊さんとケンカしての、いっぴゃぁ坊さんを殺したんじゃ。へぇで比叡(ひえい)の山ぁ行って、こけぇ住もう思うたら、伝教(でんきょう)いう坊さんが来てわしを追い出しやがった。やれんけぇこの山へ来たんじゃが、こんだぁ弘法大師いうパ~プ~に追い出された。へじゃけいっぺん高野山に行ったんじゃが、今はもう邪魔なんがおらんけぇ、こけぇ住み着いてからにぜいたくしよるんよ。都からべっぴんさんをさろぅたりのぅ、こげなごうぎな御殿を建てたりのぅ、ホンマ他にこがぁなぜいたくしよるやつぁおらんで。ただのぅ、一つやれんのは、都で有名な頼光いうぶちわりぃやつがおるんじゃわ。こいつは日本一つぇえんじゃ。ほいから頼光の部下に、定光・末武・公時・綱・保昌いうんがおって、こいつらもつぇえんじゃ。この六人だきゃぁの、ホンマ油断ならんで。どがぁなか言うたらの、こなぁだの春ん時に、わしの部下の茨木童子いうんを、都へ行ってこさぁた時に、あの綱と出おぅたんじゃわ。茨木童子が女に化けてからに、よ~にだまして、ひっつかまえたところを、綱のやつが片腕を切り落としやがった。ほじゃけわしゃ~よぅよぅ考えてから、腕を取り返して、今はもうせやなぃんで。あいつらがむかつくけぇ、わしゃ最近都へよぅ行かんのんよ。」
そう語ると、酒呑童子は頼光をじぃ~っとにらんで、「あんたらぁはいなげなのぅ。よう見りゃ、あんたは頼光じゃないかぁ!?その隣ゃぁ、茨木童子の腕を切りやがった綱じゃろうて。残る四人は定光・末武・公時・保昌じゃろうが、げにあがぁで。おい、手下の野郎ども、油断すなよ!しばいちゃろうでぇ~!」と叫び、立ち上がった。頼光はこれを見て、ここで見抜かれては大変と思い、少しも慌てず騒がず、からからと笑い飛ばした。「まぁ~、うれしぃ事を言いんさるのぅ。日本一つぇえやつに、山伏が似とりんさるか。その頼光いうぶにも、末武とかいうぶんも、いま初めて聞いたぁや。げに、そがんわりぃやつなら、はよぅわしらを食うちゃんさい。わしらぁは今童子さんに酒をもろうたりして情けをかけてもろうた。一つも命が惜しいとは思わんけ、どうぞどうぞ。」と顔色一つ変えずに言ってのけると、童子はすぐさま気を取り直し、「まぁそげなことを言うてか。よう考えたら、あいつらぁがここまではよぅ来んじゃろぅの。酒に酔うてしもうたけぇ、ついつい・・・。いやぁ、ホンマに酔うたわ。赤ぅなっとるんは酒のせぃじゃけ、鬼じゃなぁんで。」と言ってすっかり気を許した。そして周りの鬼たちにも酒を飲ませ、ついに鬼たちはみな酔いつぶれてしまった。童子は「おし、寝ようてぇ。山伏さん、また明日。」と寝床へ入って行った。
頼光はこれを見て、残された姫に近づき「わしらは鬼退治してあんたらを都に帰すために来たんじゃ。酒呑童子の寝床を教えてつかぁさい。」と言うと、姫は「まぁ~嬉しいのう!へじゃ案内しますけぇ、したくしんさい。」と答えた。六人は笈に入れてきた鎧兜などを素早く身に付け、討ち入りの準備を整えた。そして姫のあとに続き、童子の寝床へと急いだ。しかし童子の寝床は、巨大な鉄の扉で閉ざされており、とても入ることはできない。すきまから中をのぞくと、先ほどとはうってかわり、恐ろしい鬼の姿となった酒呑童子が寝ていた。身長は7mくらい、髪は赤く逆立ち、角が生え、手足は熊のようで、その姿は身の毛もよだつほどだった。そこへ、三社の神が現れ、六人に「よぅここまで来ちゃんさったのぅ。鬼の手足はわしらが鎖で縛っちゃったけ、よう動かんで。頼光は首を切りんさい。他のもんは胴体を切りまくりんさい。いたしゅぅないで。」と言って、鉄の扉を開いて消え失せた。頼光たちは神の加護に感謝しつつ、童子の寝床へと忍び込んだ。そして頼光は頭のほうに行き、刀をするりと抜いて「なまんだぶぅ三社の神さん、力を貸しちゃんさぃ~。」と三度礼をして、童子の首を一気に切り落とした。酒呑童子は目を覚まし、「何ゅぅするんなら~!ウソじゃぁなぁよったくせに、あんたらひきょうじゃのぉ!」と起き上がろうとしたが、手足は鎖で柱に繋がれているので、起きることができない。童子は怒り狂って大声で叫べば、その凄まじさは雷電稲妻、天地を揺るがすほどだった。他の五人は胴体を切り刻めば、首は高く舞い上がり、頼光めがけてただ一咬みと襲い掛かったが、三社の神の星兜のおかげで、頼光は傷一つ負う事はなかった。ついに酒呑童子は息絶え、六人は大庭へと出た。すると大勢の鬼がおり、その中で茨木童子が「大将をやりやがってからぁ~!」と襲い掛かってきた。綱がこれを見て「あんたぁどれほどのもんかよぅ知っとるで。今度こそ退治しちゃる!」と応戦した。しばらく互角に戦っていたが、ついに茨木童子が綱を押さえこんだ。頼光がこれを見て走りより、茨木童子の首をばっさりと切り落とした。そして六人は残った鬼たちをすべて討ち取った。
頼光は「よしゃ、こんだぁ姫さんを助けようで。」と捕らわれていた姫たちを連れ出し、都へ帰ろうとした。その時、辺りを見ると鬼たちに食われてしまった人間の骨が山となっていた。そしてその中に、手足を切り落とされた若い姫が、息も絶え絶えになっているのを見つけた。頼光が駆け寄るとそれが堀河中納言の娘で、「なんとまぁお姫さん、わしらは今鬼ゅぅみな退治して、都へ帰るとこなんじゃ。あんたも連れて帰っちゃるけぇ、もちぃとがんばりんさいよ。」と頼光が言うと姫は「そりゃぁ嬉しいことを言うてじゃの。へじゃがもうわたしゃぁダメじゃけぇ、形見に髪の毛を切って、両親に渡してつかぁさい。ちぃでに帰る前に、わたしにとどめをさしてつかぁさい。」と言った。頼光は「そりゃぁそうかもしれんが、へじゃ都へ帰ったら、すぐにも迎えをよこすけぇ、もちぃと待ちよりんさい。」と言い残し、一行は大江山を下った。ふもとの村で馬を調達し、姫たちを先に帰らせると、都では大騒ぎとなり、凱旋する頼光たちを迎えようと大勢の人が集まった。その中に池田中納言夫婦の姿もあり、ついに娘との再会を果たした。頼光は帝に鬼退治を報告すると、その褒美は限り無しだったと言う。これ以来、この国は平和が訪れ、いつまでも平安な世が続いたという。
大変長くなって申し訳ない。これでもかなり削ったのだが。注目すべき点はいくらでもあるが、中でも酒呑童子が、昼は人間の姿で、夜になると恐ろしい鬼の正体を現すという事。「童子」と言う名だけに、これは重要な点だと思うのだが、実際の神楽においてそういった演出をされているところは意外と少ない。安佐町の宮乃木神楽団が、立ち合いの寸前に面を変えるという事をされているが、非常に見事な演出で個人的にも好きな場面である。ついでにもう一つ言わせてもらうと、あの中川戸神楽団に、「スーパー神楽」として「大江山」を創作していただきたいと日頃から思っているのだが、中川戸さん、ファンのみなさん、いかがだろうか。
この物語は、頼光たちの武勇をメインにしつつ、神のご加護があってこそ、という印象も強調されている。この点は、この「大江山」に限ったことではなく、先に紹介した「葛城山」など、この時代に流行った物語に共通することである。この、「時代に流行った」もしくは「誰かが流行らせた」という観点から考えれば、このシリーズ最大のテーマである「なぜ、貴族風の生活をしていたはずの源頼光が、伝説の主役に仕立て上げられたのか」という事への一つの答えが見つかると思われる。さぁ、では次回はついに最終章。その謎に迫ろう。
(大森神楽団の写真提供:すな様)
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しばらくすると生臭い風が吹き、雷鳴稲妻がとどろき、人間の姿をした酒呑童子が現れた。童子は「こかぁごうぎな山なんで。あんたら人間じゃろうが。天をかけってきたんかいの。聞いちゃるけぇ語りんさい。」と言った。頼光は「わしらは山伏の修行をしよるんじゃが、道に迷うてからここまで来てしもうたんよ。これも何かの縁じゃけぇ、今晩泊めてつかぁさいや。わしら酒を持ってきとるけぇご馳走しますで。」と答えた。童子はこれを聞いて頼光たちを部屋の中まで招きいれ、「へじゃぁまず、うちかたの酒を飲んでみんさいや。」と言い、手下の鬼に酒を持ってこさせた。見ると、たった今搾ったとみられる人間の生き血であり、童子はそれを頼光に差し出した。頼光は盃(さかずき)を受け取ると、何でもないようにさらりと飲み干した。続いて綱もさらりと飲み干した。童子は「酒のつまみがありゃせんか?」と言い、手下の鬼が持ってきたものは、これも今切ったとみられる人間の腕と足であり、それがまな板の上に乗っていた。頼光はこれを見て、腰につけていた小刀をするりと抜き、肉を一口大に切り取ってうまそうに食べた。これを見た綱も「まぁつまみまでもろうて、ありがたいことじゃのう。いただきます。」と同じく切り取ってうまそうに食べた。童子はこれを見て「あんたらぁは同じ人間の肉を食うんかいの。いなげなやっちゃのぅ。」と怪しんだので、すかさず頼光は「そがぁに思うてのは、よぅわかりますで。わしらぁ山伏の教えは、人様からいただいたものは、嫌と言わずにありがたくいただくいうもんじゃけぇ。へじゃけぇ何ゅぅもろうてもうれしゅぅ思いますてぇね。」と言って童子に礼をした。すると童子はあわてて頼光に礼を返し、「ありゃぁ、ホンマは食いとぅないもんを、食べんさい言うて出したんは、ホンマにわりかったのぅや。」と反省した。その時、頼光は例の酒を取り出し、「こりゃぁ都から持ってきた酒なんじゃが、童子さんにも差し上げますわぁ。」と、まずは自分で毒見をし、童子にすすめた。童子は盃を受け取り、さらりと飲み干した。その味は甘露(かんろ)のようで、言葉では例えようもないものだった。童子は上機嫌になり「うちかたのべっぴんさんにも飲ませてあぎょうてぇ。」と池田中納言と花園中納言の娘を呼び出した。
そして童子はあまりの嬉しさに、自分の身の上話を始めた。
「わしゃぁの、越後の生まれで山寺育ちなんよ。じゃが坊さんとケンカしての、いっぴゃぁ坊さんを殺したんじゃ。へぇで比叡(ひえい)の山ぁ行って、こけぇ住もう思うたら、伝教(でんきょう)いう坊さんが来てわしを追い出しやがった。やれんけぇこの山へ来たんじゃが、こんだぁ弘法大師いうパ~プ~に追い出された。へじゃけいっぺん高野山に行ったんじゃが、今はもう邪魔なんがおらんけぇ、こけぇ住み着いてからにぜいたくしよるんよ。都からべっぴんさんをさろぅたりのぅ、こげなごうぎな御殿を建てたりのぅ、ホンマ他にこがぁなぜいたくしよるやつぁおらんで。ただのぅ、一つやれんのは、都で有名な頼光いうぶちわりぃやつがおるんじゃわ。こいつは日本一つぇえんじゃ。ほいから頼光の部下に、定光・末武・公時・綱・保昌いうんがおって、こいつらもつぇえんじゃ。この六人だきゃぁの、ホンマ油断ならんで。どがぁなか言うたらの、こなぁだの春ん時に、わしの部下の茨木童子いうんを、都へ行ってこさぁた時に、あの綱と出おぅたんじゃわ。茨木童子が女に化けてからに、よ~にだまして、ひっつかまえたところを、綱のやつが片腕を切り落としやがった。ほじゃけわしゃ~よぅよぅ考えてから、腕を取り返して、今はもうせやなぃんで。あいつらがむかつくけぇ、わしゃ最近都へよぅ行かんのんよ。」
そう語ると、酒呑童子は頼光をじぃ~っとにらんで、「あんたらぁはいなげなのぅ。よう見りゃ、あんたは頼光じゃないかぁ!?その隣ゃぁ、茨木童子の腕を切りやがった綱じゃろうて。残る四人は定光・末武・公時・保昌じゃろうが、げにあがぁで。おい、手下の野郎ども、油断すなよ!しばいちゃろうでぇ~!」と叫び、立ち上がった。頼光はこれを見て、ここで見抜かれては大変と思い、少しも慌てず騒がず、からからと笑い飛ばした。「まぁ~、うれしぃ事を言いんさるのぅ。日本一つぇえやつに、山伏が似とりんさるか。その頼光いうぶにも、末武とかいうぶんも、いま初めて聞いたぁや。げに、そがんわりぃやつなら、はよぅわしらを食うちゃんさい。わしらぁは今童子さんに酒をもろうたりして情けをかけてもろうた。一つも命が惜しいとは思わんけ、どうぞどうぞ。」と顔色一つ変えずに言ってのけると、童子はすぐさま気を取り直し、「まぁそげなことを言うてか。よう考えたら、あいつらぁがここまではよぅ来んじゃろぅの。酒に酔うてしもうたけぇ、ついつい・・・。いやぁ、ホンマに酔うたわ。赤ぅなっとるんは酒のせぃじゃけ、鬼じゃなぁんで。」と言ってすっかり気を許した。そして周りの鬼たちにも酒を飲ませ、ついに鬼たちはみな酔いつぶれてしまった。童子は「おし、寝ようてぇ。山伏さん、また明日。」と寝床へ入って行った。
頼光はこれを見て、残された姫に近づき「わしらは鬼退治してあんたらを都に帰すために来たんじゃ。酒呑童子の寝床を教えてつかぁさい。」と言うと、姫は「まぁ~嬉しいのう!へじゃ案内しますけぇ、したくしんさい。」と答えた。六人は笈に入れてきた鎧兜などを素早く身に付け、討ち入りの準備を整えた。そして姫のあとに続き、童子の寝床へと急いだ。しかし童子の寝床は、巨大な鉄の扉で閉ざされており、とても入ることはできない。すきまから中をのぞくと、先ほどとはうってかわり、恐ろしい鬼の姿となった酒呑童子が寝ていた。身長は7mくらい、髪は赤く逆立ち、角が生え、手足は熊のようで、その姿は身の毛もよだつほどだった。そこへ、三社の神が現れ、六人に「よぅここまで来ちゃんさったのぅ。鬼の手足はわしらが鎖で縛っちゃったけ、よう動かんで。頼光は首を切りんさい。他のもんは胴体を切りまくりんさい。いたしゅぅないで。」と言って、鉄の扉を開いて消え失せた。頼光たちは神の加護に感謝しつつ、童子の寝床へと忍び込んだ。そして頼光は頭のほうに行き、刀をするりと抜いて「なまんだぶぅ三社の神さん、力を貸しちゃんさぃ~。」と三度礼をして、童子の首を一気に切り落とした。酒呑童子は目を覚まし、「何ゅぅするんなら~!ウソじゃぁなぁよったくせに、あんたらひきょうじゃのぉ!」と起き上がろうとしたが、手足は鎖で柱に繋がれているので、起きることができない。童子は怒り狂って大声で叫べば、その凄まじさは雷電稲妻、天地を揺るがすほどだった。他の五人は胴体を切り刻めば、首は高く舞い上がり、頼光めがけてただ一咬みと襲い掛かったが、三社の神の星兜のおかげで、頼光は傷一つ負う事はなかった。ついに酒呑童子は息絶え、六人は大庭へと出た。すると大勢の鬼がおり、その中で茨木童子が「大将をやりやがってからぁ~!」と襲い掛かってきた。綱がこれを見て「あんたぁどれほどのもんかよぅ知っとるで。今度こそ退治しちゃる!」と応戦した。しばらく互角に戦っていたが、ついに茨木童子が綱を押さえこんだ。頼光がこれを見て走りより、茨木童子の首をばっさりと切り落とした。そして六人は残った鬼たちをすべて討ち取った。
頼光は「よしゃ、こんだぁ姫さんを助けようで。」と捕らわれていた姫たちを連れ出し、都へ帰ろうとした。その時、辺りを見ると鬼たちに食われてしまった人間の骨が山となっていた。そしてその中に、手足を切り落とされた若い姫が、息も絶え絶えになっているのを見つけた。頼光が駆け寄るとそれが堀河中納言の娘で、「なんとまぁお姫さん、わしらは今鬼ゅぅみな退治して、都へ帰るとこなんじゃ。あんたも連れて帰っちゃるけぇ、もちぃとがんばりんさいよ。」と頼光が言うと姫は「そりゃぁ嬉しいことを言うてじゃの。へじゃがもうわたしゃぁダメじゃけぇ、形見に髪の毛を切って、両親に渡してつかぁさい。ちぃでに帰る前に、わたしにとどめをさしてつかぁさい。」と言った。頼光は「そりゃぁそうかもしれんが、へじゃ都へ帰ったら、すぐにも迎えをよこすけぇ、もちぃと待ちよりんさい。」と言い残し、一行は大江山を下った。ふもとの村で馬を調達し、姫たちを先に帰らせると、都では大騒ぎとなり、凱旋する頼光たちを迎えようと大勢の人が集まった。その中に池田中納言夫婦の姿もあり、ついに娘との再会を果たした。頼光は帝に鬼退治を報告すると、その褒美は限り無しだったと言う。これ以来、この国は平和が訪れ、いつまでも平安な世が続いたという。
大変長くなって申し訳ない。これでもかなり削ったのだが。注目すべき点はいくらでもあるが、中でも酒呑童子が、昼は人間の姿で、夜になると恐ろしい鬼の正体を現すという事。「童子」と言う名だけに、これは重要な点だと思うのだが、実際の神楽においてそういった演出をされているところは意外と少ない。安佐町の宮乃木神楽団が、立ち合いの寸前に面を変えるという事をされているが、非常に見事な演出で個人的にも好きな場面である。ついでにもう一つ言わせてもらうと、あの中川戸神楽団に、「スーパー神楽」として「大江山」を創作していただきたいと日頃から思っているのだが、中川戸さん、ファンのみなさん、いかがだろうか。
この物語は、頼光たちの武勇をメインにしつつ、神のご加護があってこそ、という印象も強調されている。この点は、この「大江山」に限ったことではなく、先に紹介した「葛城山」など、この時代に流行った物語に共通することである。この、「時代に流行った」もしくは「誰かが流行らせた」という観点から考えれば、このシリーズ最大のテーマである「なぜ、貴族風の生活をしていたはずの源頼光が、伝説の主役に仕立て上げられたのか」という事への一つの答えが見つかると思われる。さぁ、では次回はついに最終章。その謎に迫ろう。
(大森神楽団の写真提供:すな様)
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2006,08,28 Mon 00:00
新着コメント
A・Iさん、コメントありがとうございます。
こんなにたくさんの感想を書いていただいて、本当に嬉しいです!
3歳の頃のエピソード、とても微笑ましいですねぇ~☆
この物語は、御伽草子を元にして書いたんですが、あのお姫様はそれっきり登場しなかったんですよ^^;
ですから、ボクにもどうなったかわかりません(笑)
ホント、気になりますよね!
広島弁のセリフ、楽しんでいただけたでしょうか。
できればまた新シリーズを書いてみたいんですけど、何しろ手間隙かかるもので…^^;
またコメントお願いします☆
こんなにたくさんの感想を書いていただいて、本当に嬉しいです!
3歳の頃のエピソード、とても微笑ましいですねぇ~☆
この物語は、御伽草子を元にして書いたんですが、あのお姫様はそれっきり登場しなかったんですよ^^;
ですから、ボクにもどうなったかわかりません(笑)
ホント、気になりますよね!
広島弁のセリフ、楽しんでいただけたでしょうか。
できればまた新シリーズを書いてみたいんですけど、何しろ手間隙かかるもので…^^;
またコメントお願いします☆
| 特派員 | EMAIL | URL | 07/03/29 18:29 | BFfnvy1Y |
ちょっとだけ・・・とのぞいてみたらついつい全部読んじゃいました!!
古いのに書き込んじゃってごめんなさ~い(;^-^)人
「大江山」ってそういう物語だったんですね。
昼間は人間の姿なんて知らんかった(@o@;)なんと恐ろしい。
父が現役の頃、酒呑童子を舞っていましたが、幼少の頃うちの父は本当に鬼なんだと思っていました(^^;)
ここを読んだ瞬間つい思い出してしまいました。
うちの知っとる父は・・・
日中の顔は人間で、秋ごろは夜になれば赤い鬼になる!!!
最後に首を切られるとき、
「お父さんの首を切るなぁ!死んでしまうだろうがぁ!!殺すなぁ~!!!」
って3歳の頃、大泣きして大暴れしたことを今でもはっきり覚えています。(笑)
どうでもいいけど、うちのなかでは鬼は綺麗な人をさらうイメージがありました。
といってもただ単純に、さらわれる姫はどこも綺麗だからってだけでしょうけどね・・・。
「そんならうちは鬼にさらわれることはないけぇ大丈夫じゃわぁ」って思っとりました。
童子が頼光様たちに、生き血や人の肉を差し出したなんて!!!
頼光様はすげぇ(ノ◎o◎)ノ
見破られそうになっても交わすところも、さすが頼光様だわ☆
童子も身の上話をしたり、わりとあっさり信用して寝たりとかなんか、「こいつもしかしたら良い奴?話せば分かる奴?」って少し見方しそうになってしまいました。
たぶん広島弁なところが親近感わいてそう思ったんでしょうね!!
赤ぅなっとるんは酒のせぃじゃけ、鬼じゃなぁんでってところとか(他にもあるけど)、やっぱり三谷さんの大江山を思い出してしまいます。
そしてあの姫さんは助かったんでしょうか!?それが少しだけ気になる。(。_。;)
神楽ではすっごい戦いをしよったのに、そんなことがおきとったとはこれまた衝撃!!
宮乃木さんのも見たくなりましたぁ☆
最近このシリーズ更新されてないようですが、もうせんのんですかぁ?
古いのに書き込んじゃってごめんなさ~い(;^-^)人
「大江山」ってそういう物語だったんですね。
昼間は人間の姿なんて知らんかった(@o@;)なんと恐ろしい。
父が現役の頃、酒呑童子を舞っていましたが、幼少の頃うちの父は本当に鬼なんだと思っていました(^^;)
ここを読んだ瞬間つい思い出してしまいました。
うちの知っとる父は・・・
日中の顔は人間で、秋ごろは夜になれば赤い鬼になる!!!
最後に首を切られるとき、
「お父さんの首を切るなぁ!死んでしまうだろうがぁ!!殺すなぁ~!!!」
って3歳の頃、大泣きして大暴れしたことを今でもはっきり覚えています。(笑)
どうでもいいけど、うちのなかでは鬼は綺麗な人をさらうイメージがありました。
といってもただ単純に、さらわれる姫はどこも綺麗だからってだけでしょうけどね・・・。
「そんならうちは鬼にさらわれることはないけぇ大丈夫じゃわぁ」って思っとりました。
童子が頼光様たちに、生き血や人の肉を差し出したなんて!!!
頼光様はすげぇ(ノ◎o◎)ノ
見破られそうになっても交わすところも、さすが頼光様だわ☆
童子も身の上話をしたり、わりとあっさり信用して寝たりとかなんか、「こいつもしかしたら良い奴?話せば分かる奴?」って少し見方しそうになってしまいました。
たぶん広島弁なところが親近感わいてそう思ったんでしょうね!!
赤ぅなっとるんは酒のせぃじゃけ、鬼じゃなぁんでってところとか(他にもあるけど)、やっぱり三谷さんの大江山を思い出してしまいます。
そしてあの姫さんは助かったんでしょうか!?それが少しだけ気になる。(。_。;)
神楽ではすっごい戦いをしよったのに、そんなことがおきとったとはこれまた衝撃!!
宮乃木さんのも見たくなりましたぁ☆
最近このシリーズ更新されてないようですが、もうせんのんですかぁ?
| A・I | EMAIL | URL | 07/03/29 15:24 | 0dchuV.g |