まずはじめに、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)について調べてみよう。生没年は958~1036年で、弟の保輔(やすすけ)はなんと名高い盗賊だった。摂津の国の平井という地に住んだので、平井氏と名乗った。頼光と同じく、武勇に優れた人物として広く知られていたようだ。四天王は頼光の部下だが、保昌は頼光と同じ位まで出世した人物なので、部下ではなく同僚のような感じとイメージしたほうが良いだろう。
それでは、「大江山の酒呑童子退治」の物語を「御伽草子」より紹介する。そのままを訳したものを掲載すると、とてつもなく長くなるので、そのあたりは読みやすいように編集したのでご了承いただきたい。
昔、丹波の国大江山に鬼神が住み、日が暮れると大勢の人をさらっていた。都においては、17~18歳の若い女を中心にして、数多くの者がさらわれていた。中でも大富豪である池田中納言くにたかの娘が行方不明になったときには、朝廷内でも大騒ぎになった。中納言はあまりの悲しさに、村岡のまさときという、名高い陰陽師に占ってもらうことにした。陰陽師を前にして泣きながら「わしのたった一人の娘が、ゆうべどこ行ったんかわからんよぅになったんよ。今年でまだ十三歳なのに・・・。もしどけぇおるか占ってくれりゃぁ、なんぼでも銭(ぜに)あげるけぇ、なんとかしてくだしゃぁ。」と言った。もちろん陰陽師は名人なので、さっそく巻物を取り出し、姫の所在を占った。そして「あんたの娘さんをさらったんは、丹波の国の大江山におる、鬼の仕業じゃぁ。今のところ命に別状はなぁみたいじゃの。」などと、まるで見てきたかのように占った。中納言はこれを聞いて、急ぎ朝廷へ報告した。
これを受けて内裏(だいり)では、帝をはじめ公卿、大臣が集まって、話し合いとなった。その中で関白が進み出て「前にもこれとおんなじような事件があったらしぃんじゃが、そんときゃ弘法大師さんに頼んで、わりぃやつを封じ込めてもろうたんだげな。ほじゃけ、このたびゃぁ、源頼光を呼んで鬼退治せぇと言うてみようや。そうすりゃ定光・末武・綱・公時・保昌らが加わるじゃろうて。こいつらぁはぶちつぇえけぇ、鬼も恐れてよう手を出さんいぅらしぇけぇの。あがぁしょうやぁ。」と提案した。さっそくそれで意見がまとまり、帝は源頼光を呼び寄せた。頼光は突然の帝の招集に、何事かと急ぎ内裏(だいり)へと参上した。すると帝は、「いかに頼光、よぅ聞きんさい。丹波の国大江山に鬼が住んで、わりぃことをするんじゃ。この国はわしのもんじゃけぇ、どこにも鬼が住むとこはないはずで。それも都からこげな近くにおってから、人を悩ますじゃことの、ほんまに。しばいちゃりんさい。」と勅命を出した。
頼光はこの仰せ(おおせ)に、大役を任された喜びもさることながら、鬼神は変化自在の者であるので、退治しようと近づけば塵(ちり)や木の葉へと姿を変えてしまい、人の目で見つけることは難しくなる。がしかし、勅命に背く事はできない。などあれこれ考え、急ぎ館に帰った。そして四天王たちを集め、「わしらぁだけじゃ、とてもじゃないが勝てんわ。神様仏様にお祈りゅぅしてからに、神さんの力を頼もうや。そうするんが一番えかろう。」と言った。そして頼光と保昌は八幡へ、綱と公時は住吉へ、定光と末武は熊野へ、それぞれ参拝した。そして一同は再び館へ集まり、作戦を練った。頼光が「こりゃぁ、人が多けりゃえぇいうもんじゃないよの。わしら六人が山伏に変装してから、道に迷うたふりゅぅして、丹波の鬼ヶ城(おにがじょう)へ行って、うまいしこ鬼をだましちゃりゃぁ、退治するなぁみやすかろうて。みなそれぞれ笈(おい)をこしらぁて、兜やら武器やら入れて持ってこうやぁ。どがなや?」と言うと、「あがしょ!」と、みな笈を作り始めた。それぞれその中に鎧や兜、刀などを仕込み、酒を持ち、小刀、頭巾(ずきん)、鈴懸(すずかけ)、ほら貝、金剛杖を身につけ、丹波の国へと向かった。この六人の様子は、いかなる悪鬼でさえも恐れるように思えた。
ここで少し休憩。「池田中納言くにたか」や「村岡のまさとき」など原文で漢字を使われてないものがあるのだが、下手にこちらで漢字を使わず、あえてひらがなで記載させていただく事にした。また伝説によっては、陰陽師はあの安部晴明が登場するが、この御伽草子では晴明は出てこない。他にも名だたる陰陽師がいて、その話も興味深いが、ここでは省略する。
急げば程もなく、六人は丹波の国大江山のふもとに着いた。すると里人がいたので、頼光が「ちぃと聞いてみるんじゃが、ここらで千丈ケ岳言うたらどこですかいの?鬼の岩屋に行きたいんじゃが。」と尋ねた。里人は「この峰(みね)をず~っと奥へはぁてっての、もひとつ谷と峰を越えりゃぁ、鬼の住処(すみか)じゃ言うて、人間はそっから先ゃぁ行けれんのんよ。」と語った。頼光たちはこれを聞いて、山奥へと入っていき、谷を越えて峰を越えて登っていくと、大きな岩穴を見つけた。その中に小屋があり、翁(おきな)が三人いた。頼光は少し警戒し、「あんたらぁは、なしてこがぁなとけぇおるんかいの?」と聞くと、「わしらぁは決していなげなもんじゃなぁで。この山の酒呑童子に嫁さんや子供をとられてから、どがぁぞしちゃろう思うてここまで来たんじゃわ。あんたらぁよぅ見りゃぁ、普通の人じゃなぁのぅ。たぁてぇ、酒呑童子を退治せぇ言うて勅命を受けた人じゃろうて。ほいじゃぁ、わしらがこっから道案内しましょうてぇ。まぁその前にちぃと休みんさい。」と言った。
頼光たちは気を許し、笈を下ろして休むことにした。都から持ってきた酒を三人の翁にすすめると、翁が言うに「おぉ、この山の鬼神いうなぁ、ぶち酒が好きなんよ。へじゃけ酒呑童子いうて呼ばれるんじゃ。わしらはおかしげな酒を持っとって、神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)いうんよ。こりゃ鬼が飲みゃぁ力が出せんようになるんじゃが、あんたらが飲めばかえって薬になるんよ。」そして星兜(ほしかぶと)を取り出し「あんたはこれをかぶって、鬼の首を切りんさい。」と頼光に渡した。六人はこれを見て、さては三社の使いか、なんとありがたい・・・と思っていると、翁たちが立ち上がり「おしゃ、行こうでぇ。」と道案内を始めた。それに従ってさらに山奥へ入り、暗い岩穴をいくつもくぐり抜けると、細い川にたどり着いた。翁が「この川をず~っと上って行きんさい。そしたら若い娘さんがおってじゃけぇ、あとはその人に詳しゅぅ聞きんさいや。鬼をやっちゃるその時は、わしらも手伝うけぇ。住吉、八幡、熊野の神がここらまできたでぇ~。」と言ってかき消すように消えてしまった。
六人は翁たちがいたところを深く拝み、教えに従って川を上っていくと、言葉どおり若い娘に出会った。頼光が「あんたぁ誰かいの?」と聞くと、「わたしゃぁ都の者なんじゃけど、ある夜に鬼につかまって、こげなとこまでさらわれたんじゃ。ここらは鬼の岩屋じゃ言うて、人間が来れるわきゃぁなぁ。あんたらどがんしてこけぇ来たんかいの?どがぁぞしてわたしゅぅ都まで帰しちゃんさい。」とさめざめと泣きながら答えた。そこで頼光が「あんたぁどこの子かいの?」と聞くと、「わたしゃぁ花園中納言の一人娘なんよ。他にも若いんが十何人さらわれとる。堀河中納言の娘さんが、今朝血ぅしぼられてからに、それで血染めの服を洗ようるんじゃ。」とまたさめざめと泣いた。頼光は「わしらは鬼ゅぅ退治してからに、あんたらを都に帰しちゃろう思うてここまで来たんよ。鬼の住処をよぅよぅ教えちゃんさい。」と言うと姫は大喜びで「この川をず~っと上っていきゃぁ、鉄の門があって鬼が番をしよるわ。へぇで中にはぁたら、ごうぎな御殿が建っとるけぇ。姫さんがおる牢屋の前には、ほしくま童子、くま童子、とらくま童子、かね童子いう、鬼の四天王がおって番をしよるんじゃ。こいつらぶちつぇえらしいで。へぇで酒呑童子いうなぁ、色があこぅて背がたこぅて、昼は人の姿なんじゃが、夜になったらぶちいびせぇ鬼になるんよ。こいつぁぶち酒が好きで、酔うて寝たらなんも覚えとらんらしいで。へじゃけあんたら、童子をだましてから酒を飲ませて、酔うて寝たところをやっちゃりんさい。あんたらならできようて。」と言った。
非常に興味深い物語だが、中でも注目したいのは、三人の翁、姫との出会いによって、ようやく鬼の住処へとたどり着くという事。これはつまり、文中にあるように、人間の力では鬼の世界に入ることすらできない、という意味である。この部分も詳しく見ていきたいのだが、そうするとかなり難しい話にもなるので、省略する。神楽団の中では翁(三社の使い)や姫に逢わずに、すんなりと岩屋にたどり着くようにしておられるところもある。上演時間の都合上、やむなく省略されたのだと思うが、この「人の世界と鬼の世界は別の次元」という概念は、神楽においても非常に重要なものであると考えられる。ファンのみなさんにもぜひ注目して見ていただきたい。とうことで「大江山」の前半部分を紹介した。続きはまた来週!
(大森神楽団の写真提供:すな様)
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それでは、「大江山の酒呑童子退治」の物語を「御伽草子」より紹介する。そのままを訳したものを掲載すると、とてつもなく長くなるので、そのあたりは読みやすいように編集したのでご了承いただきたい。
昔、丹波の国大江山に鬼神が住み、日が暮れると大勢の人をさらっていた。都においては、17~18歳の若い女を中心にして、数多くの者がさらわれていた。中でも大富豪である池田中納言くにたかの娘が行方不明になったときには、朝廷内でも大騒ぎになった。中納言はあまりの悲しさに、村岡のまさときという、名高い陰陽師に占ってもらうことにした。陰陽師を前にして泣きながら「わしのたった一人の娘が、ゆうべどこ行ったんかわからんよぅになったんよ。今年でまだ十三歳なのに・・・。もしどけぇおるか占ってくれりゃぁ、なんぼでも銭(ぜに)あげるけぇ、なんとかしてくだしゃぁ。」と言った。もちろん陰陽師は名人なので、さっそく巻物を取り出し、姫の所在を占った。そして「あんたの娘さんをさらったんは、丹波の国の大江山におる、鬼の仕業じゃぁ。今のところ命に別状はなぁみたいじゃの。」などと、まるで見てきたかのように占った。中納言はこれを聞いて、急ぎ朝廷へ報告した。
これを受けて内裏(だいり)では、帝をはじめ公卿、大臣が集まって、話し合いとなった。その中で関白が進み出て「前にもこれとおんなじような事件があったらしぃんじゃが、そんときゃ弘法大師さんに頼んで、わりぃやつを封じ込めてもろうたんだげな。ほじゃけ、このたびゃぁ、源頼光を呼んで鬼退治せぇと言うてみようや。そうすりゃ定光・末武・綱・公時・保昌らが加わるじゃろうて。こいつらぁはぶちつぇえけぇ、鬼も恐れてよう手を出さんいぅらしぇけぇの。あがぁしょうやぁ。」と提案した。さっそくそれで意見がまとまり、帝は源頼光を呼び寄せた。頼光は突然の帝の招集に、何事かと急ぎ内裏(だいり)へと参上した。すると帝は、「いかに頼光、よぅ聞きんさい。丹波の国大江山に鬼が住んで、わりぃことをするんじゃ。この国はわしのもんじゃけぇ、どこにも鬼が住むとこはないはずで。それも都からこげな近くにおってから、人を悩ますじゃことの、ほんまに。しばいちゃりんさい。」と勅命を出した。
頼光はこの仰せ(おおせ)に、大役を任された喜びもさることながら、鬼神は変化自在の者であるので、退治しようと近づけば塵(ちり)や木の葉へと姿を変えてしまい、人の目で見つけることは難しくなる。がしかし、勅命に背く事はできない。などあれこれ考え、急ぎ館に帰った。そして四天王たちを集め、「わしらぁだけじゃ、とてもじゃないが勝てんわ。神様仏様にお祈りゅぅしてからに、神さんの力を頼もうや。そうするんが一番えかろう。」と言った。そして頼光と保昌は八幡へ、綱と公時は住吉へ、定光と末武は熊野へ、それぞれ参拝した。そして一同は再び館へ集まり、作戦を練った。頼光が「こりゃぁ、人が多けりゃえぇいうもんじゃないよの。わしら六人が山伏に変装してから、道に迷うたふりゅぅして、丹波の鬼ヶ城(おにがじょう)へ行って、うまいしこ鬼をだましちゃりゃぁ、退治するなぁみやすかろうて。みなそれぞれ笈(おい)をこしらぁて、兜やら武器やら入れて持ってこうやぁ。どがなや?」と言うと、「あがしょ!」と、みな笈を作り始めた。それぞれその中に鎧や兜、刀などを仕込み、酒を持ち、小刀、頭巾(ずきん)、鈴懸(すずかけ)、ほら貝、金剛杖を身につけ、丹波の国へと向かった。この六人の様子は、いかなる悪鬼でさえも恐れるように思えた。
ここで少し休憩。「池田中納言くにたか」や「村岡のまさとき」など原文で漢字を使われてないものがあるのだが、下手にこちらで漢字を使わず、あえてひらがなで記載させていただく事にした。また伝説によっては、陰陽師はあの安部晴明が登場するが、この御伽草子では晴明は出てこない。他にも名だたる陰陽師がいて、その話も興味深いが、ここでは省略する。
急げば程もなく、六人は丹波の国大江山のふもとに着いた。すると里人がいたので、頼光が「ちぃと聞いてみるんじゃが、ここらで千丈ケ岳言うたらどこですかいの?鬼の岩屋に行きたいんじゃが。」と尋ねた。里人は「この峰(みね)をず~っと奥へはぁてっての、もひとつ谷と峰を越えりゃぁ、鬼の住処(すみか)じゃ言うて、人間はそっから先ゃぁ行けれんのんよ。」と語った。頼光たちはこれを聞いて、山奥へと入っていき、谷を越えて峰を越えて登っていくと、大きな岩穴を見つけた。その中に小屋があり、翁(おきな)が三人いた。頼光は少し警戒し、「あんたらぁは、なしてこがぁなとけぇおるんかいの?」と聞くと、「わしらぁは決していなげなもんじゃなぁで。この山の酒呑童子に嫁さんや子供をとられてから、どがぁぞしちゃろう思うてここまで来たんじゃわ。あんたらぁよぅ見りゃぁ、普通の人じゃなぁのぅ。たぁてぇ、酒呑童子を退治せぇ言うて勅命を受けた人じゃろうて。ほいじゃぁ、わしらがこっから道案内しましょうてぇ。まぁその前にちぃと休みんさい。」と言った。
頼光たちは気を許し、笈を下ろして休むことにした。都から持ってきた酒を三人の翁にすすめると、翁が言うに「おぉ、この山の鬼神いうなぁ、ぶち酒が好きなんよ。へじゃけ酒呑童子いうて呼ばれるんじゃ。わしらはおかしげな酒を持っとって、神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)いうんよ。こりゃ鬼が飲みゃぁ力が出せんようになるんじゃが、あんたらが飲めばかえって薬になるんよ。」そして星兜(ほしかぶと)を取り出し「あんたはこれをかぶって、鬼の首を切りんさい。」と頼光に渡した。六人はこれを見て、さては三社の使いか、なんとありがたい・・・と思っていると、翁たちが立ち上がり「おしゃ、行こうでぇ。」と道案内を始めた。それに従ってさらに山奥へ入り、暗い岩穴をいくつもくぐり抜けると、細い川にたどり着いた。翁が「この川をず~っと上って行きんさい。そしたら若い娘さんがおってじゃけぇ、あとはその人に詳しゅぅ聞きんさいや。鬼をやっちゃるその時は、わしらも手伝うけぇ。住吉、八幡、熊野の神がここらまできたでぇ~。」と言ってかき消すように消えてしまった。
六人は翁たちがいたところを深く拝み、教えに従って川を上っていくと、言葉どおり若い娘に出会った。頼光が「あんたぁ誰かいの?」と聞くと、「わたしゃぁ都の者なんじゃけど、ある夜に鬼につかまって、こげなとこまでさらわれたんじゃ。ここらは鬼の岩屋じゃ言うて、人間が来れるわきゃぁなぁ。あんたらどがんしてこけぇ来たんかいの?どがぁぞしてわたしゅぅ都まで帰しちゃんさい。」とさめざめと泣きながら答えた。そこで頼光が「あんたぁどこの子かいの?」と聞くと、「わたしゃぁ花園中納言の一人娘なんよ。他にも若いんが十何人さらわれとる。堀河中納言の娘さんが、今朝血ぅしぼられてからに、それで血染めの服を洗ようるんじゃ。」とまたさめざめと泣いた。頼光は「わしらは鬼ゅぅ退治してからに、あんたらを都に帰しちゃろう思うてここまで来たんよ。鬼の住処をよぅよぅ教えちゃんさい。」と言うと姫は大喜びで「この川をず~っと上っていきゃぁ、鉄の門があって鬼が番をしよるわ。へぇで中にはぁたら、ごうぎな御殿が建っとるけぇ。姫さんがおる牢屋の前には、ほしくま童子、くま童子、とらくま童子、かね童子いう、鬼の四天王がおって番をしよるんじゃ。こいつらぶちつぇえらしいで。へぇで酒呑童子いうなぁ、色があこぅて背がたこぅて、昼は人の姿なんじゃが、夜になったらぶちいびせぇ鬼になるんよ。こいつぁぶち酒が好きで、酔うて寝たらなんも覚えとらんらしいで。へじゃけあんたら、童子をだましてから酒を飲ませて、酔うて寝たところをやっちゃりんさい。あんたらならできようて。」と言った。
非常に興味深い物語だが、中でも注目したいのは、三人の翁、姫との出会いによって、ようやく鬼の住処へとたどり着くという事。これはつまり、文中にあるように、人間の力では鬼の世界に入ることすらできない、という意味である。この部分も詳しく見ていきたいのだが、そうするとかなり難しい話にもなるので、省略する。神楽団の中では翁(三社の使い)や姫に逢わずに、すんなりと岩屋にたどり着くようにしておられるところもある。上演時間の都合上、やむなく省略されたのだと思うが、この「人の世界と鬼の世界は別の次元」という概念は、神楽においても非常に重要なものであると考えられる。ファンのみなさんにもぜひ注目して見ていただきたい。とうことで「大江山」の前半部分を紹介した。続きはまた来週!
(大森神楽団の写真提供:すな様)
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2006,08,24 Thu 00:00
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広島神楽芸術研究所では、新しく特派員をしてくださる方を募集します。特派員というのは、神楽大会やイベントを視察し、写真を撮ったり、記事を書いたり、それらをパソコンを使って、ブログに投稿するなどが主な仕事です。募集人数は若干名です。特に応募資格はありませんが、とにかく神楽の大好きな方なら大歓迎です。特派員をやってみたい!という方は、お名前・年齢・住所・連絡先と、一言抱負を書いて、monde@npo-hiroshima.jpまでご連絡ください。
(例)
神楽 太郎(かぐら たろう)
25歳
広島県山県郡北広島町新庄
1234-56-7890(携帯でも可)
記事を書いたり写真を撮ったりはあまり経験がありませんが、何よりも神楽が好きなのでがんばります!
ご応募お待ちしております。
(例)
神楽 太郎(かぐら たろう)
25歳
広島県山県郡北広島町新庄
1234-56-7890(携帯でも可)
記事を書いたり写真を撮ったりはあまり経験がありませんが、何よりも神楽が好きなのでがんばります!
ご応募お待ちしております。
2006,08,23 Wed 20:02
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広島・島根交流神楽公演ということで、今月から新しく開催されることになった「月一の舞」。その記念すべき第一回は、北広島町内から山王神楽団、北広島町以外の県内から宮乃木神楽団、そして島根県からは江津市の都治神楽社中の3団体の上演がありました。
まずは山王神楽団「羅生門」。見せ場たっぷりの演目ですが、一番はやはり酒呑童子の化身ではないでしょうか。個人的に好きなのは、綱の館を訪ねる場面。綱のセリフに悲しんだり、悔しがったり、喜んだりする化身の感情をうまく表現されてて、非常に見応えがあると思います。あと細かいところですが、頼光が持っている御幣が二つあること。前半は白のみの御幣ですが、八幡のお告げを受けて参上する後半では、紫の入った少し豪華(?)な御幣を持って登場します。こういう変化にも注目すると、より一層神楽が楽しめると思います。
次は宮乃木神楽団「滝夜叉姫」。これは一番初めの五月姫が妖術を授かる場面、ここがとても印象的です。貴船の荒御霊からのお告げが聞こえてくると、五月姫の演技、楽の調子、照明やドライアイスなどの演出によって、一気に全体が不気味な雰囲気に包まれるんですが、さらに追い討ちをかけるように滝夜叉姫へと変貌するところ、ここは本当に素晴らしい場面に仕上がっていると思います。また、立ち合いでは、緊迫した雰囲気やスピード感溢れる舞で、思わず見入ってしまいました。
最後は都治神楽社中「大蛇」(ビデオ配信しています)。やっぱり石見神楽の大蛇はすごいなぁ、という感想を抱かずにはいられないほどの舞でした。なんといっても大蛇の迫力!大きい蛇、ではなく、怪物としての「大蛇」という感じで、今にも客席に降りてきて、お客さんを呑んでしまうかのような、本当にすごい迫力があったと思います。舞手の呼吸もピッタリで、息つく暇もないほどの見せ場の連続でした。立ち合いでは次から次へと口から火を吐き、スサノオがやられてしまうのではないかと思わせるほどの暴れっぷりでした。
全体を通して感じたことは、やはりいい神楽にはいい奏楽が不可欠ということ。今回の三団体のみなさんはどこも奏楽がとてもよかったです。客席からも「うまいうまい!」と声が飛んだりしていましたが、ホントにその通りだと思います。迫力ある太鼓と掛け声、リズムに乗って気持ちよさそうに笛を吹かれている方など、舞だけ見るのはもったいないくらいでした。
上演終了後は、「大蛇と一緒に写真を撮ろう!」というミニイベントもあり、たくさんのお客さんに最後の最後まで楽しんでもらえたようです。次回の「長月の舞」は9月24日です。今回よりもっとたくさんの方に来て頂きたいと思います。
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まずは山王神楽団「羅生門」。見せ場たっぷりの演目ですが、一番はやはり酒呑童子の化身ではないでしょうか。個人的に好きなのは、綱の館を訪ねる場面。綱のセリフに悲しんだり、悔しがったり、喜んだりする化身の感情をうまく表現されてて、非常に見応えがあると思います。あと細かいところですが、頼光が持っている御幣が二つあること。前半は白のみの御幣ですが、八幡のお告げを受けて参上する後半では、紫の入った少し豪華(?)な御幣を持って登場します。こういう変化にも注目すると、より一層神楽が楽しめると思います。
次は宮乃木神楽団「滝夜叉姫」。これは一番初めの五月姫が妖術を授かる場面、ここがとても印象的です。貴船の荒御霊からのお告げが聞こえてくると、五月姫の演技、楽の調子、照明やドライアイスなどの演出によって、一気に全体が不気味な雰囲気に包まれるんですが、さらに追い討ちをかけるように滝夜叉姫へと変貌するところ、ここは本当に素晴らしい場面に仕上がっていると思います。また、立ち合いでは、緊迫した雰囲気やスピード感溢れる舞で、思わず見入ってしまいました。
最後は都治神楽社中「大蛇」(ビデオ配信しています)。やっぱり石見神楽の大蛇はすごいなぁ、という感想を抱かずにはいられないほどの舞でした。なんといっても大蛇の迫力!大きい蛇、ではなく、怪物としての「大蛇」という感じで、今にも客席に降りてきて、お客さんを呑んでしまうかのような、本当にすごい迫力があったと思います。舞手の呼吸もピッタリで、息つく暇もないほどの見せ場の連続でした。立ち合いでは次から次へと口から火を吐き、スサノオがやられてしまうのではないかと思わせるほどの暴れっぷりでした。
全体を通して感じたことは、やはりいい神楽にはいい奏楽が不可欠ということ。今回の三団体のみなさんはどこも奏楽がとてもよかったです。客席からも「うまいうまい!」と声が飛んだりしていましたが、ホントにその通りだと思います。迫力ある太鼓と掛け声、リズムに乗って気持ちよさそうに笛を吹かれている方など、舞だけ見るのはもったいないくらいでした。
上演終了後は、「大蛇と一緒に写真を撮ろう!」というミニイベントもあり、たくさんのお客さんに最後の最後まで楽しんでもらえたようです。次回の「長月の舞」は9月24日です。今回よりもっとたくさんの方に来て頂きたいと思います。
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2006,08,22 Tue 00:00
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サッチモさん、コメントありがとうございます。
きっと某国でもご覧になっていると思っていたのですが、やはり。
ありがとうございます☆
いつ帰国されるのかは存じませんが、葉月の舞は、司会の人が言うに「五千人」のお客さんが来られたそうです(笑)。
ですから、きっとこれからも続きますよ!
なにげに15位ですね・・・びっくりです。
管理人は自分ではないような気がするんですが・・・、まぁ記事が一番多いのはボクですね。
これからも頑張りますんで、どうぞよろしくお願いします☆
きっと某国でもご覧になっていると思っていたのですが、やはり。
ありがとうございます☆
いつ帰国されるのかは存じませんが、葉月の舞は、司会の人が言うに「五千人」のお客さんが来られたそうです(笑)。
ですから、きっとこれからも続きますよ!
なにげに15位ですね・・・びっくりです。
管理人は自分ではないような気がするんですが・・・、まぁ記事が一番多いのはボクですね。
これからも頑張りますんで、どうぞよろしくお願いします☆
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/22 19:32 | BFfnvy1Y |
月いちの舞、開催おめでとうございます。
ぼくも見たいです。帰国するまで開催されてることを祈るばかりです。
ところで、広島ブログがなにげに15位にランクされてるじゃないですか!これも管理人さんの努力の成果ですね。これからもがんばってください。
ぼくも見たいです。帰国するまで開催されてることを祈るばかりです。
ところで、広島ブログがなにげに15位にランクされてるじゃないですか!これも管理人さんの努力の成果ですね。これからもがんばってください。
| サッチモ | EMAIL | URL | 06/08/22 14:24 | 3.hALXIc |
ようやく大江山の麓(ふもと)まできた。だが、千丈ケ岳(せんじょうがたけ)まではまだまだ遠い・・・。この大江山については、語らなければならないことが山ほどあり、とてもじゃないが一つの章だけでは無理なので、前・中・後編と三章に渡ってお送りすることにする。
まずは大江山の場所について。実は大江山は二つある。これまた知らない方にとっては混乱を招きそうだが、わかりやすく地図を描いてみたので参考にしていただきたい。
神楽でおなじみの「丹波の国大江山」は、都から北西の位置にあり、かなり離れている。が、中世の「大江山」と言えば、すぐ近くの「大枝山」を指していた。ここには酒呑童子の首塚が残されている。また、日本武尊が鬼神を退治する舞台などの伊吹山が酒呑童子退治の場所とする伝説もあったりする。
そのあたりも詳しくみていきたいのだが、そうなると「源頼光」から離れてしまい、またその事だけで二章はスペースをとらないといけない。ということで「大江山」の舞台については、一般説である「丹波の国大江山」とし、今回は他にも「大枝山」がありますよ、という紹介のみにさせていただきたい。
では、神楽「大江山」のもとになったと言われる謡曲「大江山」を少しだけ紹介する。謡曲(ようきょく)というのは、簡単に言えば能のセリフが書かれているもので、神楽と関係しているものは他に「紅葉狩」「土蜘蛛」「安達ヶ原」「鉄輪」などがある。今までは広島弁でわかりやすく紹介してきたが、謡曲を広島弁にしてしまうと謡曲ではなくなってしまうので、少し難しいがそのまま掲載する。
ワキ(頼光)ワキヅレ(従者) 秋風の音にたぐへて西川や、雲も行くなり大江山。
ワキ 抑々これは源頼光とはわが事なり。さてもこの度 丹波の国大江山の鬼神のこと。占方の詞に任せつつ、頼光、保昌に仰せつけらる。
ワキヅレ 頼光、保昌申すやう、たとひ大勢ありとても、人倫ならぬ化生の者、いづくを境に攻むべきぞ。
ワキ 思ふ子細の候とて、山伏の姿に出立ちて。
ワキヅレ 兜にかはる兜巾を着。
ワキ 鎧にあらぬ篠懸や。
ワキヅレ 兵具に対する笈を負ひ。
ワキ 其のぬしぬしは頼光、保昌。
ワキヅレ 貞光・季武・綱・公時、又名を得たる独武者かれこれ以上五十余人。
ワキ まだ夜のうちに有明の。
ワキ、ワキヅレ 月の都を立ちいでて、行く末問えば西川や、波風立てて白木綿の御抜も頼もしや。鬼神なりと大君の恵に洩るる方あらじ、ただ分け行けや足引の大江の山に着きにけり、大江の山に着きにけり。
ワキ 急ぎ候程に丹波の国大江山に着きて候。あら不思議や、これなる川にけしからず血の流れそうろう。いかに誰かある、この所にて童子の住処を尋ねて宿を取り候へ。
狂言(剛力) 畏まって候、まず急いで参ろう。(中略)これはこれは女房衆そなたは何として此処にいるぞ。
(女) そのことでござる、わらわは三歳以前に酒呑童子に捕はれて毎日毎日このやうな濯ぎをしていることでござる。
(剛力) 子細を聞けば尤もでござる。某がこれへ来たはこの度頼み奉る頼光公、童子を退治あるべきとの事ぢや程に、そなたも都へ同道せうによって、何卒そなたは肝を煎つてお宿を申してくれぬか。
(女) 何がさて都へ連れて行て下さるならば、お宿のことはわらわが合点でござる。童子へ其由申しませう程にまづそれに待たせられい。
(剛力) 心得ておりやる。
(女) いかに童子の御座あるか。
シテ(酒呑童子) 童子と呼ぶはいかなる者ぞ。
狂言(女) 山伏達の御入り候が、一夜のお宿と仰せられ候。
シテ 何と山伏の一夜のお宿と候や、怨めしや桓武天皇に御請け申し、われ比叡の山を出でしより、出家には手を指さじと固く誓約申せしなり。中門の脇の廊に留め申し候らへ。
狂言(女) 心得申して候。
シテ いかに客僧たち、何処より何方へ御通り候へば、此の隠れ家へは御出でにて候ぞ。
ワキ さん候、これは筑紫彦山の客僧にて候が、麓の山陰道より道に踏み迷ひ、前後を忘れじ佇み候所に、今宵のお宿何より以て祝着申候。さて御名を酒呑童子と申し候は、何と申したる請にて候ぞ。
シテ 我が名を酒呑童子と云ふことは、明暮酒を好きたるにより、眷属どもに酒呑童子と呼ばれ候。されば此を見、彼を聞くにつけても、酒ほど面白きものはなく候。客僧達も聞しめされ候へ。
(中略)
ワキ 又は神国氏社南無や八幡山王権現、われらに力を添へ給へと、頼光・保昌・綱・公時・貞光・季武独武者、心を一つにしてまどろみ臥したる鬼の上に、剣を飛ばする光の影、稲妻振動おびただし。
シテ 情けなしとよ客僧達、偽あらじと云ひつるに鬼神に横道無きものを。
(中略)
ワキ あら空事やなどさらば、王地に住んで人を取り、世の妨げとはなりけるぞ、われらをば音にも聞きつらん、保昌が舘に独武者、鬼神なりとも遁すまじ、ましてやこれは勅なれば、土も木も我が大君の国なれば、いづくか鬼の宿りなるらん。
(中略)
ワキ 頼光保昌もとよりも、(地)頼光保昌もとよりも、鬼神なりともさすが頼光が手なみに、いかで漏らすべきと、走りかかってはったと打つ手に、むんずと組んでえいやえいやと組むとぞ見えしが、頼光下に組み伏せられて鬼一口に喰はんとするを頼光下より刀を抜いて二刀三刀刺し通し刺し通し、刀を力にえいやとかへし、さも勢へる鬼神を、おしつけ怒れる首を打ち落とし、大江の山をまた踏み分けて、都へとてこそ帰りけれ。
読みづらい箇所、難しい漢字がふんだんで、「これ読めません。」てな苦情のコメントもつきそうだが、たまにはそのままを掲載し、昔の物語の雰囲気を味わうのもよいのではないだろうか。そして多くの神楽ファンの方が、最初の一行を読んだ時点でピンとくるものがあると思う。そう、安芸太田町の三谷神楽団「大江山」は、この謡曲をかなり忠実にして舞っておられるようだ。他の旧舞「大江山」も、多くは謡曲を出典としているようだが、かなり違いがあるように思える。これは、前章で紹介した「戻り橋」「羅生門」の物語以上に、「大江山」伝説が数多く残されているためだと考えられる。では次回は、またいつものバージョンで「大江山の酒呑童子退治」をご紹介したいと思う。
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まずは大江山の場所について。実は大江山は二つある。これまた知らない方にとっては混乱を招きそうだが、わかりやすく地図を描いてみたので参考にしていただきたい。
神楽でおなじみの「丹波の国大江山」は、都から北西の位置にあり、かなり離れている。が、中世の「大江山」と言えば、すぐ近くの「大枝山」を指していた。ここには酒呑童子の首塚が残されている。また、日本武尊が鬼神を退治する舞台などの伊吹山が酒呑童子退治の場所とする伝説もあったりする。
そのあたりも詳しくみていきたいのだが、そうなると「源頼光」から離れてしまい、またその事だけで二章はスペースをとらないといけない。ということで「大江山」の舞台については、一般説である「丹波の国大江山」とし、今回は他にも「大枝山」がありますよ、という紹介のみにさせていただきたい。
では、神楽「大江山」のもとになったと言われる謡曲「大江山」を少しだけ紹介する。謡曲(ようきょく)というのは、簡単に言えば能のセリフが書かれているもので、神楽と関係しているものは他に「紅葉狩」「土蜘蛛」「安達ヶ原」「鉄輪」などがある。今までは広島弁でわかりやすく紹介してきたが、謡曲を広島弁にしてしまうと謡曲ではなくなってしまうので、少し難しいがそのまま掲載する。
ワキ(頼光)ワキヅレ(従者) 秋風の音にたぐへて西川や、雲も行くなり大江山。
ワキ 抑々これは源頼光とはわが事なり。さてもこの度 丹波の国大江山の鬼神のこと。占方の詞に任せつつ、頼光、保昌に仰せつけらる。
ワキヅレ 頼光、保昌申すやう、たとひ大勢ありとても、人倫ならぬ化生の者、いづくを境に攻むべきぞ。
ワキ 思ふ子細の候とて、山伏の姿に出立ちて。
ワキヅレ 兜にかはる兜巾を着。
ワキ 鎧にあらぬ篠懸や。
ワキヅレ 兵具に対する笈を負ひ。
ワキ 其のぬしぬしは頼光、保昌。
ワキヅレ 貞光・季武・綱・公時、又名を得たる独武者かれこれ以上五十余人。
ワキ まだ夜のうちに有明の。
ワキ、ワキヅレ 月の都を立ちいでて、行く末問えば西川や、波風立てて白木綿の御抜も頼もしや。鬼神なりと大君の恵に洩るる方あらじ、ただ分け行けや足引の大江の山に着きにけり、大江の山に着きにけり。
ワキ 急ぎ候程に丹波の国大江山に着きて候。あら不思議や、これなる川にけしからず血の流れそうろう。いかに誰かある、この所にて童子の住処を尋ねて宿を取り候へ。
狂言(剛力) 畏まって候、まず急いで参ろう。(中略)これはこれは女房衆そなたは何として此処にいるぞ。
(女) そのことでござる、わらわは三歳以前に酒呑童子に捕はれて毎日毎日このやうな濯ぎをしていることでござる。
(剛力) 子細を聞けば尤もでござる。某がこれへ来たはこの度頼み奉る頼光公、童子を退治あるべきとの事ぢや程に、そなたも都へ同道せうによって、何卒そなたは肝を煎つてお宿を申してくれぬか。
(女) 何がさて都へ連れて行て下さるならば、お宿のことはわらわが合点でござる。童子へ其由申しませう程にまづそれに待たせられい。
(剛力) 心得ておりやる。
(女) いかに童子の御座あるか。
シテ(酒呑童子) 童子と呼ぶはいかなる者ぞ。
狂言(女) 山伏達の御入り候が、一夜のお宿と仰せられ候。
シテ 何と山伏の一夜のお宿と候や、怨めしや桓武天皇に御請け申し、われ比叡の山を出でしより、出家には手を指さじと固く誓約申せしなり。中門の脇の廊に留め申し候らへ。
狂言(女) 心得申して候。
シテ いかに客僧たち、何処より何方へ御通り候へば、此の隠れ家へは御出でにて候ぞ。
ワキ さん候、これは筑紫彦山の客僧にて候が、麓の山陰道より道に踏み迷ひ、前後を忘れじ佇み候所に、今宵のお宿何より以て祝着申候。さて御名を酒呑童子と申し候は、何と申したる請にて候ぞ。
シテ 我が名を酒呑童子と云ふことは、明暮酒を好きたるにより、眷属どもに酒呑童子と呼ばれ候。されば此を見、彼を聞くにつけても、酒ほど面白きものはなく候。客僧達も聞しめされ候へ。
(中略)
ワキ 又は神国氏社南無や八幡山王権現、われらに力を添へ給へと、頼光・保昌・綱・公時・貞光・季武独武者、心を一つにしてまどろみ臥したる鬼の上に、剣を飛ばする光の影、稲妻振動おびただし。
シテ 情けなしとよ客僧達、偽あらじと云ひつるに鬼神に横道無きものを。
(中略)
ワキ あら空事やなどさらば、王地に住んで人を取り、世の妨げとはなりけるぞ、われらをば音にも聞きつらん、保昌が舘に独武者、鬼神なりとも遁すまじ、ましてやこれは勅なれば、土も木も我が大君の国なれば、いづくか鬼の宿りなるらん。
(中略)
ワキ 頼光保昌もとよりも、(地)頼光保昌もとよりも、鬼神なりともさすが頼光が手なみに、いかで漏らすべきと、走りかかってはったと打つ手に、むんずと組んでえいやえいやと組むとぞ見えしが、頼光下に組み伏せられて鬼一口に喰はんとするを頼光下より刀を抜いて二刀三刀刺し通し刺し通し、刀を力にえいやとかへし、さも勢へる鬼神を、おしつけ怒れる首を打ち落とし、大江の山をまた踏み分けて、都へとてこそ帰りけれ。
読みづらい箇所、難しい漢字がふんだんで、「これ読めません。」てな苦情のコメントもつきそうだが、たまにはそのままを掲載し、昔の物語の雰囲気を味わうのもよいのではないだろうか。そして多くの神楽ファンの方が、最初の一行を読んだ時点でピンとくるものがあると思う。そう、安芸太田町の三谷神楽団「大江山」は、この謡曲をかなり忠実にして舞っておられるようだ。他の旧舞「大江山」も、多くは謡曲を出典としているようだが、かなり違いがあるように思える。これは、前章で紹介した「戻り橋」「羅生門」の物語以上に、「大江山」伝説が数多く残されているためだと考えられる。では次回は、またいつものバージョンで「大江山の酒呑童子退治」をご紹介したいと思う。
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2006,08,21 Mon 00:00
新着コメント
はるさん、コメントありがとうございます。
お酒が大好きなんですね。
ボクはまったく飲めないんで、童子さんの気持ちがすべて理解できないかもしれません。
酒呑童子が酒を飲む場面は、神楽の見せ場ですよね。
謡曲ではあまりそこは強調されてないようです。
後編で、そのあたりを詳しくご紹介できると思います。
またコメントお願いします♪
お酒が大好きなんですね。
ボクはまったく飲めないんで、童子さんの気持ちがすべて理解できないかもしれません。
酒呑童子が酒を飲む場面は、神楽の見せ場ですよね。
謡曲ではあまりそこは強調されてないようです。
後編で、そのあたりを詳しくご紹介できると思います。
またコメントお願いします♪
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/21 18:22 | BFfnvy1Y |
私は酒が三度の御飯よりも好きです。
酒呑童子の 『身も心も酔ったりし~ぃ』の
呑みっぷりが、気持ちいい、たまりません♪
酒呑童子の 『身も心も酔ったりし~ぃ』の
呑みっぷりが、気持ちいい、たまりません♪
| はる | EMAIL | URL | 06/08/21 15:12 | gRhkdjzc |
さぁ、いよいよ謎解きの始まりである。とその前に、渡辺綱について調べてみよう。生没については頼光とほぼ同じで、953年~1025年となっている。源敦(みなもとのあつし)の養子で、その敦が頼光の父、満仲の婿だったために、その関係で頼光に仕えるようになった。多田源氏の流れを汲む頼光に対し、綱は箕田(美田/みた)源氏の出身である。ので、もともとは源綱(みなもとのつな)なのだが、養母が摂津国渡辺に住んでいたので、これにちなんで「渡辺」を名乗るようになったという。
少し難しい説明が入ってしまった。それではお待ちかね「羅生門の鬼」の話を紹介する。ここでは、御伽草子「羅生門」と謡曲「羅生門」を組み合わせ、より物語性を持たせて、神楽ファンのみなさんにわかりやすいよう編集を試みた。
源頼光と四天王、藤原保昌の六人は、大江山で酒呑童子をはじめ七十五匹の鬼を退治した。春雨が降り続くある日、頼光は四天王と保昌を招いて酒をふるまった。その酒宴の席で保昌が「そぉいや、大江山で鬼退治したときに、一匹討ち漏らした鬼がおるらしいで。」と語り始めた。みなが興味を示し、保昌は続いて「へぇで最近、その鬼が九条の羅生門に住み着いてからに、わりぃことするゆぅんじゃと。」と言った。すると渡辺綱が「おぉい保昌さん、そがぁなことがあるわきゃなかろぅて。羅生門は都の南門じゃろ?『土も木も わが大君の国ならば いづくか鬼の宿と定めん』ゆぅ歌もあるじゃろが。ホンマにおったとしても、羅生門に鬼を住まわせちゃぁいけんわ。そんなつまらんげな事は言いんさんなや。」と言った。保昌は「へじゃぁあんたはわしがウソをよぅる言うんか。このこたぁ、誰でも知っとるけぇよぅるんで。ウソじゃ言うんなら、今晩にでも羅生門へ行ってからにホンマかウソか見てきんさいや。」と答えた。すると「はぁ、そりゃぁわしが羅生門へよぅ行かん思うとんじゃろ。へんならホンマかウソか、今晩行ってみちゃろうてぇ。なんか、そけぇ行ったいう印のもんをくれぇや。」と、羅生門へ行く姿勢を示した。みなが「やめときんさいや。」と止めたが、綱は「いやいや、別に保昌さんとケンカするわけじゃないんだが、一つは帝(みかど)のためでもあるけぇ、印をくれぇ言うたんよ。」と言う。それを聞いた頼光は「なるほどのぅ、綱が言うように一つは帝のためにもなるけぇ、印を立てに行ってきんさい。」と許可を出した。
こうして綱は、羅生門に置いてくる印をもらい、さっそく準備をし始めた。鎧を身に付け、兜の緒を締め、先祖伝来の太刀を持ち、たくましい馬に乗り、たった一人で宿を出て、二条大宮を南へ進み羅生門へと向かった。さて九条通りに出て羅生門に近づくと、ものすごい雨が降り始めた。突然のすさまじい嵐に、馬はおびえて立ち止まってしまった。綱は馬から飛び降り、羅生門の石段に駆け上がると、印の札を壇上に立て置いて帰ろうとした。しかし、後ろから兜の錏(しころ:兜の左右や後ろに垂れた、首をおおうもの)をつかんで引き止めるものがあるので、「ぅお!鬼じゃぁ!」と太刀を抜いて斬ろうとした。だが鬼は兜をつかんだので、綱は兜の緒を引きちぎって、思わず壇から飛び降りた。鬼は怒り狂って持っていた綱の兜を投げ捨てた。その背丈は羅生門の軒と同じくらいで、両眼は月日のようにらんらんと光り、綱をにらみつけて立っていた。綱は少しもひるまずに太刀をかまえ、「あんたぁ知らんのんか!わりぃことをするもんは、罰が当たるんでぇ~!」と言って切りかかると、鬼は鉄杖(てつじょう)を振りまわしてきた。綱はそれをかわし、違いざまに鬼に斬りつけた。鬼はさらに突進して綱に組み付こうとしたが、綱はその腕を切り落とした。鬼はたまらず塀に上がり、空へと飛び上がった。綱は後を追ったが黒雲におおわれてしまい、「いつか取り返しちゃるけぇの!!」と鬼の叫ぶ声が聞こえ、そのまま姿を消してしまった。
これが「羅生門の鬼」の伝説である。「戻り橋」で紹介した話とよく似ているのはすぐに気づかれたと思う。が、問題はその時期。これでは「戻り橋」→「大江山」→「羅生門」という順番になってしまう。ますます混乱してきそうだが、どうやらこの「羅生門」の伝説は、「戻り橋」の話をもとに作られたようである。つまり、「戻り橋」「大江山」の物語が定着して以降に作られたもので、正確に言えば神楽の物語と関連はないことになる。羅生門はこれ以外にも、いろいろ鬼にまつわる伝説が残されており、そういったものが組み合わさってこの「羅生門」の鬼伝説が生まれたようだ。
ちなみに御伽草子「羅生門」は、綱が切り取る腕が右腕だったり、鬼を切る刀も膝丸のほうだったりなど、一般的な物語と多少違う部分がある。これは御伽草子が人から人への語り伝えをまとめたものであり、またいろんな人が書き残しているので、どうしても微妙に違いが出てしまうのである。さらに御伽草子「羅生門」は、このあとに頼光が病になり、綱が牛鬼の腕を切り取り、頼光が物忌みをし、腕を取り返されたりという、どこかで聞いたような物語が続いている。これも、もとは土蜘蛛伝説であるものが、いろいろ尾ひれがついて御伽草子に収められたということである。残念ながらその続きの物語はスペースの都合上、割愛させていただく。
で、結局、綱が鬼の腕を切り落としたのはどっち?という最大の問題が残っているが、ハッキリ言ってこれは「各神楽団によって異なる」としか言いようがない。もとになった伝説がこれだけバラバラであるのだから、各神楽団で解釈が違ってくるのも当然である。ただ、一つ確かなことは、「都は羅生門、戻り橋あたりにおいて、茨木童子が左の腕を切り取られたり。」というセリフ、これは正しくないということである。前回で解説したとおり、戻り橋と羅生門はまったく別の離れた場所にある。例えるなら「今日は神楽があったけぇ、神楽ドーム、開発センターあたりに行ってきたんじゃ。」てな感じか。「どっちやねん!」とツッコミを入れなければならない。今度「戻り橋」「羅生門」を見るときは、そういうセリフをよく聞いて、いったいどちらで鬼の腕が切り取られたのか、注目すると面白いかもしれない。
最後に「羅生門」そのものについてだが、正確には「羅城門」と書いて「らしょうもん」と読む。しかし、もともとは「らいせいもん」や「らせいもん」と呼ばれていた。それが「らしょうもん」と呼ばれるようになったのはずっと後のことで、完全に定着した原因はあの芥川龍之介の小説「羅生門」であるといわれている。ちなみにこの小説「羅生門」、それから黒澤明監督の映画「羅生門」は、神楽の物語とは関係ない。
いつしか羅生門には鬼が住むと言われるようになった。「門」はある一つの世界と別の世界を結ぶものであり、そこを通り抜けるということは別世界への旅立ちということを意味する。羅生門の鬼伝説も、そういった意識のもとで生まれたのだろう。謎だらけでお送りしたこの章、このあたりでお開きとさせていただくが、最後はやはり謎でしめることにしよう。
『「戻り橋」や「羅生門」で渡辺綱に腕を切り取られた鬼は、本当に茨木童子だったのか!?』
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少し難しい説明が入ってしまった。それではお待ちかね「羅生門の鬼」の話を紹介する。ここでは、御伽草子「羅生門」と謡曲「羅生門」を組み合わせ、より物語性を持たせて、神楽ファンのみなさんにわかりやすいよう編集を試みた。
源頼光と四天王、藤原保昌の六人は、大江山で酒呑童子をはじめ七十五匹の鬼を退治した。春雨が降り続くある日、頼光は四天王と保昌を招いて酒をふるまった。その酒宴の席で保昌が「そぉいや、大江山で鬼退治したときに、一匹討ち漏らした鬼がおるらしいで。」と語り始めた。みなが興味を示し、保昌は続いて「へぇで最近、その鬼が九条の羅生門に住み着いてからに、わりぃことするゆぅんじゃと。」と言った。すると渡辺綱が「おぉい保昌さん、そがぁなことがあるわきゃなかろぅて。羅生門は都の南門じゃろ?『土も木も わが大君の国ならば いづくか鬼の宿と定めん』ゆぅ歌もあるじゃろが。ホンマにおったとしても、羅生門に鬼を住まわせちゃぁいけんわ。そんなつまらんげな事は言いんさんなや。」と言った。保昌は「へじゃぁあんたはわしがウソをよぅる言うんか。このこたぁ、誰でも知っとるけぇよぅるんで。ウソじゃ言うんなら、今晩にでも羅生門へ行ってからにホンマかウソか見てきんさいや。」と答えた。すると「はぁ、そりゃぁわしが羅生門へよぅ行かん思うとんじゃろ。へんならホンマかウソか、今晩行ってみちゃろうてぇ。なんか、そけぇ行ったいう印のもんをくれぇや。」と、羅生門へ行く姿勢を示した。みなが「やめときんさいや。」と止めたが、綱は「いやいや、別に保昌さんとケンカするわけじゃないんだが、一つは帝(みかど)のためでもあるけぇ、印をくれぇ言うたんよ。」と言う。それを聞いた頼光は「なるほどのぅ、綱が言うように一つは帝のためにもなるけぇ、印を立てに行ってきんさい。」と許可を出した。
こうして綱は、羅生門に置いてくる印をもらい、さっそく準備をし始めた。鎧を身に付け、兜の緒を締め、先祖伝来の太刀を持ち、たくましい馬に乗り、たった一人で宿を出て、二条大宮を南へ進み羅生門へと向かった。さて九条通りに出て羅生門に近づくと、ものすごい雨が降り始めた。突然のすさまじい嵐に、馬はおびえて立ち止まってしまった。綱は馬から飛び降り、羅生門の石段に駆け上がると、印の札を壇上に立て置いて帰ろうとした。しかし、後ろから兜の錏(しころ:兜の左右や後ろに垂れた、首をおおうもの)をつかんで引き止めるものがあるので、「ぅお!鬼じゃぁ!」と太刀を抜いて斬ろうとした。だが鬼は兜をつかんだので、綱は兜の緒を引きちぎって、思わず壇から飛び降りた。鬼は怒り狂って持っていた綱の兜を投げ捨てた。その背丈は羅生門の軒と同じくらいで、両眼は月日のようにらんらんと光り、綱をにらみつけて立っていた。綱は少しもひるまずに太刀をかまえ、「あんたぁ知らんのんか!わりぃことをするもんは、罰が当たるんでぇ~!」と言って切りかかると、鬼は鉄杖(てつじょう)を振りまわしてきた。綱はそれをかわし、違いざまに鬼に斬りつけた。鬼はさらに突進して綱に組み付こうとしたが、綱はその腕を切り落とした。鬼はたまらず塀に上がり、空へと飛び上がった。綱は後を追ったが黒雲におおわれてしまい、「いつか取り返しちゃるけぇの!!」と鬼の叫ぶ声が聞こえ、そのまま姿を消してしまった。
これが「羅生門の鬼」の伝説である。「戻り橋」で紹介した話とよく似ているのはすぐに気づかれたと思う。が、問題はその時期。これでは「戻り橋」→「大江山」→「羅生門」という順番になってしまう。ますます混乱してきそうだが、どうやらこの「羅生門」の伝説は、「戻り橋」の話をもとに作られたようである。つまり、「戻り橋」「大江山」の物語が定着して以降に作られたもので、正確に言えば神楽の物語と関連はないことになる。羅生門はこれ以外にも、いろいろ鬼にまつわる伝説が残されており、そういったものが組み合わさってこの「羅生門」の鬼伝説が生まれたようだ。
ちなみに御伽草子「羅生門」は、綱が切り取る腕が右腕だったり、鬼を切る刀も膝丸のほうだったりなど、一般的な物語と多少違う部分がある。これは御伽草子が人から人への語り伝えをまとめたものであり、またいろんな人が書き残しているので、どうしても微妙に違いが出てしまうのである。さらに御伽草子「羅生門」は、このあとに頼光が病になり、綱が牛鬼の腕を切り取り、頼光が物忌みをし、腕を取り返されたりという、どこかで聞いたような物語が続いている。これも、もとは土蜘蛛伝説であるものが、いろいろ尾ひれがついて御伽草子に収められたということである。残念ながらその続きの物語はスペースの都合上、割愛させていただく。
で、結局、綱が鬼の腕を切り落としたのはどっち?という最大の問題が残っているが、ハッキリ言ってこれは「各神楽団によって異なる」としか言いようがない。もとになった伝説がこれだけバラバラであるのだから、各神楽団で解釈が違ってくるのも当然である。ただ、一つ確かなことは、「都は羅生門、戻り橋あたりにおいて、茨木童子が左の腕を切り取られたり。」というセリフ、これは正しくないということである。前回で解説したとおり、戻り橋と羅生門はまったく別の離れた場所にある。例えるなら「今日は神楽があったけぇ、神楽ドーム、開発センターあたりに行ってきたんじゃ。」てな感じか。「どっちやねん!」とツッコミを入れなければならない。今度「戻り橋」「羅生門」を見るときは、そういうセリフをよく聞いて、いったいどちらで鬼の腕が切り取られたのか、注目すると面白いかもしれない。
最後に「羅生門」そのものについてだが、正確には「羅城門」と書いて「らしょうもん」と読む。しかし、もともとは「らいせいもん」や「らせいもん」と呼ばれていた。それが「らしょうもん」と呼ばれるようになったのはずっと後のことで、完全に定着した原因はあの芥川龍之介の小説「羅生門」であるといわれている。ちなみにこの小説「羅生門」、それから黒澤明監督の映画「羅生門」は、神楽の物語とは関係ない。
いつしか羅生門には鬼が住むと言われるようになった。「門」はある一つの世界と別の世界を結ぶものであり、そこを通り抜けるということは別世界への旅立ちということを意味する。羅生門の鬼伝説も、そういった意識のもとで生まれたのだろう。謎だらけでお送りしたこの章、このあたりでお開きとさせていただくが、最後はやはり謎でしめることにしよう。
『「戻り橋」や「羅生門」で渡辺綱に腕を切り取られた鬼は、本当に茨木童子だったのか!?』
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2006,08,17 Thu 00:00
新着コメント
リロっちさん、コメントありがとうございます。
広島弁にするのはそう大変ではないんですよ。
訳したら自然と広島弁になってて、逆に標準語にするほうが難しいくらいで・・・。
あがぁなことはなぁんですが(笑)。
とにかく、みなさんにわかりやすい、楽しいと言っていただけるのは本当に嬉しいです☆
ランキングにも支持をいただけて、感謝感激してます。
これからもよろしくお願いします!
広島弁にするのはそう大変ではないんですよ。
訳したら自然と広島弁になってて、逆に標準語にするほうが難しいくらいで・・・。
あがぁなことはなぁんですが(笑)。
とにかく、みなさんにわかりやすい、楽しいと言っていただけるのは本当に嬉しいです☆
ランキングにも支持をいただけて、感謝感激してます。
これからもよろしくお願いします!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/19 01:15 | BFfnvy1Y |
訳したものをまた広島弁に変えることはとても大変な作業だったのではないかと思います。お疲れ様です・・・☆
おかげで、とても楽しくお勉強させて頂いております。分かりやすく楽しい故、しっかりと頭に残ります!
また、ランキングがグングンとあがっているようですが、このブログをたくさんの方が見られてお勉強されていることをとても嬉しく思います。これからも、私たちファンのために頑張ってくださいね☆
おかげで、とても楽しくお勉強させて頂いております。分かりやすく楽しい故、しっかりと頭に残ります!
また、ランキングがグングンとあがっているようですが、このブログをたくさんの方が見られてお勉強されていることをとても嬉しく思います。これからも、私たちファンのために頑張ってくださいね☆
| リロっち | EMAIL | URL | 06/08/19 00:52 | Q8k/.EqM |
TOKOさん、コメントありがとうございます。
昔の物語って、訳すのが結構大変で、しかも難しい文章が多いんですよね。
だからせっかく訳しても、わかりにくかったりするので、何かいい手はないかなぁ~と思って、会話を広島弁にしてみました(笑)
ようやくその事にコメントしていただけて、内心ホッとしてます☆
これからもよろしくお願いします。
昔の物語って、訳すのが結構大変で、しかも難しい文章が多いんですよね。
だからせっかく訳しても、わかりにくかったりするので、何かいい手はないかなぁ~と思って、会話を広島弁にしてみました(笑)
ようやくその事にコメントしていただけて、内心ホッとしてます☆
これからもよろしくお願いします。
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/17 22:49 | BFfnvy1Y |
はるさん、コメントありがとうございます。
やっぱり神楽だけ見てると、あらすじがよくわからないことってありますよね!
見事な舞だけについ目が行ってしまったりして・・・。
「楽しく、わかりやすい」という事をテーマに書いてますので、そういうお言葉をいただいて嬉しく思います。
またコメントしてくださいね☆
やっぱり神楽だけ見てると、あらすじがよくわからないことってありますよね!
見事な舞だけについ目が行ってしまったりして・・・。
「楽しく、わかりやすい」という事をテーマに書いてますので、そういうお言葉をいただいて嬉しく思います。
またコメントしてくださいね☆
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/17 22:45 | BFfnvy1Y |
ここでははじめましてですね♪
源頼光どのや渡辺綱どの等の四天王のお話、または羅生門や戻り橋等の演目のあらすじ等、とても楽しく読ませて頂いております。
特に広島弁の会話が最高です♪
ますます、神楽が大好きになっていきますね。
源頼光どのや渡辺綱どの等の四天王のお話、または羅生門や戻り橋等の演目のあらすじ等、とても楽しく読ませて頂いております。
特に広島弁の会話が最高です♪
ますます、神楽が大好きになっていきますね。
| TOKO | EMAIL | URL | 06/08/17 17:29 | n5WKKwWQ |