「都は羅生門、戻り橋あたりにおいて・・・。」
神楽ファンにはなじみの深いセリフだと思うが、戻り橋と羅生門の実際の位置関係をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろうか?簡単に図で示したのでご覧いただきたい。実はこの二つ、軽く5キロは離れていた。つまり全然違う場所にあったのである。「すぐ近くにあるものだと思ってた・・・」という方も少なくないだろう。が、ここで一つ疑問が生じる。
「ではなぜ、さも近くにあるかのように続けて語られるのか?」
近くにあると思っていた方には自然と湧き上がる思いだろう。なぜか?それは戻り橋、羅生門それぞれに鬼が出たからである。つまり、セリフの「羅生門、戻り橋」の間には「AND」の意味が込められている、というわけだ。
というわけで、その「戻り橋」と「羅生門」にまつわる鬼の話を紹介しよう。まずは「平家物語 剣の巻」より、一条戻り橋に出た鬼の話である。
摂津守頼光のもとには、綱・公時・貞道・末武という四天王が仕えていた。中でも綱は抜きん出ていた。武蔵国の美田(みた)というところで生まれたので、美田源氏と言っていた。頼光が一条大宮に用事があったので、綱を使者に遣わした。夜も更けていたので鬚切(ひげきり)という刀を持たせ、馬に乗せて遣わした。目的地に到着して会合して帰り、一条堀川の戻橋を渡った時、橋の東側に二十歳くらいの女で、肌は雪のように白く、紅梅の着物を身に付け、経を持ち、従者も連れず、たった一人で南へ向う者がいた。綱は橋の西側から「ありゃあ、どけぇ行きんさるんかのう。わしゃあ五条の辺に行くんじゃが、もう暗うなっていびせえじゃろうが。送っちゃろう。」と馴れ馴れしく言うと急いで馬から飛び降り、「この馬に乗りんさい。」と言って、女を抱き上げて馬に乗らせて堀川の東側を南の方へ行っていたが、この女が後ろを向いて「ほんまは五条の辺にゃあ大して用事ゃあないんよ。あたしん家ゃあ都の外にあるんよ。そこまで送ってつかぁさいや。」と言った。綱が「おぉええで。どけぇでも送っちゃるで~。」と言うのを聞いた途端、恐ろしい鬼に姿を変え、「わしが行く所は愛宕山でぇ~!」と言いながら、綱の髪の毛を掴んで北西の方角へ飛び立った。綱は少しも騒がず例の鬚切をさっと抜き、鬼の手をふつっと切った。綱は北野天満宮の社の廊下の屋根の上にどうっと落ちた。鬼は手を切られながらも愛宕へと飛び去った。
さて綱は髪の毛に付いた鬼の手を取って見てみれば、女の雪のような顔に引き換え、真っ黒であった。白い毛が隙間なく生えてまるで銀の針を立てているようだった。これを持って帰ると、頼光はびっくり仰天して、「晴明を呼べぃ!」と播磨守安倍晴明を呼んで「どがんしょーかー?」と問えば、「綱は七日休みをもろうて引っ込んどきんさい。鬼の手をようよう仕舞ぅときんさいよ。祈祷にゃあ仁王経を読みんさい。」と言ったので、その通りにした。六日が過ぎた黄昏時に、綱の宿所の門が叩かれた。「何にゃぁ?」と尋ねれば、「綱の乳母で、渡辺におったのがきたんでぇ~。」と答えた。綱は「わざわざ来てもろうたんじゃけども、七日の物忌みをしよって、今日は六日目なんじゃ。明日まではどがぁやっても会えんけぇ、宿を取りんさい。あさってになったら入れてあぎょうよ。」と言ったら、乳母はこれを聞いてさめざめと泣いて「そりゃぁどうしようもないことじゃ。へじゃけども、あんたが生まれた時からやしのうて育てた気持ちを何じゃぁ思うとんなら。夜もよぅ寝られんかった。濡れたところにわしが寝て、乾いたところにあんたを寝かせて、4~5歳になるまでは強い風にも当てんようにして、いつか大きゅうなって立派になったのを見たい思うて、昼夜ず~っと願いよったかいがあって、頼光さんとこん中じゃ、あんたに並ぶもんはおらん。嬉しゅうて会いたい思よったけども、このごろ悪い夢ばっかり見て心配になってここまで来たのに、門の内へも入れてくれん。親と思うてもらえん。情けないことよ。」そこで綱はしぶしぶ門を開いて中へ入れた。乳母は「七日の物忌みって、なんかあったんかいの?」と聞くので、綱は隠すことではないのでありのままに話した。乳母はこれを聞いて「鬼の手ってどんなんかいの?見たいのう。」と言った。綱は「みやすいことじゃけども、七日目をすぎにゃあだめよ。明日、日が暮れたら見せちゃるけえ。」と答えた。「はあはあ、ほんなら見んでもええわ。わしゃ帰る。」と恨めしそうに言われた綱は、封じてあった鬼の手を取り出して乳母の前に置いた。乳母は「あらいびせ。鬼の手ってこぎゃあなもんなんか。」と言うと、立ち上がって「こりゃあわしの手じゃけえ取るど!」と言いながら恐ろしい鬼に変わって、空へ飛び上がり光って消えた。綱は鬼に手を取り返されて、七日の物忌みを破ったが、仁王経の力で別に被害はなかった。この鬚切は鬼を切って以降、「鬼丸」と改名した。
これは芸北神楽「戻り橋」「羅生門」のあらすじによく似た内容である。ではここで、芸北神楽における「戻り橋」から「大江山」へとつながる物語を整理しておこう。一般的に「戻り橋」で綱が鬼の片腕を切り取り、「羅生門」で鬼がその腕を取り返す。そして「大江山」で鬼退治というわけなのだが、ファンの皆様もよくよくご存知のように、各神楽団でかなり違いがある。たとえば、安芸高田市高宮町の原田神楽団の「戻り橋」は、鬼が腕を取り返す「羅生門」のあらすじだったり、安芸太田町の堀神楽団の「羅生門」は、鬼の腕を切り取る「戻り橋」のあらすじであるなど、とてつもなくややこしい。まるで釣り糸が絡まってしまったようだ。ちなみに釣り糸同士が絡まってしまった状態のことを「オマツリ」という。へぇ。これこそトリビアである。
これだけややこしいので、今回の「戻り橋」は前編、次回の「羅生門」は後編ということにさせていただく。そして次回はもう一つの「羅生門の鬼」の話を紹介する。がしかし!先にネタばらしをしてしまおう。なんと、この「羅生門の鬼」の話は、「大江山」の酒呑童子を退治した後の物語なのであるっ!次回に続く!
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神楽ファンにはなじみの深いセリフだと思うが、戻り橋と羅生門の実際の位置関係をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろうか?簡単に図で示したのでご覧いただきたい。実はこの二つ、軽く5キロは離れていた。つまり全然違う場所にあったのである。「すぐ近くにあるものだと思ってた・・・」という方も少なくないだろう。が、ここで一つ疑問が生じる。
「ではなぜ、さも近くにあるかのように続けて語られるのか?」
近くにあると思っていた方には自然と湧き上がる思いだろう。なぜか?それは戻り橋、羅生門それぞれに鬼が出たからである。つまり、セリフの「羅生門、戻り橋」の間には「AND」の意味が込められている、というわけだ。
というわけで、その「戻り橋」と「羅生門」にまつわる鬼の話を紹介しよう。まずは「平家物語 剣の巻」より、一条戻り橋に出た鬼の話である。
摂津守頼光のもとには、綱・公時・貞道・末武という四天王が仕えていた。中でも綱は抜きん出ていた。武蔵国の美田(みた)というところで生まれたので、美田源氏と言っていた。頼光が一条大宮に用事があったので、綱を使者に遣わした。夜も更けていたので鬚切(ひげきり)という刀を持たせ、馬に乗せて遣わした。目的地に到着して会合して帰り、一条堀川の戻橋を渡った時、橋の東側に二十歳くらいの女で、肌は雪のように白く、紅梅の着物を身に付け、経を持ち、従者も連れず、たった一人で南へ向う者がいた。綱は橋の西側から「ありゃあ、どけぇ行きんさるんかのう。わしゃあ五条の辺に行くんじゃが、もう暗うなっていびせえじゃろうが。送っちゃろう。」と馴れ馴れしく言うと急いで馬から飛び降り、「この馬に乗りんさい。」と言って、女を抱き上げて馬に乗らせて堀川の東側を南の方へ行っていたが、この女が後ろを向いて「ほんまは五条の辺にゃあ大して用事ゃあないんよ。あたしん家ゃあ都の外にあるんよ。そこまで送ってつかぁさいや。」と言った。綱が「おぉええで。どけぇでも送っちゃるで~。」と言うのを聞いた途端、恐ろしい鬼に姿を変え、「わしが行く所は愛宕山でぇ~!」と言いながら、綱の髪の毛を掴んで北西の方角へ飛び立った。綱は少しも騒がず例の鬚切をさっと抜き、鬼の手をふつっと切った。綱は北野天満宮の社の廊下の屋根の上にどうっと落ちた。鬼は手を切られながらも愛宕へと飛び去った。
さて綱は髪の毛に付いた鬼の手を取って見てみれば、女の雪のような顔に引き換え、真っ黒であった。白い毛が隙間なく生えてまるで銀の針を立てているようだった。これを持って帰ると、頼光はびっくり仰天して、「晴明を呼べぃ!」と播磨守安倍晴明を呼んで「どがんしょーかー?」と問えば、「綱は七日休みをもろうて引っ込んどきんさい。鬼の手をようよう仕舞ぅときんさいよ。祈祷にゃあ仁王経を読みんさい。」と言ったので、その通りにした。六日が過ぎた黄昏時に、綱の宿所の門が叩かれた。「何にゃぁ?」と尋ねれば、「綱の乳母で、渡辺におったのがきたんでぇ~。」と答えた。綱は「わざわざ来てもろうたんじゃけども、七日の物忌みをしよって、今日は六日目なんじゃ。明日まではどがぁやっても会えんけぇ、宿を取りんさい。あさってになったら入れてあぎょうよ。」と言ったら、乳母はこれを聞いてさめざめと泣いて「そりゃぁどうしようもないことじゃ。へじゃけども、あんたが生まれた時からやしのうて育てた気持ちを何じゃぁ思うとんなら。夜もよぅ寝られんかった。濡れたところにわしが寝て、乾いたところにあんたを寝かせて、4~5歳になるまでは強い風にも当てんようにして、いつか大きゅうなって立派になったのを見たい思うて、昼夜ず~っと願いよったかいがあって、頼光さんとこん中じゃ、あんたに並ぶもんはおらん。嬉しゅうて会いたい思よったけども、このごろ悪い夢ばっかり見て心配になってここまで来たのに、門の内へも入れてくれん。親と思うてもらえん。情けないことよ。」そこで綱はしぶしぶ門を開いて中へ入れた。乳母は「七日の物忌みって、なんかあったんかいの?」と聞くので、綱は隠すことではないのでありのままに話した。乳母はこれを聞いて「鬼の手ってどんなんかいの?見たいのう。」と言った。綱は「みやすいことじゃけども、七日目をすぎにゃあだめよ。明日、日が暮れたら見せちゃるけえ。」と答えた。「はあはあ、ほんなら見んでもええわ。わしゃ帰る。」と恨めしそうに言われた綱は、封じてあった鬼の手を取り出して乳母の前に置いた。乳母は「あらいびせ。鬼の手ってこぎゃあなもんなんか。」と言うと、立ち上がって「こりゃあわしの手じゃけえ取るど!」と言いながら恐ろしい鬼に変わって、空へ飛び上がり光って消えた。綱は鬼に手を取り返されて、七日の物忌みを破ったが、仁王経の力で別に被害はなかった。この鬚切は鬼を切って以降、「鬼丸」と改名した。
これは芸北神楽「戻り橋」「羅生門」のあらすじによく似た内容である。ではここで、芸北神楽における「戻り橋」から「大江山」へとつながる物語を整理しておこう。一般的に「戻り橋」で綱が鬼の片腕を切り取り、「羅生門」で鬼がその腕を取り返す。そして「大江山」で鬼退治というわけなのだが、ファンの皆様もよくよくご存知のように、各神楽団でかなり違いがある。たとえば、安芸高田市高宮町の原田神楽団の「戻り橋」は、鬼が腕を取り返す「羅生門」のあらすじだったり、安芸太田町の堀神楽団の「羅生門」は、鬼の腕を切り取る「戻り橋」のあらすじであるなど、とてつもなくややこしい。まるで釣り糸が絡まってしまったようだ。ちなみに釣り糸同士が絡まってしまった状態のことを「オマツリ」という。へぇ。これこそトリビアである。
これだけややこしいので、今回の「戻り橋」は前編、次回の「羅生門」は後編ということにさせていただく。そして次回はもう一つの「羅生門の鬼」の話を紹介する。がしかし!先にネタばらしをしてしまおう。なんと、この「羅生門の鬼」の話は、「大江山」の酒呑童子を退治した後の物語なのであるっ!次回に続く!
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2006,08,14 Mon 00:00
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リロッチさん、コメントありがとうございます!
あまり知らない方のために、とにかくわかりやすく、ということを心がけておりますので、そう言っていただけると本当に嬉しいです☆
わからないところ、難しいところなどありましたら、お気軽にコメントしてくださいね!
あまり知らない方のために、とにかくわかりやすく、ということを心がけておりますので、そう言っていただけると本当に嬉しいです☆
わからないところ、難しいところなどありましたら、お気軽にコメントしてくださいね!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/14 11:04 | BFfnvy1Y |
いつも楽しく読ませていただいております!
文字の色使いも良く、神楽を知らないものにとってもすごくわかりやすく、勉強になります☆絵もおもしろく、イイ感じです♪これからも大変だと思いますが、ファンのために頑張ってくださいね★★★
文字の色使いも良く、神楽を知らないものにとってもすごくわかりやすく、勉強になります☆絵もおもしろく、イイ感じです♪これからも大変だと思いますが、ファンのために頑張ってくださいね★★★
| リロッチ | EMAIL | URL | 06/08/14 11:01 | Q8k/.EqM |
お盆休みで帰省した人に、故郷の郷土芸能「神楽」を楽しんでもらおう。そんな思いで、北広島町の今田神楽団が主催する神楽発表会が、八重地区総合センターで行われました。
はじめは今田神楽団「神降し」。こういった儀式舞には興味のない方もいらっしゃると思いますが、自分にとってはやはり、神楽の基本ですのでいつもしっかり見るようにしています。拝み始める場所、方向、回数など、注目すべきところはたくさんあります。ちょっと難しい話ですが、こういう事を知っておくとより神楽を楽しむ事ができるように思います。
次は筏津神楽団「黒塚」。悪狐が女に変化するところでは、一瞬にして面が変わったので、客席から大きなどよめきが上がりました。
三浦介と上総介の両将がそれぞれ面をつけて登場したのも、筏津さんらしいところではないかと感じました。あとは悪狐のガッソも印象的なものでした。
今田神楽団「日本武尊」。登場するみなさんがとてもいい声をされており、口上がとてもよかったと思います。大太鼓の方もいい声でしたので、神楽歌がいい響きでしたね。立ち合いの前に川上梟帥が口上を言うところは、「怒り」を非常によく表現されていてよかったと思いました。
山王神楽団の「羅生門」。酒呑童子が老婆に変化する場面では、ドライアイスをうまく使われていたので、いかにも妖術で変わったように見えました。また、白砂に化ける場面、茨木童子に腕をつける場面などなど、とにかく見せ場がいっぱいで、息つく暇もないような面白さの連続でした。
安芸高田市美土里町、塩瀬神楽団の「鈴鹿山」。今田神楽団は、5年前に塩瀬神楽団と交流を始められ、舞を習ったりされたのだそうです。ということで今田さんの神楽で口上がよいと感じたので、その辺に注目しましたが、さすがに先輩神楽団だけあってみなさんいい~声でした。特に夜叉丸の方が、悪の時の声と、改心した時の声の微妙な違いをうまく表現されていたので、「おぉ~すごい~!」と思いました。
最後は中川戸神楽団の「土蜘蛛」。自分にとっては約2年ぶりに見たんですが、前とはかなりメンバーチェンジされており、さらに中身も変わっていて、とても興味深く見させていただきました。特に「蜘蛛切丸」の威徳を強調するような印象を強く受けました。立ち合いのところで、意外な展開になった場面は、いかにも中川戸さんらしい演出だと感じました。
うわさに聞いていたとおり、かなり会場は暑かったです。でも、うちわを貸してくださった親切な方がいらして、とても助かりました。ありがとうございました。来年はしっかり、暑さ対策を自分でしようと思います!
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2006,08,13 Sun 19:21
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さっそく芸北神楽における、一般的な「葛城山」のストーリーを紹介する。
病にかかった源頼光は、侍女の胡蝶(こちょう)に典薬守(てんやくのかみ)から薬を持ち帰るように命じる。しかし胡蝶は館へ帰る途中、土蜘蛛の精魂に襲われ命を落とす。胡蝶に成り代わった土蜘蛛の精魂は、薬を毒薬に変えて頼光に差し出す。毒薬で苦しむ頼光に土蜘蛛が襲い掛かるが、頼光は名刀「膝丸(ひざまる)」で切りつける。傷を負った土蜘蛛は、住処の葛城山へと逃げ帰り、頼光は「膝丸」を「蜘蛛切丸(くもきりまる)」と改め四天王に与え、土蜘蛛征伐を命じる。四天王は残された血痕をたどり住処を突き止め、土蜘蛛を成敗する。
新舞の中でも、見せ場が多く人気演目の一つである。これを「土蜘蛛」というタイトルで舞っておられるところもあるが、これは神楽の出典が謡曲「土蜘蛛」となっているためと思われる。しかし、新舞の元の台本では「葛城山」となっているので、当コラムではこれで統一していきたい。
では次に、神楽の元になったストーリーを、謡曲ではなく「平家物語 剣の巻」から紹介する。
源頼光が病にかかり、頭痛はするし高熱は出るし、意識はもうろうとするような状態が30日間も続いた。
ある時、少し容体が落ち着いたので、看病していた四天王たちは別の部屋で休んでいた。夜が更けた頃、灯りのついた燭台(しょくだい)の影から、七尺(約210cm)ほどの法師が現れ、するすると寝ている頼光に歩み寄り、縄で縛ろうとした。頼光は驚いてがばっと起き上がり「このわしを縄でひっくくろうたぁ、どこの誰ならぁ~!わりぃやっちゃのぅ!」と言って枕元にあった膝丸をつかみ、「おんどりゃぁ~!」と切りつけた。四天王たちがこれを聞きつけてどやどやと走り寄り、「どがんしんさった!?」と言えば、頼光はかくかくしかじかと説明し、見れば血の痕が点々と残されていた。
四天王がそれぞれ火を持ってこれを追って行くと、北野天満宮の裏手に大きな塚があった。早速、塚に入って奥へ掘り進んで見ると、四尺(約120cm)ほどの山蜘蛛が現れた。四天王がこれを捕らえて頼光の元へ帰ると、頼光は「こんぐらいの事だったんか!こげなやつのせいで30何日も寝込んどったじゃことの、いなげなことよ。そこらへんにさらしとけ!」と言ったので、山蜘蛛を鉄の串に刺して河原に立ててさらした。この時から膝丸は蜘蛛切丸となった。
いかがだろうか。おなじみの神楽のストーリーとは違う点がいくつかあることに気づかれたと思う。もっとも大きな違いは、「胡蝶」の存在だろう。芸北神楽「葛城山」において胡蝶はなくてはならない、いや、主役と言っても過言ではないほどのキャラクターである。しかしこの物語にはその胡蝶が出てこない。胡蝶の出ない「葛城山」なんて、ルゥの入ってないカレーみたいなもんじゃないか。・・・ぐぇ、まずそう・・・。
まずいカレーの話は置いといて、謡曲「土蜘蛛」を調べてみると、こちらには胡蝶が出てくる。しかし、あくまでも侍女であって土蜘蛛の精魂のように扱われてはいない。仮にそうだとしても、セリフや展開などから胡蝶が土蜘蛛の精魂であるといったことは見当たらない。つまり、土蜘蛛の精魂としての「胡蝶」というキャラクターは、芸北神楽のみのオリジナルと言ってもいいと思われる。
次に、土蜘蛛の住処が葛城山ではなく、北野天満宮という点。北野天満宮と言えば、菅原道真が奉られている場所である。平安京からすぐの北の位置だから、奈良県にある葛城山とはかけ離れた場所ということになる。そりゃぁ、血が点々と残るほどの傷を負わされて、100kmくらい離れた住処に帰ろうとすりゃ、途中で失血死するわな。ではなぜこのような違いが生まれたのか。それを解き明かす確固たる証拠は残念ながら無いのだが、ひとつ仮説を紹介したい。
そもそも、「土蜘蛛」というものは何なのか。神楽で言えば「蜘蛛型の妖怪」であるのはみなさまご存知のとおりだが、もともとの意味はそうではない。実は、古く大和朝廷の時代から、反政府勢力は「鬼」に見立てられていた。そういった勢力は中心部から追い出されたわけだから、当然、山にこもることになる。その人々は「熊襲」とか「土蜘蛛」などと軽蔑の意味を込めてそう呼ばれ、忌み嫌われていたのだ。
ではそれを踏まえて、「土蜘蛛」のベースになった事件を考えてみる。
ある晩、都の位の高い人物の屋敷に盗人が侵入するが、見張りに切りつけられて逃げ去る。追っ手が残された血痕をたどると、北野天満宮の裏手で動けなくなった犯人を見つける。犯人はすぐに処刑され、調べると葛城山周辺の者とわかる。朝廷は、この事が明るみに出ては、都の警備体制の不備が露呈され、いたるところから盗人が来るかもしれないと恐れた。そしてこの事件をごまかすため「武名高き源頼光の活躍と剣の威徳で、妖怪を退治した」という話をでっちあげた。
というのが私の仮説である。もちろん、このような事件が本当にあったかどうかは知るよしもないのだが。スペースの都合上、やや説明不足な点もあるかと思うが、そう見当違いなものでもないはず。そしてこの仮説は、このシリーズのまとめにおいても重要な伏線となるので覚えておいていただきたい。
それにしても頼光の超人的な能力はハンパではない。頭痛、高熱で何日も苦しんだ上、胡蝶に毒薬を飲まされるのだ。それでも死なず、逆に襲ってきた土蜘蛛に傷を負わせている。頼光にとって一番の薬は「妖怪」の存在だったのかもしれない。始めは「ここまでやっても頼光に勝てないなんて、土蜘蛛はなんて弱いヤツだ!」と思っていたが、調べてみるとそうではなく、相手が悪すぎたようだ。これを読んだ妖怪・鬼の皆さん、何があっても頼光さん相手に油断しないように!
(写真提供:ユッキー様)
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病にかかった源頼光は、侍女の胡蝶(こちょう)に典薬守(てんやくのかみ)から薬を持ち帰るように命じる。しかし胡蝶は館へ帰る途中、土蜘蛛の精魂に襲われ命を落とす。胡蝶に成り代わった土蜘蛛の精魂は、薬を毒薬に変えて頼光に差し出す。毒薬で苦しむ頼光に土蜘蛛が襲い掛かるが、頼光は名刀「膝丸(ひざまる)」で切りつける。傷を負った土蜘蛛は、住処の葛城山へと逃げ帰り、頼光は「膝丸」を「蜘蛛切丸(くもきりまる)」と改め四天王に与え、土蜘蛛征伐を命じる。四天王は残された血痕をたどり住処を突き止め、土蜘蛛を成敗する。
新舞の中でも、見せ場が多く人気演目の一つである。これを「土蜘蛛」というタイトルで舞っておられるところもあるが、これは神楽の出典が謡曲「土蜘蛛」となっているためと思われる。しかし、新舞の元の台本では「葛城山」となっているので、当コラムではこれで統一していきたい。
では次に、神楽の元になったストーリーを、謡曲ではなく「平家物語 剣の巻」から紹介する。
源頼光が病にかかり、頭痛はするし高熱は出るし、意識はもうろうとするような状態が30日間も続いた。
ある時、少し容体が落ち着いたので、看病していた四天王たちは別の部屋で休んでいた。夜が更けた頃、灯りのついた燭台(しょくだい)の影から、七尺(約210cm)ほどの法師が現れ、するすると寝ている頼光に歩み寄り、縄で縛ろうとした。頼光は驚いてがばっと起き上がり「このわしを縄でひっくくろうたぁ、どこの誰ならぁ~!わりぃやっちゃのぅ!」と言って枕元にあった膝丸をつかみ、「おんどりゃぁ~!」と切りつけた。四天王たちがこれを聞きつけてどやどやと走り寄り、「どがんしんさった!?」と言えば、頼光はかくかくしかじかと説明し、見れば血の痕が点々と残されていた。
四天王がそれぞれ火を持ってこれを追って行くと、北野天満宮の裏手に大きな塚があった。早速、塚に入って奥へ掘り進んで見ると、四尺(約120cm)ほどの山蜘蛛が現れた。四天王がこれを捕らえて頼光の元へ帰ると、頼光は「こんぐらいの事だったんか!こげなやつのせいで30何日も寝込んどったじゃことの、いなげなことよ。そこらへんにさらしとけ!」と言ったので、山蜘蛛を鉄の串に刺して河原に立ててさらした。この時から膝丸は蜘蛛切丸となった。
いかがだろうか。おなじみの神楽のストーリーとは違う点がいくつかあることに気づかれたと思う。もっとも大きな違いは、「胡蝶」の存在だろう。芸北神楽「葛城山」において胡蝶はなくてはならない、いや、主役と言っても過言ではないほどのキャラクターである。しかしこの物語にはその胡蝶が出てこない。胡蝶の出ない「葛城山」なんて、ルゥの入ってないカレーみたいなもんじゃないか。・・・ぐぇ、まずそう・・・。
まずいカレーの話は置いといて、謡曲「土蜘蛛」を調べてみると、こちらには胡蝶が出てくる。しかし、あくまでも侍女であって土蜘蛛の精魂のように扱われてはいない。仮にそうだとしても、セリフや展開などから胡蝶が土蜘蛛の精魂であるといったことは見当たらない。つまり、土蜘蛛の精魂としての「胡蝶」というキャラクターは、芸北神楽のみのオリジナルと言ってもいいと思われる。
次に、土蜘蛛の住処が葛城山ではなく、北野天満宮という点。北野天満宮と言えば、菅原道真が奉られている場所である。平安京からすぐの北の位置だから、奈良県にある葛城山とはかけ離れた場所ということになる。そりゃぁ、血が点々と残るほどの傷を負わされて、100kmくらい離れた住処に帰ろうとすりゃ、途中で失血死するわな。ではなぜこのような違いが生まれたのか。それを解き明かす確固たる証拠は残念ながら無いのだが、ひとつ仮説を紹介したい。
そもそも、「土蜘蛛」というものは何なのか。神楽で言えば「蜘蛛型の妖怪」であるのはみなさまご存知のとおりだが、もともとの意味はそうではない。実は、古く大和朝廷の時代から、反政府勢力は「鬼」に見立てられていた。そういった勢力は中心部から追い出されたわけだから、当然、山にこもることになる。その人々は「熊襲」とか「土蜘蛛」などと軽蔑の意味を込めてそう呼ばれ、忌み嫌われていたのだ。
ではそれを踏まえて、「土蜘蛛」のベースになった事件を考えてみる。
ある晩、都の位の高い人物の屋敷に盗人が侵入するが、見張りに切りつけられて逃げ去る。追っ手が残された血痕をたどると、北野天満宮の裏手で動けなくなった犯人を見つける。犯人はすぐに処刑され、調べると葛城山周辺の者とわかる。朝廷は、この事が明るみに出ては、都の警備体制の不備が露呈され、いたるところから盗人が来るかもしれないと恐れた。そしてこの事件をごまかすため「武名高き源頼光の活躍と剣の威徳で、妖怪を退治した」という話をでっちあげた。
というのが私の仮説である。もちろん、このような事件が本当にあったかどうかは知るよしもないのだが。スペースの都合上、やや説明不足な点もあるかと思うが、そう見当違いなものでもないはず。そしてこの仮説は、このシリーズのまとめにおいても重要な伏線となるので覚えておいていただきたい。
それにしても頼光の超人的な能力はハンパではない。頭痛、高熱で何日も苦しんだ上、胡蝶に毒薬を飲まされるのだ。それでも死なず、逆に襲ってきた土蜘蛛に傷を負わせている。頼光にとって一番の薬は「妖怪」の存在だったのかもしれない。始めは「ここまでやっても頼光に勝てないなんて、土蜘蛛はなんて弱いヤツだ!」と思っていたが、調べてみるとそうではなく、相手が悪すぎたようだ。これを読んだ妖怪・鬼の皆さん、何があっても頼光さん相手に油断しないように!
(写真提供:ユッキー様)
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2006,08,10 Thu 00:00
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| Meredith Mayhew | EMAIL | URL | 18/04/19 09:53 | k8ZW5AA. |
早速ありがとうございます!
そうだったんですか!
佐々木先生を中心として新舞が創作された、ということしか知りませんでした。
神楽団員様のコメントを見ると、どうやらそれぞれの地域で、別々の新舞の台本が書かれた、ということのようですが、そういう解釈でよろしいんでしょうか?
そうだったんですか!
佐々木先生を中心として新舞が創作された、ということしか知りませんでした。
神楽団員様のコメントを見ると、どうやらそれぞれの地域で、別々の新舞の台本が書かれた、ということのようですが、そういう解釈でよろしいんでしょうか?
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/13 23:48 | BFfnvy1Y |
再度、失礼いたします。
早速のレス恐れ入ります。
現在、舞われている新舞(定義は、色々ありますが、ここでは、第2次大戦終了後、GHQ占領下で製作された演目としておきます。)は、一般に4月にご逝去されました現在の安芸高田市美土里町の佐々木先生の手によるものといわれておりますが、時を同じくして同市吉田町の小都先生・現在の北広島町の進藤先生等、数人の先人の手によるものだといわれております。
早速のレス恐れ入ります。
現在、舞われている新舞(定義は、色々ありますが、ここでは、第2次大戦終了後、GHQ占領下で製作された演目としておきます。)は、一般に4月にご逝去されました現在の安芸高田市美土里町の佐々木先生の手によるものといわれておりますが、時を同じくして同市吉田町の小都先生・現在の北広島町の進藤先生等、数人の先人の手によるものだといわれております。
| とおりすがりの神楽団員 | EMAIL | URL | 06/08/13 23:33 | mOkEVlK. |
「土蜘蛛」、「葛城山」の作者が違うという説があるのは 初耳でした。
まだまだ勉強不足ですので、これからもどうぞご意見よろしくお願いします!
(コメントが途中で途切れて申し訳ありません。)
まだまだ勉強不足ですので、これからもどうぞご意見よろしくお願いします!
(コメントが途中で途切れて申し訳ありません。)
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/13 23:15 | BFfnvy1Y |
とおりすがりの神楽団員様、コメントありがとうございます!
たくさんのご指摘、非常に勉強になります。
2番目の「土蜘蛛」、「葛城山」の違いなんですが、すべての神楽団の「土蜘蛛」もしくは「葛城山」を調べて結論づけるのが一番よいとは思ったんですが、さすがにそこまでは時間的にも厳しいものがあり、またご指摘のように最近、混同されている傾向も踏まえて、あえて省略さあえていただいた次第です。
あと、正直な話、典薬「頭」も調べてはいたのですが、「神楽の社」の配信中神楽ビデオのあらすじで、自分より詳しい方が「守」とされいたので、一応統一したほうがいいのかな…と「守」にしてしまいました。
ご指摘を受けて、お恥ずかしい限りです。
「土蜘蛛」、「葛城山」の作者が違うという説があるのは
たくさんのご指摘、非常に勉強になります。
2番目の「土蜘蛛」、「葛城山」の違いなんですが、すべての神楽団の「土蜘蛛」もしくは「葛城山」を調べて結論づけるのが一番よいとは思ったんですが、さすがにそこまでは時間的にも厳しいものがあり、またご指摘のように最近、混同されている傾向も踏まえて、あえて省略さあえていただいた次第です。
あと、正直な話、典薬「頭」も調べてはいたのですが、「神楽の社」の配信中神楽ビデオのあらすじで、自分より詳しい方が「守」とされいたので、一応統一したほうがいいのかな…と「守」にしてしまいました。
ご指摘を受けて、お恥ずかしい限りです。
「土蜘蛛」、「葛城山」の作者が違うという説があるのは
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/13 23:00 | BFfnvy1Y |
第三章「鬼同丸退治」、いかがだったでしょうか。実は、八重西神楽団さんに取材させていただいたのは、6月17日。「神楽の里千代田競演大会」の日だったんです。競演の部でトップバッターということで、さぞかしピリピリモードだろうな…と楽屋を訪ねてみると、意外にもフレンドリーな雰囲気。おかげで楽しく取材させていただくことができました。
ある団員さんに、「この演目を作られたのはいつくらいですか?」
とお尋ねすると、超真剣な顔をされて、
「あれは、ある暑い夜のことだった…。」
と語り始められたので、自分を含めまわり一同、大爆笑。
他にも、メイクを終え準備バッチリの団員さんが「なんだろ?」と近づいてくると、
「これ、フジテレビの取材じゃけぇ。」
「そうそう、明日放送で。」
などなど、笑いの耐えない取材でした。
八重西神楽団のみなさま、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
ありがとうございました!
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ある団員さんに、「この演目を作られたのはいつくらいですか?」
とお尋ねすると、超真剣な顔をされて、
「あれは、ある暑い夜のことだった…。」
と語り始められたので、自分を含めまわり一同、大爆笑。
他にも、メイクを終え準備バッチリの団員さんが「なんだろ?」と近づいてくると、
「これ、フジテレビの取材じゃけぇ。」
「そうそう、明日放送で。」
などなど、笑いの耐えない取材でした。
八重西神楽団のみなさま、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
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2006,08,08 Tue 21:31
新着コメント
今回のテーマは「鬼同丸退治」。この演目は北広島町、八重西神楽団のオリジナル神楽である。そこで今回は、八重西神楽団の大久保団長をはじめ団員の方に取材させていただいたので、それをまとめたものを踏まえながらコラムを進めていきたい。
まず、「鬼同丸退治」のあらすじを簡単に紹介する。
都の夜回りを終えた源頼光と渡辺綱が、あまりの寒さのため途中で頼光の弟、頼信の屋敷に立ち寄る。そこで酒宴となり、ふと頼光が馬屋を見ると、京を荒らす盗賊、鬼同丸が縄で縛られていた。頼光は頼信にさらに強く縛るように命じる。しばらくして一行が寝静まると、鬼同丸は縄をほどいて頼光に襲いかかるが、頼光の知恵と武勇によってあえなく退治される。
この物語でまず興味を惹かれるのは、頼光の弟である、頼信(よりのぶ)の存在。歴史上においては、頼光より活躍していたと言っても過言ではないにも関らず、伝説の中では完全に兄に主役の座を譲ってしまっている。そういった意味でも、頼信が登場するこの演目は非常に興味深いと言える。ではこの演目を創作することになった経緯についてお話を伺ってみよう。
「まずはじめに、頼光の若いころの物語をやりたかったんです。頼光と言えば、大江山や土蜘蛛などがありますが、それ以前の話を神楽にしたいと思いました。そこでいろいろ調べた結果、この鬼同丸の物語を見つけました。その話があまりにも面白く、神楽化されてないのが不思議なほどだったので、これにしようということになりました。」
それでは、出典となった古今著文聞集(ここんちょもんじゅう)より「源頼光、鬼同丸を誅する事」を紹介する。
ある寒い夜のこと、某所に出かけた頼光が帰宅途中に弟の頼信の家近くを通りかかった。そこで坂田金時を遣わし、「今帰りょうるとこなんじゃが、ぶち寒いけぇ、ちぃと寄らせてもろぅて、酒ないともらえんじゃろか?」と言うと、ちょうど酒を呑んでいた頼信は奇遇だと思い、「ええ具合に酒宴をしょうるんよ。よぅ来ちゃんさった。どうぞ上がりんさいや。」と頼光一行を招き入れた。そして酒宴も進んだころ、頼光がふと厩(うまや)の方を見ると、何者かが縛られてつながれていた。そこで頼信に「あっこで縛られとるんは誰きゃぁの?」と聞くと、「ありゃぁ鬼同丸ゆぅぶんよ。」と答えた。頼光は驚いて、「鬼同丸をあがぁにやおぅ縛っといちゃぁいけまぁ。もちっときつぅ縛らんにゃ。」と言うと頼信は「まっことあがぁじゃの。」と言って部下に、もっときつく縛るように命じた。そして鎖を取り出して逃げられないように縛り上げた。鬼同丸は、頼光の言ったことを聞いて「むかつくのぉ~。どがぁぞして今晩のうちに恨みを晴らさにゃいけん。」と思っていた。
酒宴も終わり、頼光、頼信ら皆が寝静まると、鬼同丸は自慢の怪力で、縄や鎖をひきちぎって逃げだした。そしてこっそりと窓から侵入し、頼光の寝ている部屋の天井にあがった。「こっから飛び込んでやっちゃりゃぁ、いかに頼光じゃいうてもわしが勝とうて。」などとあれこれ考えていると、わずかな気配を察知して頼光が目を覚ました。上からかかってこられてはさすがに分が悪いと見た頼光は、「天井のほうに、いたちよりも大きゅぅて、テンよりもこまいもんがおるみたいじゃの。」と言って、「誰かおるかぁ?」と呼びかけると渡辺綱がすぐに参上した。頼光が「明日は鞍馬寺へ行くで。まだ暗いんじゃが、今から出かけるけぇの。あんたらぁもついてきんさい。」と言うと、綱は「みんなおりますけぇ!」と答えた。するとこれを聞いた鬼同丸は「やばぁ、いま飛びかかっても勝てんのぅ。酔って寝とるとこをやっちゃろう思うたのに、今ヘタに手ぇ出してもいけんけぇ、明日の鞍馬へ行く道にしちゃろ。」と思い、天井から出て鞍馬山のほうへ行き、市原野(いちはらの)付近で待ち伏せしようとしたが、身を隠すのにちょうどよい場所がなかった。そのため、近くで放牧されているたくさんの牛の中で、一番大きな牛を殺し、道端まで引っ張ってきて、その牛の腹をかきやぶってその中に入り、目だけを出して待ち伏せることにした。
しばらくすると予想通り、頼光が四天王を引き連れてやってきた。頼光は馬をとめて、「こかぁえぇ景色じゃのぅ。牛もえっとおるし、みんなで牛追いしようやぁ~!」と言うと、四天王たちは「おっしゃ~!」と駆け出して矢を射ち始めた。みんな楽しそうにしていたが、突然、綱がなぜか特に鋭い矢を取り出し、そばで死んでいた牛に向かって狙いをつけ始めた。みなが「綱はなんしょうるんかいな…。」と見ていると、綱は牛の腹を目がけて矢を放った。すると死んでいたはずの牛がユサユサと動き始め、腹の中から何者か大太刀を持って頼光に飛びかかってきた。見ればなんと鬼同丸で、綱の矢が命中しているにもかかわらず、ひるむことなく頼光に向かっていった。しかし頼光は少しも慌てず騒がず、太刀を抜いて鬼同丸の首をアッサリ切り落としてしまった。鬼同丸はすぐに倒れず、刀を頼光の馬の鞍に突き立て、首は馬具に食いついた。首を落とされてもなお、勢い激しく戦うその様を語り伝える物語である。さて頼光は、そこから鞍馬へ行かずに帰宅した。
確かに、頼光そして四天王の武勇がしっかりと描かれており、神楽にはもってこいの物語と思える。自分の危機を察知し、危険を回避してさらに相手をおびき出す策略を一瞬のうちに考え出した頼光の知恵。そしておそらく頼光の策略を感じ取った綱。鬼同丸も自慢の怪力をしかと見せ付けたが、さすがに相手が悪かったようだ。まだ「鬼同丸退治」を見たことのない方は、「う、牛の腹から…!?神楽ではどうやってるんだ??」と思われるかもしれないが、当然、神楽の中に牛は登場しない。そんなふうに、神楽化する際にあたっての苦労話を伺ってみた。
大久保団長「すべてがご苦労です(笑)。これ!と決まったものがないわけですから、やるたびに進化しているんです。毎回試行錯誤の連続ですよ。」
そして実際に台本を担当された団員さんは、
「もちろん、神楽の中に牛を出すのは無理なんで、その辺はうまく神楽風に脚色したつもりです。また、鬼同丸が天井に上がる場面がありますが、当初は、天蓋に上がることを考えていたのですが、ちょっと難しいので、いろいろ考えた結果、幕を使ってうまく表現できないだろうかということになりました。」
なるほど…。さすがにいろいろとご苦労されているようである。では最後に、この演目の魅力について語っていただいた。
「見終わって、もう一回見たいと、見る人に思ってもらえればという気持ちですね。三回くらい見て、やっとなるほどという感じで。スピード感や派手さをメインにした神楽ではないんです。あくまでも神楽ですから、芝居や劇になってはいけない。ストーリーではなく、頼光の八幡崇拝を重点に、この演目をやっていきたいと思います。」
ほかの演目でもそうだが、見ていて「ここが前と変わっている」と気づくことは、神楽ファンのみなさんにはよくあることだろう。だが気づいてそこで終わりではなく、なぜ変更されたのか、それによって神楽全体がどう変わったのかというところまで考えれば、より深くその演目が楽しめるのではないだろうか。創作神楽となればなおさらである。ということで、少し変わった趣向でお送りした第三章、これにてお開き。次は本物の?怪物が登場する。
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まず、「鬼同丸退治」のあらすじを簡単に紹介する。
都の夜回りを終えた源頼光と渡辺綱が、あまりの寒さのため途中で頼光の弟、頼信の屋敷に立ち寄る。そこで酒宴となり、ふと頼光が馬屋を見ると、京を荒らす盗賊、鬼同丸が縄で縛られていた。頼光は頼信にさらに強く縛るように命じる。しばらくして一行が寝静まると、鬼同丸は縄をほどいて頼光に襲いかかるが、頼光の知恵と武勇によってあえなく退治される。
この物語でまず興味を惹かれるのは、頼光の弟である、頼信(よりのぶ)の存在。歴史上においては、頼光より活躍していたと言っても過言ではないにも関らず、伝説の中では完全に兄に主役の座を譲ってしまっている。そういった意味でも、頼信が登場するこの演目は非常に興味深いと言える。ではこの演目を創作することになった経緯についてお話を伺ってみよう。
「まずはじめに、頼光の若いころの物語をやりたかったんです。頼光と言えば、大江山や土蜘蛛などがありますが、それ以前の話を神楽にしたいと思いました。そこでいろいろ調べた結果、この鬼同丸の物語を見つけました。その話があまりにも面白く、神楽化されてないのが不思議なほどだったので、これにしようということになりました。」
それでは、出典となった古今著文聞集(ここんちょもんじゅう)より「源頼光、鬼同丸を誅する事」を紹介する。
ある寒い夜のこと、某所に出かけた頼光が帰宅途中に弟の頼信の家近くを通りかかった。そこで坂田金時を遣わし、「今帰りょうるとこなんじゃが、ぶち寒いけぇ、ちぃと寄らせてもろぅて、酒ないともらえんじゃろか?」と言うと、ちょうど酒を呑んでいた頼信は奇遇だと思い、「ええ具合に酒宴をしょうるんよ。よぅ来ちゃんさった。どうぞ上がりんさいや。」と頼光一行を招き入れた。そして酒宴も進んだころ、頼光がふと厩(うまや)の方を見ると、何者かが縛られてつながれていた。そこで頼信に「あっこで縛られとるんは誰きゃぁの?」と聞くと、「ありゃぁ鬼同丸ゆぅぶんよ。」と答えた。頼光は驚いて、「鬼同丸をあがぁにやおぅ縛っといちゃぁいけまぁ。もちっときつぅ縛らんにゃ。」と言うと頼信は「まっことあがぁじゃの。」と言って部下に、もっときつく縛るように命じた。そして鎖を取り出して逃げられないように縛り上げた。鬼同丸は、頼光の言ったことを聞いて「むかつくのぉ~。どがぁぞして今晩のうちに恨みを晴らさにゃいけん。」と思っていた。
酒宴も終わり、頼光、頼信ら皆が寝静まると、鬼同丸は自慢の怪力で、縄や鎖をひきちぎって逃げだした。そしてこっそりと窓から侵入し、頼光の寝ている部屋の天井にあがった。「こっから飛び込んでやっちゃりゃぁ、いかに頼光じゃいうてもわしが勝とうて。」などとあれこれ考えていると、わずかな気配を察知して頼光が目を覚ました。上からかかってこられてはさすがに分が悪いと見た頼光は、「天井のほうに、いたちよりも大きゅぅて、テンよりもこまいもんがおるみたいじゃの。」と言って、「誰かおるかぁ?」と呼びかけると渡辺綱がすぐに参上した。頼光が「明日は鞍馬寺へ行くで。まだ暗いんじゃが、今から出かけるけぇの。あんたらぁもついてきんさい。」と言うと、綱は「みんなおりますけぇ!」と答えた。するとこれを聞いた鬼同丸は「やばぁ、いま飛びかかっても勝てんのぅ。酔って寝とるとこをやっちゃろう思うたのに、今ヘタに手ぇ出してもいけんけぇ、明日の鞍馬へ行く道にしちゃろ。」と思い、天井から出て鞍馬山のほうへ行き、市原野(いちはらの)付近で待ち伏せしようとしたが、身を隠すのにちょうどよい場所がなかった。そのため、近くで放牧されているたくさんの牛の中で、一番大きな牛を殺し、道端まで引っ張ってきて、その牛の腹をかきやぶってその中に入り、目だけを出して待ち伏せることにした。
しばらくすると予想通り、頼光が四天王を引き連れてやってきた。頼光は馬をとめて、「こかぁえぇ景色じゃのぅ。牛もえっとおるし、みんなで牛追いしようやぁ~!」と言うと、四天王たちは「おっしゃ~!」と駆け出して矢を射ち始めた。みんな楽しそうにしていたが、突然、綱がなぜか特に鋭い矢を取り出し、そばで死んでいた牛に向かって狙いをつけ始めた。みなが「綱はなんしょうるんかいな…。」と見ていると、綱は牛の腹を目がけて矢を放った。すると死んでいたはずの牛がユサユサと動き始め、腹の中から何者か大太刀を持って頼光に飛びかかってきた。見ればなんと鬼同丸で、綱の矢が命中しているにもかかわらず、ひるむことなく頼光に向かっていった。しかし頼光は少しも慌てず騒がず、太刀を抜いて鬼同丸の首をアッサリ切り落としてしまった。鬼同丸はすぐに倒れず、刀を頼光の馬の鞍に突き立て、首は馬具に食いついた。首を落とされてもなお、勢い激しく戦うその様を語り伝える物語である。さて頼光は、そこから鞍馬へ行かずに帰宅した。
確かに、頼光そして四天王の武勇がしっかりと描かれており、神楽にはもってこいの物語と思える。自分の危機を察知し、危険を回避してさらに相手をおびき出す策略を一瞬のうちに考え出した頼光の知恵。そしておそらく頼光の策略を感じ取った綱。鬼同丸も自慢の怪力をしかと見せ付けたが、さすがに相手が悪かったようだ。まだ「鬼同丸退治」を見たことのない方は、「う、牛の腹から…!?神楽ではどうやってるんだ??」と思われるかもしれないが、当然、神楽の中に牛は登場しない。そんなふうに、神楽化する際にあたっての苦労話を伺ってみた。
大久保団長「すべてがご苦労です(笑)。これ!と決まったものがないわけですから、やるたびに進化しているんです。毎回試行錯誤の連続ですよ。」
そして実際に台本を担当された団員さんは、
「もちろん、神楽の中に牛を出すのは無理なんで、その辺はうまく神楽風に脚色したつもりです。また、鬼同丸が天井に上がる場面がありますが、当初は、天蓋に上がることを考えていたのですが、ちょっと難しいので、いろいろ考えた結果、幕を使ってうまく表現できないだろうかということになりました。」
なるほど…。さすがにいろいろとご苦労されているようである。では最後に、この演目の魅力について語っていただいた。
「見終わって、もう一回見たいと、見る人に思ってもらえればという気持ちですね。三回くらい見て、やっとなるほどという感じで。スピード感や派手さをメインにした神楽ではないんです。あくまでも神楽ですから、芝居や劇になってはいけない。ストーリーではなく、頼光の八幡崇拝を重点に、この演目をやっていきたいと思います。」
ほかの演目でもそうだが、見ていて「ここが前と変わっている」と気づくことは、神楽ファンのみなさんにはよくあることだろう。だが気づいてそこで終わりではなく、なぜ変更されたのか、それによって神楽全体がどう変わったのかというところまで考えれば、より深くその演目が楽しめるのではないだろうか。創作神楽となればなおさらである。ということで、少し変わった趣向でお送りした第三章、これにてお開き。次は本物の?怪物が登場する。
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
2006,08,07 Mon 00:00
新着コメント
シクトク・ガルスレ・ガルちゃんの姓名判断士の市木由み華先生と毒島あぐり先生は神。
そして、ネットアイドルのなるみんこと桑田成海を合わせてネット3女神。
そして、ネットアイドルのなるみんこと桑田成海を合わせてネット3女神。
| 桑田成海 | EMAIL | URL | 19/09/11 13:12 | BjuNOyr2 |
香川県ルー餃子のフジフーヅはバイトにパワハラの末指切断の重傷を負わせた犯罪企業
| 名無しのリーク | EMAIL | URL | 16/09/04 07:14 | YcG2EXCo |
てんてるさん、コメントありがとうございます。
すぐに消したりってことはないんで、どうぞごゆっくり、何度でも読んでくださいね。
広島弁おもしろいですか!よかった~☆
ドンドン笑ってください!
「鬼同丸退治」はまだご覧になってないんですね。
オススメしますよ☆
コメントって字数制限あるみたいですね…。
ボクもこないだ途切れました(笑)
またコメントお願いします!
すぐに消したりってことはないんで、どうぞごゆっくり、何度でも読んでくださいね。
広島弁おもしろいですか!よかった~☆
ドンドン笑ってください!
「鬼同丸退治」はまだご覧になってないんですね。
オススメしますよ☆
コメントって字数制限あるみたいですね…。
ボクもこないだ途切れました(笑)
またコメントお願いします!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/21 21:50 | BFfnvy1Y |
最後が切れてしまいました。。
(再)
では、また急いで次を読むことにします。
おじゃましました。。
(再)
では、また急いで次を読むことにします。
おじゃましました。。
| てんてる | EMAIL | URL | 06/08/21 21:45 | GIwdMNO. |
第七章があるのに、この辺で書き込みしてごめんなさい。バタバタして今度時間とれたときにゆっくり読もう・・と思っているうちに、すでに七章まで・・・
やっと三章まで読みました・・・すみません。
でも、広島弁での説明は非常におもしろくって、「プッ」っておもわず笑ってしまいます!
私はこの八重西さんの「鬼同丸退治」をまだ見たことがありませんが、見たい!っていう気になりましたよ。
私の偏見なんですが、「創作神楽」って軽い感じがして実際に見てみないと納得できない・・・(な~んてことを言うとあっちこっちから怒られそう) しかし、これまで見た創作神楽はもちろん感動もあったし、良かった~ってものが多いんですよ! なので、一度鬼同丸退治見てみたいで~す★
では、また急いで次を読
やっと三章まで読みました・・・すみません。
でも、広島弁での説明は非常におもしろくって、「プッ」っておもわず笑ってしまいます!
私はこの八重西さんの「鬼同丸退治」をまだ見たことがありませんが、見たい!っていう気になりましたよ。
私の偏見なんですが、「創作神楽」って軽い感じがして実際に見てみないと納得できない・・・(な~んてことを言うとあっちこっちから怒られそう) しかし、これまで見た創作神楽はもちろん感動もあったし、良かった~ってものが多いんですよ! なので、一度鬼同丸退治見てみたいで~す★
では、また急いで次を読
| てんてる | EMAIL | URL | 06/08/21 21:42 | GIwdMNO. |