「芽吹きの宴」以来、久しぶりのおおあさ鳴滝温泉。9月には毎年恒例の共演大会がありますが、今回は安佐町の宮乃木神楽団の上演でした。開演は19時30分だったのですが、16時あたりでものすごい夕立が来て、大丈夫かな?というような時もありました。しかし、止んだ後はいくらか暑さもやわらいだようだったので、かえってちょうどよかったかもしれません。
最初は「塵倫」の上演でした。この演目を舞われるのは久しぶり、とのことでしたが、ブランクを一切感じさせない息の合った舞だったと思います。はじめに神が舞うところは、実にゆったりとした舞が印象的でした。口上のあとはテンポが上がり、舞も早くなってきましたが、所作を非常に丁寧にされているように感じました。そして鬼の登場。これも実にそろった舞で、「あぁ~いいなぁ~」と思いました。立ち合いではさらにスピード感が加わり、素晴らしい神楽を見せていただきました。それと、神の方が化粧をされてなかったので、真剣な表情もよくわかり、さらに神楽に引き込まれるようでした。
少し休憩があって、「一条戻り橋」の上演。これは今回初めて見たので、最初から最後まで非常に興味深く見させていただきました。とにかく、面の早変わりはすごかったですね。茨城童子が老婆へ、老婆が鬼へ、鬼が女へ、女が鬼へ。本当に一瞬のうちでうまく変わられてたので、客席からも「おお~」の連続でした。自分が一番興味深いなと思ったのは、渡辺綱が茨城童子の妖術で危機に陥ったときに、助けに来る人物が坂田金時だったこと。今まで見た中ではたいてい、源頼光だったりするので、髪を束ねて面をつけ、マサカリを持った金時の登場がとても新鮮に映りました。それと傘売りさんがと~っても活躍されていたんですが、思わぬお客さんの乱入?で、少々困惑されているようでした。そんなことも今までなかった事なんで、書き加えておきます。
神楽上演は2演目だけでしたが、いろんな人とお会いできたりして、とても楽しい時間を過ごせました。もちろん神楽そのものもよかったというのは上記のとおりですけどね。次回は12日の「今田神楽団 盆祭り」に行ければと思ってます。こちらも初めて見る演目があるので、今からとっても楽しみです!
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最初は「塵倫」の上演でした。この演目を舞われるのは久しぶり、とのことでしたが、ブランクを一切感じさせない息の合った舞だったと思います。はじめに神が舞うところは、実にゆったりとした舞が印象的でした。口上のあとはテンポが上がり、舞も早くなってきましたが、所作を非常に丁寧にされているように感じました。そして鬼の登場。これも実にそろった舞で、「あぁ~いいなぁ~」と思いました。立ち合いではさらにスピード感が加わり、素晴らしい神楽を見せていただきました。それと、神の方が化粧をされてなかったので、真剣な表情もよくわかり、さらに神楽に引き込まれるようでした。
少し休憩があって、「一条戻り橋」の上演。これは今回初めて見たので、最初から最後まで非常に興味深く見させていただきました。とにかく、面の早変わりはすごかったですね。茨城童子が老婆へ、老婆が鬼へ、鬼が女へ、女が鬼へ。本当に一瞬のうちでうまく変わられてたので、客席からも「おお~」の連続でした。自分が一番興味深いなと思ったのは、渡辺綱が茨城童子の妖術で危機に陥ったときに、助けに来る人物が坂田金時だったこと。今まで見た中ではたいてい、源頼光だったりするので、髪を束ねて面をつけ、マサカリを持った金時の登場がとても新鮮に映りました。それと傘売りさんがと~っても活躍されていたんですが、思わぬお客さんの乱入?で、少々困惑されているようでした。そんなことも今までなかった事なんで、書き加えておきます。
神楽上演は2演目だけでしたが、いろんな人とお会いできたりして、とても楽しい時間を過ごせました。もちろん神楽そのものもよかったというのは上記のとおりですけどね。次回は12日の「今田神楽団 盆祭り」に行ければと思ってます。こちらも初めて見る演目があるので、今からとっても楽しみです!
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2006,08,06 Sun 22:10
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oki masuaki さん、コメントありがとうございます。
鳴滝温泉はイイですよね。
ボクもよく行ってました☆
来週は共演大会があります。
ぜひおいでください!
鳴滝温泉はイイですよね。
ボクもよく行ってました☆
来週は共演大会があります。
ぜひおいでください!
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/27 18:08 | BFfnvy1Y |
06.08.24生誕してから2回目の鳴滝おんせんです。
天然クーラーのしたで露天風呂に浸かり目を閉じて耳をすませば横を流れるせせらぎをベースに小鳥虫たちが奏でてくれる、「ホーホケッキョ」「ツクツクボーシ」。
天然クーラーのしたで露天風呂に浸かり目を閉じて耳をすませば横を流れるせせらぎをベースに小鳥虫たちが奏でてくれる、「ホーホケッキョ」「ツクツクボーシ」。
| oki masuaki | EMAIL | URL | 06/08/26 04:53 | a87eZivA |
よってけさん、コメントありがとうございます!
ボクはお酒がダメなんで、必死に仕事してました(>_<)
いつも見ていただいてありがとうございます☆
またどこかでお会いしたら、声をかけてくださいね♪
ボクはお酒がダメなんで、必死に仕事してました(>_<)
いつも見ていただいてありがとうございます☆
またどこかでお会いしたら、声をかけてくださいね♪
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/10 19:46 | BFfnvy1Y |
特派員さん 先日はお疲れ様でした。
ビールを飲みながらの神楽 幸せなひと時でした。
涼しいと言うよりも、終わった頃には半そでシャツでは寒かったですね。
特派員さんのすばやい更新に感激してます。
そして、いつも楽しく拝見しております。
これからもどうぞよろしくお願いします。
ビールを飲みながらの神楽 幸せなひと時でした。
涼しいと言うよりも、終わった頃には半そでシャツでは寒かったですね。
特派員さんのすばやい更新に感激してます。
そして、いつも楽しく拝見しております。
これからもどうぞよろしくお願いします。
| よってけ | EMAIL | URL | 06/08/10 02:47 | ghvlG8h6 |
次は、頼光を語る上で欠かせない四天王について迫ってみたい。神楽マニアの方なら、その4人の名前がすべて挙げられると思うがいかがだろうか。その4人とは、渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時(さかたのきんとき)、卜部季武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいのさだみつ)。この4人、それぞれ個性的なストーリーを持っており、簡単に紹介すると、
渡辺綱…羅生門、戻り橋で鬼の片腕を切りとる。
坂田金時…上路山(あげろやま)で山姥の子として育つ。
卜部季武…滝夜叉姫に盗まれた宝刀、蜘蛛切丸(くもきりまる)を取り戻す。
碓井貞光…力持ちで知られ、源氏には力試しの岩が残っている。
これらのキャラを家来として束ねているのだから、頼光のリーダーぶりがよくうかがえる。戦隊モノで言えば、チームリーダーのレッドといったところか。ならば、綱はブルー、季武がグリーン、金時がイエロー(金のイメージで)、貞光がピンク(なんとなく薄い…)か。5人合わせて「一条戦隊、オニレンジャー!」ズジャー!!
…なにがズジャーだ。取り乱しました、すんません。
気を取り直して、この4人についてもう少し詳しく調べてみる。
芸北神楽「山姥」で紹介される金時の物語は、「院の北面の武士である坂田時行(さかたときゆき)の妻、八重桐(やえぎり)が、夫を亡くして上路山にこもって山賊となり、その息子を怪童丸(かいどうまる)と名づけた。旅の途中だった源頼光にその腕を認められた怪童丸は、坂田金時と改められ四天王の一員に加わる」というもの。この「山姥」という伝説は、実は日本各地に存在する。神奈川県の足柄山(あしがらやま)に住んでいた豪族の娘に八重桐姫というものがおり、その子供が金太郎と呼ばれていた、とか、山中にこもっていた老婆が、夢の中で赤龍と交わって生まれたのが怪童丸である、などさまざまである。しかし、上記に紹介した、金時の誕生から幼少についての神楽の物語は、江戸時代の浄瑠璃において初めて語られており、謡曲「山姥」はまた別の物語となっている。
渡辺綱については、後ほど「戻り橋」「羅生門」の章で詳しく述べることにする。
卜部季武についてだが、先に紹介した「滝夜叉姫に盗まれた宝刀、蜘蛛切丸を取り戻す」の物語を初めて聞いたという方もおられるかもしれない。伝説などで語られているストーリーを紹介すると、「季武が管理していた蜘蛛切丸が、滝夜叉姫の妖術によって盗まれてしまう。これが頼光の怒りに触れたため、季武は碓井貞光とともに滝夜叉姫一味と戦い、これを成敗し刀を取り戻す」というもの。安佐町の宮乃木神楽団などがこれを神楽化した演目を舞っておられる。
碓井貞光については、力持ちという点と、季武とともに刀を取り戻したという話以外にはこれといってない。そのせいか、やはり芸北神楽においても最も登場回数の少ない、名前のとおり「うすい」四天王になってしまっている。
そして、この四天王が登場する面白い話が「今昔物語」に収めれられているので紹介する。
坂田金時、卜部季武、碓井貞光の3人が、賀茂祭(という大きな祭)の名物である行列を見に行こうという話になった。しかし、「馬に乗って見に行くのもなんだし、歩いて行って顔を隠すわけにもいかんし、でも見に行きたいし、どがぁしょ~かいの~(広島弁バージョン)。」と困っていた。(注:当時、この祭を見に行くのは貴族がすることで、彼らのような武士が見に行くような習慣はなかった)
すると、その中の一人が(誰とは書いてない…季武にしとこう)「ほいじゃったら、牛車を借りてそれに乗って見よ~や!」と提案した。するとまた一人が(…金時でいいか)「乗ったこともない牛車に乗って、位の高い人にバレたら、引きづり下ろされて蹴られて死んでしまうわぁ!」と言った(そんなにヤワなんかい!)。もう一人が言うに(これが貞光だね)「すだれを垂らして中を見えんようにして、女性が乗るような車に変装して見に行くのはどがなや?」すると2人が「そりゃぁえ~わ~!」と賛成し、さっそく牛車を借りて出発した。
ところが、3人とも牛車に乗ったことがないので、牛車の中はまるで物の入った箱を揺らすような状態になってしまった。3人は中で振り回され、頭をぶつけ、頬をぶつけ合い、ゴロゴロ転がったりして、あっちゃならんことになってしもうた。こうやって行くうちに、3人とも車酔いして(当たり前や!)、持ち物や烏帽子まで落としてしまった。牛車の速度が速かったため、中から「もっとゆっくり!」と叫ぶと、そのまわりにいた人々が、「こりゃ~女の人が乗る車じゃが、どがぁな人が乗っとるんじゃろうか。」「なんか大きな鳥が鳴きょうるような声じゃが、聞いたことないの~」「田舎の娘らが乗っとんじゃないんか?」「いや、声は男みたいだぞ!?」などと怪しんでいた。そしてようやく祭の会場に着いたはいいが、来るのが早過ぎたようだった。3人とも車酔いでフラフラで、目が回って物が逆さまに見えるほどだった。あまりに酔ってしまったのと、早く着いたために、3人ともぐっすり寝てしまった。ところがその間に、名物である行列が通り過ぎてしまったが、3人とも死んだように寝ていたのでまったく気づかなかった。そして祭も終わり、人々が片づけを始めると、その音の騒がしさでようやく3人が目を覚まし、そして驚いた!「ありゃ!?もう終わっとるじゃん!?せっかくここまで車酔いしながら来たのに~!!むかつく~!!」「帰るのにまた牛車に乗れば、わしらはもう生きちゃおれんわ…」「んじゃ~もぅちぃとここで待って、誰もおらんようになってから、歩いて帰ろうや。」ということになった。まわりに誰もいなくなると、3人は牛車から降り、車を先に帰らせ、靴を履いて扇で顔を隠し、頼光殿の家に帰った。
という物語。数々の妖怪、鬼を退治してきた武士たちだが、こんな情けない一面もあるという興味深い物語だと思う。ちなみに、この話には渡辺綱は出てこない。綱は四天王の中でも一つ格上の存在だったようで、このときも頼光のお供でもしていたのかもしれない。
次回はいよいよ、怪物退治の話を見ていきたいと思う。
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渡辺綱…羅生門、戻り橋で鬼の片腕を切りとる。
坂田金時…上路山(あげろやま)で山姥の子として育つ。
卜部季武…滝夜叉姫に盗まれた宝刀、蜘蛛切丸(くもきりまる)を取り戻す。
碓井貞光…力持ちで知られ、源氏には力試しの岩が残っている。
これらのキャラを家来として束ねているのだから、頼光のリーダーぶりがよくうかがえる。戦隊モノで言えば、チームリーダーのレッドといったところか。ならば、綱はブルー、季武がグリーン、金時がイエロー(金のイメージで)、貞光がピンク(なんとなく薄い…)か。5人合わせて「一条戦隊、オニレンジャー!」ズジャー!!
…なにがズジャーだ。取り乱しました、すんません。
気を取り直して、この4人についてもう少し詳しく調べてみる。
芸北神楽「山姥」で紹介される金時の物語は、「院の北面の武士である坂田時行(さかたときゆき)の妻、八重桐(やえぎり)が、夫を亡くして上路山にこもって山賊となり、その息子を怪童丸(かいどうまる)と名づけた。旅の途中だった源頼光にその腕を認められた怪童丸は、坂田金時と改められ四天王の一員に加わる」というもの。この「山姥」という伝説は、実は日本各地に存在する。神奈川県の足柄山(あしがらやま)に住んでいた豪族の娘に八重桐姫というものがおり、その子供が金太郎と呼ばれていた、とか、山中にこもっていた老婆が、夢の中で赤龍と交わって生まれたのが怪童丸である、などさまざまである。しかし、上記に紹介した、金時の誕生から幼少についての神楽の物語は、江戸時代の浄瑠璃において初めて語られており、謡曲「山姥」はまた別の物語となっている。
渡辺綱については、後ほど「戻り橋」「羅生門」の章で詳しく述べることにする。
卜部季武についてだが、先に紹介した「滝夜叉姫に盗まれた宝刀、蜘蛛切丸を取り戻す」の物語を初めて聞いたという方もおられるかもしれない。伝説などで語られているストーリーを紹介すると、「季武が管理していた蜘蛛切丸が、滝夜叉姫の妖術によって盗まれてしまう。これが頼光の怒りに触れたため、季武は碓井貞光とともに滝夜叉姫一味と戦い、これを成敗し刀を取り戻す」というもの。安佐町の宮乃木神楽団などがこれを神楽化した演目を舞っておられる。
碓井貞光については、力持ちという点と、季武とともに刀を取り戻したという話以外にはこれといってない。そのせいか、やはり芸北神楽においても最も登場回数の少ない、名前のとおり「うすい」四天王になってしまっている。
そして、この四天王が登場する面白い話が「今昔物語」に収めれられているので紹介する。
坂田金時、卜部季武、碓井貞光の3人が、賀茂祭(という大きな祭)の名物である行列を見に行こうという話になった。しかし、「馬に乗って見に行くのもなんだし、歩いて行って顔を隠すわけにもいかんし、でも見に行きたいし、どがぁしょ~かいの~(広島弁バージョン)。」と困っていた。(注:当時、この祭を見に行くのは貴族がすることで、彼らのような武士が見に行くような習慣はなかった)
すると、その中の一人が(誰とは書いてない…季武にしとこう)「ほいじゃったら、牛車を借りてそれに乗って見よ~や!」と提案した。するとまた一人が(…金時でいいか)「乗ったこともない牛車に乗って、位の高い人にバレたら、引きづり下ろされて蹴られて死んでしまうわぁ!」と言った(そんなにヤワなんかい!)。もう一人が言うに(これが貞光だね)「すだれを垂らして中を見えんようにして、女性が乗るような車に変装して見に行くのはどがなや?」すると2人が「そりゃぁえ~わ~!」と賛成し、さっそく牛車を借りて出発した。
ところが、3人とも牛車に乗ったことがないので、牛車の中はまるで物の入った箱を揺らすような状態になってしまった。3人は中で振り回され、頭をぶつけ、頬をぶつけ合い、ゴロゴロ転がったりして、あっちゃならんことになってしもうた。こうやって行くうちに、3人とも車酔いして(当たり前や!)、持ち物や烏帽子まで落としてしまった。牛車の速度が速かったため、中から「もっとゆっくり!」と叫ぶと、そのまわりにいた人々が、「こりゃ~女の人が乗る車じゃが、どがぁな人が乗っとるんじゃろうか。」「なんか大きな鳥が鳴きょうるような声じゃが、聞いたことないの~」「田舎の娘らが乗っとんじゃないんか?」「いや、声は男みたいだぞ!?」などと怪しんでいた。そしてようやく祭の会場に着いたはいいが、来るのが早過ぎたようだった。3人とも車酔いでフラフラで、目が回って物が逆さまに見えるほどだった。あまりに酔ってしまったのと、早く着いたために、3人ともぐっすり寝てしまった。ところがその間に、名物である行列が通り過ぎてしまったが、3人とも死んだように寝ていたのでまったく気づかなかった。そして祭も終わり、人々が片づけを始めると、その音の騒がしさでようやく3人が目を覚まし、そして驚いた!「ありゃ!?もう終わっとるじゃん!?せっかくここまで車酔いしながら来たのに~!!むかつく~!!」「帰るのにまた牛車に乗れば、わしらはもう生きちゃおれんわ…」「んじゃ~もぅちぃとここで待って、誰もおらんようになってから、歩いて帰ろうや。」ということになった。まわりに誰もいなくなると、3人は牛車から降り、車を先に帰らせ、靴を履いて扇で顔を隠し、頼光殿の家に帰った。
という物語。数々の妖怪、鬼を退治してきた武士たちだが、こんな情けない一面もあるという興味深い物語だと思う。ちなみに、この話には渡辺綱は出てこない。綱は四天王の中でも一つ格上の存在だったようで、このときも頼光のお供でもしていたのかもしれない。
次回はいよいよ、怪物退治の話を見ていきたいと思う。
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2006,08,03 Thu 00:00
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芸北神楽の登場人物の中で、もっとも英雄的なキャラクター、源頼光。大江山三段返しをはじめ、葛城山(土蜘蛛)、山姥、鬼同丸退治などその活躍ぶりは他に類を見ない。しかし、神楽や伝説の中でこれほど活躍しているにもかかわらず、歴史の授業などで彼の名を耳にした記憶はない。いや、別に授業をサボったり、居眠りをしていたわけではない。
とにかく、伝説上の英雄である源頼光、その実像に迫ってみることにする。
源頼光は、清和天皇のひ孫にあたる源満仲の長男として、940~950年あたりに生まれた。頼光の実像は、当時のことがいろいろ記された日記で知ることができる。と言っても、頼光自身が書いた日記は残っておらず、参考になるのは藤原道長が書いた「御堂関白記」、藤原実資の日記「小右記」などである。藤原道長と言えば、「この世をば 我が世とぞ思う望月の 欠けたる事も無しと思えば」の歌で有名なあの道長である。東山神楽団「天神記」に登場する藤原時平が、この歌をなぞったセリフを言う場面があるが、すぐにピンとくる神楽ファンの方もおられるだろう。頼光はこの藤原道長に仕えていた人物の一人だった。正確には、一方的に品物を贈りつけて気に入られようとしていたようだが。
そのあたり、これらの日記を読むと、頼光が道長にたびたび貢物をしていたことが記されている。ちなみに、この日記には、「○○年○月に頼光が大江山へ登った」とか、「土蜘蛛を退治した」などのことは一切記されていない。念のため。
また、道長の家が火事で焼けた時には、いち早く物資、家具一式などを贈り、大変喜ばれたそうだ。その後、新しくなった道長の家にも、さらに頼光から続々と贈り物が届いていたようで、その品物を見ようと見物人が集まるほどだったらしい。
このことから察するに、頼光は相当なお金持ちだったようだ。確かに神楽に登場する頼光さんは、とても豪華絢爛な衣装を着ているし!ってそれは関係ありませんね。
記録上、頼光は様々な要職についていた。朝廷から任命され、それぞれの国を治める国司(今で言えば県知事か?)や、重要人物の警護など、かなりエリート組の仕事ばかりである。特に国司にいたっては、備前(岡山)から始まり、伊豆、信濃、美濃、尾張、但馬、讃岐、丹波、河内、伊予、紀伊、摂津(大阪府)などなど、16~17を数える。中でも有名なのはセリフでおなじみの「摂津守」だろう。しかし実は、摂津守に任命されてから一年とたたず、頼光は亡くなっている。1021年のことだ。
こういった仕事をしっかりとこなし、着実に財産を蓄え、その財力を持って当時の最高権力者に貢いでいた。こうしてみるとかなり出世上手な人物だったことがわかる。さらに当時の出世術の最たるものは、自分の娘を天皇の嫁にすることだった。道長もそうやって摂政となり、栄華を築いていった。頼光はこの道長の兄である道綱を娘婿に迎えている。よって摂関家の道綱は頼光の家に住むことになり、それによって頼光は自分の地位を高めようとしたようだ。
以上が記録からわかる頼光の実像である。ちなみに「鬼同丸退治」などに登場する、弟の頼信は、実際には頼光とは腹違いの弟になり、頼信も藤原氏一族の実資に仕えていた。そしてなんと、頼信の子孫からは、「1192つくろう鎌倉幕府」の源頼朝が出ている。頼光の子孫からは頼朝のような大物は出ていないが、後世まで「頼光」の名を残すことができたのはやはり、当時の最高権力者だった藤原道長に気に入られていたからだろう。しいて言えば、「源頼政ぬえ退治」などの頼政が、頼光の子孫での大物と言えるか。
このように、神楽の物語からはとても想像できない、鬼退治とはまったく無縁の平和な毎日を過ごしていた平安の貴族というのが、源頼光の実像である。と、ここまで書くと当然、ではなぜ鬼退治などの伝説の英雄に仕立て上げられたのか、という疑問がわく。それはこのシリーズのラストにおいてまとめたいと思う。
というようなわけで、ついに始まった神楽研究コラム、シリーズ「源頼光」。神楽だけでは知ることのできない様々な物語などを、神楽ファンの方にわかりやすく伝えていこうと思うなり。「え~、そんなこともあったん?」とか「実はこうだったんかぁ!」など、トリ○ア的に言えば90へぇ以上間違いなしのネタを、どんどん掲載していく予定。「へぇ~」と思った方はボタンを押す代わりに、広島ブログのマークをクリック!どうぞよろしく!
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とにかく、伝説上の英雄である源頼光、その実像に迫ってみることにする。
源頼光は、清和天皇のひ孫にあたる源満仲の長男として、940~950年あたりに生まれた。頼光の実像は、当時のことがいろいろ記された日記で知ることができる。と言っても、頼光自身が書いた日記は残っておらず、参考になるのは藤原道長が書いた「御堂関白記」、藤原実資の日記「小右記」などである。藤原道長と言えば、「この世をば 我が世とぞ思う望月の 欠けたる事も無しと思えば」の歌で有名なあの道長である。東山神楽団「天神記」に登場する藤原時平が、この歌をなぞったセリフを言う場面があるが、すぐにピンとくる神楽ファンの方もおられるだろう。頼光はこの藤原道長に仕えていた人物の一人だった。正確には、一方的に品物を贈りつけて気に入られようとしていたようだが。
そのあたり、これらの日記を読むと、頼光が道長にたびたび貢物をしていたことが記されている。ちなみに、この日記には、「○○年○月に頼光が大江山へ登った」とか、「土蜘蛛を退治した」などのことは一切記されていない。念のため。
また、道長の家が火事で焼けた時には、いち早く物資、家具一式などを贈り、大変喜ばれたそうだ。その後、新しくなった道長の家にも、さらに頼光から続々と贈り物が届いていたようで、その品物を見ようと見物人が集まるほどだったらしい。
このことから察するに、頼光は相当なお金持ちだったようだ。確かに神楽に登場する頼光さんは、とても豪華絢爛な衣装を着ているし!ってそれは関係ありませんね。
記録上、頼光は様々な要職についていた。朝廷から任命され、それぞれの国を治める国司(今で言えば県知事か?)や、重要人物の警護など、かなりエリート組の仕事ばかりである。特に国司にいたっては、備前(岡山)から始まり、伊豆、信濃、美濃、尾張、但馬、讃岐、丹波、河内、伊予、紀伊、摂津(大阪府)などなど、16~17を数える。中でも有名なのはセリフでおなじみの「摂津守」だろう。しかし実は、摂津守に任命されてから一年とたたず、頼光は亡くなっている。1021年のことだ。
こういった仕事をしっかりとこなし、着実に財産を蓄え、その財力を持って当時の最高権力者に貢いでいた。こうしてみるとかなり出世上手な人物だったことがわかる。さらに当時の出世術の最たるものは、自分の娘を天皇の嫁にすることだった。道長もそうやって摂政となり、栄華を築いていった。頼光はこの道長の兄である道綱を娘婿に迎えている。よって摂関家の道綱は頼光の家に住むことになり、それによって頼光は自分の地位を高めようとしたようだ。
以上が記録からわかる頼光の実像である。ちなみに「鬼同丸退治」などに登場する、弟の頼信は、実際には頼光とは腹違いの弟になり、頼信も藤原氏一族の実資に仕えていた。そしてなんと、頼信の子孫からは、「1192つくろう鎌倉幕府」の源頼朝が出ている。頼光の子孫からは頼朝のような大物は出ていないが、後世まで「頼光」の名を残すことができたのはやはり、当時の最高権力者だった藤原道長に気に入られていたからだろう。しいて言えば、「源頼政ぬえ退治」などの頼政が、頼光の子孫での大物と言えるか。
このように、神楽の物語からはとても想像できない、鬼退治とはまったく無縁の平和な毎日を過ごしていた平安の貴族というのが、源頼光の実像である。と、ここまで書くと当然、ではなぜ鬼退治などの伝説の英雄に仕立て上げられたのか、という疑問がわく。それはこのシリーズのラストにおいてまとめたいと思う。
というようなわけで、ついに始まった神楽研究コラム、シリーズ「源頼光」。神楽だけでは知ることのできない様々な物語などを、神楽ファンの方にわかりやすく伝えていこうと思うなり。「え~、そんなこともあったん?」とか「実はこうだったんかぁ!」など、トリ○ア的に言えば90へぇ以上間違いなしのネタを、どんどん掲載していく予定。「へぇ~」と思った方はボタンを押す代わりに、広島ブログのマークをクリック!どうぞよろしく!
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2006,07,31 Mon 00:00
新着コメント
てんてるさん、コメントありがとうございます☆
やっぱり神楽だけの頼光さんだと、こんなイメージわかないですよね~。
自分も調べながら「へぇ~!」の連続でしたから(笑)
今後の展開としては、頼光自身が変わっていくというよりも、頼光の登場する演目を詳しく調べ、その時代背景などを掘り下げながら、英雄化した頼光の謎に迫るといった感じかと思います。
“脱線”も多いようですが…。
これからもよろしくお願いします♪
やっぱり神楽だけの頼光さんだと、こんなイメージわかないですよね~。
自分も調べながら「へぇ~!」の連続でしたから(笑)
今後の展開としては、頼光自身が変わっていくというよりも、頼光の登場する演目を詳しく調べ、その時代背景などを掘り下げながら、英雄化した頼光の謎に迫るといった感じかと思います。
“脱線”も多いようですが…。
これからもよろしくお願いします♪
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/08/03 01:41 | BFfnvy1Y |
こんばんは!
神楽を見て楽しむだけでなく、登場人物に的をあて説明する点はおもしろいですね。他にあまり無いと思うのですが・・・。
ところで、頼光って第一章までを見ると、イメージが違っていますねぇ。。色んな神楽団で頼光役の方を思い出しては「違うな・・・」なんて・・・。
鬼退治に縁が無さそうな第一章の頼光が今後どのように変わっていくのか・・。明日更新日ですかね? 楽しみにしてま~す♪
広島ブログのマーク、クリック済み!
神楽を見て楽しむだけでなく、登場人物に的をあて説明する点はおもしろいですね。他にあまり無いと思うのですが・・・。
ところで、頼光って第一章までを見ると、イメージが違っていますねぇ。。色んな神楽団で頼光役の方を思い出しては「違うな・・・」なんて・・・。
鬼退治に縁が無さそうな第一章の頼光が今後どのように変わっていくのか・・。明日更新日ですかね? 楽しみにしてま~す♪
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| てんてる | EMAIL | URL | 06/08/02 23:24 | GIwdMNO. |
サッチモさん、コメントありがとうございます。
そう言ってくださるとホント嬉しいです。
文章を書くのも大変ですが、一番の苦労は…イラストかな!?(笑)
また書き込みお願いします☆
そう言ってくださるとホント嬉しいです。
文章を書くのも大変ですが、一番の苦労は…イラストかな!?(笑)
また書き込みお願いします☆
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/07/31 20:29 | BFfnvy1Y |
特派員さんこんにちは。
いよいよ「神楽研究コラム」立ち上がりましたね!
神楽芸術“研究所”として、必要なコーナーだと思いますので、ご苦労も多いことだと思いますが、がんばってください。
いよいよ「神楽研究コラム」立ち上がりましたね!
神楽芸術“研究所”として、必要なコーナーだと思いますので、ご苦労も多いことだと思いますが、がんばってください。
| サッチモ | EMAIL | URL | 06/07/31 09:38 | Ow5MnHpc |
ポータルサイト「神楽の社」の本格運用に先駆けて、「神楽のぶろぐ」に新カテゴリーが追加されます!その名も「神楽研究コラム」。神楽を見ているだけではわからない、様々な事をとことん研究し、それを神楽ファンの皆様にご紹介しようというこの企画。と、こう書くと「なんだか難しそうだな~」と思われるかもしれません。が、神楽を好きな小・中学生の方にも読んでもらえるよう、わかりやすく、読みやすくということを心がけて制作しております。神楽の好きな方すべてに楽しんでもらえるよう努力したいと思います。
ここで皆様にお願いがあります。この「神楽研究コラム」、制作にけっこうな時間と費用がかかっています。そこであまり反響がないようだと、途中で打ち切り…なんてこともあり得るので、コメントを書いていただいたり、当ぶろぐも参加している「広島ブログ」のオレンジのボタン(右の欄にあります)をクリックしたりということで、ご支持をいただければと思います。
「神楽研究コラム」第一弾はシリーズ「源頼光」。頼光が登場する演目を中心に紹介し、全10章から成る予定です。その幕開けは7月31日で、以後毎週月・木曜を更新日としていきたいと思ってます。無事、最終章まで掲載できれば、ちょうど8月が終わりいよいよ神楽シーズンが始まる、という計算です。もちろん今までどおり「特派員報告」もあります。暑い夏は「神楽のぶろぐ」で乗り切りましょう~!
この記事が面白い・勉強になったと思われたら迷わずクリック
ここで皆様にお願いがあります。この「神楽研究コラム」、制作にけっこうな時間と費用がかかっています。そこであまり反響がないようだと、途中で打ち切り…なんてこともあり得るので、コメントを書いていただいたり、当ぶろぐも参加している「広島ブログ」のオレンジのボタン(右の欄にあります)をクリックしたりということで、ご支持をいただければと思います。
「神楽研究コラム」第一弾はシリーズ「源頼光」。頼光が登場する演目を中心に紹介し、全10章から成る予定です。その幕開けは7月31日で、以後毎週月・木曜を更新日としていきたいと思ってます。無事、最終章まで掲載できれば、ちょうど8月が終わりいよいよ神楽シーズンが始まる、という計算です。もちろん今までどおり「特派員報告」もあります。暑い夏は「神楽のぶろぐ」で乗り切りましょう~!
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2006,07,29 Sat 15:24
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ほぼ一週間ず~っと降っていた雨もどうにか上がり、久しぶりに夏らしさを感じたこの日。競演の部は全て旧舞というなかなか珍しい大会が、芸北オークガーデンふれあい広場で行われました。
個人的にど~~~しても見たい演目があって、それが高野神楽団の「七代」。幼少の頃に見て、鬼の面の迫力に圧倒された記憶がありました。それで今回、十数年ぶりに見ることができたんですが、やはり鬼の面が印象的でしたね。高野神楽団はこの「七代」のほかにも「手草」、「かっ鼓」、「皇后」など、旧舞の演目を大事に伝承されています。ぜひともこれからも頑張っていただいて、後継者育成を進めて欲しいと思います。
準優勝はあさひが丘神楽団の「源頼政鵺退治」。立ち合いでのテンポの速さと、よくそろった舞がとてもよかったと思います。また、鬼の方が個人賞を取られたように、演技面でも非常に熱の入った舞でした。
優勝は田尾組神楽団の「塵倫」。個人的に思ったのは、準優勝のあさひが丘神楽団とは対照的な舞ではないかということです。舞人の動きが見事にそろうような、洗練された舞も神楽の面白いところですが、動きをそろえるということに集中しすぎると、今度は逆に独特の舞い方やリズムなど、それぞれの神楽団が持っている伝統が崩れてくるのはないかと思っています。田尾組神楽団の「塵倫」は、そういった独特の伝統をしっかりと感じる舞でした。また表彰式の後に、団長様をみんなで胴上げされるなど、本当に喜んでいらっしゃいました。
他には龍南神楽団の「大江山」、これも独特の舞い方がとても印象的でした。パンフレットの紹介文に「伝統である落ち着いた神楽」とあるんですが、まさにその通りだったと思います。また、「観客に満足してもらえる舞」を心がけているということで、見せ場もいろいろ工夫されていたように感じました。
波佐常磐倶楽部の「神武」。
これは浜田市の団体なんですが、見た感じは石見神楽ではなく、広島の旧舞のようでした。楽も、手打ち鐘や笛などの音自体は石見神楽の音なんですが、リズムはどちらかというと広島の安芸太田町あたりのような感じでした。ということで非常に興味深く見せていただきました。
逆に、北広島町の苅屋形神楽団「鐘馗」は、石見神楽を見ているような感じでした。楽のリズムといい舞い方といい、石見神楽そのものという印象で、また鬼の面もあまり広島では見かけない面のように思いました。
表彰の前には、審査員の方から「神楽の言葉を大切に」というお話がありました。昔からの伝統ということで、先輩方が言われていた口上をそのまま使われているのがほとんどだと思いますが、その中に意味もわからないまま使っているということもあると思います。神楽の言葉は、昔の言葉が多く、難しいものもありますが、そのあたりをよく神楽団で検討されて、意味をしっかり理解したうえで使っていただきたい、というものでした。
確かに今回の神楽はあまり見ることのない舞が多かったので、いろんな意味で自分にはとても勉強になりました。
実はこの会場は初めて行ったのですが、とても良い所だったと思います。会場が広くて、みなさん思い思いの場所で神楽を見ておられ、周りにはたくさんの出店がありました。晩御飯に食べた焼きそばはとてもおいしかったです。味は辛すぎず薄すぎず、お肉もしっかり入ってて大満足!神楽の合間には抽選会もあり、なんと身近な人が見事当選して賞品をもらっていたのはビックリでした。
とにかく、旧舞を落ち着いてしっかり見たい人には超オススメの大会でした。これを読んで行ってみようと思われた方、イスか座布団を忘れずに!
競演結果
優勝 田尾組神楽団 「塵倫」
準優勝 あさひが丘神楽団 「源頼政鵺退治」
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個人的にど~~~しても見たい演目があって、それが高野神楽団の「七代」。幼少の頃に見て、鬼の面の迫力に圧倒された記憶がありました。それで今回、十数年ぶりに見ることができたんですが、やはり鬼の面が印象的でしたね。高野神楽団はこの「七代」のほかにも「手草」、「かっ鼓」、「皇后」など、旧舞の演目を大事に伝承されています。ぜひともこれからも頑張っていただいて、後継者育成を進めて欲しいと思います。
準優勝はあさひが丘神楽団の「源頼政鵺退治」。立ち合いでのテンポの速さと、よくそろった舞がとてもよかったと思います。また、鬼の方が個人賞を取られたように、演技面でも非常に熱の入った舞でした。
優勝は田尾組神楽団の「塵倫」。個人的に思ったのは、準優勝のあさひが丘神楽団とは対照的な舞ではないかということです。舞人の動きが見事にそろうような、洗練された舞も神楽の面白いところですが、動きをそろえるということに集中しすぎると、今度は逆に独特の舞い方やリズムなど、それぞれの神楽団が持っている伝統が崩れてくるのはないかと思っています。田尾組神楽団の「塵倫」は、そういった独特の伝統をしっかりと感じる舞でした。また表彰式の後に、団長様をみんなで胴上げされるなど、本当に喜んでいらっしゃいました。
他には龍南神楽団の「大江山」、これも独特の舞い方がとても印象的でした。パンフレットの紹介文に「伝統である落ち着いた神楽」とあるんですが、まさにその通りだったと思います。また、「観客に満足してもらえる舞」を心がけているということで、見せ場もいろいろ工夫されていたように感じました。
波佐常磐倶楽部の「神武」。
これは浜田市の団体なんですが、見た感じは石見神楽ではなく、広島の旧舞のようでした。楽も、手打ち鐘や笛などの音自体は石見神楽の音なんですが、リズムはどちらかというと広島の安芸太田町あたりのような感じでした。ということで非常に興味深く見せていただきました。
逆に、北広島町の苅屋形神楽団「鐘馗」は、石見神楽を見ているような感じでした。楽のリズムといい舞い方といい、石見神楽そのものという印象で、また鬼の面もあまり広島では見かけない面のように思いました。
表彰の前には、審査員の方から「神楽の言葉を大切に」というお話がありました。昔からの伝統ということで、先輩方が言われていた口上をそのまま使われているのがほとんどだと思いますが、その中に意味もわからないまま使っているということもあると思います。神楽の言葉は、昔の言葉が多く、難しいものもありますが、そのあたりをよく神楽団で検討されて、意味をしっかり理解したうえで使っていただきたい、というものでした。
確かに今回の神楽はあまり見ることのない舞が多かったので、いろんな意味で自分にはとても勉強になりました。
実はこの会場は初めて行ったのですが、とても良い所だったと思います。会場が広くて、みなさん思い思いの場所で神楽を見ておられ、周りにはたくさんの出店がありました。晩御飯に食べた焼きそばはとてもおいしかったです。味は辛すぎず薄すぎず、お肉もしっかり入ってて大満足!神楽の合間には抽選会もあり、なんと身近な人が見事当選して賞品をもらっていたのはビックリでした。
とにかく、旧舞を落ち着いてしっかり見たい人には超オススメの大会でした。これを読んで行ってみようと思われた方、イスか座布団を忘れずに!
競演結果
優勝 田尾組神楽団 「塵倫」
準優勝 あさひが丘神楽団 「源頼政鵺退治」
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2006,07,23 Sun 21:49
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