今回のテーマは「紅葉狩」。みなさんは「紅葉狩」と聞いて、何を思い浮かべられるだろうか。美しい姫の舞、鬼たちの豪華な衣装、紅葉に染まった実際の山々を想像される方もおられるかもしれない。はたまた、化粧したイケメンの神がパッと浮かんでくる方も…、いや、それはないか。ともかく、それらは皆「華やか」なイメージではないだろうか。実にシンプルなようだが、これこそが「紅葉狩」の一番の魅力であると思う。
シンプルと言えば、ストーリーも実にシンプル。では基本的なあらすじを紹介しよう。「そんなの知ってるから飛ばして次読もう」って?いやいや、そう言わずに。
平維茂が信州信濃国戸隠山で、紅葉狩の宴を催す美女たちに出会う。すすめられるままに酒を飲んで酔いふした維茂に、正体を現した鬼女が襲い掛かる。しかし日頃信心する八幡大菩薩に救われた維茂は、授かった神剣を持って鬼女を征伐する。
「はいはい、それで?」 …お気づきの方もいらっしゃるだろうが、「紅葉狩」のあらすじには2パターンある。平維茂が、鬼女征伐の勅命を受けて戸隠山に向かうものと、狩野の旅に出て道に迷って戸隠山へと入っていくものの2つである。これは大きな違いだ。「そんなんどうでもいいよ!」 …まぁまぁ、そう言わずに。
要するに、勅命を受けて向かうパターンでは、鬼女たちがいると知っているにも関わらず、奥山で出会った美女たちにだまされてしまうのだ。それほど紅葉が人を惑わす、という意味にも取れるが、それにしても維茂さん、情けないぞ。八幡大菩薩が助けに来てくれたからいいようなものの、どうやら朝廷は人選を誤ったようだ。もしこれが源頼光だったらどうであろう。「物の怪バカ」の頼光さんの事だ、美女たちを見た瞬間に、目の色変えて切りかかったに違いない。
それと、このあらすじの微妙な違いは、いろいろな所に影響しており、神楽団ごとの違いをじっくり見比べると面白いと思う。例えばセリフ。「紅葉狩」のセリフと言えば、「良き酒肴が登り来る登り来る~!」ではなかろうか。これは維茂が勅命を受けたパターンでは使われないのが普通である。鬼女たちも、維茂の存在を知っているパターンとそうでないものがあるから、少しややこしいが、知っていれば「維茂主従登り来る~!」というセリフになっているはず。
「ひろしま神楽」の代表的な演目である「紅葉狩」。あまりにもポピュラーになりすぎて、なんとなく見てしまうかもしれないが、よぉく見るとなかなか興味深い演目でもあるのだ。次回、「紅葉狩」を見るときにぜひ参考にしていただきたい。
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シンプルと言えば、ストーリーも実にシンプル。では基本的なあらすじを紹介しよう。「そんなの知ってるから飛ばして次読もう」って?いやいや、そう言わずに。
平維茂が信州信濃国戸隠山で、紅葉狩の宴を催す美女たちに出会う。すすめられるままに酒を飲んで酔いふした維茂に、正体を現した鬼女が襲い掛かる。しかし日頃信心する八幡大菩薩に救われた維茂は、授かった神剣を持って鬼女を征伐する。
「はいはい、それで?」 …お気づきの方もいらっしゃるだろうが、「紅葉狩」のあらすじには2パターンある。平維茂が、鬼女征伐の勅命を受けて戸隠山に向かうものと、狩野の旅に出て道に迷って戸隠山へと入っていくものの2つである。これは大きな違いだ。「そんなんどうでもいいよ!」 …まぁまぁ、そう言わずに。
要するに、勅命を受けて向かうパターンでは、鬼女たちがいると知っているにも関わらず、奥山で出会った美女たちにだまされてしまうのだ。それほど紅葉が人を惑わす、という意味にも取れるが、それにしても維茂さん、情けないぞ。八幡大菩薩が助けに来てくれたからいいようなものの、どうやら朝廷は人選を誤ったようだ。もしこれが源頼光だったらどうであろう。「物の怪バカ」の頼光さんの事だ、美女たちを見た瞬間に、目の色変えて切りかかったに違いない。
それと、このあらすじの微妙な違いは、いろいろな所に影響しており、神楽団ごとの違いをじっくり見比べると面白いと思う。例えばセリフ。「紅葉狩」のセリフと言えば、「良き酒肴が登り来る登り来る~!」ではなかろうか。これは維茂が勅命を受けたパターンでは使われないのが普通である。鬼女たちも、維茂の存在を知っているパターンとそうでないものがあるから、少しややこしいが、知っていれば「維茂主従登り来る~!」というセリフになっているはず。
「ひろしま神楽」の代表的な演目である「紅葉狩」。あまりにもポピュラーになりすぎて、なんとなく見てしまうかもしれないが、よぉく見るとなかなか興味深い演目でもあるのだ。次回、「紅葉狩」を見るときにぜひ参考にしていただきたい。
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2007,01,01 Mon 00:00
新着コメント
榊凪さん、コメントありがとうございます。
「紅葉狩」は美土里町の佐々木先生が作られたものが今では一般的ですが、他の先生方が作られたものもあるようです。
自分はまだ見たことがないのですが、資料を見るとかなり違う印象を受けますね。
木こりさんが登場するのは、上河内神楽団さんが舞われているのを見たことがあります。
やはり時間の関係などで、普段はなかなか見ることができないのが残念ですね。
祭などでは本来のバージョンを舞われているところもけっこうあるみたいですよ!
「紅葉狩」は美土里町の佐々木先生が作られたものが今では一般的ですが、他の先生方が作られたものもあるようです。
自分はまだ見たことがないのですが、資料を見るとかなり違う印象を受けますね。
木こりさんが登場するのは、上河内神楽団さんが舞われているのを見たことがあります。
やはり時間の関係などで、普段はなかなか見ることができないのが残念ですね。
祭などでは本来のバージョンを舞われているところもけっこうあるみたいですよ!
| 特派員 | EMAIL | URL | 08/01/29 20:03 | BFfnvy1Y |
久々です。
紅葉狩りは確かに多彩です。
なぜなら今はどこの神楽団もやっていないのがほんとうです。
そう最初は(佐々木編)いわく キコリができて
それが道案内する 名はゴンベイさん
そして 八幡大菩薩は出すに、化身としてキツネがでていたようです。それが見栄えや、他の伝説と混ざりこうなったわけです。自分的には どんな神楽でさえ日々進化しどんな形であれ 伝承されているのです。
紅葉狩りは確かに多彩です。
なぜなら今はどこの神楽団もやっていないのがほんとうです。
そう最初は(佐々木編)いわく キコリができて
それが道案内する 名はゴンベイさん
そして 八幡大菩薩は出すに、化身としてキツネがでていたようです。それが見栄えや、他の伝説と混ざりこうなったわけです。自分的には どんな神楽でさえ日々進化しどんな形であれ 伝承されているのです。
| 榊凪 | EMAIL | URL | 08/01/29 19:54 | GYKWyFX. |
あけましておめでとうございます。
次回は「酒呑童子」…と思っていたんですが、ファンの方からリクエストをいただいたので変更にしました☆
同じように見えても、けっこう神楽団によって違いがありますよね!
これからその辺をドンドンご紹介したいと思います。
またコメントお願いします。
次回は「酒呑童子」…と思っていたんですが、ファンの方からリクエストをいただいたので変更にしました☆
同じように見えても、けっこう神楽団によって違いがありますよね!
これからその辺をドンドンご紹介したいと思います。
またコメントお願いします。
| 特派員 | EMAIL | URL | 07/01/01 13:31 | BFfnvy1Y |
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
待ってました!!新シリーズ!!前回は「源頼光」でしたが、今回は「紅葉狩」ですか~新舞を代表する演目ですね。
自分も「狩野の旅に出て・・・」と「鬼女征伐の勅命を受け・・・」の2つに分かれていると、思っていました。
正しいのは、「狩野の旅に出て・・・」ですが、某神楽団さんのは鬼女征伐で来ていても、宴の最中に鬼女の正体を見破るというストーリーになっています。
今年もよろしくお願いします。
待ってました!!新シリーズ!!前回は「源頼光」でしたが、今回は「紅葉狩」ですか~新舞を代表する演目ですね。
自分も「狩野の旅に出て・・・」と「鬼女征伐の勅命を受け・・・」の2つに分かれていると、思っていました。
正しいのは、「狩野の旅に出て・・・」ですが、某神楽団さんのは鬼女征伐で来ていても、宴の最中に鬼女の正体を見破るというストーリーになっています。
| ジェラード | EMAIL | URL | 07/01/01 13:15 | DDJ0Ydcc |
今年の5月から、特派員として活動を始めてあっという間の7ヶ月。各地でさまざまな神楽を見てきました。そして、この1年の活動を振り返って感じたことをまとめてみようと思います。
まず、私が常に考えているのは「神楽とは何か」という事です。
簡単なようで難しい問いかけだと思いますが、すぐに答えられる方、いらっしゃいますでしょうか。
そして私の願いは、この地域の神楽がより一層発展し、いつまでも伝承される事です。しかし、現在の状況を見ると、果たしてこのままで本当に大丈夫だろうかと、 不安を抱かざるを得ません。
特派員として各地の大会やイベントを視察する一方で、いろいろな資料などで神楽の勉強もしています。その中で興味深い文章を見つけました。
『かつて芸北地方の神楽競演大会を見られた民俗学者が「神楽のような芸能大会」と評され、数年後には「神楽ともいえない芸能大会」と述べられた』そうです。
これは、普段私たちが目にしているほとんどの神楽が、民俗学的には「神楽ではない」という意味になってしまいます。広島県に入ってきた石見神楽が、各地に根付いて芸北神楽となり、最近では「ひろしま神楽」という言葉も使われるようになってきています。
何が言いたいかと言うと、「神楽が進化し続けている」ということです。もちろん、今までも時代の変化とともに神楽も進化し、そのおかげで今日まで伝承されてきました。しかしここ十数年、いわゆるスーパー神楽や創作神楽などの登場によって、著しく変わってしまったという印象を持つのは、私だけではないと思います。簡単に言うなら「派手になりすぎている」といった感じでしょうか。
ここで、現在の状況を見てみましょう。近年は各神楽団とも見せ方に工夫を凝らし、非常に見栄えのする神楽が増えてきています。これは応援してくださるファンのためであり、もっと喜んでもらいたいという気持ちの表れです。そうすることによって、ファンの方もますます神楽に夢中になっていきます。そして、競演大会やイベントの主催者側は、たくさんのお客さんに来て欲しい、という気持ちが当然ありますから、プログラムはどうしても人気の高い神楽団がメインになります。呼ばれた神楽団は、せっかく呼んでいただいて、たくさんの方に見てもらうのだから、と少しでも見栄えをよくしようと工夫をします。そしてそれにまたファンが反応し…というように、今の状況は神楽がますます派手になるような循環が出来上がってしまっているのです。
神楽の発展という意味では、これは歓迎すべき状況でしょう。しかし、伝統の芸能の保存という観点から見れば、とても手放しで喜べるものではありません。ではどうすればよいのでしょうか。「じゃぁ旧舞ばっかりやればいいのか?」という声が上がりそうですが、そんな単純な問題ではありません。それに私は、スーパー神楽や創作神楽の批判をしたいわけでもありません。神楽ブームと言われる今だからこそ、神楽団・神楽ファン・主催者の三者が、「神楽とは何か」ということを見つめ直さなければならないと思います。
その中でも、特にファンの方にもっと神楽の事を知ってもらう機会を作るのが急務ではないかと考えています。現在の状況は、ただ神楽を見るだけで終わってしまい、ファンには見た目の良さしか残りません。そうではなく、「この演目ではこの衣装、面を着ける」だとか「舞人の立ち位置にはこんな意味がある」というような、神楽の基本をファンの方に知ってもらえば、ただ派手なものがいいというわけではない、神楽の本当の面白さみたいなものが、少しはわかっていただけるのではと思います。
私は、神楽芸術研究所の一人として、この地域の神楽のために何をすればよいかと、毎日あれこれ考えています。今回は「神楽とは何か」という事を一人でも多くの方に考えていただきたいと思い、この文章を書きました。今後も活動を続けていきたいのですが、今年はマイクロソフト社のNPO支援事業のおかげで助成金をいただき、このような活動ができました。しかし来年以降はそういったものがないので、今までと同じような活動ができる保障はありません。こればかりは自分の力ではどうしようもない事です。ですから、今まで以上にみなさんのご支援、ご協力が必要です。どうかこれからもよろしくお願いします。
このコラムに関してのご意見、ご感想をお待ちしております。
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まず、私が常に考えているのは「神楽とは何か」という事です。
簡単なようで難しい問いかけだと思いますが、すぐに答えられる方、いらっしゃいますでしょうか。
そして私の願いは、この地域の神楽がより一層発展し、いつまでも伝承される事です。しかし、現在の状況を見ると、果たしてこのままで本当に大丈夫だろうかと、 不安を抱かざるを得ません。
特派員として各地の大会やイベントを視察する一方で、いろいろな資料などで神楽の勉強もしています。その中で興味深い文章を見つけました。
『かつて芸北地方の神楽競演大会を見られた民俗学者が「神楽のような芸能大会」と評され、数年後には「神楽ともいえない芸能大会」と述べられた』そうです。
これは、普段私たちが目にしているほとんどの神楽が、民俗学的には「神楽ではない」という意味になってしまいます。広島県に入ってきた石見神楽が、各地に根付いて芸北神楽となり、最近では「ひろしま神楽」という言葉も使われるようになってきています。
何が言いたいかと言うと、「神楽が進化し続けている」ということです。もちろん、今までも時代の変化とともに神楽も進化し、そのおかげで今日まで伝承されてきました。しかしここ十数年、いわゆるスーパー神楽や創作神楽などの登場によって、著しく変わってしまったという印象を持つのは、私だけではないと思います。簡単に言うなら「派手になりすぎている」といった感じでしょうか。
ここで、現在の状況を見てみましょう。近年は各神楽団とも見せ方に工夫を凝らし、非常に見栄えのする神楽が増えてきています。これは応援してくださるファンのためであり、もっと喜んでもらいたいという気持ちの表れです。そうすることによって、ファンの方もますます神楽に夢中になっていきます。そして、競演大会やイベントの主催者側は、たくさんのお客さんに来て欲しい、という気持ちが当然ありますから、プログラムはどうしても人気の高い神楽団がメインになります。呼ばれた神楽団は、せっかく呼んでいただいて、たくさんの方に見てもらうのだから、と少しでも見栄えをよくしようと工夫をします。そしてそれにまたファンが反応し…というように、今の状況は神楽がますます派手になるような循環が出来上がってしまっているのです。
神楽の発展という意味では、これは歓迎すべき状況でしょう。しかし、伝統の芸能の保存という観点から見れば、とても手放しで喜べるものではありません。ではどうすればよいのでしょうか。「じゃぁ旧舞ばっかりやればいいのか?」という声が上がりそうですが、そんな単純な問題ではありません。それに私は、スーパー神楽や創作神楽の批判をしたいわけでもありません。神楽ブームと言われる今だからこそ、神楽団・神楽ファン・主催者の三者が、「神楽とは何か」ということを見つめ直さなければならないと思います。
その中でも、特にファンの方にもっと神楽の事を知ってもらう機会を作るのが急務ではないかと考えています。現在の状況は、ただ神楽を見るだけで終わってしまい、ファンには見た目の良さしか残りません。そうではなく、「この演目ではこの衣装、面を着ける」だとか「舞人の立ち位置にはこんな意味がある」というような、神楽の基本をファンの方に知ってもらえば、ただ派手なものがいいというわけではない、神楽の本当の面白さみたいなものが、少しはわかっていただけるのではと思います。
私は、神楽芸術研究所の一人として、この地域の神楽のために何をすればよいかと、毎日あれこれ考えています。今回は「神楽とは何か」という事を一人でも多くの方に考えていただきたいと思い、この文章を書きました。今後も活動を続けていきたいのですが、今年はマイクロソフト社のNPO支援事業のおかげで助成金をいただき、このような活動ができました。しかし来年以降はそういったものがないので、今までと同じような活動ができる保障はありません。こればかりは自分の力ではどうしようもない事です。ですから、今まで以上にみなさんのご支援、ご協力が必要です。どうかこれからもよろしくお願いします。
このコラムに関してのご意見、ご感想をお待ちしております。
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2006,12,29 Fri 20:50
新着コメント
すみません、文章が切れてしまったので、続きを投稿します。
八調子石見神楽系を研究に値しないと言う人は言ってしまえば、大元神楽や比婆荒神神楽に価値を見出している訳です。それはそれで立派なことですが、一方で時代に応じて変化する神楽、ありのままの神楽をありのまま見ていないことになります。すなわち権威主義なのです。
ステージで演じる神楽をセカンドハンド、フォークロリズムだという批判もあります。フォークロリズムとは要するにフォークロアまがいです。ですが、なぜまがいものが観客を惹きつけるのか、民俗学はその理由を明らかにしていないのです。言いっぱなしなのです。
またまた話が変わりますが、関東の神楽は幕間が長く、着付けと休憩で一時間くらい空きます。その間に観客が入れ替わってしまうのです。観察するに、親御さんが子供さんに積極的に神楽を見せるという習慣がないようです。
神楽の鍵を握るのは子供です。親が子に神楽を見せる、そうやって成長した子供が親となってその子(孫)に神楽を見せるというサイクルが島根や広島では確立されています。いかにあしざまに言われようがビクともしないのは、こうしたサイクルのお蔭でしょう。
八調子石見神楽系を研究に値しないと言う人は言ってしまえば、大元神楽や比婆荒神神楽に価値を見出している訳です。それはそれで立派なことですが、一方で時代に応じて変化する神楽、ありのままの神楽をありのまま見ていないことになります。すなわち権威主義なのです。
ステージで演じる神楽をセカンドハンド、フォークロリズムだという批判もあります。フォークロリズムとは要するにフォークロアまがいです。ですが、なぜまがいものが観客を惹きつけるのか、民俗学はその理由を明らかにしていないのです。言いっぱなしなのです。
またまた話が変わりますが、関東の神楽は幕間が長く、着付けと休憩で一時間くらい空きます。その間に観客が入れ替わってしまうのです。観察するに、親御さんが子供さんに積極的に神楽を見せるという習慣がないようです。
神楽の鍵を握るのは子供です。親が子に神楽を見せる、そうやって成長した子供が親となってその子(孫)に神楽を見せるというサイクルが島根や広島では確立されています。いかにあしざまに言われようがビクともしないのは、こうしたサイクルのお蔭でしょう。
| mitsuzakura | EMAIL | URL | 20/11/24 21:56 | rj4PZ9s6 |
失礼します。私は島根県浜田市の出身で、現在は関東に住んでいます。なので芸北神楽はYouTubeで見ただけです。いずれ大朝の競演大会を見にいきたいと思っています(高速道路で一本なので)。
さて、関東の神代神楽の奉納を何軒か見ることができたのですが、石見神楽系の神楽に比べてバトルの要素が薄いのです。海幸山幸や天孫降臨など記紀神話に比較的忠実な内容です。
翻って見るに、特に芸北神楽の新舞ですが、ほとんどの演目がバトルが主眼となっています。それから新舞の場合、その成り立ち上、神話を題材にした演目が少なく説話を題材にした演目が多いです。言ってしまえば、神話劇からの逸脱です。
出雲の民俗学者である石塚尊俊は「曲目もどんどん新作され、神楽といいながら神話とも縁起とも関係ないものがもっぱら賞翫されるに至っております。」と山陰民俗研究3号で述べています。
八調子石見神楽系の人気の要因はテンポが速い、闊達である、そして勧善懲悪のストーリー性を持つこと等でしょう。しかしながら、特に新舞はそれに特化し過ぎてしまっている様に見えます。これは神楽とは神話劇であるという縛りを外すことで、一段と世界を広げているという見方もできるでしょう。一方で、バトル一辺倒の内容となっていますので、その点で発展の方向性が限られているということも言えます。
関東の神代神楽が証明していますが、バトルに頼らなくても神楽は成立するのです(※関東の神楽にバトルが無いとは言っていません)。
話は変わりますが、私自身、中学生のときに「本物の神楽は大元神楽みたいなのを言うんだ」と郷土史家だった担任の先生の発言があったことを記憶しています。
芸北神楽を神楽ではないという批判ですが、要するに「ショーである」「見せ物である」という批判と同根のものでしょう。
これについては、二つの見方が挙げられます。伝統芸能は昔から変わらずに今まできたという認識は今では否定され、伝統芸能は時代に応じて変化しながら生き残ってきたという認識の方が有力となっています。
八調子石見神楽系は他地域の神楽と比べて変化を進んで受容し、時代に応じて生き延びてきた度合いが強いと言えるでしょう。
八調子石見神楽系を研究に値しないと言う人は言ってしまえば、大元神楽や比婆荒神神楽に価値を見出している訳です。それはそれで立派なことですが、一方で時代に応じて変化する神楽、ありのま
さて、関東の神代神楽の奉納を何軒か見ることができたのですが、石見神楽系の神楽に比べてバトルの要素が薄いのです。海幸山幸や天孫降臨など記紀神話に比較的忠実な内容です。
翻って見るに、特に芸北神楽の新舞ですが、ほとんどの演目がバトルが主眼となっています。それから新舞の場合、その成り立ち上、神話を題材にした演目が少なく説話を題材にした演目が多いです。言ってしまえば、神話劇からの逸脱です。
出雲の民俗学者である石塚尊俊は「曲目もどんどん新作され、神楽といいながら神話とも縁起とも関係ないものがもっぱら賞翫されるに至っております。」と山陰民俗研究3号で述べています。
八調子石見神楽系の人気の要因はテンポが速い、闊達である、そして勧善懲悪のストーリー性を持つこと等でしょう。しかしながら、特に新舞はそれに特化し過ぎてしまっている様に見えます。これは神楽とは神話劇であるという縛りを外すことで、一段と世界を広げているという見方もできるでしょう。一方で、バトル一辺倒の内容となっていますので、その点で発展の方向性が限られているということも言えます。
関東の神代神楽が証明していますが、バトルに頼らなくても神楽は成立するのです(※関東の神楽にバトルが無いとは言っていません)。
話は変わりますが、私自身、中学生のときに「本物の神楽は大元神楽みたいなのを言うんだ」と郷土史家だった担任の先生の発言があったことを記憶しています。
芸北神楽を神楽ではないという批判ですが、要するに「ショーである」「見せ物である」という批判と同根のものでしょう。
これについては、二つの見方が挙げられます。伝統芸能は昔から変わらずに今まできたという認識は今では否定され、伝統芸能は時代に応じて変化しながら生き残ってきたという認識の方が有力となっています。
八調子石見神楽系は他地域の神楽と比べて変化を進んで受容し、時代に応じて生き延びてきた度合いが強いと言えるでしょう。
八調子石見神楽系を研究に値しないと言う人は言ってしまえば、大元神楽や比婆荒神神楽に価値を見出している訳です。それはそれで立派なことですが、一方で時代に応じて変化する神楽、ありのま
| mitsuzakura | EMAIL | URL | 20/11/24 21:51 | rj4PZ9s6 |
メビウスさん、コメントありがとうございます。
団員をされている方の投稿、嬉しいです☆
メビウスさんの意見、本当にその通りだと思います。
「敬神観念」、ファンの方には難しいかもしれませんが、これは神楽において非常に大切なものですよね。
もっと団員さんとファンとの距離を、いろんな面から近づけたい、と思います。
ご意見ありがとうございました。
団員をされている方の投稿、嬉しいです☆
メビウスさんの意見、本当にその通りだと思います。
「敬神観念」、ファンの方には難しいかもしれませんが、これは神楽において非常に大切なものですよね。
もっと団員さんとファンとの距離を、いろんな面から近づけたい、と思います。
ご意見ありがとうございました。
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/12/31 17:20 | BFfnvy1Y |
私も神楽を舞いますが、大晦日にもの思う。です。
確かに神楽は、神の御霊を鎮めると同時に大衆の楽しみ、心のよりどころの一端を担い発展、進化し続けてきました。でも、私は思います。見るものを意識しないのもこの地方に根付いた神楽ではないと。活発な囃子と絢爛な衣装。その神楽は人々を魅了し、感動を与える。全国稀な郷土芸能です。一方では、過疎化が進み、神楽を奉納することすらできなくなった団体も垣間見られ、全体を見渡せば後継者が着実に減っているのはまぎれもない事実。芸能化を迎合するものではありませんが、神楽人はいろんな狭間で葛藤しているのだと思います。舞台神楽のみを見れば確かに神楽とは言いがたいのかも知れない・・・しかし、そこに立つものは宮での奉納も礼をつくしておこなっているはず。私は神楽人として、その場に合った舞のできる懐の深い舞子でいたいと思います。そして、この誇れる郷土芸能をこの地の文化として、敬神観念を持ちながら伝承していきたいと思っています。
確かに神楽は、神の御霊を鎮めると同時に大衆の楽しみ、心のよりどころの一端を担い発展、進化し続けてきました。でも、私は思います。見るものを意識しないのもこの地方に根付いた神楽ではないと。活発な囃子と絢爛な衣装。その神楽は人々を魅了し、感動を与える。全国稀な郷土芸能です。一方では、過疎化が進み、神楽を奉納することすらできなくなった団体も垣間見られ、全体を見渡せば後継者が着実に減っているのはまぎれもない事実。芸能化を迎合するものではありませんが、神楽人はいろんな狭間で葛藤しているのだと思います。舞台神楽のみを見れば確かに神楽とは言いがたいのかも知れない・・・しかし、そこに立つものは宮での奉納も礼をつくしておこなっているはず。私は神楽人として、その場に合った舞のできる懐の深い舞子でいたいと思います。そして、この誇れる郷土芸能をこの地の文化として、敬神観念を持ちながら伝承していきたいと思っています。
| メビウス | EMAIL | URL | 06/12/31 17:07 | LEQ4bAmU |
ジェラードさん、コメントありがとうございます。
「天の岩戸」は、本来ならば儀式舞と同じように、神楽を舞うときには必ず奉納しなければならない演目でした。
しかし、この「天の岩戸」が保持演目にない神楽団もけっこうあるようです。
見た目は地味ですが、大切な神楽の一つだと思います。
またコメントお願いします。
「天の岩戸」は、本来ならば儀式舞と同じように、神楽を舞うときには必ず奉納しなければならない演目でした。
しかし、この「天の岩戸」が保持演目にない神楽団もけっこうあるようです。
見た目は地味ですが、大切な神楽の一つだと思います。
またコメントお願いします。
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/12/30 12:00 | BFfnvy1Y |
今年最後の特派員報告は、ちょっと珍しい写真を紹介してみようと思います。
まずこの写真は、開場前にスタッフで最終打ち合わせをしているところです。プロデューサー、音響、照明、ドライアイス、撮影、そして司会の方もみんな一緒に話し合います。もちろん、みなさんプロの方で、神楽のステージも慣れっこなので、本番でも失敗はなく、素晴らしいステージになったと思います。
こちらは中川戸神楽団の方が、「伊吹山」で使用する幕を準備されているところです。見られた方はすぐに「あの幕だ!」とおわかりになると思います。プログラムでは一番最後の上演でしたが、始まる前にやらなければならないので、だいぶ早く来られて準備されていました。
こちらは亀山社中のみなさんに協力していただいて、音響の最終チェックをしているところです。やはり事前に実際の音を出してもらったほうが、より完璧な仕事につながります。亀山社中のみなさんも私服のままですので、ファンのみなさんにとってはなかなか貴重ではないでしょうか?
最後は会場の写真です。たくさんのお客さんが来られていて、改めて神楽人気の高さを実感しました。これで今年は終わりですが、最後にもう一回、私特派員自身が、今年一年を振り返ってみて感じたことをまとめてみたいと思います。未掲載の写真もできるだけご紹介する予定ですので、どうぞお楽しみに!
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まずこの写真は、開場前にスタッフで最終打ち合わせをしているところです。プロデューサー、音響、照明、ドライアイス、撮影、そして司会の方もみんな一緒に話し合います。もちろん、みなさんプロの方で、神楽のステージも慣れっこなので、本番でも失敗はなく、素晴らしいステージになったと思います。
こちらは中川戸神楽団の方が、「伊吹山」で使用する幕を準備されているところです。見られた方はすぐに「あの幕だ!」とおわかりになると思います。プログラムでは一番最後の上演でしたが、始まる前にやらなければならないので、だいぶ早く来られて準備されていました。
こちらは亀山社中のみなさんに協力していただいて、音響の最終チェックをしているところです。やはり事前に実際の音を出してもらったほうが、より完璧な仕事につながります。亀山社中のみなさんも私服のままですので、ファンのみなさんにとってはなかなか貴重ではないでしょうか?
最後は会場の写真です。たくさんのお客さんが来られていて、改めて神楽人気の高さを実感しました。これで今年は終わりですが、最後にもう一回、私特派員自身が、今年一年を振り返ってみて感じたことをまとめてみたいと思います。未掲載の写真もできるだけご紹介する予定ですので、どうぞお楽しみに!
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2006,12,25 Mon 19:18
新着コメント
ジェラードさん、コメントありがとうございます。
これからもこういう写真を撮って、ファンのみなさんにご紹介したいと思います。
これからもこういう写真を撮って、ファンのみなさんにご紹介したいと思います。
| 特派員 | EMAIL | URL | 06/12/28 19:19 | BFfnvy1Y |
こういうなかなか見れない所を見れるとは、うれしいですね~
| ジェラード | EMAIL | URL | 06/12/28 12:56 | WUwqpvHU |
「悲劇の英雄 ヤマトタケル伝説」の幕開けは、琴庄神楽団「熊襲」。景行(けいこう)天皇第二の皇子、日本童男(やまとおぐな)の尊が、日本武尊(やまとたける)と名乗るようになるまでのエピソードがここで語られます。今回、この琴庄神楽団の「熊襲」を初めて見たのですが、神が3人出るのが珍しいと思いました。立ち合いは悪も3人、合計6人の激しいもので、会場全体が白熱したような感じでした。
西の熊襲を征伐した日本武尊が、今度は東の国を平定する物語が、上河内神楽団「草薙の剣」。かつて須佐之男命(すさのうのみこと)が八岐大蛇を退治する時に用いた「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」が、「草薙の剣」と改名される過程がここで明らかになります。豪族兄弟によって焼き殺されそうになった尊が、草を薙ぎ払って難を逃れる場面、ここはホール神楽ならではの舞台演出で、本当に見事な場面に仕上がっていました。
そして、古代日本を統一した日本武尊が、ついにその生涯を閉じる物語が中川戸神楽団「伊吹山」です。連戦連勝を重ねた尊は、その過信から「草薙の剣」を持たずに、近江の国伊吹山の大鬼神を征伐に向かいます。激闘の末、鬼神を退治しますがその毒牙に触れ、ついに大和の国へ帰ることができぬまま、息を引き取ったのでした。見どころはやはりクライマックス。中川戸さんらしい見事な演出で、尊の最期をドラマチックに表現されていました。
以上で、RCC神楽スペシャルの特派員報告は終了…じゃないんです(笑)。今回は特別に、そのほかに特派員が会場で撮影したいろいろな写真をみなさんにご紹介しようと思います。けっこうレアな物もありますので「その3」をお楽しみに!
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2006,12,19 Tue 22:04
新着コメント
12月17日に広島市の郵便貯金ホールで行われた「RCC神楽スペシャル」。今回は前半部分の特派員報告をご紹介します。
まずはじめは石見神楽亀山社中の「神楽」。文字通り「神楽」なんですが、これは儀式舞の一つであり、「神降し」や「潮祓」と同じような意味合いの舞です。舞人は鈴と扇子を持ち、四方を拝んで鈴を鳴らすことによって、神様を迎える準備をするのです。
次はこの神楽スペシャルの第1回のテーマより、三谷神楽団の「大江山」。酒呑童子の見事な演技、口上には客席から大きな拍手の連続。立ち合いではテンポの速い舞と奏楽で、まさに息をもつかせぬ激しさ。本当に素晴らしい神楽だと思います。
次は第2回のテーマより、原田神楽団の「紅葉狩」。これをご覧になった方は、おそらく舞よりも奏楽のほうを見る時間のほうが長かったのではないしょうか(笑)。そう、あの手打ち鐘を叩かれた方です。本当に名人芸と言ってもいいくらいで、おもわずそちらに夢中になってしまいますよね。
再び登場の亀山社中による「黒塚」。法印さん、剛力さん、悪狐、そして里人。このみなさんの絶妙かつ息の合ったやり取りも目が離せませんね。小道具あり、小ネタありで、お客さんも神楽を見てるというより、漫才を見てるようではなかったでしょうか(笑)
以上が前半の4演目です。儀式舞に加えて、第1回「大江山への道」と第2回「平安の悲劇」をテーマにした演目でした。後半は、いよいよ本題の「悲劇の英雄 ヤマトタケル伝説」をご紹介します。
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2006,12,17 Sun 23:24
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